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2007年01月 の伝言板を読む
2006年11月 の伝言板を読む
皆さんとシンシアにとって、来年も良い年で ありますように。
12月24日(日)の投稿で紹介されています『和モノ事典 1970's 人名編』 の内容についてです。A4判208ページです。映画と音楽で、約960人の 人物が紹介されています。特に重要な50人については見開きで載っています。 前半分が映画、後ろ半分が音楽になっています。それぞれ別にあいうえお順に 紹介されています。 シンシアも見開きで載っています。見開きは、右半分は写真、左半分は 解説記事な体裁です。シンシアは184・185ページに載っています。 巻末のインデックス(検索)によると、見開きを除いては8個所で シンシアの名が出ています。ちょっとした遊びがあります。最初に シンシアの名が出るのは17ページです。でも実際には16ページなんです。 16・17ページは、見開きで「池玲子」さんが紹介されています。 ここだけ記事が右半分の下から始まっていて、シンシアの事が書かれて いるのは16ページの方なんです。で17ページをインデックスに 振ってくれています。ファンとして嬉しいです。 70年代アイドル史の本としても楽しめる一冊です。お勧めです。 http://www.ultra-vybe.co.jp/hotwax/wamonojiten/
南沙織-南の島からやってきたアイドル・ポップスの開拓者 70年代に誕生したアイドル・ポップスの元祖と呼ばれる存在が、 71年デビューの南沙織である。彼女の登場とその功績は、日本の アイドル史を語る上で重要であり、現在のJ-POPまで続く ポップス史の最大のエポックである。 南沙織は1954年7月2日、返還前の沖縄で生まれる。父は 米軍勤務のフィリピン人、母は日本人。本名は内間明美(旧姓)。 沖縄でアマチュア・タレントとして活躍していたが、CBSソニーの 酒井政利ディレクターの手引きで、71年6月1日「17才」で デビューを飾る。 60年代後半に多く登場した女性歌手による和製ポップス、特に ハーフのティーン歌手の系譜にあるようでいて、南沙織が彼女らと 一線を画すのはその楽曲の斬新さによる。有馬三恵子による私小説的 かつ明確な主張な主張や感情を込めた作詞と、英語が日常語であった 彼女の発音や洋楽への対応の良さを見越した、筒美京平による洗練 された洋楽的なメロディーとサウンドの構築、さらには酒井ディ レクターによる、彼女の年齢に歩調を合わせた世界観の提示。 「17才」はチャート2位まで上昇する大ヒットとなり、以降 「潮風のメロディ」「純潔」「哀愁のページ」と有馬=筒美コンビ による楽曲で連続ヒットを飛ばし、同世代の若者の感性を代弁する スターとしてフレッシュな魅力を振りまいた。 南沙織がデビューから14作に渡って有馬三恵子という女性 作詞家を起用したことは、同世代の女性の感性を歌うという点に おいて限りなく大きい。単なるラブソングではない主体性を もった少女の心情や主張が、まるで南沙織本人によって紡ぎ 出された言葉のように伝わり、これに筒美京平の無理なく言葉の 伝導を優先するメロディーが提示されたことで、70年代の他の 女性アイドルに比して、30年余を経た現在でも、普遍的な ポップスとして通用するクオリティを獲得したのである。 アップビートの「純潔」「傷つく世代」では彼女の洋楽的な リズム感のよさが際立ち、歌謡曲色の強い「色づく街」でも、 その洗練された感性は変わらず、「ひとかけらの純情」「女性」 といったメロウな楽曲群では筒美京平のA&Mサウンドを凌駕 するソフィスティケートされた音作りと彼女のヴォーカルの 相性の良さが伝わる。また、アルバムの質が高い点、女優業 などほとんど行わなかった点も、「南沙織」世界の純粋性を 高めていった。 74年6月の「夏の感情」ではキャラメル・ママをバックに 起用、75年6月のLP『シンシア・ストリート』で初の 海外録音を行うなど音楽的にもクオリティを高め、同年8月 「人恋しくて」で有馬=筒美コンビを離れる。彼女の歌手と しての主体性が前面に出た作品が76年4月のLP『素顔の ままで』とジャニス・イアン作曲の同年9月「哀しい妖精」 で、次第に独特の“かげり”がさす神秘的な女性シンガーへと 変貌する。その過程においても中里綴、落合恵子、荒井由実、 丸山圭子、尾崎亜美など要所で女性作詞家を起用。 77年には『午後のシンシア』『ハロー!シンシア』と、 ポップス寄りに展開した2枚の秀作アルバムを発表。 78年1月「春の予感」でメロウサウンドの完成品を聴かせ、 78年10月のラストコンサートをもって引退。 90年代に一時的に復帰、現在は写真家・篠山紀信夫人と して時折メディアに登場する程度だが、2006年にも オリジナルアルバムのコンプリートBOXが発売されるなど 未だ彼女を慕うファンは多い。 執筆:馬飼野元宏(184・185ページ)
インデックスの内容です。インデックスは複数の名前が 出てくる人物150人ほどのみが載っています。 インデックス:南沙織-017,049,115,134,142,146,153,184,185,201 017:南沙織の所属していた事務所OMCに移籍(「池玲子」の項) 049:ところが当の池玲子が「第二の南沙織になる」と歌手転向 宣言してフェイド・アウトを機に、メイン・スターに急上昇。 (「杉本美樹」の項) 115:1955年10月11日生まれ。大分県別府市出身。本名・ 藤井佳代子。幼少時に大阪に転居。劇団で子役だった姉の 影響で、2才よりCM、舞台の仕事をこなす。小学5年生で 上京し、田島佳代子名義で少女モデルとして活躍。71年 ビクターの笹井一臣ディレクターにスカウトされ、72年 6月5日に千家和也=筒美京平による「芽ばえ」で歌手 デビュー、同年のレコード大賞最優秀新人賞を獲得。73年 1月の「女の子なんだもん」以降はキュートなアメリカン ポップスに路線変更、73年7月のシングル第5弾「わたし の彼は左きき」が大ヒットし代表作となる。テレビ番組を 意識したフリ付けをアイドル・ポップスに導入した先駆者 であり、南沙織と並んで70年代アイドルの原型を作った。 (「麻丘めぐみ」の項全文) 134:翌年の78年には南沙織のために書いた「春の予感」が スマッシュヒット(「尾崎亜美」の項) 142:78年に南沙織によってヒットした「愛なき世代」は、 彼らのセカンド・シングル「ときめき季節風」のB面曲で、 松本隆が作詞し、木戸一成が作曲した曲。(「木戸一成」 の項) 146:酒井政利にとっては南沙織と並び、筒美京平に手による 新世代のアイドル・ポップスの担い手である。(「郷ひろみ」 の項) 153:後述します。 201:アイドルの成長過程を一年単位で提示する方法は、同じ CBS・ソニー、酒井政利ディレクターの南沙織を倣った ものだが、山口百恵の場合は女優業も含めホリプロ、篠山 紀信らブレーンなどの総合力で“山口百恵という少女の 成長”を築き上げたのである。(見開きの「山口百恵」の 項左側)
筒美京平-日本ポップス史上最大のヒットメーカー 70年代における筒美京平の仕事は多彩かつ膨大であり、 到底語りつくせるものではないが、数多くのヒット曲を生み、 洗練された洋楽サウンドを日本の歌謡曲に定着させたメロディ・ メーカー、サウンド・コンポーザーとしての実績を、まず 押さえておきたい。 筒美京平は本名・渡辺栄吉。1940年5月28日東京都 生れ。青山学院初等部よりピアノを始め、青山学院大学 軽音楽部に所属しジャズに傾倒、卒業後は日本グラモフォン 洋楽部のディレクターとして活躍する。 作曲家デビューは望月浩らの競作となった66年の「黄色い レモン」で、当時筒美がグラモフォン社員であったため、 作曲は師匠筋のすぎやまこういちの名義で夜に出た。67年には 作編曲家として独立、67年8月のヴィレッジ・シンガーズ 「バラ色の雲」で初ヒットを飛ばす。 GSブームが最高点に達した68年にはジャガーズ、オックスを 成功に導き、68年12月発売のいしだあゆみ「ブルーライト・ ヨコハマ」でミリオンヒットを放つ。この楽曲において筒美は GS的なビートをもつリズム・アレンジに、哀愁味のある メロディー、多彩な管弦を導入したオーケストレーションを加え、 70年以降の歌謡ポップスの基盤を築き上げた。つまり洋楽的な サウンドを日本の歌謡曲に導入・翻案するスタイルである。 70年代に入ると、尾崎紀世彦「また逢う日まで」(71年)、 欧陽菲菲「恋の追跡」(72年)などでロック、ソウルを導入 したスケールの大きい楽曲を提供、一方で平山三紀「真夏の 出来事」(71年)や堺正章らの歌唱で洋楽的なサウンドに よる大人のポップスを提示、さらには71年デビューの南沙織、 72年デビューの郷ひろみといった新人に、従来にはなかった ポップス指向の斬新な楽曲を継続して提供し、やはり筒美が 手掛けた野口五郎、麻丘めぐみらも含め、“アイドル・ ポップス”という新たなジャンルの誕生にも大きく関わった。 70年代中盤には、ニューミュージックの台頭とディスコ・ ブームを受けて、太田裕美、岩崎宏美といった好対照の女性 歌手を成功に導き、中原理恵、庄野真代らニューミュージック 色の濃いシンガーに楽曲提供しヒットに導き、79年には ジュディ・オング「魅せられて」のミリオンヒットで80年代 への布石を打つ。 これらのヒット曲では多くの新進スタッフが筒美と組んで、 それまでとは違う新たな歌謡曲シーンの創出に関わった。 新進のレコード会社であるCBS・ソニーでは酒井政利、 老舗のビクターでは笹井一臣、他に東芝EMIの草野浩二、 コロムビアの泉明良といった第一線のディレクターとの 共同作業で70年代の音楽シーンを支える。 作詞家では、郷ひろみには岩谷時子、南沙織では有馬三恵子、 麻丘めぐみでは千家和也、尾崎紀世彦や岩崎宏美では阿久悠、 太田裕美と中原理恵では松本隆、そして平山三紀や欧陽菲菲 では60年代からの盟友・橋本淳といったように歌手に応じて パートナーシップを組む。 多忙となった70年代中盤からは高田弘、船山基紀、萩田 光雄らのアレンジャーを起用した。 筒美京平は徹底して自らが表に露出することを避け、 匿名性を維持し続けていることも特徴的である。70年代の 10年間のうち71~73年、75年、76年と作曲家別レコード セールス年間1位を記録、この勢いは80年代も持続し、 アイドルポップス全盛時代を支えた。まさに日本一の ヒットメーカーの名に恥じない活躍だ。 執筆:馬飼野元宏(152・153ページ) 筒美先生の項は、見開きです。左側左下には10枚の LPレコードの写真が。一枚は『シンシア・ストリート』です。 ついでですが、筒美先生は小学校から大学までずっと 青山学院です。ミッション系の学校なので、シンシアの 気持ちも理解できたのでは。ちなみに軽音楽部はクラブ活動で、 経済学部卒だそうです。
毎度の事ながら、ありがとうございます、素敵な笑顔ですね、 この笑顔に何度癒されたことか、じーっと眺めています。 今年は大きなサプライズが有りましたね、私たちファンの前に 出てきてくれました!、知ったときの動揺隠せませんでした、 夢だ!、何かの間違いだ!と思い一晩たって、再度見ても彼女が 出る!、さあどうしよう?どうする?一旦はあきらめました、 が彼女の性格からするともう二度とない!!、朝一、最終の 新幹線に乗るつもりならいける、東京は高校の修学旅行以来 行ったことが無い、地理は不案内どころか全くダメ! しかし今はインターネットという力強い味方が、現役当時と ほとんど変わらない容姿、お茶目さ(失礼)今でも目を 閉じればあの姿がはっきりと浮かびます、それとPremiumの 発売もありました、Cynthiaありがとう、そしてこのファン サイトを支えてくれている多くの方々、この一年ありがとう ございました、そして来る年が良い年でありますように。
中古店でEPを手に入れました。「リトル・バード」ほどの 思い入れはないのですが、やっぱり懐かしく聴きました。 イントロは少し雨音が入るだけで(雷はなし)あっさり しています。シンシアバージョンの上品な仕上がりに比べ、 家族でにぎやかにやっている感じです。2番、3番の歌い 出しにドラムのカウントが入るシンシアに対し、カウシルズは いきなり歌い出しています。しかし、1番大きな違いは、 やはり歌詞の事でしょう。 シンシアのレコードに書かれている英語の歌詞に間違いが 多いのは定評が(?)ありますが、この曲の場合は結構複雑 です。(私は一応初回盤見開きジャケット掲載の歌詞を基準 に書きます)3番の途中まで歌詞が書かれていますが、 シンシアは2番を歌った後、suddenly the sun broke through という3番を歌わず、I knew I had to say hello と 2番を繰り返します。そしてなぜか flowers everywhere の後、 ジャケットに歌詞の書かれていない本来の3番を歌います。 was she reality or just to dream to me her love showed me the way to find a sunny day 英語をよく分かっているシンシアがこんな風に歌ったのが 不思議です。これだと、雨の中で始まった恋が、(太陽が 出てきて終わってしまったと)いう部分が歌われていない ことになりますからね。
オフィシャルのサイトのようになんでも削除されて思った ことがかけなくなるのも問題ですが、確かに18日のgraffiti は 目障りですね。おそらくファンの方ではないでしょうが…。 ここはCynthiaのファンの交流の場であると同時に、Cynthia ご自身も読んでくれているということを自覚して書き込みを したいものです。
u3さん、毎回詳しい情報をありがとうございます。 「リトル・バード」の原題の件、よく分かりました。 ナッシュヴィル・ティーンズのバージョンを聴いてみたいものです。 65年に日本で少しヒットしたらしいので、私よりちょっと 年配の洋楽ファンにはおなじみかも知れないですね。 J.D.ラウダーミルクのバージョンは入手困難なようですが。 それから、ナンシー・シナトラのバージョンが66年のアルバム からのカットだということも、紹介されたサイトで知ることが できました。日本でシングルカットされたのが2年後だった わけですね。
What happened to this site? It is now full of nasty messages. I particularly find the message with an ugly graffiti posted on the 18th disgusting which was obviously intedned to ridicule a female singer. There is also a message which contains information with the same intention. I wonder what Cynthia thinks about this site with its current state.
「All Music Guide」で検索したら、作者のJohn D. Loudermilk が1962年に出した『12 Sides of John D. Loudermilk』に 「This Little Bird」が含まれていることがわかりました(未CD化)。 Includes versions of "Angela Jones," "Google Eye," and "This Little Bird" (here titled, for some reason, "The Little Bird"), all of which were big hits in the hands of others. とあり、日本でだけの「混乱」ではないようです。 また、ナッシュヴィル・ティーンズの「可愛い小鳥」 が収録された『栄光のラジオ・デイズ・ヒッツ VOL.3』 (ユニバーサル UICY-4282)が12/27に発売されるよう ですが、ユニバーサルのサイトには載っていません。 なぜか12/13に発売予定だった『Vol.4』『Vol.5』は 発売延期になっているようです。『Vol.3』もいったんは 発売延期になって12/27になったから、『Vol.4』『Vol.5』 より発売日があと? http://www.7andy.jp/cd/detail?accd=R0205993
横浜美術館からリンクされている城西国際大学メディア学部 のサイトで「アイドル!展」の一部が動画で紹介されています。 横浜美術館「アイドル!」の画像をクリック、または「展覧会情報」- 「↓企画展」の「アイドル!」で表示される「アイドル!」展覧会 概要のページ-[「アイドル!」のムービー配信中]- 「アイドル!展2006年12月12日火曜日」の[聴く...]または 右の[行ってきました。アイドル!展]の画像をクリック また、「出品作家・作品紹介&インタビュー」には篠山紀信氏の コメントが載っています。 http://www.yaf.or.jp/yma/exhibition/2006/special/03_aidol/artist.html http://jiu.ac.jp/media/ym_pod/Site/77EDE118-B04C-437E-BE91-F8910B3E5440/D15B9F95-F8EF-4A77-8757-0F16B8A4C3AA.html
何回か投稿していただいている『映画秘宝』の馬飼野元宏氏が Cynthiaの項を執筆している『Hotwax presents 和モノ事典 1970's 人名編』が発売されていました(2006/12/14初版発行 発行元:ウルトラ・ヴァイヴ 発売元:シンコーミュージック \2500(本体))。
http://www.ultra-vybe.co.jp/hotwax/wamonojiten/
アイドル展の情報ありがとうございます。前に聞いた気が しましたが、すっかり忘れていました。どうな内容か分かりません。 行った方の情報お待ちしています。 横浜美術館:http://www.yaf.or.jp/yma/ 明日はクリスマス、皆さん忙しいと思います。きっとシンシアも、 今年一年を振り返りながら、ホームパーティを開くと思います。 再開発が進む東京、有楽町界隈にも高層クレーンが何本も立って いて、新しいビルが続々建築中です。それに伴い、昔ながらの レストランがどんどん無くなっています。さみしいですね。 そんな中、日比谷のマハラジャ日比谷店も閉店する事を昨日 知りました。久しぶりに訪ねたら、来週の28日に閉店だそうです。 このレストランは、日比谷三井ビル(三井住友銀行本店の建物地下) にあり、再開発で閉鎖されます。 元はマハラオの店名で営業していて、1968年頃から開業で、 この地で38年営業していました。チェーン店なので、従業員 などは丸ビル店に移るようですが。 隣が東京宝塚劇場で、シンシアも宝塚観劇後に何度も訪れて います。で、25日(月)から26日(水)までのどちらかの夜に、 急遽夕食会をしようと考えました。私一人でも行くのですが、 もしお暇ならご一緒しませんか。時間は夕方7時頃からを 考えています。行ける方、連絡お待ちしています。 マハラジャ日比谷店:http://www.maharaja-group.com/maharaja/maharaja.html トナカイ:Cynthia17s@aol.com
横浜美術館で現在開催中の「アイドル!」という企画を観覧 なさった方はいらっしゃいませんか。明星やら平凡やらの系統 とのことなんですが、どんな企画なんでしょうか。そして、 そこに沙織さんは?
今年のパーティの報告の続きです。今年はこじんまり とした集まりでしたが、全員顔見知りなので、のんびりと まったりと過ごしました。 キンドーさんお手製の毎年恒例のおまけ、今年はB4判大の カラープリント4枚です。ちょっと珍しい週刊誌のシンシアの 写真を伸ばした物です。 7月2日にシンシアに送った「Cynthia's Premium Tea」も 持ってきました。今回の為に再度注文しました。一つの箱に 4種類の缶入り紅茶が入っています。小分けの袋を用意して ご自由に詰めてもらいました。 今日から、トップの画像が変わりました。クリスマス バージョンになりました。ボスが撮った移動中のシンシアです。 特急電車でしょうか、座席に座って微笑むシンシア、何て 素敵な笑顔でしょう。u3ありがとう。
今年も17会のクリスマスパーティ、お多幸でのおでん パーティを12月17日(日)に開きました。いつもは23日(去年は 金曜日)が多いのですが、今年は17日が日曜日なので、この日に しました。 去年は19名の方に参加していただきました。今年は11名でした。 風邪で欠席の人もいましたし、今年はシンシアが我々ファンの 前に姿を現してくれました。プレミアムも出ましたし、年末 忙しかったようです。 参加していただいた方は、11名でした。来た順に書きますと、 Toさん、私、Belloさん、蟹座さん、Kiさん(女性)、Haさん(5年 ぶり)、Niさん、キンドーさん、ジャスミンさん(女性)、ボス、 Siさんです。 今年も17会所蔵のビデオ映像を上映しました。まず書き 漏れていたので去年の情報を。2005年に使った機器です。 プロジェクターはエプソンのEMP-S3(一泊二日9,500円)と 60インチモバイルスクリーン(同5,700円)です。銀座のお店で 借りています。Tさんに手伝ってもらいました。明るさは 1600ルーメンで十分明るかったです。再生は、コンパックの nx9030でDVDを再生しました。 今回のプロジェクターも去年と同じエプソンのEMP-S3です。 今は24時間以内に返すと0泊で5,400円(一泊二日8,200円) でした。去年より安くなっています。今は新宿店があり、 西口の店で借りました。スクリーンは今年中古を買ったので 自前です。今年もTさんに手伝ってもらいました。再生は、 コンパックのnx6120でDVDを再生しました。 今回は参加者の方が持参してくれたのも再生しました。 夜のヒットスタジオの録画と今年のシンシアを取り上げた ワイドショーの録画です。 時間は、16時から21時半まででした。今回が33回目位 ですが、初めての出来事も。参加者が来る時間は違い ましたが、全員が最後まで残ってくれていました。 土曜日は雨も降りましたが、日曜日は快晴でした。今年は 暖冬なのか、例年にない暖かい一日でした。参加して いただいた方、ありがとうございました。
ご盛会であることをお祈り申し上げます。 『ビッグ・サプライズ!!』で乗り込んでやろうと思っていた のですが…。学生が自殺しておおわらわです。直接の学生で ないのでそれほど負担もないのですが…、心が痛みます。 今は空き時間。(ツツミきょうへいを歌う)をを聴いています。 でも、オフカイに参加させていただいたおかげで、同級生との 関係で後日大活躍です。 ほんとにありがとうございます。 東京へ再び行ったとき、「偉そうに」浅草を、地元の人間が いるにもかかわらず、教えてあげました。皆様、京都に来る 機会がもしあったら連絡くさい。時間が合えば、いいところ にご一緒しましょう。シンシアを語りながら、穴場をお教え します。この掲示板で連絡ください。 でも、危ないな。mail#載せると危ないから…。
残念ながら増刊号では全く触れませんでしたね。実は 私も6日の放送を見ていました、というか録画していました。 テレホンショッキングのコーナーが好きで20年以上録画し 続けているのです。ただ、どんどん消していくので最近の 2か月分くらいしか貯まっていませんが。 bettiさんの報告に付け加えることはそんなにありません。 私の持っている器材と技術ではここに花束の画像を載せるのは 困難です。私も花のことは詳しくないけど、白い百合が中心の オーソドックスなものでした。名札は中央上部に赤字で「祝」 右に篠山紀信、左にシンシアと同じ大きさで書かれてました。 花の紹介辺りの会話を再現すると タモリ「おっ、篠山紀信さんから来てますね」 真琴「宝塚時代から、よく写真撮っていただいて。で、 シンシアさんて、奥様の、南沙織さん‥」 タモリ(隣の花を見て)「河村隆一さんから」 とタモリさんがすぐ河村隆一さんの花を紹介してしまい、 それきり篠山夫妻の話題には戻りませんでした。 CM中に何か話してたかと期待したのですが、増刊号を見る 限りでは話題にはならなかったようですね。それだけ、他の トークが面白かったということで、結構笑えましたよ。私は 真琴つばささんのことは全然知らなかったのですが、とても 感じのいい人だと思いました。
キャンディーズのテロップですが、K.Hさんの言われる ように、当時、「キャンディーズ」と名乗っていたと思います。 1972年(昭和47年)4月に、NHKのオーデションに合格した3人 が、『歌謡グランドショー』のアシスタントになった時、同伴 組で「キャンディーズ」と命名され。同年11月から、レギュラー になったと聴きます。(太田裕美白書では『歌のグランドショー』 となっています)その兼ね合いで、同年暮れの紅白に「キャン ディーズ」として出演しているのだと思います。 ちなみに、伊藤蘭さんと太田裕美さんは、55年の早生まれなので、 シンシアと同級生になるはずですね。
といっても、それほどのものではありませぬ。偶然に 近いのです。テレビつけたら、真琴つばささんがでてきて、 ちょっとした会話の後、花束紹介があって、最初に 篠山紀信・シンシアという、「縦書き」のやつでした。 「どうも、ありがとうございます」で終わったような…。 ともかく、二段目の真ん中ぐらいにあったような…。 ただ、あれは何というのでしょう?名札??全面アップで、 花の詳細は分かりません。というか、花は知りません(苦笑)。 増刊号で使われるかどうか不安です。DVDで後に細工できる方は、 その辺をズームアップしてください。
色々情報の投稿ありがとうございます。 1.キャンディーズ この番組は、今年の7月17日(月)にBS2で先行放送されていて、 いくつかの投稿はその時のをご参照下さい。グループの中で またグループが出来るのはよくある事と思います。「スクール メイツ」という集団の中に「キャンディーズ」がいるのもあり と思います。「モーニング娘。」の中に「ミニモニ」という 四人組のグループが出来るようにです。 しかし、キャンディーズの映像はかなりありますね。7月の 放送直後に、アイドル系の掲示板を見てビックリ。「新しい 映像はなかった」という書き込みを数件見ました。どうやら、 既に公開されていた映像ばかりだったようです。シンシアでは、 今までに公開(市販)されている映像を全部合わせても50分ない ほどです。 2.笑っていいとも 『笑っていいとも』は明日の日曜日に増刊号が放送されます (10:00-11:45)。その中でテレホン・ショッキングの総集編も 放送されます。みんなで見ましょう。 笑っていいとも:http://www.fujitv.co.jp/b_hp/iitomo/ 3.真理ちゃんテレビ出演 天地真理ちゃんが大阪のMBSのバラエティ番組『今夜は えみぃ~GO!!』に今週の木曜日に出演しました。意外な所で 評判になりました。宝塚ファンのサイトの「論破ぁるーむ」 というサイトに真理ちゃんを見た感想が載っています。 かなり珍しい現象なので紹介します。 今夜はえみぃ~GO!!:http://www.mbs.jp/emi-go/index2.html ♪雑談ツリー♪:http://www.ujura.jp/hbbs3/hyperthread.cgi?mode=view&Code=36
に真琴つばささんがでて、篠山氏とシンシアからの花が 届いていたのが写されました。篠山紀信・シンシアの連名で。 クローズアップされてタモリさんが紹介しておりました。 なんか結構センターに飾ってありました。明日のお友達に…、 と一瞬期待したのですが…、うつみみどりさんでした。
私もキャンディーズ見ました。ただ、昭和47年の紅白の 時点で彼女たちは既に「キャンディーズ」を名乗っていた はずです。シンシアの「純潔」のバックでパンダと踊って いた頃ですよね。番組はじめのテロップに「スクールメイツ」 と別に「キャンディーズ」というのが出ていました。『思い出の 紅白歌合戦』のVTRで確認したのですけど、まさか あのテロップ、後から入れたとは思えないので…
サンダルを脱いで最後の挨拶をしたシンシアを、 今日のキャンディーズの放送を見て、想いだしました。 彼女らの最後の「つばさ」も良いけれど、やっぱ、 「私の出発」ですよね。 でも、「20才まえ」の曲でしょ?!。なぜ、あの曲を 選んだんだろう? 「今から出発のはてしない人生へ」なのかな?
今日NHK総合夜10時から『プレミアム10 わが愛しの キャンディーズ』という番組で、昭和50年紅白「年下の男の子」、 昭和51年紅白「春一番」の映像が流れる予定です。 この番組はBSで放送されたもので大変な好評を得たものなので、 ぜひ御覧ください。 実は昭和47年紅白のオープニングでデビュー前にスクールメイツの 一員として出ています。その時の映像も流れますよ~♪
アグネスの日本デビュー35周年を記念するコンサートが ありました。12月1日(金)に中野サンプラザでです。 (正式名称) 「日本デビュー35周年記念コンサート アグネス・チャン ~世界へ届け平和の歌声!~」 (公演時間) 事前では、2時間(18:30~20:30)でした。実際は、18:35~ 20:59でした。アンコール終了時間でです。休息なしでした。 (贈花) 中野サンプラザは2階が入り口で、そのままロビーと1階席 入り口になっています。アグネスのCDや本を売ってもいます。 ロビーにはコンサートを祝う花が沢山並べられています。 およそ60ほどありました。見た限り、元アイドル関係の花は ありませんでした。紀信さんのもありませんでした。 (入り) ホールの定員はおよそ2400席です。1階席が1600席、2階席が 600席ほどです。入りは1階席はほぼ満席でした。2階席は7割方 の入りでした。 観客の平均年齢は55歳ほどでしょうか。アイドルとしての アグネスのファンがおよそ2割弱。他はアグネスがボラン ティア活動をしている方面からのお客さんのようでした。 (当日券) S席は完売しています。A席発売中で、私はそれで見ました。 2階最後列のセンター付近の席でした。 (曲) アグネスが歌った曲は全部で17曲です。私が知っていたのは、 6曲でした。「ひなげしの花」「草原の輝き」「イマジン」 「中国地方の子守唄」「花」「島唄」です。 アグネスの素直な心情を感じるトークと、35年前と全く 変わらない歌声は素晴らしかったです。 実際の日本デビュー35周年は来年ですが、年末だし前倒しで コンサートをしたようです。 (バンド) 舞台の上には、バンド4人だいます。舞台の左側から ギター、シンセサイザーとピアノ、パーカッション、 シンセサイザーです。この四人が舞台の後方に横並びでいます。 コーラスの人などはいません。ピアノの人は女性で、 一部コーラスを担当しています。 舞台の上には楽器以外はほとんど何もありません。 天井からも何も下りてきません(コンサート名を書いた看板とか)。 舞台の一番後ろにはパネルが下りたり上がったりします。他に ライトが点いたり消えたりしています。 コンサートとしてシンプルな構成ですが、それだけに アグネスのキャラだけでコンサートが行われました。 聞き応えのある見事なコンサートでした。
アグネスのコンサートの内容です。全17曲をトークを 交えながら歌っています。番号の数字は私が勝手に付けています。 (コンサート) No01:01.愛のハーモニー No02:トーク1 No03:02.ひなげしの花 No04:03.草原の輝き2005 No05:トーク2 No06:04.ぼくの海 No07:トーク3 No08:05.帰ってきたツバメ No09:トーク4 No10:06.Somebody's Crying No11:07.イマジン No12:トーク5 No13:08.半月 No14:09.中国地方の子守唄 No15:トーク6 No16:10.マーマーホー No17:トーク7 No18:11.花 No19:トーク8 No20:12.島唄 No21:トーク9 No22:13.この身がちぎれるほどに No23:トーク10 No24:14.しあわせの花 No25:トーク11 No26:15.愛がみつかりそう (アンコール) No27:トーク12 No28:16.そこには幸せはもう生まれているから No29:トーク13 No30:17.黄昏物語(Someone needs your love) 終演
コンサートの各場の大体の内容説明です。文章は、 私の言葉で書いていますので、アグネスが実際に言った のとはかなり違います。 【No01:01.愛のハーモニー】 開演のブザーが鳴り、場内が暗くなります。幕が上がる 前にアグネスの声だけが聞こえます。アグネスが詩を 読み上げます。幕が上がるとアグネスが立っていて、 歌を歌います。 【No02:トーク1】 アグネスが来場のお礼を言って挨拶します。今日の コンサートは、話と歌を半々位にしたいと言っています。 背中に付けている翼について話します。数m動いてみせて、 翼が揺れて飛んでるみたいに見せています。その後、下手袖 (しもて、舞台に向かって左側)に行って、羽だけ外しています。 香港の話をします。6人兄弟の4番目で、すぐ上の二人の 姉のおかげで目立たない子供だったそうです。上の姉は 美人で女優だそうです。今でもキレイで、皆が変わらぬ 美しさを誉めると、「ごめんなさい、美貌を直す薬は 無いんです」と言うそうです。性格が三枚目だそうです。 すぐ上の姉は、頭が良くずっとクラスで一番、香港大学 医学部を首席で卒業、女性では初の快挙だったそうです。 そんな優秀な姉の下だったアグネスは、どうしても 目立たなかったそうです。そんなアグネスも中学に 入りました。クラブ活動でボランティアを選んだそうです。 色んな経験をしたかったからだそうです。 ある日、肢体不自由の子供の施設訪問をする事に なりました。バスを2本乗り継ぎ、山道を40分歩いた 谷の底に施設がありました。 行って皆が歓迎してくれましたが、色々傷害がある 子供達にアグネスは相当ショックを受けました。挨拶を しましたが、拍手がありません。実は、手が不自由な 子が多いので、拍手の習慣が無かったのです。 それからボランティアにも熱中したアグネス、 当時の社会保障制度は貧弱で、子供達はいつも おなかを空かせていたそうです。 そこで考えたのが、街角でギターで歌う事だった そうです。お昼休みに歌ってご飯の一部をもらったり して、それを届けたりしたそうです。 そんな活動をしていて、段々評判になり、スカウト されて芸能界入りしたそうです。ここまででほぼ15分 の話でした。 【No03:02.ひなげしの花】 【No04:03.草原の輝き2005】 デビュー当時の歌を歌いますと、二曲続けて歌いました。 【No05:トーク2】 【No06:04.ぼくの海】 今も歌手ですが、一度引退している話を話します。父が 日本に来て、芸能活動をして怒ったそうです。寝る時間が ない、何でも回りがやってくれる、このままではお前は ダメになる、誰も知り合いのいないカナダに留学しなさいと 言いました。 母は現実的で、これから稼ぎ時でもったいないと言い ました。父は言います。富や名声はその時々の事情で無く なってしまう物だ。だが頭の中の知識は誰にも奪われないと。 そんな訳でカナダに留学して一生懸命勉強しました。 でもその父は卒業前に54歳で亡くなりました。親孝行は した方がいいと母には兄弟で沢山孝行しているそうです。 卒業後は歌手としてカムバックしました。その当時 (80年前後)、インドシナではカンボジアやベトナムで 大量の難民がボートピープルなどで国外に出てきて、 大問題になりました。 アグネスも何度も難民救済コンサートをしました。 その時に作ったのが「ぼくの海」です、と歌います。 裏方さんが椅子や楽譜、マイク台を用意して、 アグネスがギターを弾いて歌います。
(各場説明2) 【No07:トーク3】 【No08:05.帰ってきたツバメ】 裏方さんがギターなどは片づけます。アグネスはボラン ティアをもっとしたいと思っていたのですが、当時の 芸能界では難しかったです。そんな中、母の故郷に 帰る事が出来ました。アグネスの父は香港人で、母は 中国(中華人民共和国)の貴州省の出だそうです。 当時の香港は英国領で、アグネスも小さい頃から母に こう言われていました。あなたは何人と問われたら イギリス人と答えなさい。国はと聞かれたら聞こえない 振りをしなさいと。香港と答えても、台湾と答えても、 中国と答えても悲しむ人がいるからだそうです。 80年代になり、中国も外に門戸を開放するようになり、 初めて貴州に行くことが出来ました。「日に三日の晴天無し。 地に三里の平地無し」と言われる場所です。開放政策の 前の貧しい地域です。 親戚が来ると言うので家の模様替えをしたと言って、 家に入ると古新聞と布を壁に貼っただけな感じだそうです。 子供達もつぎはぎだらけの服を着ています。 そんな中、村の子供達がアグネスを歓迎して歌を歌って くれました。聞いたアグネスは言葉にならないほど驚きました。 子供達が歌ったのは、「帰ってきたツバメ」でした。 アグネスが作曲した曲でした。この曲は台湾で録音した 曲で、当時の中国では台湾の音楽は聞く事も禁止されて いました。 実は母が故郷に仕送りをしていて、衣類などの荷物の 下にアグネスの曲のカセットテープをこっそり忍ばせて 送っていたのです。 村の人口は1500人ほどですが、全部がどこかで親戚だ そうです。いとこのはとこの兄な感じで村全体がつながって いました。学校の先生が子供達に言いました。「この人 (アグネス)は、私達の親戚です。いつか帰郷した時に 歓迎できるように、この人の歌をみんなで覚えましょう」 と練習していたそうです。 で、この歌を歌います。村には電気も無く、楽器も ありませんでした。それを偲んで、この歌はアカペラで 歌います、とアグネスが演奏無しで歌いました。 【No09:トーク4】 【No10:06.Somebody's Crying】 貴州の体験で、歌の素晴らしさを再認識したアグネスです。 ボランティアもしたいし、歌手業で稼ごうと思いました。 回りもアグネスのボランティア熱を本物と思い出していました。 たまたまマネージャーが変わって、そのマネージャーが ボランティアに理解がありました。「いい人だな」と 思って、どんどん良く思えてきて、最後は結婚してしまい ました。 その当時、アイドルとして旬が過ぎて、仕事量が 減ってきていました。新人や売れない歌手ってスーパー マーケットなどで歌うんです。私も当時、そういう所で 歌ったりしました。口の悪い友達が「アグネスって スーパースターね」って言ったりしています。 スーパーのレジの横で歌うのですが、雨の日 なんてお客さんいないんです。トマトや大根しか 聞いていないんです。 でも、頑張って歌っていると、レジの回りに人が 集まってきました。レジの回りでは狭いので、階段で 歌うようになり、そこも狭くなると、屋上になり、 駐車場になりと、段々人気も回復してきて、ようやく 会館やホールで歌えるようになりました。 同じ頃、アグネスのキャラクターは「天然」だと 言われて、天然ボケの意味ですが、段々キャラが 立ってきて、『なるほど・ザ・ワールド』のレギュラー になったりと仕事もうまくいくようになりました。 アグネス、コンサートの最中に何度も言葉につまり (感動した訳ではありません)、「だから、、そうですね」 みたいにごまかしています。ここでアグネス、「敬語を 使おうとすると、分からなくなります」みたいな事を 言っています。 この後、アフリカにボランティアに行った話をします。 『24時間テレビ』の企画でエチオピアでの経験を8分ほど 話して、この場で14分ほど話しています。この当時 作った歌を歌います。
(各場説明3) 【No11:07.イマジン】 「Somebody's Crying」から続いて「イマジン」を歌います。 この曲だけは事前にアグネスからの曲紹介がありませんでした。 歌い終えたアグネスは下手袖に去ります。バンドの四人が 引き続き「イマジン」を演奏します。着替えたアグネスが下手 から出てきます。 【No12:トーク5】 【No13:08.半月】 【No14:09.中国地方の子守唄】 アグネスがバンドの仲間四人を紹介します。アグネスは 子供が大好きで、童謡も好きです。世界の童謡を集めた本も 出しています。 韓国の童謡「半月」と「中国地方の子守唄」(ねんね子 しゃっしゃりまーせ~)を歌います。「半月」の一番は 韓国語で歌っています。 歌う前に、赤ちゃんを抱いているという事にして、床に 寝かせる仕草をします。 【No15:トーク6】 【No16:10.マーマーホー】 歌い終えて、赤ちゃんを抱いて、マネージャーを呼んで、 彼に預ける仕草をしています。次に歌う「マーマーホー」の 説明をします。アグネスの母が歌ってくれた子守唄で、 自分の子供にも歌ったそうです。アグネスの母は今年80歳 になったそうです。 【No17:トーク7】 【No18:11.花】 世界では今も紛争が続く国が多いです。その大きな 理由として「相手を認め合えない」ことがあります。 色んな国を見てきたアグネスが考えた結論、平和の 基本は人を認め合う事と人に優しくする事だ、と言って います。 アグネスも日本で色んな人に優しくされたと言って います。日本の戦争の傷跡の地、長崎・広島・沖縄に ついて言って、今日は平和を祈るコンサートなので、 沖縄の歌を二曲歌いますといいます。アグネスは長崎・ 広島と言っています。普通は広島が先ですが、理由は 不明です。 沖縄の歌というと、楽器として三線(さんしん)が 欲しいです。実は身近に三線を弾ける人がいますと 言います。アグネスの今のマネージャーの橋本さんです。 彼は大阪音楽大学で沖縄民謡の研究をしていたそうです。 アグネス、「何で私のマネージャーしてるんだろう」と 笑いを取っています。 【No19:トーク8】 【No20:12.島唄】 ここのトークは1分ほどで、橋本さんがチューニングを する間の時間に話しています。平和について話しています。
(各場の説明4) 【No21:トーク9】 【No22:13.この身がちぎれるほどに】 アグネスの子供の話になります。今年長男が二十歳、 次男が17歳、三男が10歳になりました。結婚してから メッセージソングを歌う事が多かったのですが、レコード 会社から「大人のラブソング」を聞きたいと言われました。 その時はもういい年だしと言ったら、ステージには家族は 出てこないとか怒られました。反省(右手をおでこに当てて、 日光猿軍団の真似しています)。 歌手ですので、声で勝負と思って引き受けて、曲が出来て 受け取り、タイトルを見て目眩がしたそうです。たしか、 ここで着替えに下手に去り、戻ってきます。 歌詞はラブリーで、皆様の応援で、20万枚売れました。 これから歌います。照れますが、イントロを聞いたら私は 別人になります。 【No23:トーク10】 【No24:14.しあわせの花】 人は、愛の種、夢の種、幸せの種と持っています。でも、 その種は人の胸に蒔いて、その人の胸で咲く物です。 そんな旨の事を言っています。 聴覚障害者の方を相手にしたコンサートを開き、次に 歌う曲を歌い、この詞の手話を教えてもらいました。 ここでサビの部分だけ手話でやってみたいと思います。 それを練習します。客席を3つに分けて、下手、中央、 上手ブロックと練習した後に、アグネスが歌いました。 【No25:トーク11】 【No26:15.愛がみつかりそう】 もう一回みんなと歌いたいと言います。今度の曲の サビの部分をみんなで合唱しようと言う事になり、 また練習します。 サビの下手側「愛が見つかりそう、あなたを見てると」、 中央ブロック「愛が見つかりそう、私の中に」、上手側 「愛が見つかりそう、あなたと分け合う」と練習した後、 歌います。 この曲では、客席下りがあります。このコンサートでは ここだけでした。舞台下手側の5段ほどの階段を下ります。 客席の縦の通路を通って、横の通路から上手側に動いて、 上手側の縦の通路を通り、舞台に戻ります。 アグネスの方から客席の通路側の席の人に握手をして、 握手をしながら、歌っています。私は二階席で見たので 分かりませんでしたが、舞台に戻るとアグネスは団扇(うちわ) を一つ持っていました。アグネスの顔写真を貼った団扇を もらったようです。 【No27:トーク12】 【No28:16.そこには幸せはもう生まれているから】 一度幕が下ります。観客がアンコールの拍手をします。 幕が上がります。アグネスは着替えています。二十人 ほどのファンが花束やプレゼントを渡しました。 アグネスは言います。来年35周年を迎えます。 皆さんのおかげで35年やってこれました。これからは 皆さんに恩返ししたいです。 来年の活動のテーマは平和にしようと思っています。 平和が無ければ子供は育たちません。平和でないと 世の中はよくならないのです。 いろんな先生に詞を書いてもらい、来年3・6・9月に 新曲を発表したいと思います。実はもう一曲出来上がって います。作詞家の先生に歌詞いただいた時、感動で胸が 一杯になりました。 たまたま詞をもらった直後、香港に里帰りして、 小さい頃に弾いていたピアノで作曲しました。出来た時に 真夜中だったのですが、東京の夫に電話して起こして、 アカペラで歌い聞いてもらいました。聞いて下さい、 と歌います。 【No29:トーク13】 【No30:17.黄昏物語(Someone needs your love)】 客席も満場の拍手をして、アグネスも感動して、 「言葉が見つかりません」と言っています。アグネスは、 平和が無ければ音楽も楽しめないと言います。渋谷の 繁華街に行くと沢山の若者がいます。早く家に帰りなさい、 と言いたくなります。 でも育児には沢山の愛情が必要です。渋谷の若者を 見ていると、親の愛情を感じるとかで、抱きしめたく なると言っています。ホントは抱きしめませんよ、と 笑いを取っています。 最後に、命は一番大事な物と言い、35周年祝って 下さってありがとうございましたと礼を言います。 最後の感謝の気持ちを込めて歌いますと、「黄昏物語」 を歌います。歌い終えて幕が下り、終演になりました。
ここでは衣装について書いてみます。アグネスは 3回衣装を変えています。 (最初の衣装) No01:01.愛のハーモニー~No11:07.イマジン 純白のドレスで、足下まで伸びているロングドレス です。髪には真っ白で幅広なカチューシャ(ヘアバンド) をしています。 最初のトークの最初までは羽を背負っています。下の チラシの裏面の写真のような感じです。トークが始まり 4分ほどで取っています。 イマジンを歌う寸前に、カチューシャは取っています。 (衣装替え1回目) No12:トーク5~No21:トーク9 水色のロングドレスに着替えます。足下まであるドレスです。 (衣装替え2回目) No22:13.この身がちぎれるほどに~No26:15.愛がみつかりそう 確か、ここで着替えたと思います。銀色の上下一体の タンクトップの上着に、パンタロン風のパンツです。 (アンコールの衣装) No27:トーク12~No30:17.黄昏物語 ピンク色のロングドレスです。チャイナドレス風で、 左側面にスリットが入っています。足首までの長さです。
パンフレットです。A4判28ページ、1000円です。
コンサートのチラシの表面です。
コンサートのチラシの裏面です。
入場する時に配られてたチラシです。裏面は白面です。
アグネスですか…、京都ではアグネスとシンシア・ファン との間でラジオリクエスト番組で壮絶なバトルがありました。 お互い6位から9位ぐらいの間でしたが…。 アグネスで、カラオケで歌うのは、「白い靴下はもう似合わない」、 としゃれで「ポケットいっぱいの秘密」かな?。「あなた草の上、 ぐっすり眠ってた、寝顔やさしくて、好きよってささやいたの」 のアグネス。ここで薀蓄をたれることができます(笑)。 あとは、麻丘めぐみの「森を駆ける恋人たち」、と「アルプスの 少女」かな? 天地真理と小柳ルミ子は、清水ミチコの「なつかしの月刊明星 メドレー」以外では歌いません。もし未挑戦の方がおられたら、 是非挑戦のほどを。 シンシアは…、それぞれ思い入れがあって、絞り切れないし、 その場の状況もあるけど、やっぱ「ひとかけらの純情」かな?