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新沙連

「新沙連」ご挨拶

 はじめまして、新潟の横田俊雄(1957年生まれ)と申します。
 昔シンシアがバーニングプロダクションに所属していた時から、新潟で
中心となってファン活動をしていた者です。u3氏からご依頼をいただき
今般このつたない文章を書くこととなりました。彼とは、数えてみたら知
り合って24年ほどにもなることに気づきました。なんとも年をとってし
まったものです・・・。
 それでは、簡単に我々のことを紹介させていただきます。

 1976年7月2日新潟において1冊のミニコミ誌が発行されました。
 シンシアFC(正式にはバーニングプロ友の会シンシアファンクラブ)
新潟支部発行のこのミニコミ誌は、青焼きでわずか10頁程のおそまつな
ものでした。が、この未熟な内容のおそまつな製本の物の中には、我々地
方の「サオリスト」のアツイアツイ想いが込められたものでありました。

 この創刊号発行の約半年前より、他の地方支部同様に新潟支部として活
動を開始し、創刊号発行以後は定期的にミニコミ誌を発行することにより、
ミニコミを支部活動の基盤と位置づけてコツコツと仲間の輪を広げる努力
を続けてゆきました。
 以後、ミニコミ誌タイトルを「新視野(シンシヤ)」と名付け、幸運な
ことに彼女自身からも何度か直筆原稿(メッセージ)をも頂戴・掲載した
りしながら、私自身青春の大切な時期をこのファン活動にどっぷりと埋没
していきました。
 途中でいろいろなトラブルもあり、シンシア自身の所属事務所移籍をきっ
かけに、それまでのファンクラブ新潟支部としての活動から、単独の純粋
なファン同志のサークル活動に形を変えていきました。その時に、

   名称を「新潟サオリスト連絡協議会(略称:新沙連)」
   ミニコミ誌タイトルを「沙和流(そわーる)」

と改名して活動を続け、シンシア引退後も他県のサオリストとも交流を持
ちつつ活動を存続させました。が、残念ながらミニコミの方は「17号」
でストップしたままとなっています。

 現在、新沙連としての活動は休眠状態ですが、ファン活動をしていたお
かげで全国各地に友人知人ができました(このこと自体私にとって大変な
財産なのです)。
 そしてたくさんの年月を重ねた今日、こうした形で不特定多数の人へメッ
セージを発信していることに、時代の移り変わりを感じないではいられま
せん。
                    (1998年5月17日記す)

 横田俊雄(E-mail: yokochan@po.next.ne.jp

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