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2016年02月 の伝言板を読む
2015年12月 の伝言板を読む
TBSチャンネル『トップスターショー』#5 都はるみ Cさん、私も気が付いたのが放送当日の朝でした。 CS放送なので再放送はあると思います。 元々は1976年11月に放送されたものだそうです。 私はこの番組の事は全く覚えていませんが、1年3か月も放送していたのですね。 最初は出演者が自分の持ち歌を歌いながら登場、自己紹介をします。 Cynthiaは「17才」でした。 次の出番は都はるみさんと「春うらら」をデュエットします。 デュエットとはいえ、Cynthiaの「春うらら」の映像は貴重かも。 都はるみさんとのトークの後、「思い出のグリーングラス」です。 Cynthiaに続いて都はるみさん、さらに森進一さん、西城秀樹さんが加わります。 共演者がいるせいか、日本語の歌唱です。 出番の最後は、西城秀樹さんとのトーク(ショートコント)の後、「哀しい妖精」を 歌いました。
残念ながら、気づくのが遅くて見られなかったけど、 チャンネルは契約しているので、再放送のリクエスト出しておきました。 再放送あったら良いなぁと思ってます。 トナカイさん、 「瀬戸の花嫁」と一緒にA面候補になった曲は、千葉紘子(?)さんの「折り鶴」で、 小柳さんがアルバムの中に入れてたら、小柳さんに連絡なしで、シングルに 出されてしまい、悔しかったと。 逆に、今陽子さんのアルバム曲で終わらせたくないという、なかにし礼さんと 平尾昌晃さんの望みで、「京のにわか雨」がシングルカットされたそうです。 今陽子さんよりも、(音域の広いルミ子さんに合わせて)メロディー変更されたと 言ってました。 小柳ルミ子さんの講演会で、シンシアファンのおでんパーティーでお会いした人と 会ったのですが、声をかけることなく見失ってしまいました。話せなくて残念でした。
コガ・ミュージアム ミュージアム講座 酒井政利のJポップの歩み~アーティストクローズアップ編 第18回 小柳ルミ子 講師:酒井政利(音楽プロデューサー) 特別ゲスト:小柳ルミ子 開催日:2016年1月23日(土) 主催:一般財団法人 古賀政男音楽文化振興財団 (演奏曲目) 番号 曲名 作詞 作曲 歌手 発売 No01 わたしの城下町 安井かずみ 平尾昌晃 小柳ルミ子 1971年 No02 お祭りの夜 安井かずみ 平尾昌晃 小柳ルミ子 1971年 No03 雪あかりの町 山上路夫 平尾昌晃 小柳ルミ子 1972年 No04 瀬戸の花嫁 山上路夫 平尾昌晃 小柳ルミ子 1972年 No05 京のにわか雨 なかにし礼 平尾昌晃 小柳ルミ子 1972年 No06 冬の駅 なかにし礼 加瀬邦彦 小柳ルミ子 1974年 No07 逢いたくて北国へ 橋本 淳 井上忠夫 小柳ルミ子 1976年 No08 星の砂 関口 宏 出門 英 小柳ルミ子 1977年 No09 来夢来人(ライムライト) 岡田冨美子 筒美京平 小柳ルミ子 1980年 No10 お久しぶりね 杉本真人 杉本真人 小柳ルミ子 1983年 No11 今さらジロー 杉本真人 杉本真人 小柳ルミ子 1984年 No12 琥珀の風 山本成美 園山光博 rumico 2002年 (チケット販売) 事前に電話予約をして、当日、現金とチケットを交換します。席は、前は先着順でした。 少し前から当日チケットを交換した人は座席表で座りたい席を指定する方法になっています。 (舞台) 舞台の下手(舞台に向かって左側)にグランドピアノが置かれています。中央に、 椅子が二つ置かれています。椅子の前にはテーブルが置かれて花が飾られています。 二人の座る位置です。下手にルミ子さん、上手に酒井さんです。 今まで、酒井さんもゲストの方も、下手から出てくることが多かったと思います。 今日は、前半も後半も上手(舞台に向かって右側)から出てきます。 (ピアノ演奏) 十数回、Jポップの歩みに参加していますが、グランドピアノが実際に使われたのは、 初めての気がします。酒井さんとルミ子さんの対談中に数回、生演奏が弾かれます。 演奏するのは、男性です。ルミ子さんのバンドのメンバーです。 (参加者の層) 会場のけやきホールの定員が220名です。今回は、満員御礼です。もともと音楽講座を 始めから受講している方が、全参加者の三分の一ほどを占めます。この層の高齢化が 進んでいて、平均70歳以上です。 ルミ子さんのファンが、150人以上います。特に親衛隊と呼ぶべき人達が最前線に 40人ほどいます。ルミ子さん登場の時に、すごい歓声を上げています。ペンライトも 10人弱の方が振っています。 曲によっては手拍子をしています。見事にリズムが合っています。 終演後は15人ほどの方が、花束やプレゼントをルミ子さんに渡しています。 (公演時間) 前半部は、午後2時から3時まで。休憩15分の後、後半部が始まります。午後4時半に 終わっています。 (天気) 1月18日(月)は、都内で5cmほどの積雪があり、交通機関は大混乱でした。 コガ・ミュージアムの敷地でも、この時の除雪した雪の塊が日陰に残っています。 天気予報では、雪になる可能性が高いとのことでした。週末は40年ぶりの厳冬になると 言われました。関東は曇りましたが、雪は降りませんでした。 翌日の日曜日、西日本は広範囲に雪になっています。鹿児島でも10cmの積雪。 奄美大島では、115年ぶりに雪が降っています。 酒井さんもルミ子さんも、何回も天気について語っています。 (物販はなし) 今回は、CDなどの販売はありませんでした。
コガ・ミュージアム ミュージアム講座 酒井政利のJポップの歩み 第18回 小柳ルミ子 開催日:2016年1月23日(土) (演奏曲目) パンフレットには12曲が載っています。幾つかの曲は変更されています。 最後は、グランドピアノの生演奏で、「今さらジロー」と「瀬戸の花嫁」を歌っています。 以下に、シンシアと関係したり、面白かったことを書きます。 (各曲説明) No01 わたしの城下町 安井かずみ 平尾昌晃 小柳ルミ子 1971年 No02 お祭りの夜 安井かずみ 平尾昌晃 小柳ルミ子 1971年 酒井さんは、ルミ子さんが登場する前に、ルミ子さんは宝塚音楽学校出身であることを 言います。 「宝塚と言えば、シャンソンやジャズ」とか言います。 ルミ子さんが出てきて、「わたしの城下町」などが流れます。酒井さんとルミ子さんの 対談で、言っていることを私なりにまとめますと。 あの時代(1970年代)に、歌い手も新しい感覚が求められていた。ルミ子さんの 宝塚仕込みのシャンソンやジャズの感覚が歌に反映されている。ルミ子さんの歌い方は、 新しいリズムで歌われていて、それが受けて大ヒットした。 ルミ子さんの有名な渡辺プロ社長との直談判や、音楽学校を首席で卒業したなら歌手に してあげようというような話も披露されました。 この場にはピアニストが生演奏を三回しました。 酒井さんは言います。この時代、日本を見直そうとい風潮が強くなっていきます。国鉄が 「ディスカーバー・ジャパン」キャンペーンを始めています。そこにルミ子さんの曲が 見事に乗っていたと言っています。 酒井さんが話している時にピアノの生演奏が。「遠くへ行きたい」を演奏しています。 酒井さんは、CBSソニーのディレクター。ルミ子さんは渡辺プロ所属。色々ライバル 関係だと言っています。 新三人娘の話が。シンシア、天地真理さんの話が順に出ます。ここでもピアノの生演奏が。 シンシアの時は「17才」、天地さんは「水色の恋」が演奏されました。その後、 ピアニストは舞台から下がっています。 ルミ子さんは「沙織ちゃんとは仲良し」と言っています。 天地さんは同じ渡辺プロ所属ですが、あまり仲はよくなかったようです。「真理ちゃんは、 弁護士や税理士も雇ってい(たくらい儲けていた)」みたいなこと言っています。 酒井さんから「新三人娘」の話が語られます。酒井さんは三人娘とだけ言った気が します。ここでは新三人娘と表記します。 酒井さんは、「新三人娘は、意図的でなく自然に決まった」とか言っています。 CBSソニーは、シンシアと真理さんが所属。ルミ子さんと真理さんは、渡辺プロ所属。 それぞれが三人娘を名乗ろうと画策したがうまく行かなかったようです。CBSソニーは、 奈良富士子を三人娘に入れようとしました。 酒井さんは言います。三人娘はバランスが取れていた。ルミ子さんは、城下町に代表 されるように「陸」のイメージが強い。シンシアは、「海」のイメージ。真理さんは、 「空」のイメージ。三人が別のイメージを持っていて、絶妙なバランスを持っていた。 ファンが自然発生的に新三人娘を作ったことが、人々に愛される存在となった、 みたいなこと言っています。 No03 雪あかりの町 山上路夫 平尾昌晃 小柳ルミ子 1972年 この曲は省略されて、別の曲がかかった気がします。 No04 瀬戸の花嫁 山上路夫 平尾昌晃 小柳ルミ子 1972年 瀬戸の花嫁は、作詞家の山上さんが、ピアノで弾いて初めて紹介してくれたそうです。 ルミ子さんは聞いた瞬間に大ヒットを確信したそうです。 No05 京のにわか雨 なかにし礼 平尾昌晃 小柳ルミ子 1972年 このあたりの話ですが。ルミ子さんのレコード会社に、塩崎(喬)プロデューサー という凄腕プロデューサーがルミ子さんの担当でした。 塩崎プロデューサーと酒井さんはライバルでもありましたが、個人的にも仲がよくて、 よく話し合ったそうです。そこにジャニーズ事務所のジャニー(喜多川)さんが、 よく話に割り込んできたそうです。 しかし、酒井さんと塩崎プロデューサーとジャニーズさんとは話が合わなかった そうです。酒井さん達のアイドルは「女性」。ジャニーさんのアイドルは 「男性」だからだそうです(笑)。 ルミ子さんは、赤いロングドレスです。胸の上は開いています。肩からはドレスと 同色の縁に黒い飾りのあるショールを羽織っています。このショールが肩から ずれます。酒井さんが、目のやり場に困ると言っています。 酒井さんとルミ子さんは、マイクを手に持って話しています。歌が流れている間、 二人はマイクをテーブルに置いています。酒井さんは、マイクを置いたまま話して しまい、ルミ子さんがマイクで話して下さいと促するような場面が何回かありました。 この曲、今陽子さんのアルバムに入っていた曲のシングルカットだそうです。 このあたりで休憩となります。 No06 冬の駅 なかにし礼 加瀬邦彦 小柳ルミ子 1974年 加瀬さんの作曲らしい、グループサウンズを彷彿させる曲でした。 No07 逢いたくて北国へ 橋本 淳 井上忠夫 小柳ルミ子 1976年 この歌は省略されています。 No08 星の砂 関口 宏 出門 英 小柳ルミ子 1977年 この曲は、特別な事情で歌われたそうです。何かの企画で、プロでない作詞家と 作曲家で曲を作ってプロ歌手が歌うコンテストがありました。 ルミ子さんは、クレージーキャッツのハナ肇さんと谷啓さんが作った曲を歌い ました。ルミ子さんは、他の曲が歌いたかったけれど、事情があったそうです。 ハナさんと谷さんは渡辺プロの大先輩で、断れなかったそうです。その歌には 何の愛着もなく、全く歌を覚えていないそうです。 このコンテストで優勝したのが、由紀さおりさんです。優勝曲は「八重山哀歌」 でした。実はこの曲がのちに「星の砂」になります。 作詞の関口 宏さんは、今、『サンデーモーニング』の司会をしているあの 関口さんです。作曲の出門(デモン)さんは、ヒデとロザンナのヒデさんです。 コンテストの後で、偶然、出門さんに会ったルミ子さんが、あの歌が欲しいと 言いました。そしたら意外な答えが。関口さんも僕も、ルミ子さんに歌って 欲しくてあの歌を作ったと言ってくれました。 それで歌えるようになりました。次のシングルは、既に「あなた」で知られる 小坂明子さんの曲に決まっていました。何とかそちらをB面にしてもらい、 A面を確保。「星の砂」は、ルミ子さんが決めたそうです。 No09 来夢来人(ライムライト) 岡田冨美子 筒美京平 小柳ルミ子 1980年 ルミ子さんがこの曲の思い出を語ります。ルミ子さんは、ずっと筒美先生の曲を 歌いたかったそうです。でも無理だと思っていたそうです。シンシアは筒美先生派。 私は平尾先生派と、回りが色分けしていたのが大きな理由です。 筒美先生は、曲を提供するにあたって、ワザと難しく作ったそうです。ルミ子さんが、 難しい曲もあっさりと歌うので、とてもハードルの高い曲にしたそうです。 酒井さんがこんなことを言います。シンシアに曲を提供しても、ヒット曲ランキングで いつも邪魔をしたあなたに、少し仕返しをしたんじゃないか(笑)とか言っています。 題名は、ルミ子さんが決めたそうです。この曲の後、全国に同名のスナックが多数 出来たとか言っています。 No10 お久しぶりね 杉本真人 杉本真人 小柳ルミ子 1983年 No11 今さらジロー 杉本真人 杉本真人 小柳ルミ子 1984年 酒井さんが、“次は、「お久しぶりね」と「ごめんねジロー」ですね”とか 言います。一瞬、会場全体が「ウン?」な雰囲気になり、次の瞬間、クスクス笑いが。 ルミ子さんが“「今さらジロー」ですよ。「ごめんねジロー」は、奥村チヨさんです(笑)” 酒井さんは、メガネをかけていなくて間違えた、みたいな言い訳言っています。 「お久しぶりね」は、歌い始めの部分にかなり難度の高い個所があるそうです。 歌いやすいように、変えようかという意見もあったそうですが、あえて直さずに 発表したそうです。 当時、カラオケが一大ブームになっていました。あえて難しい個所があると、 のど自慢の人が挑戦するだろうという読みがあったそうです。そしてその読みは 大当たりして、大ヒットしました。 「今さらジロー」は、ルミ子さんが大好きな歌で、コンサートでも必ず歌うとか 言っています。 ルミ子さんは、歌手のプロデュースもしているそうです。ここで紅白にも出た 歌手にプロデュースした曲が紹介されています。 No12 琥珀の風 山本成美 園山光博 rumico 2002年 この歌がかかった後、アンコールのような形でピアノの生演奏で、ルミ子さんが 歌います。「今さらジロー」と「瀬戸の花嫁」です。どちらもアレンジされています。 「京のにわか雨」(No05)でルミ子さんが話したシングルカットの話は、二か所で 出てきます。「京のにわか雨」は、今陽子さんのアルバムからのシングルカットでした。 どこで話されたか忘れましたが、もう一回この話題が。ルミ子さんのアルバムに あった曲が、千葉紘子さんの「折鶴」です。 作詞家や作曲家は、いい曲だけど、とりあえずアルバムに入れておこうということを、 よくするそうです。 酒井さんも、歌わせたい歌手が来るのも待っている曲もある、みたいなこと言っています。 最後、酒井さんから「花束渡したい方はどうぞ」と言ってくれました。ルミ子さんの ファンが、花束やプレゼントで行列を作りました。 (受講後の感想) 面白かったです。シンシアの回を除いて、一番楽しく受講出来ました。アイドル黎明期に シンシアと共に活躍したルミ子さんの話は、とても参考になりました。酒井さんも、 一番油の乗った時の話ですし、観客も対談に興奮気味でした。 ルミ子さんとまた対談して欲しいです。 -2016.1.25(MON)訂正・追記- 1月25日のCさんの投稿で思い出したことなどを参考に少し書き直しました。 情報ありがとうございます。
コガ・ミュージアム ミュージアム講座 酒井政利のJポップの歩み 第18回 小柳ルミ子 開催日:2016年1月23日(土) 講座終了後に、ルミ子さんのファンが列をなして、花束や贈り物を差し上げています。 写真1枚目の赤いロングドレスがルミ子さん。その後ろにいらっしゃるのが 酒井プロデューサーです。 プレゼントをしたファンの方は、15人ほどいました。ルミ子さんとも顔見知りの ようで、一人一人に言葉をかけています。 17会も、ルミ子さんと酒井プロデューサーに花束を贈りました。
コガ・ミュージアム ミュージアム講座 酒井政利のJポップの歩み 第18回 小柳ルミ子 開催日:2016年1月23日(土)
古賀政男音楽博物館(コガ・ミュージカル)で「数字の歌」の レコードジャケット展が開かれていました。 もう終わっていますが、チラシが置かれていました。 二つ折りA4判(見開きA3判)の大きさです。
NUMBER SONGS 数字の歌 2016年8月1日(金)~11月30日(日) 古賀政男音楽博物館
酒井さんの音楽講座・Jポップの歩みの第7回のゲストはシンシアでした。 2006年4月15日(土)に開かれました。 この講座のあと、近くの蕎麦屋をほぼ貸切にして、シンシアファンが 集まりました。 この蕎麦屋が「志な乃(しなの)」でした。 〒151-0064 東京都渋谷区上原1丁目30-1にある店です。 その後も、音楽講座の後、よくここで飲みました。 最近店を閉めたようです。 長い間、ありがとうございました。
カレーハウスCoCo壱番屋の冷凍ビーフカツに端に発した廃棄食品横流し問題。 現在、大きな社会問題になっており、テレビは連日報道しています。詳細は調べていただくとして。 日曜日も多くの時間を割いて、報道がなされています。日本テレビの朝7時半から 10時までの報道バラエティ番組『シューイチ』でも取り上げています。 番組中に、廃棄物処理業者が紹介されていました。会社の名前が「シンシア」でした。 見ていてビックリ。早速検索をかけて、会社の内容がわかりました。「誠実」の意味を 持つ「sincere」から取った社名でした。 シューイチ:http://www.ntv.co.jp/shu-ichi/ CoCo壱番屋:http://www.ichibanya.co.jp/index.html シンシア(sincere):http://www.sincerehq.com/aboutus/index.html
情報をいただきました。ありがとうございます。 昨日、1月23日(土)の朝日新聞朝刊の別刷りのbe版にお宝が。 筒美京平先生の作曲の歌謡曲のランキングです。 20曲がランキングされています。シンシアは、2曲もランキング。 5位に「17才」、18位に「色づく街」が入っています。
朝日新聞beランキング 好きな筒美京平のヒット曲は? 知っている歌ばかり!! ヒット曲ランキング 第1位 [680票]「木綿のハンカチーフ」 太田裕美 1975 第2位 [618票]「また逢う日まで」 尾崎紀世彦 1971 第3位 [541票]「飛んでイスタンブール」 庄野真代 1978 第4位 [502票]「ブルー・ライト・ヨコハマ」 いしだあゆみ 1968 第5位 [493票]「17才」 南沙織 1971 第6位 [443票]「ロマンス」 岩崎宏美 1975 第7位 [441票]「魅せられて」 ジュディ・オング 1979 第8位 [419票]「サザエさん」 宇野ゆう子 1969 第9位 [399票]「わたしの彼は左きき」 麻丘めぐみ 1973 第10位 [366票]「なんてったってアイドル」 小泉今日子 1985 第11位 [362票]「ギンギラギンにさりげなく」 近藤真彦 1981 第12位 [349票]「さらば恋人」 堺正章 1971 第13位 [315票]「赤い風船」 浅田美代子 1973 第14位 [308票]「卒業」 斉藤由貴 1985 第15位 [303票]「東京ららばい」 中原理恵 1978 第16位 [299票]「シンデレラ・ハネムーン」 岩崎宏美 1978 第17位 [293票]「雨のエアポート」 欧陽菲菲 1971 第18位 [277票]「色づく街」 南沙織 1973 第19位 [271票]「仮面舞踏会」 少年隊 1985 第20位 [261票]「セクシャルバイオレットNo.1」桑田正博 1979 生みだした歌は2700曲を超え、数え切れないほどのヒット曲を送り出して来た 作曲家・筒美京平さん。表舞台に出て自らを語ることが少ないためか、氏の作品とは 知らぬまま、その歌に親しんできた人も多いようです。年月を経た今も多くの人々の 耳に残る名曲の数々に、熱い思いが寄せられました。 「サザエさんの歌も筒美京平さんの作品と知り、そのジャンルの広さとヒット曲の 多さに驚いた」(長野、57歳女性)、「作曲者を知らずに楽しんでいたが、 愛唱歌の作者が筒美さんだと初めて知った。感慨深い」(東京、70歳男性)、 「TOKIOやNOKKOはもとより、昔の曲でも題名を見ただけであの曲だと 分かるものが多い」(京都、32歳女性)。 アンケートにあげた約170曲のリストを見て、この作曲家の偉大さに気づいた人が 目立つ。 その多様な楽曲群の中で、最も支持を集めたのは、太田裕美の歌った「木綿の ハンカチーフ」だった。「簡易なメロディーなのに情緒があり、とても心地よい」 (千葉、49歳女性)、「歌詞は切ないセリフの応酬なのに、テンポ良くリズムが 取りやすく、カラオケが苦手な私にもそれなりに歌える数少ない曲です」(千葉、 57歳女性)、「筒美さんを代表する曲であると同時に、昭和を代表する名曲だ」 (大阪、54歳男性)。 わずかな差で続いたのが、「また逢う日まで」。尾崎紀世彦のパワフルな歌唱も さることながら、そのキャッチーなメロディーが聴き手をつかんで離さない。 「歌詞も良いが、これしかないと言える素晴らしい作曲だと思う」(神奈川、 50歳女性)、「メロディーのインパクトはこの曲が一番でしょうか」(秋田、 32歳男性)、「初めて聴いた時は衝撃だった。メロディーも歌詞も覚えやすく、 曲の山場では、歌い手と聴き手が一体になれる」(東京、40歳女性)。 庄野真代が歌った「飛んでイスタンブール」は、7位のジュディ・オング「魅せられて」 と同様に日本離れした世界観が特徴だ。「伸びやかなメロディーラインを聴いていると、 さわやかで気持ちが良い。元気が出ます」(兵庫、51歳女性)、「仕事の前に聴くと、 気持ちを軽くして集中でき、よし、やろうという気持ちになれる。それは、メロディーが いいからだ」(東京、77歳女性)。 ■聴き手つかみ、離さない魅力■ いしだあゆみの「ブルー・ライト・ヨコハマ」の魅力も、半世紀近く前に発表された 曲とは思えない古びないメロディーにあることは間違いない。「家族で食事時に聴いた ラジオでよくかかった。いしだあゆみの特徴ある声と共に、覚えやすくエキゾチックな 曲調は忘れられません」(青森、56歳女性)、「楽譜なしで、聞き覚えたメロディーを 頼りにハーモニカを吹くことを探り吹きというのですが、この曲は何十年たっても探り 吹きができます。ハーモニカ仲間の間でも定番曲になっています」(静岡、63歳女性)。 そして、沖縄出身の南沙織による「17才」が5位。「当時小学生だった私は、遠い 沖縄のイメージを膨らませていました」(富山、54歳女性)、「あのメロディーは、 沖縄出身の彼女のイメージにぴったりでした」(大分、58歳男性)、「リズム感と 透明感のある歌声に魅せられ、テープに録音して何度も聴いた。気持ちが沈んだ時も、 この曲を聴くと元気が出た」(長野、63歳男性)。 今回のランキングでは、好きな曲を制限なしにあげてもらって集計した。が、 アンケートでは、あえて「最も好きな一曲」も聞いている。ベスト10は少し変動し、 (1)「木綿のハンカチーフ」(2)「また逢う日まで」(3)「サザエさん」 (4)「ブルー・ライト・ヨコハマ」(5)「17才」(6)「卒業」(7)「ロマンス」 (8)「魅せられて」(9)「飛んでイスタンブール」(10)「わたしの彼は左きき」 ――の順。 ただこれはなかなかの難問だったようで、筒美メロディーの多彩さ故の悲鳴も 寄せられた。「一曲だけ選ばせるなんて、なんと残酷な!」(京都、55歳男性)(沢田歩) <調査の方法> 朝日新聞デジタルの会員登録者を対象に、12月中旬にアンケートを実施。 回答者は1462人(男性58%、女性42%)。『筒美京平 Hitstory Ultimate Collection 1967~1997 2013Edition』 の約170曲から、好きな曲を制限なく選んでもらった。21位以下は、 (21)「Romanticが止まらない」(22)「九月の雨」(23)「センチメンタル・ ジャーニー」(24)「雨がやんだら」――と続く。1~5位の写真は、発売当時のもの。 朝日新聞 2016年1月23日03時30分 http://digital.asahi.com/articles/DA3S12169980.html
暖冬といわれた今年ですが、先週あたりから厳冬になっています。 関東では、1月18日(月)に5cmほどの積雪がありました。たったこれだけの積雪で、 新幹線も含む電車などの交通機関がほぼマヒ。数十万人の人が大変な目にあいました。 都心でも日陰ではまだ雪が残っています。 数日前から、この週末は40年ぶりの厳冬になると予想されています。幸いにも土曜日は ほぼ普通の冬でした。日曜日の関東も晴れています。 予報通り、西日本は広範囲に雪が降っています。沖縄も心配されています。今日の 最低気温が10度、明日は7度の予報です。 これだけ寒いと、海の魚も震えて、泳げなくなり浜に打ち上げられるそうです。実際、 テレビでは2004年頃の寒波で打ち上げられた魚の映像を映しています。 気象庁:http://www.jma.go.jp/jp/week/ -同日夜追記- 夕方のニュースを見ました。九州でも大雪だそうです。鹿児島でも5年ぶりの積雪で、 市内では朝までに10cmの積雪だそうです。 奄美大島でも、1901年以来115年ぶりの積雪を観測しています。
情報をいただきました。ありがとうございます。篠山輝信さんが去年の5月に 沖縄に行き、基地問題を取材しました。『あさイチ』で放送された内容をまとめた ブログがあります。こちらに載せます。 http://bylines.news.yahoo.co.jp/mizushimahiroaki/20150527-00046074/ (本文) 『南沙織の息子アッキーの「等身大の沖縄」レポートが深イイ!』 <『あさイチ』での沖縄レポート> 辺野古の米軍基地の建設をめぐって、中央政府と沖縄県が真っ向から対立するなか、 日本国民は沖縄についてどう考えれば良いのだろう。 ニュースやドキュメンタリーなどの「報道番組」をいくら見ても、なかなか伝わって 来ないものがある。私のようにテレビ報道の世界に長く身を置いて、テレビ・ ドキュメンタリーのコンクールの審査委員などをやっている人間でさえも、沖縄県民 の実感をテレビから得ることはめったにない。 頭ではわかっても、心でわかるというプロセスがストレートではないのだ。沖縄の 歴史などの事前知識がないと難しい。映像をぱっと見て全員がすぐにピンと来る、 という問題ではない。 沖縄県民の“痛み”は、テレビで県民以外の人間が見ても、本当の意味で共有する ことは難しいのではないか? そんな“モヤモヤ”がずっとあった。 その“モヤモヤ”を晴らしてくれたのが、5月27日(水)放送のNHK『あさイチ』 だ。 この日の特集が「もっと沖縄を知りたい! ~アッキー・沖縄旅~前編」。 アッキーというのは番組のレポーターを務めているタレントの篠山輝信(しのやま・ あきのぶ)のあだ名だ。 彼の父親は有名写真家の篠山紀信。そして母親は1970年代に「17才」などの歌で 一斉を風靡した元アイドル歌手の南沙織。沖縄の出身で長い髪に大きな瞳、 健康的な小麦色の肌が人気を集めた。 どちらかというと篠山紀信の息子として語られることが多いアッキーだが、 この日は「小さい頃よく訪れていた沖縄を旅して再発見する」というコンセプトで アッキーによる観光地めぐりのような体裁で沖縄の現状を紹介していた。 那覇にある国際通りや公設市場で、沖縄特産の魚介類や菓子などを紹介したり、 一見、民放の番組の観光めぐりと大差ない。ところが、公設市場の店の人たちが 「かつてはなかったけれども、最近、オスプレイの騒音がひどくなった」と いう声を取材している。 <観光地である那覇・公設市場でさえ、オスプレイの騒音がひどくなった、 という現状は他の番組でも見たことがない。> アッキーはこの後、沖縄で人気のお笑いグループ「お笑い米軍基地」の稽古の 様子を取材し、ネタを披露してもらう。 死にかけているおじいさんの「最期の声」が米軍機の騒音によって、家族が 聞くことができないという「沖縄あるある」がネタになっていた。 それを笑っていいのか、と一瞬、戸惑うアッキー。このシーンのスタジオトーク では「見て笑うのが興味を持つ入り口」になると説明していた。沖縄放送局で 20年取材を続ける記者も、笑っていいのか、と戸惑うことが地元の人たちの 「痛み」を理解する入り口だと解説。 <コントを笑っていいのかどうか、という身近な入り口から、沖縄の人々の 「痛み」をどう理解するか、というすごく深いテーマに触れていた。> このあとアッキーが訪れたのは、祖母の家があった地域。つまり、南沙織の 生家があった地域だ。ここは人口が密集し「世界一危険な基地」とも言われる 普天間基地のすぐ近く。 幼い頃によく行っていた祖母の家近くに行くと、基地があってフェンス越しに オスプレイが止まっていて飛び立っていく。近くの商店にいくと、商店の女性は アッキーのことを覚えていた。彼女も基地に隣接した生活を「本当に怖い。 小さな孫たちがいる」と正直に語る。 スタジオでは1996年に日米の間で普天間基地の返還合意が成立していたのに 実現されていないことや今もあちこちに残る戦時中に住民が避難したガマ( 自然の洞穴)の跡を訪ねていき、2ヶ月半そこで暮らしたという74歳の男性と 一緒に中に入る。その男性は当時4歳。暮らした頃の記憶はまったくないという。 アッキーはガマの暗がりから外に出てきた時に「地上はいいな」と感じた感想を スタジオで説明しながら、こう語った。 「でも1945年、沖縄で生き延びた人には何があったのかということは、 ガマから出てきた後はそこはあたり一面、焼け野原で自分の家もなくなっている。 その後、収容所に入れられて、戦争が終わった後、自分の集落に戻ってみると、 もうそこにはフェンスが張られて米軍の基地として土地は接収されていた」 さらにアッキーはさらに続けたのだ。 「その時の沖縄の方の屈辱って、大きかったのだろうなって、本当に思います。 沖縄の人にとって、そもそも基地というものは、そういう感情や思いが根底に あるんだよっていうこと。そういう思いを持った人がいらっしゃるんだよと いうことを理解しようとすることはすごく大事なことなんじゃないかと思いました」 この後、解説委員の柳澤秀夫キャスターがフォローした。 「ある意味、70年経ったといわれる沖縄の現実を見ていくと、その『70年』」 というのはまだずっと続いているんですよね。よく『戦後は終わった』という 言葉を耳にするけど、どうじゃないじゃないかなあと考えさせられる」 キャスターのイノッチ(井ノ原快彦)が続けた。 「同時に74歳の方でも記憶がないという」ことですから、どうにか、この思い とか、想像力を働かせて、『どんなに大変だったんだろう?』ってことを考える べきですよね」 沖縄戦の記憶さえもうなくなりつつある、という現状も含めて、「戦後70年」の 意味を感じさせてくれる、優れた放送だったと思う。 今、テレビの報道番組がなかなか表面的なことを伝えることに終始してしまう 「戦後70年」の現実。また本土の人間にとっては「遠い」と感じてしまう 「沖縄の人々の思い」。それをまさに「等身大」で伝えてくれた放送だった。 <もちろん祖母が沖縄で生活し、幼少期の記憶が少し残るアッキーにその存在は とても大きく、その言葉は心に響いた。> 自分の「言葉」で伝える、という才能の片鱗が光っていた。さすがは両親ともに 「表現者」ゆえ、言葉の選択などへの感覚の研ぎ澄まされているのかしれない。 沖縄の米軍基地のように、一見、あまり関係がない視聴者にとっても身近に 感じられる、「等身大」で伝える見本のような放送だった。 <報道番組以上に「報道的」な内容だったが、報道番組の担当者たちはもっと 悔しがった方がいい。君たちができないことを情報番組の『あさイチ』が やっているのだ!> 『あさイチ』では、明日も「沖縄特集」の後編をやるそうだが、どんなふうに 放送するのか楽しみだ。 水島宏明(法政大学教授・元日本テレビ「NNNドキュメント」ディレクター) 2015年5月27日 10時41分配信
年末年始の特別版を除くと、約2年ぶりにトップ画像が変わりました。 数日前から変わっています。 u3、キンドーさん、ありがとうございます。記念に貼り付けます。
CS放送のTBSチャンネル、本日午前10:10~11:00 『トップスターショー』#5 都はるみ にCynthiaが出演します。 番組ホームページによると1976年の収録で、「哀しい妖精」と都はるみとの デュエットで「春うらら」を歌うそうです。
皆様へご質問です。 南沙織さんのFM東京『翔べ光の中へ』の最終回がYOUTUBE等で残っていますが、 その中でのコメントに映画『ザ・ラストウォーズ』のサントラ盤から3曲といって 流されたのですが、その時の映画の情報と曲名や歌ってた歌手の情報を教えて 貰えないですか? 篠山明美もおばあちゃんになったとか?
南沙織に関するこんなHPがあったのですね。 すごすぎます。 中学時代を思い出しました。 当時何を見ていたのだろう? 同年代の方も多く見られてるんだろうな? Carly Simon「You're so vain」を YouTubeで見た後 70年代をKEYに色々検索している内に辿りつきました。 Cynthia Street が伝説となるまでがんばってください! 応援します(^_^)
十代の沙織様に似てる? BS放送ハワ恋にロコガールとして出演している 「Maya」ちゃんが十代の沙織様にそっくりそのまま 皆様は如何でしょうか? 『ゴールデン☆アイドル』はLPジャケット風でお気に入りです。
ちょいと遅れましたが、新年、明けましておめでとうございます。 そして、三度目の成人式を迎えられたサオリストの皆様は、ダブルで おめでとうございます。(笑) 何とまぁ、南沙織さんのデビュー45周年記念を祝う時が、ついに目前までやってきました。 今この文章を読んでいるサオリストの中でも、まさか、Cynthiaのことを思い続けてこの日を 迎えることになろうとは、誰ひとりとして想像していなかったのではないでしょうか。 四捨五入したらナント半世紀を数える年月が過ぎ去ろうとしているのですから、無理もない ことだと思います。 何だか長いようで短かかったような気もします。そんなCynthia一途の私たちは、〈時代が 過ぎようとも心変わらず〉ってところでしょうか。 さて、発行を5ヵ月後に控えたフォトグラフ集〈Blue Mermaid〉は、年末より幾度かの ミーティングを重ね、最終的な校正&修正を施し編集作業もいよいよ大詰めを迎えようと しています。泣いても笑っても、これで写真集のカタチになりますから、後で悔やむ思いを しないためにも掲載漏れなどないよう誠心誠意努めさせていただきます。 去る12月20日のクリパ(クリスマスおでんパーティー/東京新宿)で、4冊揃った状態の 〈Blue Mermaid〉サンプル製本版を披露したところ、参加者は頁をめくる度にその豊富な 写真と画質クオリティーの高さに驚きを隠しきれなかった様子でした。 「なぜ、こんな場所でCynthiaの写真が撮れたのか?」 「どうして、こんなに接近して幾つもCynthiaを撮影できたのか?」 「なんで、こんなにCynthiaが可愛いのか?」 などなどの疑問を閲覧者から浴びせられた撮影者当人BOSSは、当時を思い出しながら その種明かしを交え丁寧に撮影秘話をみんなに話してくれました。 Cynthiaの素顔がふんだんに収録された〈Blue Mermaid〉の掲載画像は、当時のファン クラブのオフィシャル会報や東京17会の新・旧会報以外では滅多にお目にかかれない 写真ばかりですが、これまでの既刊雑誌などの載ってる南沙織さんとは、少しだけ おもむきが違う感じがします。そこのところが新たな彼女を発見できる機会になる だろうと自負しています。 何よりも、写真の初々しいCynthiaは胸がキュンキュンするほど可愛いのです。 これが40年以上前に撮られた写真とは思えないくらい、色褪せ感も時代経過のかけらも 感じられません。むしろ数日前に撮ったかのような新鮮さが漂う画像と言えるでしょう。 この掲載写真の南沙織さんが、今現在も活躍しているかのような錯覚に陥るほど、 新鮮味のある写真集だと言っても過言ではありません。そして、これらBOSS撮影の 写真は、サオリストの生涯貴重な財産になると断言できるでしょう。 〈Blue Mermaid〉は、今回が最初で最後の発刊になるかもしれません。どうか是非とも 手元に置き心ゆくまで堪能していただきたいものです。 昨年9月6日・12日・19日・26日、10月2日・10日・17日の告知と、10月24日に発行の お知らせをカキコしてから、全国から東京17会(とうきょうとなかい)へ申し込みの 便りが届けられました。(※もしも、過去の伝言板を読み忘れた方は、すぐにチェック して詳細を確認してみてください。) すでに申し込まれた方には、この場をお借りして、編集担当のKINDOよりお礼を申し あげたいと思います。本当に有り難うございました。発行日まであと5ヶ月弱と なりましたので、お届けまでもう少しだけご辛抱ください! この〈Blue Mermaid〉は、本年2月末までお申し込みを受け付けていますので、 下記の要項に納得できる方はどうぞ迷わず聡明なご決断をお願いします。フェイスブックや LINEなどコミュニティで、個人的にファンの方へ告知する場合は、このWeb CynthiaStreetを 読むよう必ず明記をお願いします。 なお、分冊注文は受け付けできませんが、お一人様で複数セットの申し込みは大歓迎です。 ただし、支払いは3月末日までに振込を完了されるようお願いします。 次回の〈発行のお知らせ(2016-02)〉は2月中旬を予定しております。 TEXT:KINDO(東京17会・Blure Marmeid編集担当) 南沙織デビュー45周年記念・フォトグラフ集〈Blue Mermaid〉要項 ●体裁 /A4判・オール天然色4色カラー印刷・無線とじ製本仕上げ 1セット=全4巻Complete(総計2,082頁)※1月14日現在 重量:各巻2.5kg(全4巻総重量10kg) 厚さ:各巻30mm(全4巻合計厚さ120mm) ●巻頭 /イントロ(序文)=2頁 プロローグ(ご案内)=43頁 ●巻末 /南沙織さんの主な活動地軌跡マップ(1971~78)※日本地図を用いて表示=2頁 ファンクラブ・オフィシャル会報一覧=1頁 南沙織さんのスケジュール公開(1971~78)※東京17会の判る範囲内で記載=15頁 編集後記(近況報告や思い出話など)=6頁 ●特典 /1)サオリのしおりAgain(紙製4枚セット:栞紐付き表裏デザインタイプ) 2)Cynthiaテレカ or オレカのいずれか1枚を進呈 3)秘密のおまけ特典A(現在進行中) 4)秘密のおまけ特典B(現在進行中) ●ギネス申請/ただいま、ギネス申請も同時に検討中。 ●価格 /1セット48,000円・前金制(税・送料等含む) ●振込締切 /2016年3月末締め ●発行日 /2016年6月1日(同日発送 or お届け予定) ●お申込み /~2016年2月末頃まで ※複数セットをご希望の方は、部数を把握するため早めのご連絡をお願いします。 ※外注印刷のため、分冊注文は受け付けておりません。 ●お申込み先/zukafan@pluto.nifty.jp(メール受付:トナカイ)まで ●企画・発行/サオリストグループ 東京17会 ※今回一度限りの発行(予定)ですので、くれぐれもお見逃し無く! ※受注生産のため、3月末締めで振込まれた総額を確認後、部数を決定し印刷所へ発注します。 ※Cynthia贈呈にご協力して頂ける方のカンパなど援助も歓迎致します! 内容の見開き画像 ※下の各画像をクリックすると拡大表示されます。 上)1973.0409 NTV〈紅白歌のベストテン〉(渋谷公会堂) 中)1973.0426 NET〈スターオンステージ・あなたならOK〉(埼玉・川口市民会館) 下)1973.1215 〈体験入学〉(台東区・千代田写真専門学院)& 1973.1215 〈サイン会〉(豊島区・池袋 三越デパート特設会場)
去年は『青春の絆』、有難うございました。 今年もよろしく
明けましておめでとうございます。2016年の始まりです。 シンシアのデビュー45周年の年でもあります。 シンシアとファンの皆さんにとって、思い出深い年でありますように。 今年もよろしくお願いします。