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2005年10月 の伝言板を読む
2005年08月 の伝言板を読む
管理人さん、皆さん、お久しぶりです。 10月26日に、シンコーミュージックより 『歌謡曲 名曲名盤完全ガイド1970-1979』(B5版・272ページ。 2,500円+税。執筆/堤昌司、榊ひろと、馬飼野元宏、高護の4氏) が発売されます。カラージャケット写真約1000点、ディスクレビュー 200点。関係者インタビューや歌手別の完全ディスコグラフィーも 掲載されるとの事。ジャズ批評別冊『アイドルポップス80~90』と 共に、永久保存版となるのは間違い無いですね。 主要アーティストの中には、勿論シンシアの名前も入っていました。
シンシアが最後に出演した回のことはよく覚えています。 「マイウェイ」を「全員」でとありますが、ほとんど布施・五木・ 小柳あたりで歌っていて、「あんた方より、シンシアにもう一曲 歌わせてよ」と思ったことが特に記憶に残ってます。
http://www.fujitv.co.jp/cs/index2.html 1978/9/25 の夜のヒットスタジオが放送されるそうです。 内容は 高田みづえ 女ともだち 小柳ルミ子 泣きぬれてひとり旅 シグナル ためらいに縁を切れ 石川さゆり 火の国へ 南沙織 Ms.(ミズ) 出演者全員 マイウェイ ピンクレディー 透明人間 布施明 めぐり逢い紡いで 五木ひろし 熱愛 と、言うことは、最後の出演の回ですよね。
番組表を見ていたら10月2日(日)TBSで19時から 『中居正広のテレビ50年名番組だヨ! 全員笑った泣いた 感動したあのシーンをもう一度、夢の総決算スペシャル』と いうのが入るそうです。シンシアも映るかなぁ? シンシアと ドリフターズを見るのが、一番の楽しみでした。 全員集合の体操コーナーでは、でんぐり返り、どこに転がって いくんだろうとハラハラして観ていました。 シンシアの歌声も素敵だったけど『ドリフ』や『欽どこ』 『夜のヒットスタジオ』などでやっていたシンシアのコントも 楽しい思い出です。
以前のシンシアの写真といい、このコーナーのカメラマンは、 ある意味、天才ですね。でも、好感は持てない。何故なら、 被写体に対する愛情が全く感じられないから。 私は、写真の事は全くわからないシロウトですが、篠山紀信氏が、 いつまでも、第一線でいらっしゃるのは、高い技術だけではなく、 被写体に対しての愛情があるからじゃないかと思っています。 たくさんの魅力的な女性を見慣れた篠山氏に選ばれたシンシアは、 ピカイチ中のピカイチ、、、略してピカチュウですね!
題名を忘れました。
『ノッティングヒルの恋人』の中で主役の2人が初めて 男性の部屋に泊り翌朝マスコミが大挙して押しかける場面があります。 このところで男性の部屋の壁になぜか和服姿の女性が写っていいますが 私の目にはシンシアに見えるのですがどうでしょうか。まさかとは 思いますが気になりますのでご存知の方いらっしゃいましたら 教えてもらえますか?
今週の『週刊新潮』9月22号の「レディース・シート」は アグネス・チャンです。今年の春4月14日号でシンシアと あべ静江さんのツーショット写真が載っていたあの連載です。 アグネスは一人だけの写真です。感想は見た人にお任せします。 巻末のカラーの1ページです。
NHKが『紅白歌合戦』で聞きたい曲をアンケートしています。 目安としてNHKが作成した600曲の中には 「17才」が入っています。 紅白で2回歌った「色づく街」はありませんでした。 シンシアが、紅白で「17才」を歌うことは ないとは思うけど、リクエストが多ければ 特番で過去のVTRが流れるかも知れないと 思い、リクエストしました。 『怪物番組紅白歌合戦の真実』合田道人/著 の中で、「17才」で登場の時と「色づく街」 で復帰の時の事が、ほんの少し書かれてました。http://www3.nhk.or.jp/kouhaku/vote/
そうですそうです「ピチピチ」です!「ピカピカ」はあんまり ですね。うーん、本人は「ピチピチ」と打っていたつもりだった のだが... あちこち検索すると、エッ!と思うくらいシンシアそっくりの アングルのものが出てくることもありますよ。要はアングル勝負 ですな。
情報ありがとうございます。この話は初耳でした。 「ピチピチリカ」というらしいですね。下のHPのドナウ なんて良く似ていますね。 M Collection:http://www.geocities.jp/m_collection_doll/page12.html
先日、シンシアのバービー人形があるって書き込みが ありましたが、リカちゃん人形の方は御存知ですか? もうここではその話は終わっているのかもしれませんが、 せっかくですから聞いて下さい。 リカちゃん人形にシンシアをモデルにしたものがあると いう話です。 「ピカピカリカちゃん」という名で発売されていたもので、 マニアの間では「ピカリカ」の名で高値で取り引きされて いるそうです。10万から30万円近くもするものもある そうですよ。 南沙織の現役当時に少女だったファンは、『南沙織がモデル』 と思っている人も多いようですが、実際のところはわかりません。 でもね、これがなかなか似ているんです。肌の色は小麦色、 髪はロングヘアー、そしてですね、『眼』が南沙織っぽいん ですよ。彼女の眼って左右対称ではないですよね。表情に よっては片方の眼が猫目(←うまく言えませんが)っぽい時が ありますよね。このピチリカもそういう眼なんです。 1971年から1年半の間だけ製造されたそうですから、 時期もぴったりでしょう! 直接のモデルではないにしても、 なんらかのインスピレーションを彼女から受けての デザインではないでしょうかね。 出がらしの話題だったら失礼しました。
朝日新聞は、「戦後60年」を記念して「○○の60年」と いういう特集を新聞の一面全部で連載しているようです。 Art of Lovingに投稿して下さった方がいて、初めて知りました。 今日(9月5日-月-)のテーマは、何と!「純潔の60年」です。 第8面に載っています。全国共通の記事ですから、後で縮刷版でも 読めます。 記事の中に、酒井さんへのインタビュー記事があります。 酒井さんの写真付きです。レコードや歌手の写真はありません。 “苦情押しのけた「ひと夏の経験」”酒井政利氏(音楽プロデューサー) -72年に南沙織さんが歌ってヒットした「純潔」は、酒井さんの命名ですね。 「プロデュースする曲のタイトルは全部、自分でつけています。 あれは、あえて死語のような言葉を使った。会議で発表した時、 笑い声が上がったのを覚えています」 -歌詞は「嵐の日も彼とならば、お家が飛びそうでも」と、情熱的です。 「『同棲時代』という劇画の連載が始まった直後で、大きな影響を 受けました。傷つきながらも愛を貫く主人公。性の乱れが指摘されて いたけれど、若者はやはり純愛を求めているんだ、と思った。ただし、 昔風の純愛ではなく、行動する純愛。激しく愛を貫く覚悟、潔さ。 それが新しい純潔だ、というメッセージです」 「もう一つ狙いがありました。当時、南沙織は男性スキャンダルの 渦中にいて、週刊誌に事実無根のひどいことをさんざん書かれていた。 それに反論しようと考えたんです。ファンには十分、伝わったはずです」 -山口百恵さんの「ひと夏の経験」は、2年後の作品ですね。 「あなたに女の子の一番大切なものをあげるわ」と、ショッキングな 歌い出しでした。 「傷ついても愛は貫く、行動する純愛。『純潔』と同じテーマです。 当時は3カ月に1曲のペースだったから、季節の歌でもあった。 刺激的な夏を、10代の子にわかる、ちょっと文学的な表現で、 と考えてつけた曲名です」 「最初、お母さんたちからラジオ局に苦情が殺到したんです。 中学生にこんな歌を歌わせるなんて、と。あれがミニスカートで にこにこしたアイドルだったら、つぶれていたかもしれない。 15歳とは思えない、はらの据わった子でした。表現しようという 懸命な姿勢が理解されて、批判が収まっていったんだと思います」 -今の時代でも「純潔」は歌のテーマになりますか。 「最近は、身の回りの小さな出来事の歌ばかり目立ちます。 真実の愛を貫こうとして人間が成長し、自立していくことを純潔と 呼ぶなら、いつでも大切な、大きなテーマになるはずです。 この時代ならではの純潔を歌った曲が出てきてもいい、と思います」