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婦人公論1974/2月号通巻693号 P.174-179
新春異色対談
サオリストの夢
大岡昇平
(作家)
南沙織
(歌手)
『レイテ戦記』の作者は
純情な南ファン。サオリ
ストとして作曲をしたい
という熱の入れようです。
ぼくは沙織ちゃん一筋なんだ
大岡 ぼくはね、こう見えても加藤登紀子くんと一緒に組んで、講演
旅行したことがあるんだ。つまりはジョイント・リサイタルっていう
わけでね。沙織ちゃんが出てくるまではさ、加藤登紀子のファンだっ
たけれど、かの女、引退みたいなことになっちゃたから。
南 あら、加藤さんととてもミイは仲良しなの、家へよく遊びにい
く。先生とは話が合いそうね。気が楽になったわ。
大岡 アメリカン・スクールはまだいってるの? えーと、あれはど
こにあったっけな。
南 来年六月卒業です。あるとこはキリスト教大学のとなり。
大岡 ああ、小金井から、深大寺のほうへいく、ゴルフ場になった、
あの隣でしょう。ぼくはむかしあのへんにいたんだ。昭和二十三年だ
から、まだあなたがうまれる前だね。あそこのへんのこと、『武蔵野
くぬぎ
夫人』に書いたんだ。ずっと櫟林が続いててね、いまも武蔵野の感じ
が残ってるでしょ。
南 そうみたい。
大岡 とにかく歌いながら勉強をこなすのはたいへんね。
南 でも、どうにかやってる。
大岡 このごろあまり話に出ないけど、あなたのお父さんはフィリッ
ピンの方でしょう。ぼくはフィリッピンへ、戦争で行って、その話ば
かり書いてる。だからフィリッピンはぼくの守備範囲なんだよ。沖縄
も好きなんだ。だからね、あなたが出て来たときからのファンです
よ。いっとう最初から。ぼくは歌謡曲をそう聞かないんだけどさ、あ
なたが出る番組と、日本歌謡選手権大会ね、あれ素人がやるから好き
で、その二つしか見ないんだ。あなたのファンは、ぼくの知ってるだ
けでもずいぶんいますよ。たとえば武田泰淳の娘さんの花子ちゃん。
ずっと若い人だけど、彼女、歌謡曲はぜんぜん聞かずに、あなただけ
なんだ。だから、お父さんより話が合う(笑)。
南 ほんと?
大岡 あなたいまいくつ?
南 十九です。あと半年で二十歳、早いですね。
大岡 ぼくは六十四だからね。孫というわけにはまだいかないかな。
南 そうよ、先生まだ若いですもん。
大岡 なにしろいろんなファンがいてね。十になるぼくが名付親にな
ってる子からも、きょうサインしてもらって来てね、とたのまれちゃ
ってるし、ぼくの娘の友だちで大学院の修士課程にいる男の子なん
か、きょうはぼくの秘書みたいな顔してくっついて来て、あなたのサ
インをぜひもらうんだっていってたけど、い
ざとなったらふるえちゃってさ、こわいから
いやだといって来なかった。
南 うわあ、そうなんですか。
大岡 ぼく一人しゃべってるけど、もう一人
おもしろいのは、ぼくは成城に越して三年に
なるんだけど、そのころ近くの家に小さな女
の子がいたけど、急に大きくなった。その子
の部屋が二階なんだ。下を通ってふっと見上
げるだろ、そうすると天井から壁から、みん
な沙織ちゃんの写真やポスターが貼ってあ
る。いま十二か十三ぐらいになってるけれ
ど、その貼ってある沙織ちゃんの顔がふえる
につれて、その女の子がだんだんきれいにな
っていくんだよね。ファンとして育ってるん
だよ。
南 ほんとうですか。
大岡 いつかその女の子が自転車に乗っかっ
てて、ばったり行き会って、こんにちは、と
おじぎして挨拶しちゃったらね、向こうもに
っこり笑って挨拶してくれたんだよ。とても
かわいくてね、顔も沙織ちゃんによく似てる
んだよね。だからよっぽど「沙織ちゃんに似
てますね」って声が出そうになって、だけど
考えてみたら、顔が黒いからだと向こうのお
っ母さんにおこられるといけないと思って、
グッとこらえちゃった(笑)。
南 わあ、うれしいお話。
とんだ高校生のファンレター
大岡 それなのに沙織ちゃんには何の賞もく
れないんだ。こんどの何とか賞だってさ、よ
こさないしな、ほんとにケチなね、変な旗ふ
りみたいな、チンパンジーがのみ取ってるみ
たいな子ばかり賞をとって、沙織ちゃんに出
さないだろう。もう頭に来ちゃってさ。この
ごろずっとカッカしているんだ。
南 でも、あたし気にならない。
大岡 そうかな、こっちはおもしろくねえん
だよ。なんか変なのばかりにやりやがって
ね、去年もおととしも、なんだかなつメロの
吹き替えみたいな歌にばかりに賞をやりやが
るしさ。沙織ちゃんは、こんどの『ひとかけ
らの純情』もヒットしそうですね。フォーリ
ーブスと学生芝居みたいな、そう『見上げて
ごらん空の星を』っていう、ちょっとしんみ *1
りした感じのミュージカルやったのになあ。
ぼくはもとはちょっぴりフォーリーブスも好
きだったんだ、このごろひねちゃったからお
もしろくなくなったけど。
南 あのときは、目がキョロキョロしすぎた
っていわれちゃった。
大岡 何しろ沙織ちゃんの歌はむつかしいか
らね、普通に、すぐ歌えないからね。ミーハ
ーにはちょっと歌えない歌ばかりだからな。
南 それはみんないうね、そんなにむずかし
いかな。あたしはむずかしい歌、音楽的にむ
ずかしい歌が好きなの。張合いがあるもの。
二十回も三十回も歌うでしょう、同じ歌を
ね。あまり簡単な歌だと、かえって忘れちゃ
うような気がして……。『哀愁のページ』で
も、スローテンポだけど、歌謡曲と違う。自
分でなかなかうまく歌えないの。でもポピュ
ラー的な感じもしないし。
大岡 それはあるね。ほかの歌謡曲を聞いて
ると、何となくくだらないけど、沙織ちゃん
のやつは聞けるというのは、どっか歌がおも
しろいんだよ。
南 どうしてもいい歌を歌ってないとつまん
ないもの。いい歌はおもしろい。
大岡 そうだよ。そういうところが何とか委
員とか審査員にはわからないんだ。沙織ちゃ
んがテレビなんかに出ても、カメラはちょっ
と沙織ちゃんを写して、すぐほかのやつを写
しちゃう。ぼくはね、「あのカメラの使い方
はちょっとおかしいんじゃないですか、ナベ
プロばかりひいきにしないでください。―一
高校生より―」って書いて、お手伝いさんに
これを君の字で代筆して送ってくれってい
ったんだよ(笑)。お手伝いさんが、いやです
よっていったから、その紙を捨てちゃったと
思ってたら、とっておいていやがってね、沙
織ちゃんの写真と額縁に入れて保存してある
んだよ、ぼくの投書の下書きがね(笑)。
南 涙が出ちゃう。あたしの歌で、なにがい
ちばんお好きですか。
大岡 羽仁進先生には及びもないが(笑)、蔭
ながらお役に立ちたいと、いつも思ってま
す。『傷つく世代』も好きだけど、こんどの
『ひとかけらの純情』もいいですね。『傷つく
世代』は、われわれのほうの『日本読書新
聞』に評判が出たけど、読んだ?
南 知らなかった。
大岡 『傷つく世代』で南沙織はニコニコ笑
いながら、「だめね、だめね」といっている
のはだめだ、というんだけどさ。なにいって
やがんだい、ニコニコ笑いながらやってると
ころがいいんでね。深刻な顔をしてだめね、
だめね、といったら話にならんもの。それに
しても、あなたの歌は、ほかの歌謡曲の歌手
みたいに、変に湿っぽく、べたべたしてない
から好きなんだ。あまり着物かえないとこも
いい。かわいくってさ、スタイルもいいし
ね、顔もいいけど(笑)。ぼくは素人みたいな
感じが好きだな。歌手というと、すぐすれた
感じになっちゃうだろう?
先生もロレンツを読みなさい
南 それは、あたしがお化粧しないからかも
しれません。きょうは先生に合うんで少しし *2
てるけど。ほかの人が本番ギリギリまで鏡に
向って一生懸命お化粧やってても、あたしは
十五分前まで本を読んでいて、五分前になっ
てから頭をさっとやって出ちゃうの。
大岡 いまどんな本を読んでるの?
南 コンラッド・ロレンツ、知ってる? あ
の人の本を読んでる。でもとてもむずかしい
のよ。何度も読まないとわからないけど、い
い本よ。『アグレッション』っていって、日
本語に訳すと「侵略」とかいうけど、あたし
には少し違ってるような気がする。心理学的
な本ね。
大岡 ずいぶんむつかしいのを読むんだな。
南 ロレンツによれば、人間は人を殺すけれ
ど、生まれたときからそうなのは、人間だけ
なんだって、理由もなしに人を殺すのはね。
たとえばお魚にしても、ほかの動物にして
も、理由がなければ殺さない。理由もなく人
を殺すのは人間だけだというんだけど、あた
しちょっと説明しにくい。
大岡 人間が戦争で獣のように闘うというの
は嘘で、獣はああいうふうには闘わない。人
間だけなんだ。獣は相手を倒して、勝つか負
けるか、はっきりすればいいんだ。向こうが
逃げればいいんだからね。コンラッド・ロレ
ンツはぼくもいま読んでる。
南 日本で売ってないでしょう。
大岡 翻訳がずいぶん出てるよ。
南 じゃ「アグレッション」は何て訳すの?
大岡 人間の攻撃性と訳すかな。ピンとこな
いかな
南 感じはわかるんだけど……。先生もロレ
ンツはたくさん読んだほうがいいよ。いい本
だもの。真剣に考えさせられちゃう。
大岡 そう、人間の攻撃性だけではなくて、
もっといろいろ悪いこともある。いまちょう
ど『文明化された人間の八つの罪』というの *3
を読んでるところだけれど、そのあなたの読
んでる本じゃないかな。ロレンツはドイツ *4
人だから、英訳名はちがってるでしょう。人
間は言葉を発明したのがよくない。動物は悪
くなっても一代きりだけど、人間は言葉で悪
いことを子孫代々伝えて、なお悪くなってい
く。賢くなる本だ。攻撃性もそうだけど、人
間は環境を汚染したりね、地球の上に住む適
性というかな、住む資格がなくなってきてい
るんじゃないか、というようなことを書いて
ある。
二人で賞を取ろうよ
大岡 沙織ちゃんのデビューのきっかけは?
南 沖縄でテレビ番組にちょっと出ていたの
ね。最初は妹がスカウトされたんだけど、妹
はまだそのとき十三ぐらいだったから、いつ
の間にかあたしになっちゃったの。
大岡 沖縄復帰のときに妹さんとお母さんと
あなたがテレビに出たね。あの妹さんね。
南 そうです。
大岡 沖縄のどこなの、那覇?
南 那覇から二十分ぐらいいったところ。
大岡 ぼくは一九六七年にフィリッピンにい
った帰り一度、那覇へいった。あなたのお父
さんはフィリッピンのどこ?
南 マニラのほう。
大岡 ぼくは兵隊のとき、マニラからミンド
ロ――あんなとこ知らないだろうな。レイテ
といってもわかんないだろう……。
南 あたし、いったことないの。だからいき
たいと思っているけど。
大岡 フィリッピンのはやり歌に、わりとお
もしろい歌がある。スペイン風のメロディで
ね、いいのがある。
南 フィリッピンでは『夢は夜ひらく』なん
かがよく売れたんだって。だから、そういう
感じの歌かもしれないなあ。先生って、ほん
とうにあたしの歌をよく聞いてくれてるのね
え。音楽にも詳しいみたい。
大岡 楽譜をもってくればよかったな。こん
ど中原中也の歌を作曲して、レコードが出る
の。中央公論社の「文芸レコード」が出る。
これは歌謡曲じゃなくて、むかしのクラシッ
クなシューベルト風のリードだけど、中原中
也、知ってるかい。
南 知らない。
大岡 「汚れちまった悲しみに」――ほら知
ってるだろう。なんとかってべたべた新人の
キャッチフレーズに中原中也を使いやがっ
て、頭にきてるんだ。よっぽど著作権侵害で
訴えろって、遺族をけしかけようかと思った
けど、やめた。そうだ、こんど一つ、フィリ
ッピンの歌を編曲して、沙織ちゃんに歌って
もらおうかな、二人でレコードに入れたりし
てさ、賞を取ろうよ。
南 わたし賞なんか気にしていない。なんて
いうかな、また来年もあるわ、という考えだ
から。でも先生の曲で賞を取ったらステキで
しょうね。
大岡 沖縄と本土と、どっちがいいかな。
南 いまはこっちのほうが好き。なぜかとい
ったら、あたしは学校一年遅れていて、みん
な友だちは卒業して、もういないのね。お父
さん、お母さんだけしか沖縄にいないから、
何となくあっちへいっても淋しいの。
大岡 沖縄の歴史も知っておくほうがいい。
南 私が感じてる沖縄の歴史って、ほとんど
アメリカの歴史でしょう。だから日本の歴史
を知りたいの。
大岡 じゃ大学では歴史をやるといいな。語
学や文学なんか覚えても役に立たない。
南 心理学もとるつもり。
大岡 それはいい考えだ。それにしても歌い
ながら学校へ通うのは大変ね。
南 夜はほとんど十二時過ぎに寝るでしょ、
朝起きるのは六時半。でもね、絶えず何かや
っていたほうがいいの。
大岡 それから歌の練習もあるでしょう。
南 ええ、学校でも音楽はあるけれど、あた
しは取ってないの。何か入るとわざとらしい
でしょう。恥ずかしいような気がしちゃって
入りにくい。それにうれしいのは、友だちが
あたしの仕事のことを何もいわない、タレン
トという目で見ないでいてくれるっていうこ
となの。でも、森昌子ちゃんにいわれたの、
沙織ちゃんは神経質だって……。
大岡 そりゃほかの歌手よりは神経質だよ。
無神経なやつが多すぎるからね。ぼくもタレ
ントでない沙織ちゃんのことを知りたいけ
ど。学校も大事だし、いまぐらいがいちばん
いいんじゃない。
南 あたしはマイペースで、気持を広く持ち
たいの。ガリ勉は嫌いだけど、十六歳で芸能
界に入ったでしょう。だけど芸能界のことし
か知らないというのはいやなの。たとえばあ
たしが普通の女の子に戻ったら、普通の女の
子がどういうものか、ある程度わからなけれ
ばいけないし、普通の生活にも慣れる心をい
つまでも持たなければいけないと思うの。そ
うしたら落ちたときも、自分で最初からそう
思っていたんだから、ショックは少なくてす
むでしょう。
大岡 そう、世間が広くなるからね。十九の
あなたが、そういうマイペースでやっていく
には芸能界はきついところだけれど、よくや
ってるよ。最初はお母さんが一緒だったの?
南 だれもいなかった。たった一人だった
の。だから、だまされまい、だまされまいと
したわね。ママはもしかしたら、どっかへ売
られるんじゃないかと思ってたみたい。
大岡 だからかえって参っちゃって、歌うの
をやめる、やめたいということになったりし
たんだなあ。
南 いま考えてみると、よくいえたと思う。
あたしはノーといったらあくまでノー、とい
うところがあって、自分が思ったことをいっ
ちゃったんです。
大岡 あのスキャンダルはひどかったね。で
も沙織ちゃんが、あのときシンク・イト・オ
ーバーといったのを覚えてるな。もう少し考
えてみますということだね。ぼくはタレント
をロボット化することに対する抗議の立派な
態度だと思って、感心したな。
南 でもあのときは、ママが怒って帰っちゃ
ったの、引退するなら引退するで、いいやめ
方があるっていって。あたしも、あれはわが
ままだった、と思って、冷静に考えられるよ
うになったというか、人間ていうのはこうい
うものじゃないかな、という考えを持つよう
になりましたね。
大岡 ますます好きになって来たぞ(笑)。ぼ
くの『野火』っていう小説の英語版があるから
プレゼントします。フィリッピンの話です。
南 ありがとう。あたしもレコード送ります
し、ステージにもご招待しますからぜひ来て
ください。
大岡 最年長のファンとして、おずおずとい
きましょう。それと一緒に講演旅行したい
な。歌手といっしょに講演すると、かならず
会場に列ができるから、うれしいんだ(笑)。
*1『見上げてごらん夜の星を』
*2 合う 原文のまま
*3『文明化した人間の八つの大罪』K.ローレンツ 新思索社 \1600
*4「アグレッション」は『攻撃--悪の自然誌』だから、大岡氏の感ちがい
Konrad Lorenz, Das sogenannte Bose--Zur Naturgeschichte der Aggression, Dr. G. Borotha-Schoeler Verlag, Wien,
1963 (日高敏隆・久保和彦訳『攻撃--悪の自然誌』みすず書房, 1970年).
はじめの31字の部分は上段に写真、下段に対談、次の20字の部分は3段組。
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