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2013年07月 の伝言板を読む
2013年05月 の伝言板を読む
いよいよシンシアのお誕生日が近づいて参りました。昨晩深夜に郵便局の窓口から発送しました。 定形外のA4サイズの封筒に入れて送りました。普通郵便ですので、月曜日に届く方もいます。 届きましても内容についての投稿などは、こちらから発表するまでお控え下さるようにお願いします。 6月2日に投稿しましたお菓子プレゼントは、今をもちまして終了とさせていただきます。
「時代のサカイ目」第百二十二回(13.6.25) 『時代のサカイ目~音楽プロデューサー酒井政利~』 第百二十二回「“伝え方が9割”が売れるワケ」 「恋に倫も不倫もない」と凛として言い放ったのは若き日の岸恵子。当時、女優が 自分の意見を発言することなどなく、ましてやヒロイン女優が役柄や作品について ノーを言うことなどとんでもないとされていた時代に、人気絶頂の女優だった岸は、 きちんと自己主張をする稀有な存在だった。 そんな彼女だからこそ鶴田浩二との不倫報道を受けての毅然とした言葉は、 いかに真剣な恋だったかを思わせた。ましてや、この手の言葉はときとして下品に なりがちだが、決して品性を落とすことなく伝えられたのは見事である。 言葉には力がある。 AKB48の総選挙で順位が決まった後の大島優子の「涙のひとつも出て来ない」 「お腹を抱えて笑ってしまう」というコメントは秀逸である。二位とはいえ、昨年の 覇者であり、連続優勝を狙っていたのだから、二位で終わったことが悔しくない わけがない。 ましてや、アイドルの典型のような人気メンバーではなく、まさかの“さしこ” こと指原莉乃に負けたのだ。これが既に卒業しているがライバルとして競ってきた 前田敦子だったら、またはアイドルの典型のような渡辺麻友であったなら、悔しさで 泣きながらもおめでとうと言ったはずだ。 しかし相手は、さしこである。悔しさを表に出すのはプライドが許さないはずだ。 かといっておめでとうとも言いたくない。それでいて、ファンの意向というなら 受け入れられる。そんな複雑な気持ちがこの二言に込められている。短時間に これだけの自己表現ができる回転の良さは、表現力、演技力に必ずつながっていく。 大島は、女優としても近いうちに頭角を現すだろう。 ありきたりの言い方だが、場を読み瞬時にしての自己表現は大切である。どう表現 するか、赤い花を見て「赤」と言うのか「真紅」と言うのか。はたまた別の赤の表現を するのか。ちょっとした言い回しで与える印象は大きく違う。ネットで繋がる交友関係で 育ってきた世代には、友だちと対峙して言葉のキャッチボールをすることが苦手なのだ。 佐々木圭一氏の『伝え方が9割』(ダイヤモンド社)が売れているのは、自己表現の 訓練ができずに成長した大人たちがいかに多いかを物語る。サッカー日本代表が ブラジルW杯出場を決めた後の渋谷交差点でのDJポリスの誘導の仕方も、まさに 伝え方次第だと証明している。 V6の三宅健と柴咲コウの交際報道が出た。ふたりのブログはまるでリンクするかの ように同じテーマで綴られている。先に三宅が蛙の話から守るべきものについて書けば、 その六日後に柴咲が蛙の話と母性について書いている。 ふたりが同じ目線でその先にある何かを表現する。誰に対してのアピールなのかは 別にして、同じ空気感を漂わせることで、報道の真実性を裏付けているようだ。 表現するとは、その裏に隠された思いやその奥の真実も見え隠れするということである。 夕刊フジ2013年6月26日号(25日発行)第6面(毎週火曜日連載)
岩崎良美さんのアルバムが明日発売されます。 シンシアの曲 をカバーしてます。 彼女のブログより。 The Reborn Songs ~シクラメン~ 色づく街 南 沙織 1973年 作詞有馬三恵子 作曲筒美京平 南さんは、私がまだデビュー前、 番組の収録を見に行った時に 初めてお見かけしました。 黄色のミニのワンピースの似合う、華奢なシルエットはまるで、色鮮やかな妖精の様でした。 好きな楽曲は沢山ありますが、シクラメンでは、色づく街を選びました。 http://www.amazon.co.jp/dp/B00BZA3GFK/ref=as_li_tf_til?tag=bello00-22&camp=243&creative=1615&linkCode=as1&creativeASIN=B00BZA3GFK&adid=1303QKTCC6X2XRYC2KZ3&&ref-refURL=http%3A%2F%2Frcm-jp.amazon.co.jp%2Fe%2Fcm%3Ft%3Dbello00-22%26o%3D9%26p%3D8%26l%3Das1%26asins%3DB00BZA3GFK%26ref%3Dtf_til%26fc1%3D000000%26IS2%3D1%26lt1%3D_blank%26m%3Damazon%26lc1%3D0000FF%26bc1%3D000000%26bg1%3DFFFFFF%26f%3Difr
「時代のサカイ目」第百二十一回(13.6.18) 『時代のサカイ目~音楽プロデューサー酒井政利~』 第百二十一回「桜田淳子から指原莉乃までアイドルの変遷と目線」 アイドルとは旬の化身であり、なまものだ。時代と共にその定義が変わる。 AKB48の総選挙は蓋を開けてみると、下馬評を覆し予想外の展開。スキャンダルで “飛ばされた”はずのアイドルが中間発表で一位を取り、そのまま逃げ切った。 つくづくアイドルという定義の大きな移ろいを感じる。そもそもidolとは偶像。 遡ること1941年、「女学生の友」というキャッチフレーズでデビューを飾った フランク・シナトラが第一号。日本では美空ひばりが国民的偶像から大スターへ。 その後、吉永小百合、石原裕次郎らが青春スターとして続いた。 レコード界でのアイドル第一号は71年、「17才」でデビューした南沙織。 その後、オーディション番組の「スター誕生!」や「ホリプロタレントスカウト キャラバン」「ミスセブンティーンコンテスト」などが登竜門となり、森昌子、 桜田淳子、山口百恵の「花の中三トリオ」、キャンディーズ、ピンクレディーなどが 登場。アイドルというジャンルの黄金期を迎える。80年代には松田聖子、小泉今日子、 中森明菜など、「ぶりっ子」「翔んでる」「ツッパリ」等のキーワードが追加され、 アイドルの個性が際立つようになった。 それを一転させたのがおニャン子クラブ。昨日までド素人だった女の子が一気に 茶の間の人気者になり、アイドルの聖域を打ち破ったのだ。おニャン子人気は、 地方に暮らす平凡な自分でもアイドルになれるのではないかと錯覚を起こさせた。 クラスにスカウトされた子がいると、ダサイとからかわれるほど、シンデレラ ストーリーに対する憧れが消滅したのも、おニャン子クラブの後遺症。 さらには、アイドルと言われることに傷つく芸能人まで登場。苦肉の策で “アーティスト”と呼ぶことで本人はご満悦に。本来、アイドルからスターになり、 力をつけてアーティストゾーンへと移行するのだが、浜崎あゆみのような人気者に なると、段階を踏むことに違和感を覚えたはず。不況下に見事な仕掛けで登場したのが AKB48。そのセンターが一年を経て色あせる頃を見計らって総選挙という 模様替えは、演出の妙である。 グループとしてミリオンヒットを飛ばし、常に注目を浴びるが、熱烈ファンが 握手券や投票券を求めて大量買いしていると揶揄されるように、数字の迫力は あっても記憶の迫力はない。そのせいか、人の視線の先にあるのは心酔のまなざし ではなく、どこかイロモノを見るような目。頭の回転がよく、AKB48の大樹を 背景に逞しくはびこる雑草は、歌う、演じる、毒舌も吐く、私生活もネタにする。 奔放さとその発言で利を得て、まさに“口八丁手八丁”。それが“さしこ”こと 指原莉乃だ。 奇しくも、アイドルとして優等生だった桜田淳子が十数年ぶりに恩人の葬儀に 列席した。現在の幸せぶりを想像させるふくよかさと、取る物も取りあえず 駆けつけたという感のある髪形で、品を漂わせていたのが印象的。“人の目線” への配慮が伺えた。彼女の前後に弔問に訪れた後輩たちが、カメラ目線を意識し、 映る角度に気遣うような、アイドル型だったのとは対照的だった。果たして AKB48は十数年後にどうなっているのだろうか。個として誇れるものを 身につけ、“人の目線”に目覚めていてほしい。 夕刊フジ2013年6月19日号(18日発行)第6面(毎週火曜日連載)
「時代のサカイ目」第百二十回(13.6.11) 『時代のサカイ目~音楽プロデューサー酒井政利~』 第百二十回「芸能界女子会で最強“小泉会”と“神田会”」 サッカー日本代表が来年のブラジルW杯出場を世界最速で決めた。日本代表は 様々なチームに所属する選手の集まりであり、選手はそれぞれが、自分の力が 商品の個人事業主である。サッカーに限らず、人はチームメートとしてチーム ワークよく連係し、仕事をしていても、人が増えてくるといくつかの気の合う 個人的グループができるものだ。仕事を離れての飲み食いとなると、特にその グループが一つの世界となることが多い。 芸能界でも同じ。女子会が花盛りの昨今、女優、歌手、タレントの枠を超えた 仲良しグループがいくつかできて、女子会時間を過ごす芸能人が増えている。 中でも小泉今日子を中心とするグループは、仲間に入りたいと思う芸能人が 多くいるという。確かにここにきて小泉は、女優として不思議なオーラを 出している。ドラマ、CMで演じていても素の魅力を漂わす独特な才。 基本的には小泉の人柄に他ならないのだろうが、集まる誰もが、小泉今日子 という女優にも魅かれているようだ。米倉涼子、飯島直子、内田有紀をはじめ、 長澤まさみ、石原さとみ、吉高由里子や黒木メイサなど、ドラマに出演すると 一目置かれる主役級の女優たちが小泉の周りに集まる。 一方でママタレを中心に集まっているのが神田うののグループ。小倉優子、 東尾理子、伊東美咲、SHIHO、紗栄子ら、育児中のママたちの顔が並ぶ。 真偽のほどは別にして一説によると、二つのグループは小泉会、神田会と言われ、 互いに対立しているとのこと。対立と言ってもいがみ合うわけではなく、互いが 何となく意識しているという程度を面白おかしくとらえて伝えられているのでは ないか。 というのも、二つのグループは土俵が違う。小泉のグループの顔ぶれを見る限り、 小泉に代表されるように、女優としての仕事に多くのエネルギーをつぎ込み、 その切り替えや解放のために気の置けない仲間たちと女子会をしているように 思われる。そこには利害関係はなく、あるとしても女優としていい意味で表現の 肥やしになる何かを盗もうとするしたたかさ。 一方の神田は、彼女自身がミニ企業家であり、ビジネスの世界での成功者で あるため、どこか商売のにおいがしないでもない。他にSHIHOや紗栄子も 自身のブランドを持つ。ママ友つながりというで、互いが情報交換などし合う のかもしれないが、ベビー服やベビーカーをはじめ、子供というキーワードの元、 有力な消費者であり広告塔になれる人たちが集まっている。仕事でエネルギーを 出し切る女優たちの集まりとは異質で、どこか井戸端会議的なにおいがする。 いずれにせよ、女子会が人気なのは、男性の弱体化がベースになっている ようだ。昭和までは確かにいた、骨のある男、芯のぶれない男、人に弱みを 見せない泣き言を言わない男…そんな大黒柱のような存在は、今や強く逞しい 女性の代名詞になりつつある。 夕刊フジ2013年6月12日号(11日発行)第6面(毎週火曜日連載) -注- 上から3つ目の段落の「小泉今日子という女優にも魅かれているようだ」は 原文のままです。「魅かれて」は「ひかれて」と読むと思います。 通常、酒井さんのエッセイのルビは省略しています。今回のエッセイの最後の段落、 「逞しい」は、「逞(たくま)しい」とルビが振られています。
Art of LovingのBBS 再開されています。
雑誌を整理していて1973年10月7日の週刊明星にこんな記事がありました。 日本で初めて、市民が選ぶ市民の歌 南沙織の”熊本の歌”、堂々優勝 この音源はないのでしょうか?
「時代のサカイ目」第百十九回(13.6.4) 『時代のサカイ目~音楽プロデューサー酒井政利~』 第百十九回「サンミュージック相澤会長の遺言」 大手芸能プロダクション、サンミュージックグループの相澤秀禎(ひでよし)会長が 亡くなった。数多くの才能をスカウトし、育て、デビューさせ、マネジメントしてきた人 である。元祖御三家の西郷輝彦をトップアイドルにした後、森田健作のデビューのために サンミュージックを設立。太陽の輝きと音楽を合わせた社名で、六畳ひと間を出発点にした。 その後、桜田淳子、松田聖子、早見優、岡田有希子、そして酒井法子…。地方から スターを夢見て上京してきた少年少女たちを自宅に住まわせ、会長夫婦が我が子同然に 愛情を持って面倒を見た。会長宅から学校に通学し、自宅で育つのと変わらない 社会常識や日常性を厳しく学んだ。だから誰もが人気者になり、稼げるタレントに なると「少しはご恩返しができました」と言うのだ。 氏は辞めたタレントに対しても常に温かい目を向け続けた。他の事務所なら、 売れて辞めていくタレントが売れなくなって泣きついてきても、大きな利権が 動かない限り、手を差し伸べることはまずない。それを笑顔で気持ちよく手を 差し伸べるような器の人だった。 タレントだけでなく、社員に対しても非常に家族的に接し、大事にした。 すい臓がんで亡くなる一週間ほど前に病床で胸中を語り、聞き書きされた文書が 遺書として配られたが、そこには一緒に仕事ができたことへの感謝と、この先も ずっと社員は大事な家族であると書かれていたという。故人らしい言葉である。 タレントや社員と人間対人間でまっすぐに向き合う姿勢と、父親のような愛情を 持って接する相澤会長を、他のプロダクションのトップたちも「サンミュージック ほど家族的なプロダクションはない」と評した。 今の時代、芸能界に限らず、新聞社や出版社、テレビ局、レコード会社を始めとする 企業など、どの業界でも新しい人が育ってこないと管理職が嘆いている。実際、 創造力に溢れる若手にはなかなかお目にかかれない。情報とデジタル化の時代、 何パーセントだ何万部だと記録や数字に頼りすぎると、功名しか見えなくなって しまいがち。自分たちが一線で活躍すること、手柄を上げることばかりに目を向け、 うっかりすると若手を育てることがおろそかになる。 人は誰しも育てられて成長する。本当は自分たちも諸先輩に育ててもらった はずだが、そんな恩義などすっかり忘れ、まるで自分の才能と力で成長したかの ような態度を取る。タレントも制作者も、受けた恩に対する感謝を忘れた者に、 人間的な魅力などあるはずがない。それは必ず仕事の洞察力にも出る。 葬儀のとき、長男の相澤正久社長が「本当の強さはやさしさだと教えてもらった」 と最後の挨拶の中で父親の思い出を語っていた。懐深く包み込むような優しさで、 タレントを見守った相澤会長。それは、何があっても自分が責任を持って対処する という強さの裏返しなのである。 今まさに出棺というとき、梅雨入りしたばかりの曇天の空が一瞬、輝き始め、 会長の乗る車だけを照らした。まさに太陽に見守られての旅立ちとなった。 夕刊フジ2013年6月5日号(4日発行)第6面(毎週火曜日連載)
ひと月後の7月2日はシンシアの誕生日です。今年は数えだと60歳になります。 これを記念して、17会では特製のお菓子を作っています。2011年の シンシアデビュー40周年には、特製瓦煎餅(かわらせんべい)を作りました。 今回別のお菓子を用意しています。7月2日にシンシアに贈ります。 同じものを、シンシアファンの方にもプレゼントします。 前にこちらにメールいただいても、引越しやアドレス変更でメールが届かない方が 多々いらっしゃいます。 プレゼントご希望の方は、メールをお願いします。 トナカイ:Cynthia17s@aol.com
正直言って、すごくがっかりでした。アランさんの曲はかからず、 アランさん作詞、達郎さんの曲だけ、 達郎さんファンにもアランさんの音楽や歌声聞いて欲しかったけど。 すごく残念、なんか消化不良でした。 せめて1曲だけでもアランさんが 歌ってる曲かけて欲しかった。(コーラスはありましたが)
お久しぶりです、名古屋のTakashiです。 今、山下達郎のサンデーソングブックでアラン・オデイさんの追悼番組 を聞いています。 今週と来週にわたって特集だそうです。
「時代のサカイ目」第百十八回(13.5.28) 『時代のサカイ目~音楽プロデューサー酒井政利~』 第百十八回「目の肥えた同性にウケるアラフォー女優」 沢口靖子がアラフォー女性の本音を切なくおかしく演じるコメディーを見た。 五月いっぱいで閉館する「ル テアトル銀座 by PARCO」のサヨナラ公演 『男嫌い』。美人で気だてもいいのになぜか一度も浮いた話がなく、男嫌いと 噂されるアラフォーを取り巻く状況が、母娘の葛藤と絆、下町の人情、大衆演劇 などを織り込んで描かれる。 劇中の彼女と素の沢口がダブる場面も多々あるくらい、はまり役であり、 役を自分のものにしている。弾けるところも見事に演じきっている。ドラマでも 「科捜研の女」や「鉄道捜査官」を始め、シリーズ化された定番を持つなど、 その人気は不動だが、彼女ほどスキャンダルと縁遠い女優も珍しい。舞台同様、 浮いた噂がないのである。 だからこその透明感。所属の東宝に守られている姫的な立ち位置が、もぎ立ての 果物を冷凍したような新鮮さを醸し出す。もちろん、本当のところは謎であるが。 その姿は、永遠の処女と言われ、日本映画の黄金時代を体現した原節子と重なる。 四十代は人生のターニングポイントと言われる。実際、この時期をどう充実させる かで、その後の人生は大きく変わる。 NHKドラマ10「第二楽章」で主演する羽田美智子もアラフォー。人生に満足 しているはずの大人の女性が、手に入れられなかった他人の人生に嫉妬する姿を 演じているが、女同士の取っ組み合いシーンなど、鬼気迫る中で漂わせる切なさや 哀しみがうまい。もうひとり、今一番輝いているとも言える江角マキコ。十年ぶりに ドラマ「ショムニ」が復活。社長にも媚びない天下無敵のOL千夏が戻ってくる。 結婚、出産後しばらくは女優としてよりもバラエティーの司会などで活躍していたが、 その間、人気はうなぎのぼり。歯にきぬ着せない、それでいて常識ある言質は、世代も 性別も超えて共感が集まる。当たり前の日常を当たり前に暮らしているひとりの女性、 一人の家庭人の姿が透けて見え、特に未婚女性たちの理想像にあげられる。 ひと昔前、破天荒な私生活がいい女優のように言われた時代があった。酒と男性で 常に艶っぽかった太地喜和子。ぷっつん女優と呼ばれた藤谷美和子、石原真理子(現・ 石原真理)。彼女たちは常識の升では計れない容量を持ち、その分、幸薄い面があり、 それが演技に生かされ面白がられた。ただ、今は江角のように全てを手に入れて 満ち足りた素顔を持っている方が、特に同性からの支持は高い。 飯島直子も、昨年の再婚後、またしても輝きを見せ始めた。「ラストシンデレラ」 でセックスに奔放なジムインストラクターを過激に大胆に演じているが、決して いやらしさを感じさせない。女優は私生活が荒んでいると、どんなにいい演技を 見せても私生活のほころびがそこはかとなく漂うものである。飯島の役柄は ともすれば女性には薄汚れた感をもたれがちだが、それがないのは彼女の幸せ度 たるゆえんであろう。 このところ、ドラマが大人の女性を対象にし始めている。情報過多の中で視聴者の 目が肥えてきたことを考えると、演じる女優陣も、女優だけに力を費やすのではなく、 私生活の充実も女優人生の条件だと考えるべき時代になったようだ。 夕刊フジ2013年5月29日号(28日発行)第6面(毎週火曜日連載)
「時代のサカイ目」第百十七回(13.5.21) 『時代のサカイ目~音楽プロデューサー酒井政利~』 第百十七回「三國連太郎、夏八木勲…命燃やした役者たち」 昨年来続く俳優たちの訃報。豪快な演技が光った夏八木勲が亡くなった。七十三歳 だった。昨年鬼籍に入った地井武男、一昨年の原田芳雄、そして高島彩の父親で 1986年に四十四歳で亡くなった竜崎勝らと俳優座の同期で、俳優座の花の十五期生 と呼ばれた役者たち。いぶし銀とはこういうものだと見せつける前の幕引きに、 当人たちの無念を思うと切ないものがある。 客観的に見て長寿を全うしていようがまだ若かろうが、舞台の上で死にたいと 思うほどに役者の仕事を愛していた人たちにとって、ベットで終焉を迎えることは、 悔しさに他ならない。役者は早死にだと言われる。本来生きられるはずの年月より、 何割か早く命を燃焼してしまう。それほど生へのエネルギーをすり減らす職業なのである。 「役になりきる」とはよく使われる言葉だが、没頭するだけでなく、自分自身を 役に昇華させて全うすることでもある。その凄まじさは命を燃やさなければできるもの ではない。九十歳で亡くなった三國連太郎も、次作への意欲を見せていた中での終焉だった。 三國と言えばいまだに語り継がれる太地喜和子との恋愛騒動。四十一歳と十九歳で 出会い、三國は太地の実家に出向いて十年後に結婚したいと頭を下げた。十年というのは 息子の佐藤浩市が自立するまでの時間を示したものだ。二人は同棲するものの、三カ月目に 三國が「疲れた」と太地の元を離れた。「あなたの体にひれ伏すのがいやだったんです」 とは当時、三國が太地に残した言葉だが、その激しさがふたりの役者魂の原点でもあった。 妖艶で猫のようなしなやかさを持つ太地は、見かけとは裏腹に豪快で大酒豪でも あった。その後、中村勘九郎(後の十八代目勘三郎)らと浮名を流したが、 「愛したのは三國さんだけ」と公言してはばからなかった。舞台公演期間中に 自動車事故で死亡。享年四十八。太地喜和子という舞台は、壮絶な生き様を観客に 見せつけ、焼き付けて逝った。 そんな深淵な生き様がある一方で、このところ続いている元アイドルたちの結婚、 妊娠、出産の報は、明るい話題でホッとしつつも、彼ら彼女たちの芸能界に対する 思いの軽さに、これも時代なのだろうか、それとも“これ”という芸がないことで 思い入れを持てないからだろうかなどと考えてしまう。 役者は芸を演じる。歌手は歌を演じる。ではアイドル、グラドル、タレント…とは 何をするのか。結局は、メディアが重宝するポジションであるため、何でも屋でもあり 何も芸がなくてもそのポジションに座れてしまう。ファンが付き人気者になると心地よく いられるが、イマドキの人たちはそれが長続きしないことをよく知っているため、 さっさと婚活して家庭という次のステージに行ってしまう。 そのステージの厳しさに直面すると、ブログなどで近況を報告しつつ、家事育児の 状態を見ながら、画面復帰の時期を探っている。芸能界と一括りにしてしまうには、 例えば暗闇と夕暮れほどの違いの中で、そこで闘う人たちの温度差は限りなく大きい。 (敬称略) 夕刊フジ2013年5月22日号(21日発行)第6面(毎週火曜日連載)
「時代のサカイ目」第百十六回(13.5.14) 『時代のサカイ目~音楽プロデューサー酒井政利~』 第百十六回「歌うまブームで若者に支持される八代亜紀、三浦春馬」 CMの影響力の大きさに今さらながら感心する。打てば響くとはこのことで、八代亜紀が 二十~三十代に『神』と呼ばれているようだ。WiiカラオケUのCMで歌う「残酷な天使の テーゼ」を聞いた若い世代の反応なのだが、そもそもこの選曲が八代とミスマッチ感があり、 効いている。高橋洋子が歌う人気アニメ「新世紀エヴァンゲリオン」のオープニング曲で、 累計セールスはミリオンを超え、人気声優たちがアルバムでカバーもしている楽曲である。 このCM、八代の前作はT.M.Revolutionの西川貴教、ゴールデンボンバーの 「女々しくて」を半ズボンで歌い、「本家よりうまい」とやはりネットで話題を呼んだCMの 第二弾。八代の歌いっぷりに「歌のうまさがハンパない」「たったこれだけのフレーズ歌で、 ズンとくるのってどうよ」「出だしの“神話になれ~”のこぶしがすごすぎてヤバイ」など 彼ら特有の言い回しをしている。カワイコちゃん歌手のヒット曲に耳慣れた視聴者には、 新鮮な驚きだったようだ。 視聴者としてはカラオケの得点がどうだったのか、非常に気になるようで、巨大掲示板では 賑やかに書き込みが続いているが、CMが八代のガッツポーズで終わることから高得点だった のではと推測している。そして西川と比べてどちらが高得点だったかの議論も見受けられる。 さらにはこのあと誰がCMに登場するのかと歌手の名前をあげて喧々諤々。ここまで話題を 引っ張るのも、八代のCMがそれほど影響力があるという証である。 八代は昨年、小西康陽プロデュースで「夜のアルバム」というジャズアルバムを発売した が、これが非常にいい。彼女に演歌歌手という肩書は必要ないと改めて感じさせてくれる。 八代亜紀は歌心をしっかりととらえたシンガーなのだ。昨年、三浦春馬と共演した東京ガスの CMで歌った「節電歌」でも話題を振りまいた。彼女は歌のうまさをいじられてコミカルさを 出すことに長けている。遊び心ある八代ならではである。 同じように、水前寺清子も「365歩のマーチ」の替え歌でC.C.レモンや宝くじの CMソングを歌い、往年のファンだけでなく新しいファン層をつかんだ。演歌歌手だけでなく、 CMで歌を披露して視聴者を驚かせる俳優も多い。一方、三浦春馬がリクルートタウンワークの CMで「♪タウンワーク タウンワーク バイトが~君に~」と、まるで国家斉唱のように 歌い上げたCMも記憶に新しい。これは槙原敬之が初めて書き下ろしたCM用の楽曲だったが、 それ以上に話題になったのが三浦の歌。 ソフトな美声としっかりとした歌唱力に「吹き替え」と騒がれたほど。動画サイトで CMやメイキング等の再生回数は合計二十万回を超えたという。もちろん本人による歌唱だが、 俳優がアイドル視されるような人気が出ると、歌手としてもデビューするケースも多い中で、 役者というスタンスを崩さないでいる彼は、覚悟が見て取れて好感が持てる。今や、 意表をつくコラボは大ヒットの入り口である。 夕刊フジ2013年5月15日号(14日発行)第6面(毎週火曜日連載)
シンシア、デビュー42周年おめでとうございます。 今年は特別なお誕生日になるでしょうし、 いつまでも歌の女神でいて下さい。