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Cynthia Street 2000年12月の伝言板

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よいお年を 投稿者:u3  投稿日:2000年12月31日(日)23時59分24秒
Takashiさん、
紅白特番では、石川さゆりが歌っているバックでチラッと映ったそうです。
それが今年の最後?
その朝の『スーパーモーニング』で、クレッセントから出てきたCynthiaと
旦那さんの立っての記者会見の模様が映されていました。出勤前のあわただしい中、
ビックリしました。

みなさん、よいお年を。

お世話になりました 投稿者:五日市のフアン  投稿日:2000年12月31日(日)14時52分42秒
この1年有難うございました。こちらのアルバムリストで、シンシア メモリーズ。を、
見つけまして、手に入れる事が出来ました。そして、BOX。今年はシンシアの曲ばかり
聞いていました。/由美子さん御免なさい/CD選書が廃盤になるとか、暗い噂もある樣
ですが、来年も皆さんと、力を合わせてシンシアを、応援します。

RE:次回こそ 投稿者:free  投稿日:2000年12月30日(土)19時05分39秒
bettiさん、
シンシアのCDをみんなで買い漁って譲り合うと言う案、いいですね。
じつは今まで店頭で見る度に迷っていたのです。
「今ここで自分が買ってしまうと、新入荷が無ければこの店の在庫が無くなり、
シンシアのコーナー自体が縮小あるいは無くなってしまうかも知れない。」
または、「じぶんはLPで持っているからいいが、持っていなくてCDを探しに
来た人ががっかりする。」などの理由でCDを買うのを控えていたのですが、
なるほど、買ってから持って無い人に譲るという手がありましたね。そうしようかな。
ちなみに神戸では三ノ宮の「せいでん」がこの冬リニューアルされて、
邦盤洋盤ともにかなりの在庫量を誇り、大手にしてはめずらしくマイナーなものまで
けっこう充実しています。Q盤コーナーも広いスペースをとってあり、
僕の好きなムーンライダースが20枚くらい並んでいるのを見た時は涙が出そうでした。
シンシアも僕が見た時点ではベストを含め7~8枚並んでました。
やはり買うべきでしょうか?自分の持っているアナログ盤はすべてDATに移して
くり返し聴いています。それで満足はしているんですけどね。

RE:紅白特番 投稿者:Takashi  投稿日:2000年12月30日(土)11時51分40秒
u3,
BSの紅白特番ずーと見ていたんですが、残念ながら、
シンシアは登場しなかったですね。。。
ダニエルカールが紅白の想いでを聞かれたとき、
「あのころ僕は何しろ『17才』でしたから、、」と言い出したので、
オオオ来たか!と身を乗り出したら、
「ピンクレディーのファンだったんですよー。」
   思いっきりコケました。(吉本のように)

年始のメデイア情報はありませんか?

次回こそ 投稿者:betti  投稿日:2000年12月30日(土)06時05分05秒
17会の集い、次回こそぜひ参加させていただきたいと思います。それにしてもシンシアの選書が
廃盤とのこと…、無念ですが、まだ店舗にはおいてあるはず。みんなで買い漁って(?)、
まだ未入手の方々に譲るっとかいう計画はどうでしょうかねぇ。しつこいようですが、
京都北山の「ユリナ」にはまだほとんどがおいてありましたよ。一昨日確認。
シンシアを通じて他人同士がコミュニケートを取れる、本当に楽しい会だと思います。
相互扶助とでもいいましょうか…、高齢社会にはとても必要なことだと、福祉関係の大学に
勤務するものとして、このHPを含め、皆様のこれからの活動に、May God bless you.

忘年会あと20年は続けて 投稿者:海田  投稿日:2000年12月29日(金)15時07分29秒 <
17会の忘年会。盛会だったようでようございました。
私も参加したいのですが、あと20年ぐらいはできそうにありません。
ぜひ、20年も、それ以上も続けてくださいませ。
いや、実にうらやましいです。
カレンダーに時計、特製ジャケつき「走れクィーンコーラル」に『青春の絆』!
これらは通信販売はないのですか?当日出席者のみの特典ですか?

この一年いろいろお世話になりました。
来るべき新年、新世紀もどうぞよろしくお願いします。
来るべき新世紀がシンシアとシンシアファンにとって、
今まで以上にすばらしい世紀となりますように。
みなさま良いお年、良いお世紀をお迎えください。

紅白特番 投稿者:u3  投稿日:2000年12月28日(木)23時10分14秒
12/29(金)19:30~22:00 NHK-BS2(ハイビジョンでも?)
『あなたが選ぶ思い出の紅白 感動の紅白・紅白のあの感動をもう一度!』
という番組が放送されます。「電話やFAXで視聴者のみなさんの
思い出の歌や名場面のリクエストを受け付ける」ということです。
詳しくは、番組中で告知されると思います。すでに、予告で告知
しているかもしれません。知っている方がおられましたら、
お知らせください。

12/29(金)17:00~18:55 NHK-BS2(ハイビジョンでも?)にも
『あなたが選ぶ思い出の紅白 感動の紅白』があるようです。
こちらはリクエスト受け付けなし?

参考:CynthiaのNHK紅白歌合戦出場
第22回(1971) 17才
第23回(1972) 純潔
第24回(1973) 色づく街
第25回(1974) 夏の感情
第26回(1975) 人恋しくて
第27回(1976) 哀しい妖精
第28回(1977) 街角のラブソング
第42回(1991) 色づく街

二十歳ばなれ 投稿者:とおる  投稿日:2000年12月27日(水)12時25分13秒
さてさて、はじめて投稿させていただきます。シンシアファンがこんなにいるなんて
知らなかったなあ。で、はじめて投稿していきなりこういう内容もなにかなあと思いますが、
みなさんにお願いがあるんです。あのね、あっしもあの当時不真面目なファンにありがちなことに
アルバムを買い損ねているんです。サオリオンステージとシンプリシティの2枚。どなたか
CD-RでもカセットでもMDでも何でもいいんです、録音して下さる方はおられませんか?
ホントはアルバムが欲しいけど、贅沢は言えない。とにかく「聞きたい」んです。
で、録音して下さった、又はアルバムを譲って下さった方にはお礼として『二十歳ばなれ』を
進呈いたします。1冊しかないから1名の方のみですけど。是非是非是非お願いします。
みなさんのメールをお待ちしています。なお、年末年始は旅行に出かけますので、メールの
お返事は1月9日以降になります。よろしくお願いします。間抜けなシンシアファンより。

CD選書の販売中止(?)商品 投稿者:u3  投稿日:2000年12月26日(火)20時55分48秒
ZDNetのニュースサイトで、
「NTTコム,国内最大級のミュージシャン情報サイトをオープン」ということを知り、
“Arcstar MUSIC”に行ってみました。

Arcstar MUSICのCynthiaのページ
のCD情報(情報提供はOriconDD)によると、
『純潔/ともだち』『早春のハーモニー』『ひとかけらの純情』『夏の感情』
『やさしく歌って』『人恋しくて』『素顔のままで』『哀しい妖精』の8枚が
“販売中止”ということでした。

SMEの商品検索でヒットするのは下記で、上記の結果とはちがうのでした。
・『南沙織ベスト・セレクション(カセット)』
(以下CD)
・『南沙織ベスト・コレクション』
・『Cynthia Best ~ Eternity』
・『GOLDEN J-POP/THE BEST』
・『CYNTHIA ANTHOLOGY』
・「走れクィーンコーラル(TGCD-90051)」
・『17才』
・『早春のハーモニー』
・『20才まえ』
・『夏の感情』
・『CYNTHIA IN CONCERT』
・『20才』
・『やさしく歌って』
・『Cynthia Street』

2つのデータを照合すると、CD選書でともに販売中止になっていないのは、
『17才』『20才まえ』『CYNTHIA IN CONCERT』『20才』『Cynthia Street』で、
実際に店頭でよく見かけるのは、『17才』以外の4枚です。未入手の人は、
この4枚(5枚?)以外のものを見かけたらすぐに買った方がいいと思われます。
この4枚(5枚)で未入手ものも早めに買っておいた方がいいでしょうね。
こんなことを書いていたら、“(検討中の)CD選書に代わるスタイル”のものが
リリースされたりして…。(^_^;) そのときは、m(_ _)m

“Art of Loving”の‘Discography’では、当初、[品番が掲載されているものは
現行商品]とのことでしたが、まったくメンテされていません。前から書いているように、
ウェブページで廃盤予定等の告知なんかすぐにできるからやってくれればいいのに、
そんなことはしませんね(Cynthiaのものだけではなく、すべてのCD選書に関して)。
そうすれば、少しでも売上は伸びるのに…。「廃盤反対」の抗議がこわい?

ベスト盤は、SMEで『Recall』がヒットしないけれど、店頭ではまだ目にします。
Yahoo! オークションあたりで、『南沙織ベスト・コレクション』を廃盤だとして
出品している人もいますが、だまされないようにしてください。『Recall』も。

(CD選書の廃盤については、忘年会でも少し話題に上りました)

忘年会の写真 投稿者:Takashi  投稿日:2000年12月26日(火)11時49分38秒
早速、見せてもらいました!
この方が「蟹座」さんで、あの方が「ビタミン」さんだったのですね!
なにしろ私、初参加に加えて素晴らしいシンシアもの(カレンダー、時計、
そしてビデオ)を前にして言葉を失っていました。

17会忘年会集合写真掲載 投稿者:u3  投稿日:2000年12月26日(火)01時35分11秒
17会の忘年会に参加された方々、ありがとうございました。
21人+電話参加がひとりの計22人の参加でした。
キンドーさんから忘年会の写真がメールで送られてきましたので、
とりあえず、集合写真のみ掲載しました(下記URL)。
20001223.html

RE:17会の忘年会盛況でした。 投稿者:ビタミン  投稿日:2000年12月25日(月)01時55分59秒
今回はビデオが妙に見応えがあって、気がついたらずっと画面をみていました。
あまり他の参加者の方とお話もせず、失礼いたしました。
キンドーさんのカレンダーは家に帰ってから、じっくり中身を拝見させて頂きました。
構想に時間をかけただけあって、とても良く出来ており、本人がこれを見たら、驚く
だろうなと思います。
時計もこれで2個になりましたので、ベッドとパソコンラックの2カ所で早速使って
おります。 ありがとうございました。
幸せな一日でした。

RE:17会の忘年会盛況でした。  投稿者:Takashi  投稿日:2000年12月25日(月)00時06分57秒
いやー、刺激的な夜でした!
世の中にはすごいファンがいらっしゃるものですね。
僕はもう「す、すごい、、、」を連発するのみでした。

まずはキンドーさん、苦心の作「シンシア・カレンダー」にびっくり。
さすがプロとしかいいようのない見事な写真とレイアウト。
1枚1枚に愛情がこもっています。金もかかってそう。
(これが無料でいただけるなんて・・・)

次に「走れクイーンコーラル」のCDがキンドーさんの特製ジャケつき
で1000円ポッキリ(歌舞伎町のノリ)の即売会があり、これまた興奮しました。

そしてu3の秘蔵ビデオの上映会に目は釘ヅケ状態。
紅白全出演、「どっきりテレビ」、『夜のヒットスタジオ』「テレビジョッキー」
などなど、なつかしの場面がこれでもか!と登場。
特に嬉しかったのはシンシアがポップスを歌っている番組。あれは初めて見ました。
(大阪制作で名古屋は流れていなかったのだろうか?)
しかもレコードになっていないポップスを歌っているんですよ。シンシアのポップスファン
の僕としては「クーたまらん」状態で、僕はもうちょっとで、オデンの鍋をひっくりかえす
ところでした。アグネス・チャンの背後で泣いているシンシアまで録画してあるなんて、さすがu3!

それから、シンシアの実家に泊まったことがある!という方(女性)が目の前にいるでは
ありませんか! 目が点になりました。

そして最後にいただいた『青春の絆』とタイトルされた本。
482ページにシンシア満載。
僕はこれを求めていたんです。
こういう編集をした本が欲しかったんです。
(涙)

シンシアを媒介に、こうして長い付き合いをしてこられたサオリストの皆さん、
本当に素晴らしいクリスマス会をありがとうございました。

トナカイさん、誘っていただき、ありがとうございました!

ハーフ・ブリードの訳詞 投稿者:free  投稿日:2000年12月24日(日)18時07分52秒
HHさん、僕もむかし歌詞カードを見ながら訳してみましたが、だいたい同じような
訳詞になりました。
要するにインディアン(今はネイティブ・アメリカンと呼ぶそうです)と白人との間に
生まれた主人公が、インディアンの側からも白人の側からも差別され、親戚にも蔑まれ
白人の子供達にも「羽をつけてやれよ、あいつチェロキーだぜ!」といじめられると
いう悲惨な内容。しかも最後は男から男へ渡り歩く生活。
オリジナルを唄ったのがインディアンの血をひくシェールだけに、リアリティーがあり
強烈な印象を与える曲ですね。

「あいのこ」というのはいけない言葉かもしれませんが、この曲のニュアンスはまさに
この言葉でこそ表現されるものだと思います。
シンシア自身も『沖縄で「あいのこ」といわれていじめられた。沖縄でもやっぱりハーフは
いじめられるの。』と発言しています。
彼女もこの曲に何か共感をおぼえるものがあったのかもしれません。

追伸:忘年会、盛況だったようですね。僕も行きたかったです。
   来年は行けるようなら行ってみたいですが・・・どうなるかなあ。

Re:17会の忘年会盛況でした。 投稿者:HH  投稿日:2000年12月24日(日)12時57分55秒
 それはなによりでしたね。みよさんは参加されましたか。次回からは、
シンシアご本人にも会合のお知らせを差し上げればいかがでしょう。
昔、参加されたことがあるようなので、もしかして・・・

ブルーキャットさん、木枯らしの少女の訳ありがとうございます。
私もためしに、「Half breed」を訳してみました。間違いがあればご指摘ください。

あいのこ Half breed
白人の親父は生粋のインディアン、チェロキー族の娘と結婚した。
母方の人たちは私を恥じた。インディアンは私のことを法律的には
白人だという。でも白人達はいつも私のことを蔑んで
「インディアン奴」という。
(「あいのこ」それが私の聞いたすべて。
「あいのこ」どんなにか世の中を恨んだことだろう。
「あいのこ」あいつは悪い奴だと彼らはささやきあった。
 生まれてからずっと、どちらの側も私の味方ではなかった。)
我々は定住せず、街から街へと流れ続けた。歓迎されないところを
ぶらつくことはできなかった。ほかの子たちはいつも私のことを
笑いものにした。「あの娘に羽をやれ、あの娘はチェロキー族なんだぜ」
( )くりかえし
我々は受け入れられず私は恥ずかしかった。19のとき家出した私を
誰が非難できようか。
それからというもの、男から男へと渡り歩く私、でも
自分自身からは逃げられない。
( )2度くりかえし

*「あいのこ」というより「混血児」のほうがよかったでしょうか?
 堅い訳文でごめんなさい。

17会の忘年会盛況でした。 投稿者:トナカイ  投稿日:2000年12月24日(日)09時22分55秒
17会の忘年会盛況でした。

新宿の街でテレビデオを買い、それでビデオ上映会をしました。こだわりの
ソニー製14型です。

参加して下さったのは、22名だったかな。お多幸4階を貸切り、テレビの
音響を最大に上げて、沢山の映像を見ました。いつもは、4階の3つに別れ
た部屋の2つを借りるのですが、今日は3つとも借りれました。隣に気兼ね
なく、音を上げられて嬉しかったです。

おでんの鍋が5つ並び、お代わりもして、計で20鍋位食べました!

特製の時計、カレンダーのプレゼントもあり、参加者全員、シンシア三昧の
夜でした。

アルバム『哀愁のページ』 投稿者:ブルーキャット  投稿日:2000年12月21日(木)16時59分11秒
リクエストを受けていたのに、
ナカナカできなくてもうしわけありませんでした。
ここ3週間ほど、メッチャイソガシかったもので。
でも訳してみたら、極簡単で10分とかかりませんでした。
別に説明の必要もありませんけど、
男性歌手のために書かれた詞を、シンシアが男性として歌ってます。
これはアメリカではあまりないことです。
レズの歌に聞こえてしまうから。
「木枯らしの少女」というのタイトルは、
日本のレコード会社の人がフィーリングだけでつけたもので、
詞の内容とは全く関係ありませんね。

ところで、この曲の入ってるアルバム『哀愁のページ』は、
シングルのA面B面に、英語のカバーポップ10曲を付けたした構成ですが、
このアルバムカバーのデザインが、
天地真理のアルバム『虹をわたって』と全く同じだって、御存知でした?
そちらはシングルのA面B面に、日本のフォークヒットのカバーをつけたしたもの。
この時、ソニーの他の歌手も、同じデザインで、
同じようなカバー集のアルバムを出しているんでしょうか?
それとも、シンシアと天地真理だけ???

木枯らしの少女 投稿者:ブルーキャット  投稿日:2000年12月21日(木)16時45分26秒
あのコの顔を見てごらんよ、とっても素敵なんだ
僕にはすごく特別なものさ
見てごらんよ、
あのコが僕を見る時、どんなふうに笑うかって
僕みたいにラッキーな男はいないよね

あのコって本当に僕のタイプなんだ
あのコといればサイコーの気分
誰が信じただろう、
あのコが僕のモノになってくれるなんて
あのコってメチャ僕のタイプなんだ
あのコがいなかったら、僕はブルー
もしあのコが僕をフッたりしたら、
僕はどうしたらイイんだ、いったいどうしたらイイんだ

公園で散歩してる時、
あのコは僕を抱きしめて、僕の手をシッカリ握るのさ
何時間だって歩いていられる
そして、僕たちがやりたいって思ってることを、
ずっとずっと話すのさ

私は何も、知りませんでした。 投稿者:五日市のフアン  投稿日:2000年12月21日(木)15時57分47秒
勿論シンシアの事です。先日公式サイトの、書き込みに/沙織は、ステーキを作るのも、
食べるのも好き。/と、言う雑誌のインタビューらしいですが、私は始めて聞く話です。
そんな事は皆さんなら、当たり前ですよね。他にもどんな食べ物が好きとか、飲み物は、
何がとか、全然知りません。本当に恥ずかしいです。これでは、サオリスト、とは言え
ないですね。
ところで、17会忘年会楽しそうですね、出来る事なら、私も参加したいです。

意外にも? 投稿者:free  投稿日:2000年12月21日(木)15時54分27秒
WASIさん、とりあえず「それだけかいッ!」とツッこませていただきます(^0^)
(声優でタレントの南かほりもいますね)

さて話はシンシアの曲の歌詞についてですが、意外にも英語のフレーズがほとんど無い事に、ふと気付きました。
もちろんカバー曲や外国人の作家の曲などは全編英語、あるいはジャニス・イアンの曲のように日本語と英語がコーラスごとに別れているなどの例はあります。
しかし最近のJ-POPのように曲の途中で突然わけの分からない和製英語が出て来たりというのは、まったくといっていい程ありません。
(思い起こせばIMAGINATION 遥か昔のフラストレイション ふたりならいつもALL NIGHT LONG・・・・)みたいな恥ずかしい歌詞は出て来ません。
わずかに「哀愁のページ」のようにセリフだけが英語というのはありますが、他にはせいぜい「ファンレター」の SO GOOD SO NICE ぐらいでしょうか。

英語が得意なシンシアの歌う歌詞に英語を混ぜなかった作詞家のみなさん、えらい!
いいかげんな英語だったらシンシアにバレバレですもんね。
時代背景もあるかとは思いますが、それが結果的に今聴いても心にひびく歌となっている
理由でしょうね。

バトルロワイアル 投稿者:WASI  投稿日:2000年12月21日(木)12時30分11秒
話題の(問題の?)映画『バトルロワイアル』を観てきました。殺し合をする生徒の中のひとりに「南佳織」という子がいました。

それだけです。

17会忘年会 投稿者:Takashi  投稿日:2000年12月19日(火)18時45分54秒
わははは!
トナカイさんの「17会忘年会のお知らせ(最後)」の書きこみは
サイコーに愉快です。
大変な準備、本当にお疲れ様です!
当日は名古屋から駈け付けますのでよろしくお願いします。

>キンドーさん制作の20頁の特製カレンダー(プロ仕様・全員プレゼント)
>u3制作の特製時計を初参加の方に進呈(二種類)
       って本当にほんとですよね?!

 もうこりゃ何があっても絶対行きます。

17会忘年会のお知らせ(最後) 投稿者:トナカイ  投稿日:2000年12月18日(月)23時55分38秒
 何度もすいません。これで最後です。

 17会(トナカイ)の大忘年会を、今週末に開きます。

 日時:12月23日(土・祝)
     第一部:16時~18時、第二部:18時~21時頃
 場所:お多幸(新宿店)4階和室
     電話 03-3352-4771

 場所は、下のページをご覧下さい。
 http://www.otako.co.jp/sinjyuku%20-ten.html

 催しのメインは、おでんです。付録は、ビデオの上映等です。17会のメンバーが、
1978年のシンシア引退の時に、撮ったビデオなどの編集したものです。ほとんど
ビデオが家庭に普及していなかった時に、撮った映像は、なかなか珍しいものです。

 他に、今年発売された「走れクィーンコーラル」のCDの即売会(17会特製の
ジャケット付き)
 キンドーさん制作の20頁の特製カレンダー(プロ仕様・全員プレゼント)
 u3制作の特製時計を初参加の方に進呈(二種類)

 夜がダメな方の為に、ビデオは2回上映します。

 一回目は、午後4時から6時まです。
 こちらは、アルコール抜きで、純粋にビデオを楽しむものです。

 二回目は、午後6時から9時頃です。
 こちらが、忘年会本番になります。おでんをつつきながら、ビデオで盛り上
がります。

 メンバー一同燃えています。この為に、ビデオとテレビを買う予定です
(ちょうど良いのが無いので)。店に持ち込んで、また持って帰るという、壮
大なムダをします(勿論、その後、家で使いますが)。

 20世紀が生んだ、最高のアイドル・シンシアと共に生きた日々を祝い、
大いに盛り上がりましょう。

 ご参加、お待ちしています。参加ご希望の方は、メールを下さい。
もしくは、いきなり、当日、4階の和室の方にいらっしゃっても結構です。

20世紀あのいい女200人総直撃! 投稿者:Takashi  投稿日:2000年12月18日(月)21時23分46秒
週刊アサヒ芸能特別編集「20世紀あのいい女200人総直撃!」に
我らが南沙織が載っています。
現在の写真が2枚(Anthologyの解説書に載っていたのと同じ。
和服姿のものは別テイク)とデビュー当時の写真が1枚。
扱いが小さすぎるのが不満であります。
シンシアの功績からすれば、当時の写真をドーンと載せて、
見開き2ページは欲しかったところです。

17会の忘年会 投稿者:Takashi  投稿日:2000年12月16日(土)22時29分44秒
23日の忘年会、恐る恐る(?)参加させていただきます。
どんな濃いーメンバーとお会いできるかと思うと,今から
胸が踊ります。

『20世紀のヴィーナス』はAMAZONに注文しました。

『20世紀のヴィーナス』のシンシア 投稿者:トナカイ  投稿日:2000年12月16日(土)00時04分17秒
さっそく買いました。ページが無い本です。シンシアは、ちょうど真ん中の右側のページです。

1975年頃と思われる公園の歩道で撮られた写真一葉です(全員一人1ページ)。


ついでに、『歌謡曲だよ!人生は』という『平凡』編集長の斉藤 茂さんの本も見つけて
買いました。マガジンハウス発行、1700円です。

206~210ページに、アイドル三人娘の話が載ってます。シンシアについては、この年
デビューしたとだけ書かれています。記事は、後の二人が中心です。

17会の忘年会、12/23です。皆さんの参加をお待ちしています。

u3ありがとう 投稿者:free  投稿日:2000年12月15日(金)22時38分03秒
アドバイスどうもありがとうございました。
さっそくダウンロードしました。初めからこうすれば良かったんですね。
これでいつでもゆっくり読んだり調べたりできます。
画像のほうもやってみたいのですが、時間がかかりそうですね。

『20世紀のヴィーナス』明日にでも買いに行きます。

『20世紀のヴィーナス』 投稿者:u3  投稿日:2000年12月15日(金)02時28分34秒
Belloさんからの情報によると、
週刊プレイボーイ創刊35周年記念特別編集『20世紀のヴィーナス』という
写真集が出ているそうです。

# 今日、本屋さんで『週刊プレイボーイ35周年記念写真集』を発見しました。
# 価格は2800円(本体)。篠山先生のアイドルの写真集の2番煎じみたいな
# 企画ですが、我れわれのシンシアも載っているみたいです。
# ビニール詰だったので、中身の確認はできなかったんですが、
# 裏表紙の右側の真中くらいに、シンシアの写真が確認できます。

ということなので、集英社のサイトに行くと、載っていました。そのページで、
収録されている人のリストが見られますが、そのリストにたしかにCynthiaは
載っていました。リストを見るには、FLASH PLAYERプラグインが必要だということです。

freeさん
ほんとうに、皆さんすごいですね。特に、“「天才バカボン」ネタ”
なんか、ついていけません。(^_^;)
ところで、過去ログをよくお読みになっているようですが、オンラインで
お読みですか? もしそうなら、"CynthiaStreet書庫"の
‘Cynthia Street 全htmlファイル(961KB)’等をダウンロードして
オフラインで読むことをおすすめします。

CynthiaStreet書庫(休止中)
archives.html

   ↓『20世紀のヴィーナス』
http://www.shueisha.co.jp/photoalbum/w_pb_venus/index.html

皆さん、すごいですね! 投稿者:free  投稿日:2000年12月14日(木)02時59分13秒
南陽子のネタですが既に去年の7月に、WASIさんとタ-ミ-さんが
書き込みされておられましたね。失礼しました。
♪突然激しいにわか雨・・・♪という歌詞まで憶えておられるとは!
おかげで出だしのメロディーを思い出しました。タンタン、タタタン、タタタタタン
ですよね。
それにしてもWASIさんも「妄想だったのかな?」というような事を
書かれていて偶然の一致にびっくり!決してまねした訳ではないのですが。

ほかにもピーカブーの事や大阪でのコンサートやり直しの件など
書こうと思った事はほとんど出てますね。myasuさんが去年の9月に書かれていた
その大阪のコンサートには僕も行ってました。コンサートの冒頭で
シンシア自身が「今日本当は新しい内容でやる予定だったんですが
それが出来なくなって・・・、開演ぎりぎりまで話し合って、もう
中止にするというところまでいったんですが、せっかく来てくれた
皆さんのためにもそれは出来ないし・・・という訳で今日は前回と
同じ内容で行なう事にしました。申し訳ないので今日来てくださった
皆さんを必ずまた招待します。約束します。」
と説明してくれました。僕は残念な気持ちもありましたが、きちんと
話してくれたシンシアの誠実な態度がうれしくもあり、ほんとに真面目な
人なんだなと思った事を憶えています。

それからしばらくしてチャリティーコンサートの招待状が届きました。
シンシアは約束を守ってくれたのです!

「天才バカボン」ネタで 投稿者:蟹座  投稿日:2000年12月13日(水)21時57分28秒
freeさん、
>「天才バカボン」の中で、バカボンパパは
>『わしは南沙織のファンなのだ!』と返します。
 そのシーン記憶がありますよ。
また、違う回で、編集者とわがままな売れっ子漫画家を
テーマにした漫画で(「天才バカボン」なのに、パパは出て来なかった)
その漫画家が「17才」の歌が大好きという設定だったのが記憶にあります。

結構、本当に赤塚不二夫氏はシンシアファンなのかも知れませんね。

南陽子 投稿者:Takashi  投稿日:2000年12月13日(水)18時05分14秒
freeさん、
南陽子といえば、1ヶ月ほど前の「えとせとらレコード」
のオークションに出ていました。(今はもう終了しています)
「南沙織を色っぽくしたような・・・」とコメントが
ついていました。レコードジャケットでみる限り、
確かにそんなカンジでした。
どんな曲なのか聴いてみたいものです。

「南陽子」&天才バカボン 投稿者:free  投稿日:2000年12月13日(水)17時43分20秒
シンシアがデビューする前「南陽子」という芸名も候補にあがっていたという事から
ふと思い出したのですが、その後実際に南陽子という歌手がデビューした記憶があるのです。
やはりストレートの黒髪で大人っぽい感じ。曲調は今でいえばMAXのような雰囲気だったと思います。たしか「スター誕生」出身でした。(黒木真由美ではありません)
結局ヒットする事なく終わりましたが、どなたか御存じでしょうか?それとも僕の妄想?

もうひとつ、マンガねたです。僕の知る限りではまだどなたも言及されてない様ですので。(もし既に書かれていたならゴメンなさい)
赤塚不二夫の名作「天才バカボン」の中で南沙織と言う名前が出てきます。
バカ田大学の先輩がバカボンパパの家へやって来るという話。
この人は大変な暑がりで寒いのが大好き。バカボン家で氷を入れた水風呂に入りながら
北島三郎の唄を歌い、
「俺は北島三郎が好きだ。あいつの寒そうな名前がいい!」と言います。
これに対してバカボンパパは
『わしは南沙織のファンなのだ!』と返します。
「わー!南と言うな!暑い!」と怒られるという話。
これはTVアニメでも放映されたと思います。何年ごろに描かれたのかは分かりません。
単行本を買って確かめてみようかな。

皆さんの書き込みなど見ていると、忘れていた記憶の断片が突然浮かび上がってくる事があります。また記憶の断片シリーズとして書き込みします。では、また!

それぞれのシンシア 投稿者:betti  投稿日:2000年12月11日(月)13時52分42秒
シンシアは今のスタンスが一番。たしかにその一方で、もう少し露出しても…
という思いはないとは言えないが…。同期のアイドルを見ていてそう思う。
彼女たちのあの扱われ方、ファンだったら嫌だろうな。毎年夏にある「懐かしのメロディー」、
今年は結構出演してたけど、なんとなく寂しくなりましたね。

8年前の紅白出場のとき、「色づく街」を歌ってるシンシアと彼女らは段違い平行棒。
もし「17才」だったら、彼女らと同じように感じたかも…。
「今もあなたが好き、眩しい思い出なの。あの日別れた駅にたたずみ、あ~青い枯れ葉噛んでみたの」、
なんとぴったりの選曲なのだろうと感心しました。なにより、その当時のシンシアの年齢に合った
歌い方なのが良かった。

『シンシア・クリップ』の最後で「まだまだ人間として成長していきたい」ってな
主旨の発言してたけど、それぞれ成長して、どっかでシンシアに偶然出遭うことがあったら、
こそこそせずに挨拶ぐらいはしたいものです。

記録より記憶に残る歌手 投稿者:HH  投稿日:2000年12月11日(月)12時40分47秒
 中崎さん、アルバムチャートありがとうございました。75年以降大きな
ヒットはなかったようですが、詞の内容が「大人」すぎたのでしょうか。
今頃になって後期の曲の良さがわかってきたように思います。
 Cynthiaは記録より記憶に残る歌手、以前にそう書いたことがありますが、
Cynthiaのあの声のすばらしさはかけがえのないものです。それはわかる人
にはわかるはずだし、それでよいのだと思います。
ただ復帰後のCynthiaを受け入れる人が少なかったことが、彼女の歌への意欲
を著しく減退させたことは容易に想像できることなので、それを思うと私も
freeさんと同じく自分に悔いが残りますね。でも復帰後の2枚のアルバムこそ
"濃い"ファンへのなによりのプレゼントだと思うことにしました。
(それと「あなたの胸で泣けるまで」も!)
聞けば聞くほど味がでるCynthiaの歌声を今日も聞いています。

サンキュー アグネス! 投稿者:WASI  投稿日:2000年12月10日(日)22時37分07秒
今日のお昼のテレビにアグネスチャンが出演していたんで、これはもしかしたら
シンシアのことを話したりしないかな~と張っていましたら、出ました出ました!

御覧になった方もいらっしゃるでしょうから、かいつまんで。

司会者がデビュー当時の話をしているアグネスに「当時、芸能界で仲がよかった人は?」と聞くと、
「南沙織さんと学校が一緒だったので....」(ここで「17才」のジャケットが画面の片隅に出ます)
「上智大学でもアメリカンスクールでも一緒だったので....」
「とてもよく面倒をみてくれて、友だちを紹介してくれたり.... シンシア、彼女、シンシアって言うんですけど」
ここで「シンシアとどっちが年上?」と萩原流行が言葉を挟むと、
「ちょっとずいぶん親しそうに呼ぶじゃない!」とちゃちゃが入ります。

すると萩原流行が、「うん、俺、シンシアの後ろで踊ってたもん」
「彼女の後ろで2人で踊ってて、ツアーとかも一緒にまわった」
「当時、彼女がつきあってた男の人と、俺の肩幅が同じだったんで、
手編みのセーターをあてて、サイズをチェックしたりしてた」云々。

ここで、少し編集されててカットされていた様ですが、またアグネスに戻って、
「今も、うちの子が学校に行く途中のところに住んでいて.... これがまた、いいところなの!」
ときて、ここでカットされて、次のゲストに移ってしまいました。

本当は、もっといろいろなことが話されていたんだろうなあ。

オリコンのアルバムチャート  投稿者:Takashi  投稿日:2000年12月10日(日)12時04分25秒
中崎あゆむさん、
アルバムチャートありがとうございます。
僕の一番好きな、そして思いでのある
『純潔/ともだち』が最もチャートが高くて
気をよくしています。

オリコンのアルバムチャート 投稿者:中崎あゆむ  投稿日:2000年12月09日(土)23時23分59秒
ご無沙汰です。少しでもお役に立てたらと、手元のデータを引っ張り出してきました。

タイトルの記載がないものはチャートインしていません。。
『さよならシンシア』が入ってないのはオドロキ。。
なお、ミスがあったらすみません。。


発売日   曲名              位 週 枚数
────────────────────────────
1971/10/01 17才              8 24 5.0
1971/12/01 潮風のメロディ         10 21 4.6
1972/06/21 純潔/ともだち          2 17 7.1
1972/09/21 哀愁のページ           4 15 4.0
1972/11/01 ギフト・パック          7 14 3.2
1973/12/21 早春のハーモニー        18 20 4.9
1973/05/21 傷つく世代            9 17 5.0
1973/09/21 20才まえ            5 28 8.7
1973/11/01 ギフト・パック         15 13 3.5
1974/02/21 ひとかけらの純情         6 13 5.3
1974/07/21 夏の感情             7 13 3.8
1974/09/01 CYNTHIA IN CONCERT        5 13 4.5
1974/11/01 ヒット全曲集          13 15 3.7
1974/11/01 20才             19 16 3.4
1975/02/21 ポップスを歌う         40  5 1.1
1975/06/01 南沙織デラックス        41  7 1.3
1975/06/21 シンシア・ストリート      28 11 2.6
1975/11/01 ヒット全曲集          22 17 3.6
1975/12/05 人恋しくて           19 10 2.5
1976/04/21 素顔のままで          20 10 2.4
1976/06/01 南沙織のすべて         86  2 0.2
1976/09/21 哀しい妖精           16  9 2.4
1976/11/01 ヒット全曲集          71  4 0.6
1976/12/21 ジャニスへの手紙        39  6 0.9
1977/04/01 午後のシンシア         42  5 0.9
1977/06/01 ベスト・ヒット南沙織      68  3 0.4
1977/08/21 ハロー!シンシア        29  7 1.5
1977/10/01 シンシア・ラブ         97  1 0.1
1977/11/01 THE BEST            75  3 0.4
1977/12/05 SAORI ON STAGE         74  2 0.3
1978/06/01 I've been mellow/SAORI    39  3 0.6
1978/06/21 THE BEST 南沙織        85  1 0.1
1978/10/21 SIMPLICITY           37  4 0.9
1978/11/01 THE BEST 南沙織        86  2 0.3

2000/06/07 CYNTHIA ANTHOLOGY        62  1 0.3

※番外編
1971/12/01 あきらと沙織          57  7 0.9
1973/07/21 見上げてごらん夜の星を     11 12 3.7
http://www.geocities.co.jp/MusicStar-Guitar/2064/index.html

17会大忘年会のお知らせ 投稿者:トナカイ  投稿日:2000年12月09日(土)23時05分57秒
 いよいよ17会の忘年会が近づいてきました。今世紀最後の忘年会として、
盛り上がるように、色々準備が進んでいます。今回のために用意するものです。

 ・u3特別編集のビデオの上映(1977~78年のテレビの録画が中心)
 ・キンドーさん特製の20ページのカレンダー(なんと無料進呈)
 ・初参加の方には、u3制作のシンシア時計をプレゼント
 ・「走れクィーンコーラル」のCD、特製ジャケット付き(キンドーさん作成)で即売会
   (既購入者にはジャケット進呈)

 当日は、会場の新宿「お多幸」さんのご好意で、午後4時から部屋を借りられ
ました。夜はダメな方もいらっしゃると思い、ビデオ上映会は2回行います。

 一回目:午後4時から6時まで
 こちらは、アルコール抜きで、純粋にビデオを楽しむものです。

 二回目:午後6時から9時頃
 これが忘年会になります。おでんをつつきながら、ビデオで盛り上がります。

 シンシアと共に生きた20世紀に別れを告げるためにも、思い出に残るものに
したいです。

 また、当日帰れない方には、狭いですが私の家に泊まって下さい。どちらかで
も、共にでも、是非ご参加下さい。参加ご希望の方は、用意もあるので、私宛に
メールをいただけますか。

 シンシア三昧の一日にしましょう。

チャートイン 投稿者:betti  投稿日:2000年12月07日(木)07時04分55秒
シンシアがバーニングからT&Cに移ったときにたしかファンクラブも変わって、
その第一号で相馬さんという方が、3万枚を超えない状況にある現状を克服せねば…、
と語っておられたのを思い出します。シンシアこそ本当のアイドルっぽいアイドルなのに、
ジャニスイアンとかの世界に行ってはいけないと。
ステージが開いたら、ばーっと歌って、完全なショー構成にして、「この歌の想い出は…」
なんてことはまったく言わずに、パッと幕を閉じるのがいいと。だから、
引退前というかその前年のクリスマスコンサートのLIVEは良かったですよね。

「Dancing Queen」から始まるやつです。「恋の魔法使い」とか…。今でもカラオケで
シンシアの曲がないとついつい歌ってしまいます(笑)。でもそのことにはもう引退は
決めていたんだろうな。

週4日は大学に行っていたそうだし…。泉谷しげるとか森山良子、吉田拓郎とかの影響が
大きかったのでしょうか。デビューの時にさがらなおみに、とっとと沖縄に帰りなさい、
といわれたことが今となって分かる、と引退前にやっと分かったというシンシアの手記。

彼女はどんな歌手になりたかったのだろうか。『二十歳ばなれ』の頃はニューミュージック
志向だったとは思うけど…。

とはいいつつ、結構長くシンシアはチャートインしてますよね。中学の時、卒業レポートと
いうのがあり、戦後の流行歌なるものを書いたことを思い出しました。一応歴史を語りながら、
シンシアの「哀しい妖精」の歌詞を感動し分析して書いたことを思い出します。

今となっては、どっちが良かったのか。松田聖子みたいにやればよかったのだろうか?
そんなことを考えてしまいました。

数字は冷たく語る 投稿者:free  投稿日:2000年12月07日(木)03時33分22秒
なるほど、こうやってオリコンのチャートで見るとつらいものがありますね。
南沙織時代(引退、結婚までを仮にそう呼んでます)の後半、彼女は
どんな気持ちで歌い続けていたのか。
それまでとはがらっと態度を変える奴もまわりに居ただろうし、番組での扱いも
違ってきたのは僕らが見ていても分かった。
そんな中で真面目なシンシアはファンのために一生懸命がんばっていたのだと
思うと胸が切なくなる。

いくら『アンソロジー』が今年の話題になり売れたといっても、シンシアとして
復帰後の2枚のアルバムがすでに廃盤になっている現実。
シンシアの熱烈なファンのつもりだった自分でさえ、今年インターネットを
始めるまでそのアルバムの存在を知らなかった事。
つまり一般の人なら彼女が結婚後CDを出している事さえ知らない人のほうが
多いだろう。
利益を優先する企業としてのレコード会社は、売れなくても内容の良いものを
残そうとはしない。
僕らの再発売を望む声も『現にお前達、買わなかったじゃないか!』という
彼らの嘲笑にも似たつぶやきの前には消えてしまうのか。

今日はちょっとブルーになってしまいました。
CD自体は探せば手に入れる事は出来るかも知れませんが、発売当時に
買わなかった自分に悔いが残ります。
レコード会社がもっとPRしてくれていれば・・・・というのは勝手な
言いぐさでしょうか?

RE:オリコンのデータ 投稿者:u3  投稿日:2000年12月06日(水)22時30分40秒
HHさん
> 復帰後の
> シングルやアルバムはどうだったのでしょう。もしかして100位以内
> にも入らなかったのでしょうか?

6/15の私の投稿、“オリコン62位”
# 『CYNTHIA ANTHOLOGY』は、6/19日付けのオリコンチャートで、
# 62位にランクされているらしいです。21年7か月ぶり。
ということからすると、チャートインしなかったことになります。

『CYNTHIA ANTHOLOGY』の前のチャートイン作品は、
1978/10/21発売の「グッバイガール」がチャートインしなかったので、
1978/11/01発売の『THE BEST/南沙織』(38AH-595~596)か
1978/12/05発売の『さよならシンシア』ということになるでしょうね。
album_i.html

オリコンのデータ 投稿者:HH  投稿日:2000年12月06日(水)10時43分29秒
u3 ヒットチャートのデータ一覧ありがとうございました。実は
私はシングルは全く買ったことがありません。アルバムと重複するので
アルバムだけを買うことにしていたからです。でもアルバムは高価で
一部のものしか買うことができませんでした。それでCD選書で
すべてそろえることができて嬉しかったです。それから、復帰後の
シングルやアルバムはどうだったのでしょう。もしかして100位以内
にも入らなかったのでしょうか?

後期のシングル 投稿者:ブルーキャット  投稿日:2000年12月06日(水)05時31分18秒
u3さんどうもアリガトウございました。
後期のシングルの順位については、あまり知らなかったので、
なるほどって感じです。
それにしても、「人恋しくて」以来
あれほどいろんなことを試みているのに、
チャート上ではほとんど惨敗(チョット言い過ぎ)ですねえ。
わりと売れたというイメージのある、
「哀しい妖精」「春の予感」でさえあんなもんだったとは。
もうそれほど利益の上がらないアーティストだったにもかかわらず、
最後まで、ソニー、酒井プロデューサーは、
いい仕事をしてくれたと思います。
歌謡界では普通、売れなくなると、
トップのスタッフからはずされるのが普通なんですけどね。

それから、僕はシンシアが、
自分の意思をちゃんと言うようになったという点は、
素晴らしいことだと思いますけど。
特に彼女は、アメリカンスクール育ちですし、
アメリカは自分の意思をちゃんと言えて当然という社会ですからね。
人の言うことを笑って聞いているだけのカワイイ人形より、
それで苦しむことがあっても、
ちゃんと自我を持ったシンシアが好きです。

オリコンチャート他 投稿者:u3  投稿日:2000年12月06日(水)00時00分13秒
bettiさん
“誘い上手”は、たしか、「ふりむいた朝」の歌詞ちがいだったのですよね。
歌詞は変わったけれど、あまりに最初の(悪い)イメージをCynthia自身が
払拭できなくて、「気がむけば電話して」の方をA面にしたと…。


WASIさん
『音楽の広場』の放送日を1976年4月10日と書いてくださった
おかげで、図書館で新聞の縮刷版を調べることができました。
なんと、NHKの新番組の第一回目でした(22:30-23:10)。
毎回テーマが変わって、第一回が「ふたりのコンサート」、
第二回は黒柳徹子が司会で「おしゃべりコンサート」、
第三回は「N響ゴールデンポップス・スクリーン名曲集から」…
ということでした。
番組紹介欄にも紹介されていて(朝日新聞)、
“くつろいだ話題と座談を交えながら、ポピュラーな名曲を集めておくる
新音楽番組。第一回は、三国一朗の司会、テノールの五十嵐喜芳、南沙織を
ゲストに迎える。管弦楽は、前田憲男の指揮とピアノのミリオン・ポップス・
オーケストラ。合唱・東京放送合唱団”ということでした。


HHさん
> シンシアのシングル(やLP)
> がどれくらい売れたかあるいはオリコン何位になったかといったデータもお持ちでしょうか。
> 発売年月日とともにそういうデータを示した表が見たくなりました。

アルバム編は資料が出てきたらということで、少々お待ちください。(^_^;)

発売日   曲名          位 週 枚数
───────────────────────
1971/06/01 17才          2 32 54.2
1971/10/01 潮風のメロディ      7 20 24.5
1972/02/01 ともだち         7 18 21.8
1972/05/25 純潔           3 20 35.1
1972/09/21 哀愁のページ       3 18 27.3
1973/01/21 早春の港        11 17 15.7
1973/05/01 傷つく世代        3 16 27.1
1973/07/05 カリフォルニアの青い空 77 5 1.3
1973/08/21 色づく街         4 21 29.6
1973/12/05 ひとかけらの純情     8 17 23.6
1974/03/21 バラのかげり      15 14 13.6
1974/06/21 夏の感情        16 14 10.9
1974/10/01 夜霧の街        17 12 9.5
1974/12/21 女性          23 15 9.3
1975/04/21 想い出通り       19 15 10.5
1975/08/01 人恋しくて        8 19 23.2
1975/11/21 ひとねむり       27 12 6.2
1976/03/01 気がむけば電話して   29 13 6.2
1976/05/31 青春に恥じないように  44 7 2.9
1976/09/01 哀しい妖精       20 13 8.7
1976/11/21 愛はめぐり逢いから   45 9 3.1
1977/03/01 ゆれる午後       54 8 3.0
1977/07/21 街角のラブソング    36 9 4.0
1977/11/21 木枯しの精       63 4 1.2
1978/01/21 春の予感        25 15 7.6
1978/05/21 愛なき世代       74 4 1.0
1978/08/21 Ms.         80 2 0.5
1978/10/21 グッバイガール     - - ---
        :

『オリコンチャートブック シングル編 1968-1987』(1988/09/01発行)より。
転記ミスがありましたら、すみません。
 位 :最高順位
 週 :ベスト100ランキング週
枚数:ベスト100ランキング週の累計推定売上枚数(万枚)

※発売日はソニーの資料とちがうところがあります。


CD『青春歌年鑑』発売中
・『青春歌年鑑1971』「17才」「潮風のメロディ」(東芝EMI)
・『青春歌年鑑1972』「純潔」「哀愁のページ」(日本コロムビア)
・『青春歌年鑑1973』「早春の港」「色づく街」「傷つく世代」(SME)
・『青春歌年鑑1974』「ひとかけらの純情」(東芝EMI)
酒井政利『パラサイト』(エム・ウェーブ) まっ赤な表紙

気がむけば電話して 投稿者:betti  投稿日:2000年12月04日(月)14時08分53秒
シンシアの歌は基本的に好きですが、「気がむけば電話して」は、ご本人が
そうおっしゃったこともあって、あまり好きではありません。その頃から、なんでも
シンシアは自分の曲については意見を押し通すようになり、本当は「誘い上手」って曲が
A面候補に上がっていたのだけど、それをシンシアが蹴った、と、
そして「これならまぁ、歌えるかな」っで…。

買う気削ぐよな、って感じたこと思い出します。シンシアがはじめなのでしょうか?
アイドルが自己主張するようになったのは。

17才~20才まえ~20才 投稿者:海田  投稿日:2000年12月03日(日)08時04分33秒
>freeさん ターミーさん
なるほど『20才』はもう“ヤングのテーマ”ではなくなっていたのですね。
しかし、たかが20才になることを、そんなにおおげさにとらえなくても・・
と思うのは、今だから言えることでしょうか。
あの頃は、時代そのものがまじめだったような気がしますね。
たとえば、今の成人式のようすなんて、あの頃と全然違いますもんね。
「17才」でデビューして『20才』でイメージチェンジ。
もう決まり過ぎというか、これ以外にないっていう感じですが、
曲のタイトルに年齢を使った以上、仕方がないような気もしますね。
ただ、もう少し明るく元気にしてほしかったという気はしますが。
『ゴールデンJポップ』の解説で、「おはようさん」の解説で、
「彼女の作品群の中では異色の屈折のない青春讃歌」なんて書かれていたのには、
ええ?シンシアの歌ってそんな屈折した歌ばっかりだっけ?と反発したくなってしまいました。

>WASIさん
情報ありがとうございました。
テープをお持ちなんですか。いいですね。聞きたいなあ。

>freeさん ブルーキャットさん
「人恋しくて」のヒット。ヒットしたこと自体はうれしいんだけど、
なんだか素直に喜べない気持ち。実は私もそうなんです。
まさに、あのヒットでそれからのシンシアの路線が決まってしまったような気がします。

後期のアルバムのCD化が滞っている件。
SMEがマスタリング技術の発達で、その成果を応用しようとしているんじゃないか・・
できれば『17才』から・・というのは希望的楽観的過ぎるでしょうか。

『午後のシンシア』私も一番お気に入りのアルバムなんです!
どの曲も粒ぞろいで、まさに珠玉の名品という感じ!
ただ、あえていうなら「ゆれる午後」だけイマイチかなと思っていたのです・・

オリコン&「ゆれる午後」 投稿者:ブルーキャット  投稿日:2000年12月02日(土)02時50分09秒
あの頃、いろんなテレビやラジオのベストテン番組を
いつも楽しみにしていたので、
正確に何位というのは覚えてませんが、
どのシングルがどのくらいヒットしたかというのは、
かなりよく覚えてますネ。
でもオリコンのデータまでは持ってないです、
と言おうとして思い出しました。
筒美京平が作ったものに関しては、
大先生のボックスセットにのってましたね、たしか。
僕も当時はガキでしたから、
歌謡曲のスタッフの苦労なんて全然分からなかったのですが、
今になってシングルをリリース順に聞くと、
ウ~ン、なるほどって見えてくるわけです。

「ゆれる午後」は、「人恋しくて」の次くらいにダサいシングルですよね。
でもこれは、ニューミュージック系の作家とイロイロやってみて、
ここでちょっと原点の有馬&筒美に戻ってみよう、
でも洗練されたポップスではシングルは売りにくいから、
歌謡曲っぽく行ってみようか、ということですよね。
でもこの曲、よく聞くと、
レゲエ風のビートが隠し味的に取り入れられてて、
普通の歌謡曲にはしないというスタッフの意気込みが伝わってきます。
それのこの曲の入ったアルバム「午後のシンシア」は、
全曲有馬&筒美のオリジナルで、
後期のアルバム群の中では、突出したクオリティ。
個人的に今一番CD化を望んでるのはこれですね。
「あとずさりする日々」なんて、超名曲。
『人恋しくて』『素顔のままで』『哀しい妖精』と、
低調なアルバムが続いたあとでしたし。
アルバム『哀しい妖精』は、あれだけイロンな作家とやってるのに、
結局一番残るのは、有馬&筒美のふるさと路線「想い出岬」と、
それを踏襲した「ふるさと」というのは皮肉な結果でした。

「木枯らしの少女」の訳やります~。

「人恋しくて」 投稿者:free  投稿日:2000年12月01日(金)23時58分19秒
ブルーキャットさん、非常に明解な分析、ありがとうございました。
「人恋しくて」は確かに世間的にはヒット作となり、ファンとしては
うれしい反面、なにかもやもやとした違和感があったのです。(なんか
違うぞと)。
今でもベストアルバムで聞くと、この曲だけ浮いた感じがします。
もろ歌謡曲の「ゆれる午後」までいくと、かえって潔くて気持ちよく
聞けるのですが。
「人恋しくて」決して嫌いではないですが、ファンの望むものと
世間の好むものとの間には、ズレがあるんですね。

「木枯らしの少女」 投稿者:HH  投稿日:2000年12月01日(金)10時09分08秒
 ブルーキャットさん、「ローズ・ガーデン」の訳ありがとうございました。英語訳のリクエスト
も一段落したかなと思い過去ログをみてみると、11月15日に蟹座さんが木枯らしの少女
をリクエストされていますね。またよろしくお願いします。「方法論」を読ませてもらい
ましたが、当時の歌謡界にずいぶんお詳しいのですね。それならシンシアのシングル(やLP)
がどれくらい売れたかあるいはオリコン何位になったかといったデータもお持ちでしょうか。
発売年月日とともにそういうデータを示した表が見たくなりました。

方法論 投稿者:ブルーキャット  投稿日:2000年12月01日(金)06時27分37秒
何かがあったわけではなく、
シンシアを大人のシンガーとして脱皮させる突破口を開く
試行錯誤の末、そうなったんだと思います。
20才になったシンシアを、
いつまでもヤングアイドルとして売っているわけにもいかず、
どんどん次代の若い女性歌手もデビューしている状況の中で、
「バラのかげり」「夜霧の街」の
暗いドラマティック路線がまず試みられました。
それから「女性」の斬新な曲調。
ところが、どちらも大きなヒットにはならず、
ヤングポップス路線に戻した「想い出通り」も、売り上げ的にはジリ貧。
アルバム『20才』では、いしだあゆみの「あなたならどうする」みたいな
全くの歌謡曲までカバーしてますが、
当時の歌謡界で、シンシアのようなポップシンガーが大人にするというのに、
歌謡曲化するという以外に、なかなか方法論が見つからなかったからだと思います。
有馬&筒美のコンビは、洗練された曲を提供し続けてきたけれど、
もうひとつインパクトがなくなってきた。
それが、当時ニューミュージックと言われていたモノを取り入れるという方に、
傾いていった理由だと思いますけど。
ニューミュージックと言っても、キャラメルママのような洗練されたものから、
若者の演歌的な、4畳半フォークまであったわけで、
その一般ウケするダサめの曲として取り上げられたのが「人恋しくて」でしょう。
このもくろみは、成功して、「人恋しくて」は、久々の大きなヒットになりますが、
これが彼女のその後を、かなり決定付けてしまうことにもなるわけですよね。

ここで『シンシア・ストリート』は、
ちょっと別物だと思ったほうがイイと思います。
当時の歌謡界はシングルが中心だったわけで、
とにかくシングルをヒットさせて売らなくてはいけなかった。
でも歌謡界に携わっているスタッフの中には、洋楽ファンも沢山いますから、
そういう人たちにとって、シンシアのような、
アメリカ的な洗練されたポップス感覚を持った歌手で、
本家のモノにも劣らないレコードを作ってみたいというのは、
共通した夢だと思います。
だからこのアルバムは、シンシアという歌手を歌謡界で育てていく
プロジェクトの手順や過程とは別のところで、
考えられていたんだと思います。
たまたまそれが実現化したのがこの時期だったというだけで。
だからこそシングルを切らなかったんでしょう。
これはソニーのスタッフにとっての、
自由でアーティスティックなプロジェクトですよね。
でもレコード会社はレコードを売らなくては話にならない、
良いモノが売れるとは限らない、
洗練されたモノより、ちょいダサめのほうが一般受けする。
そこで、「暮れそうで暮れない」になるわけです。
ぼくも、チョットこの業界に近いところの仕事をしてるので、
スタッフの悩みがよく分かるようになりました。


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