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2007年11月 の伝言板を読む
2007年09月 の伝言板を読む
“あの歌この人ドッキリ話 作詞家・有馬三恵子(3)” 「篠山紀信さんと沙織さんの仲、ずっと前からピンときてました」 南沙織さんのレコードジャケットはデビューシングルだけ立木義浩さん。 あとはずっと篠山紀信さん(写真左)の撮影ですから、とにかく新人のころ から沙織さんと紀信さんとの接触は多かったですよね。 ある時、録音が済んだあと沙織さんに、「真っすぐ帰るんですか?」と声を かけたら、「これから紀信さんのところへ寄っていきます」とおっしゃたの。 「あれ?」と思いました。“女の勘”ですよ。ああ、沙織さんは紀信さんが 好きなんだって、その時ピンときました。 沙織さんの大ファンだというインテリは多かったけれど、意中の人が 篠山さんだなんて、結婚間際まで男性スタッフの誰も気づかなかった。 私に聞けばよかったのに(笑い)。 沙織さんと紀信さんがご結婚なさったのは、引退後の1979年6月のこと。 沙織さんは歌手生活を離れ、すっかり家庭に収まっていたんです。 ところが1991年の年の瀬、沙織さんが14年ぶりに紅白歌合戦で歌うことに なった。紅白が近づくにつれ彼女の緊張感が徐々に高まってきて「妻ながら近寄り 難かった」と、紀信さんが言っていました。 その日の紅白終了時間に合わせ、昔一緒に働いたスタッフ仲間が、紀信さんの セッティングしたホテルでの年越しパーティに招かれた。 沙織さんを待つ間、紀信さんに、「詞を書く相手を先生にさらっていかれた」と 文句を言ったら、紀信さん、「そんなことはないよ。僕は本当はすっごい美人と 結婚したかった」ですって。 でもね、おふたりはすっごく仲がいい。沙織さんは紀信さんのことをのろけて ばかり。「子どものことより何より、とても私のことを気にかけ、いたわって くれます」って、うらやましいと思いました。 彼女、本当は「作家志望」だったそうで、ことのほか言葉を大事にする方。 彼女の大ファンだった有名作家なんて、作品に出てくる英語の間違いを 「先生それ違います」と指摘されてましたっけ。 そこがまた彼女の魅力で、たまらなくかわいいんでしょうね。 「誰かに取られる前に僕が取った」という紀信さん、沙織さんを不幸にしたら、 外野が黙っていないわよ。 (日刊ゲンダイ 2007年11月1日号(10月31日発行)第19面)
3回目
トナカイさん、情報ありがとう!早速、買いました。こちらでは、 10月31日号(10月30日発行)B版、21ページに載っていました。 今日近くのファミマ(ローソンには、ありませんでした)で、買いました。 たぶん地方都市では、今日、売られています。 3部、買いました!!
Cynthia Streetにも、スパムメールは、たくさん飛び込んで来ているはずです。 でも、ここが、健全に保たれているのは、管理人のu3の尽力によるものです(それゆえに、 携帯からは、普通のサイト経由では、投稿できませんが、できる方法もあるので、 希望者は、u3にメールして聞いて下さい)u3、いつもありがとう!!
“あの歌この人ドッキリ話 作詞家・有馬三恵子(2)” 「私が名付け親の南沙織さんは潮風を浴びてキラキラ輝く少女のようで…」 CBSソニーで初のヤングポップス歌手として1971年に「17才」が 大ヒットしたおが南沙織さん(写真)でした。 彼女の歌はデビュー当初から作曲家の筒美京平さんと私にまかされた曲が多く、 レコーディング曲だけで78曲は書いています。歌詞やタイトルだけでなく、 沙織という名も、実は私が名付け親だったのをご存じですか? ひと目見た時に、南国の潮風を浴びてきらきら輝く少女のたたずまいや、 カチンと堅いつぼみのイメージを大切にしたいと思いました。真っ白な沙羅の 花を織ると書いて沙織、ぴったりでしょう。 プロデューサーの酒井政利さんから「清純派は有馬さん」とご指名を受け、 返還前の沖縄から来たばかりの沙織さんと初めてスタジオで会いました。 あの当時、京平さんと3人の前で彼女は「ローズガーデン」という歌を英語で しっとり歌った。それがすごくよかったの。 詞を書くときは部屋にこもり、その時々の歌手のために小説家か役者に なり切って集中するのが私のスタイル。歌い手の鉱脈を見つけるのが作詞家の 仕事ですから、そんな毎日の変身はなかなか骨で、神経をボロボロに擦り減らしました。 そんな時、ある歌謡評論家が書いた論評にドキッとしたことがありました。 要約、次のようなことが書いてあったのです。 「南沙織の歌には、世間一般によくある“あなた次第の私”という女心が 一作もなく、自分自身の思いがどうか、が大事にされている。その点に個性がある」- 正直、「見抜かれた」と思いました。というのも、「17才」の最後の 「私は今生きている」というフレーズ、あれは私自身が、かって日記に 書いたことがある言葉だったのです。若かりし頃、生まれて初めて憧れの ヨーロッパ旅行に行ったとき、「私は今生きている」と書いていた。 実際に「17才」を書いていた時には、そんなことはスッカリ忘れ、 「すべての作品は創作」というのが私の自負でもあったのに、無意識に 使っていたんですね。あとで気づいてビックリ。役者になりきり気分でも、 地金は出るものだとつくづく悟りました。 (日刊ゲンダイ 2007年10月31日号(30日発行)第17面)
“あの歌この人ドッキリ話 作詞家・有馬三恵子(1)” 『「伊東ゆかりさんが「こんな歌、歌えない」と泣いて拒否した「小指の想い出」』 1967年にヒットした伊東ゆかりさん(写真)の「小指の想い出」が私の 作詞家デビュー作。あれから40年、今は作詞活動をちょっとお休みしていますが、 せっかくの機会なので、今だから話せるドッキリ話満載でいきますわよ。 まずはゆかりさんと「小指の想い出」にまつわる不思議な出会いのお話からスタート。 「あなたが噛んだ小指が痛い…」、2番でさらに「…ひとりでいると小指がもえる、 そんな秘密を知ったのはあなたのせいよ…」と続くあの歌詞、実は少々物議をかもし、 放送コードに引っかかりそうなものだったのです。 当時、カンツォーネが得意だったゆかりさんには、まだこれといったオリジナルの ヒット曲がなく、ナベプロのマネージャーが彼女の歌を血まなこで探してた。 ちょうどその頃、私がたまたまあの歌をナベプロに持ち込み、マネージャーが ピンときてくれた。 あの一事がなかったら、あの歌がゆかりさんに歌われることは、なかったと思います。 それほどの“問題作”。 当時の私は、郷里で服飾デザイナーをしたした後、作詞家を目指し上京して6年目のこと。 いろいろ作品を持ち込んでも相手にされず、一念発起、当時大ブレークしていた シルビー・バルタンをイメージしてつくったのがこの詞なんです。 だからとにかく清潔でかわいくて、美しさを損なわないで、でも官能に届きたいなと 思って書きました。川端康成先生の「雪国」に出てくる「この指が君を覚えていた」と いう表現が気になっていたので、多少その影響もあります。 この歌詞を見たときに、ゆかりさんは「こんな歌、歌いたくない」と泣いたそうです。 でもゆかりさんしか、あんな清潔には歌えなかったんです。おかげで放送コードに かかることなく、無事発売され、ヒットに結びつきました。出会いがなければヒットは 生まれない。今もつくづくそう思います。 -有馬三恵子(ありまみえこ)- 女子美大服飾科出身。主婦のかたわら作詞修行を続け、苦節10年で伊東ゆかりの 「小指の想い出」が大ヒット。その後も「17才」(南沙織)、「積木の部屋」(布施明) などのヒット曲を世に送り出した。70年代を代表する作詞家のひとり。 (日刊ゲンダイ 2007年10月30日号(10月29日発行)第21面)
日刊ゲンダイという夕刊紙があります。それに昨日から有馬三恵子先生が エッセイを連載中です。第1回目は伊東ゆかりさんを取り上げています。 今日は2回目、17面(!)でシンシアを取り上げています。この新聞は普通の 新聞配達店では取り扱っていません。駅やコンビニでしか買えません。お買いのがしなく。
友達の女性に西城秀樹ファンがいるのですが、西城さんのBBSには いわゆるスパムメールというのがたびたび飛び込んできて、読み手はみな 困っていると言っています。そこへいくと沙織さんのBBSはとても健全な BBSと思います。これからもずっとそんな風であってほしいと願います。
http://koyamay.iza.ne.jp/blog/entry/362283/ 皆で募金して買い取るなんてできないですよね…(笑)。
新たに3人のサオリストありがとうございます。いずれも知らない人ばかりでした。 五十嵐夕紀さんについてですが、昭和52年7月の「月刊平凡」にこの年デビューした 3人の新人歌手 大場久美子 五十嵐夕紀 香坂みゆきによる鼎談の企画 「かわいこちゃんトリオ ニコニコ座談会」という記事の中で、大場久美子さんが 目標とする歌手に荒井由実さんを挙げるのに対し、香坂みゆきさんが沙織さんを挙げ、 五十嵐夕紀さんも 先を越されてしまった、私も南沙織さん大好き、今までの曲 全部覚えている というようなことを言い、香坂さんも、雰囲気がいい 勿論声もいい と沙織さんを絶賛するくだりがあった事が思い出されます。 この他のサオリストに「きみの朝」を歌ったさわやかなシンガー岸田智史さんや 放送作家のテリー伊藤さんも聞いたことがあります。文化放送のアナウンサー 竹内靖夫さんという人も自身の番組の中でよくサオリストを公言しています。 竹内アナは「ナベプロ3人娘では伊東ゆかり、新3人娘では南沙織が大好きだ」と いつも言っています。伊東ゆかり=南沙織路線 分るような気がします。 園まりさんだと小柳ルミ子さんへつながり、となると天地真理さんは中尾ミエさんから? 分かるような気がします(笑)。 当時沙織さんは目標とする歌手に、いしだあゆみさんを挙げていたと想いますが、 いしだあゆみさんもとてもいいタレントさんだと想います。ヒット曲の多くも 沙織さんと同じく筒美京平さん作曲ですし、沙織さん同様ベストドレッサーだと 想います。いしだあゆみさんのヒット曲では「さすらいの天使」をよく聴きます。 (この歌 後にA.チャンが出す「妖精の詩」のヒントになったのでは と思われます。私見。)
さよならパーティの話とか初めて聞く話がたくさん飛び出してきて、興味深々で 拝見してます。 トナカイさんが投稿されていたcynthiaの卓球のCMの別バージョンだと思いますが 所有していたものを投稿します。カワイイですね~。
シンシアのカセット付き、英会話レッスンがあれば、すごく素敵でしたネ! トナカイさんの投稿を読んで、思い出したのですが、あの日 (10月1日)さよならパーティーを赤坂プリンスホテルで、終えた後、 スタッフ(全員ファン)と、Cynthiaと、打ち上げをしました。それで 「トンちゃん、Cynthiaと一緒にタクシーで来て!」と言われて、タクシーで 会場に行きました(初めて、Cynthiaと、タクシーに乗る!!というので、 とっても嬉しくて、でも、とっても緊張したのを、覚えています)会場は Cynthiaの掛かり付けの美容室、イエス、ジョージの近くでした。 確かに、ファンが出口で待っていてくれて、Cynthiaがサインを しました。その時、私は、「もう、こうしてCynthiaにサインを求めることも、 近くでCynthiaにも会えない」ことを実感し、そこで待っていてくれて、 サインが欲しかった人には、みんなサインをしてから出発した事を 思い出しました。Cynthiaに、「ここに書いて」とか、お願いし、ファンとの 橋渡しをしました(もともと彼女はとってもファン思いで、サインなども、 とても気軽に、気持ちよく書いてくれる人でした。これも、Cynthiaの人間性です) 懐かしい、懐かしい大切な思い出です。…それをトナカイさんは見ていたのですね。 後から、スタッフのK君が撮ってくれた写真を見て、トナカイさんが 写っていたのも、懐かしい思い出です。 ラストパーティーには、たくさんエピソードがあるので、また、投稿します
(喰いタン) シンシアの大好物がエビフライです。今発売中のマンガ、イブニング2007年11月13日号 (No22)の「喰いタン」にエビフライの話が出てきます。 ここに出てくる煉瓦亭は、銀座の名店です(行ったことありませんが)。きっと シンシアも一度は行っていると思います。 (samanthaの食卓) この方のブログ、2005年08月30日に煉瓦亭に行った報告があり、そのコメントに シンシアの話題が。 Commented by mrs.samantha at 2005-08-30 16:03 ♪アッパーさま アッパーさまにとっては銀座にはいっぱい思い出がおありでしょうね!ここは amberちゃんが小さいときにはほんとによくお世話になりました。数々の洋食の 名店はあれど、一番気を使わずに気楽に行けたので。最後のおもちゃもamber ちゃんの密かな楽しみでした(笑)ちょうどナオ君ころかしら? ちなみに わたしの銀座の一番古い思い出は、日劇&不二家のぺこちゃん。未だにその頃の ことを思い出すと、銀座=ホットケーキ=不二家の図式ができあがります。 レモンティーとホットケーキのオーダーが定番でした。まさに私にもナオ君 時代があったのです~(爆)そう、ちょうど南沙織の時代です(笑) Commented by gudigudi at 2005-08-30 16:09 煉瓦亭には入ったことありませんが、南沙織は知っています(爆爆?)。 あれ、歌ってたのは麻丘めぐみだなー、わたしのわたしのかれーはー、 ちゃんちゃん、ひだりきーきー♪♪♪ いっやー、このグラタンの写真にグッときてます! Commented by mrs.samantha at 2005-08-31 07:48 ♪gudigudiさま gudigudiさんは、麻丘めぐみ派だったのですね! わたしは初めて買った レコードが17才でした。~だーれもいないうみ~♪ ふたりのあいを たしかめたくーてー♪です☆ 煉瓦亭:http://www.ginza-rengatei.com/index1f.html イブニング:http://www.e-1day.jp/ samanthaの食卓:http://livingroom.exblog.jp/1664706/
1978年10月1日(日)、ファンクラブ主催のさよならパーティが 赤坂プリンスホテルで開かれました。トンちゃんが司会をしたと思います。 終了後、出待ちで車の出入り口に行きました(どのあたりだったか全く 覚えていないのですが)。 10人ほどのファンがシンシアを囲んでいました。その内の数人が本に サインをもらっていました。その時は何の本か知りませんでした。その 数日後だったか、新聞広告でその本を知りました。 「シンシアの英会話レッスン」でした。あの当時は今ほど新刊本も 出なくて、1年経っても本屋の棚で見ることがありました。引退直前 だったか、夕刊フジで半ページほどの記事でこの本が紹介されました。 編集者がシンシアの部屋を訪れたら、鏡台に口紅で○月○日、とか この本の締め切りが書かれていたというエピソードを紹介しています。 英会話レッスンは9月末(発行日は10月1日)から発売されたので、 サイン入りは数冊しかないでしょう。トンちゃんにとっては、シンシアの 思い出の掉尾を飾るにふさわしい品ですね。 シンシアがあまりお気に召さなかったのは、締め切りもあり急いで 書いたからではないでしょうか。もし、シンシアが歌手を続けていたら、 カセットテープの発売や続・シンシアの英会話レッスンが出たと思います。
C-madさん、書き込みありがとうございます。私もCynthiaの選んだ道 だから、応援してあげたいと思ったのは、同じです(たぶんCynthiaファンの ほとんどは、そうだったと思います) 確かにトナカイさんの言うように、17会を立ち上げて、みんなと出会えた 記念日であるのも、確かです(ただ、トンちゃんこと、私は、Cynthiaに全てを かけていた、女の子ではありません{でも、そう言ってくれてありがとう! そういう見方も嬉しいです}Cynthiaの事は、大好きだけど、Cynthiaからも、 尊敬してもらえる人間になりたくて、普通の感覚をとっても大事にしていた… つもりの…女の子でした) 10月7日は、捉え方にもよると思うけど、やっぱり「祝、引退〇周年」とか いう題を見ると、きっとCynthiaが見ても、ちょっと違和感があるんじゃない かなって、思っただけなの。 でもCynthiaに聞いたら、優しいCynthiaは 「そんな事ないよ。大丈夫」と 言ってくれそうだけどネ(聞いたわけでは、ありませんヨ) きっと、誰も、引退そのものが、おめでたいわけではないと思う。でも、 彼女の選んだ道だから、尊重してあげたいと、見守っていたと思います。 だから、祝、引退〇周年というのは、やっぱりなんか、しっくりこないの 「祝、10月7日」とか「引退〇周年」だといいと思うのですけど、 みなさん、どうですか? でも、いろんな意見があるのは、いい事です
わあ!懐かしいですネ! 久しぶりにこのチラシを読みました。…トナカイさんありがとう!でも。。。 古い日記を読み返すみたいな、甘酸っぱさと、気恥ずかしさがあります。 あの日、10月7日、調布のグリーンホールの前で、このチラシを配りました (8月17日の、お久しぶりです、の投稿参照)原稿作りには、直接タッチ してませんが、前日まで、このチラシを撒いていいのか、熱い熱い話し合いを した事を思い出します。そして、集まってくれた、たくさんの仲間達。 そして。。。今も、決して、書き込みさえもしないけど、Cynthia Streetを 見ていてくれるだろう、たくさんの古い仲間達。 全国版で、集える事に感謝です。
Yahoo!オークション7000円ですか? すごいですね! 何年か前に 古本屋で700円くらいで売ってましたけど。 買っておけばよかったかな(笑) 私は、サイン入りのを持っています。Cynthiaと、この本の話をしたのも、 懐かしい思い出です。…Cynthiaは、あの頃、この本はあまり、気に入って いなかったように思います
ヤフオクに「シンシアの英会話レッスン」が、27日の夜に出品されました。 開始価格7,000円、希望落札価格12,000円です。かなり本に詳しい人の出品です。 値段としては適正と思います。しかも希望落札価格があるので、これ以上高騰は しません。この本はめったに出品されません。掘り出し物です。ちなみに「初版」と ありますが、この本は初版のみの出版です。 http://page8.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/h55864249
・岩崎宏美 ・2003年12月03日の私の投稿“『優雅(尤雅) 筒美京平を歌う アンド・モア』も発売”参照 ・松木安太郎 ・2000年08月22日の私の投稿“松木安太郎はCynthiaのファン”参照 (『東京フレンドパークII』のコーナー「ボディ&ブレイン」) ・久美沙織 ・http://www.so-net.ne.jp/e-novels/tokusyu/z004/enquete004.html ・『あの日、「ライ麦畑」に出会った』(角田光代・久美沙織他)で、 『二十歳ばなれ』の『ライ麦畑…』に言及 あいうえおさんも書いている五十嵐夕紀 ・五十嵐夕紀インタビュー
しゅごキャラを見ました。最近のアニメですね。主人公は、小学5年生ですが、 いつも人から見られる自分を気にしている設定です。アニメでは外から見られる 自分を「外キャラ」と言っています。 このアニメでは、人は皆なりたい自分をイメージする卵を持っていることに なっています。この卵がいきなり空中に出てきて、中から妖精みたいなのが 出てきて一騒動起きる物語です。 キャラはキャラクターの略ですが、シンシアが現役だった頃はほとんど使われない 日本語(外来語)だったと思います。 今はごく普通の言葉となっています。キャラが立つとかキャラが弱いとか使います。 絵を描くように弁当を作るのを「キャラ弁当」と言います。 キャラ弁倶楽部:http://www.edita.jp/kyaraben/ シンシアが好んで使った言葉が「人間性」です。人に一番大切なものは「人間性」だと よく言っていました。シンシア自身が自分を大切にしていましたし、私達は彼女の正直な 人間性が大好きです。 彼女の人間性に惹かれた仲間が集まり、引退して29年になるのに、こうして思い出に ふけれるのは幸せです。
シンシアの現役当時、公式ファンクラブと共に私設ファンクラブが全国にありました。 そんな仲間が集まって、さよならコンサートの会場でチラシを配りました。その内容を ご紹介します。 『ファンの皆さん、南沙織さんは、ここに、7年余りの歌手生活にピリオドを 打つことになりました。長い間の声援ごくろうさまでした……。 しかし、果たして私たちも、このまま終わってしまっていいものなのでしょうか!? 絶つな!! 青春の絆。 あつまれ!! 仲間たち。 皆さんもすでに、ご承知の事ではありますが、去る7月3日のバースデー・パーティーの 会場において、歌手・南沙織さんが、9月いっぱいで芸能生活を引退すると発表しました。 この事について皆さんは驚き、悩み、或いは友だちといろいろと話をしてきたことと思います。 それと同じように、私たちもいろいろと、これからの事を考え、話し合ってきました。 その中で話し合った事は、私たちファンとシンシアの関係です。私たち(皆さんを含めて)は、 歌手・南沙織のファンであるばかりでなく、それ以上に人間シンシアの仲間として過ごしてきた はずです(この事は彼女自身が以前から常に言ってきた事です)。そしてシンシアを通して 多くの仲間を得てきた事実があります。この仲間を、歌手・南沙織が芸能界を引退する事で 失いたくないという事なのです。 そこで、私たちが9月30日に引退した後も、仲間としての親睦をはかり続けて行く事に 決定すると共に、それを全国的なものに拡げたい為に、呼びかけることにしたのです。 ただ全国的なものにするという事だけでは、何ら具体的なものがないと言われる方が いるかもしれないので、ここでその内容的な事について少し述べたいと思います。 仲間のつきあいに、特に改まったものも必要ではないはずですが、一応の目安として、 今考えている事は、今日まで各地域でそれぞれ活動してきたものを、引退という事で ストップしては、せっかく築き上げた城が崩れて音もなく消えて無くなってしまう ようなものですので、その各地域の活動を基盤として、それを全国的なものに拡げて いく事を主体にして、仲間との連帯を深め、これからも、いろんな催しなどを計画し、 みんなで協力しあって親睦をはかり、活動を続けていこうと考えています。 皆さんの中で、この事に賛同し自分も仲間だと思う人は、下記の発起人代表の者を はじめ、住所明記者で一番近い人の方へ連絡してください。尚、連絡される方は、 必ず返信用の切手を貼った封筒を同封してください。皆さんの意見も必ず書いてください。 その他、反対意見、質問の有る方も、同じ要領で投書してください。 それから、住所、氏名、生年月日、性別、職業の明記も、お忘れなくお願いします。 シンシア歴 25年3月15日 西 暦 1978年9月16日』 一番下には、発起人代表名、発起人名、協賛団体名、協力者が明記されています。 このチラシは、実際は印刷が間に合わず、9月29日の大阪・高槻市民会館と 10月7日の東京・調布市民福祉会館(グリーンホール)の2ヶ所で配られました。 このチラシを印刷した時は、高槻が最終公演の予定で、文中の日付が9月末に なっているのはそのせいです。
仙台のTon chanことトンちゃんとは17会創設(1979年3月)以来の友達です。 トンちゃんはシンシアに青春の全てをかけていた女の子でしたから、10月7日が 悲しい日だったのはよくわかります。 でも私にとっては、運命の日でした。調布グリーンホール入り口で配られたチラシを 見て、連絡を取ったのが絆の仲間達との出会いでした。 あのチラシを受け取ってトンちゃんとも知り合いになれました。今、Cynthia Streetが あるのも、引退コンサートがあったからです。 薬師丸ひろ子さんの歌にもあります。 「さよならは別れの言葉じゃなくて、再び逢うまでの遠い約束」 夢の途中:http://hccweb1.bai.ne.jp/kakinoki/midi/midi005.html
いきなりですが、アニメの紹介です。テレビ東京で毎週土曜日午前9時半からの 30分の放送です。主人公に小さな妖精みたいなのが付いています。 その3人の妖精の名前が、キャンディーズです。ラン、ミキ、スゥなんです(笑)。 この間から放送開始で今日が第4話です。 しゅごキャラ!:http://shugo-chara.com/
10月7日が「決しておめでたくない」という気持ちはわかります。南沙織のファンで あれば誰もがそうでしょう。でも、シンシアさんが悩みぬいて出した結論です。 10月7日をファンの立場から見れば哀しむべきかもわかりませんが、シンシアさんの 立場から見れば新たな旅立ちの日ではないのでしょうか。立場が変われば、おのずと 見方も変わってきます。 私も哀しいですが、この日は祝ってあげたいと思っています。
ゴメン!歌、間違ってました。 お願い、大事にしてね。 お願い、大事にしてね。 風邪には、早くね、ハイベンザ、 はい、はい、はい、ベンザ。 ハイベンザ が正しいと思います。 メロディはいつか、教えてあげますネ! トナカイさんの画像を見て思い出しました
10月7日、引退〇周年、おめでとうございます。という投稿がありますが、 私にとって、10月7日は、確かに記念日ではあるけれど、決しておめでたくはない、の。 (ゴメン!投稿した人を責めるとかではないの) なんていうんだろうな、ちょっと、例えは悪いけど、離婚記念日とか、何周忌と、 いうような忘れられないけど、痛みを伴うような、そんな日。 私にとっては、「青春の終わった日」みたいな。20才だったけど、 「これで私の青春の1ページは終わり!」って思ったことを今でも、ホントによく 覚えている。大好きな大好きなCynthia。Cynthiaの選んだ道は、尊重してあげたい、 と思ったけれど(それは、きっとみんな同じ)でも、でも、さびしくて。 10月7日がくるたびに、よく「死んだ子供の歳を数える」というけれど、 そんな気持ちで、過ごしてきました。 だから、デビュー〇周年とか、は、おめでたいと思うけど、10月7日は、 祝、という気持ちには、なれないのですが。
トナカイさんの記事を見て、あ~そうなんだ!10周年!!とわかりました。 u3はじめ、Cynthia Streetを支えてくれてる全ての人に感謝!です。 投稿はしないけど、見ている、という人も多いと思います。 (私も、前はそうでした。何しろ、ネットに繋がってなかったので) 17周年に向けて、GOですね!
ベンザのコマーシャルのCynthiaの服装は、K.Hさんのいうのが、合ってると 思います。確か、上の方から、滑り台か何かを下りて来て、下の方で、両手を開いて、 まわってたような記憶があります(そのシーンをトナカイさんがトランポリンと 記憶しているんじゃないかな?) コマーシャルも長いバージョンと、短いバージョンがあったような気がします。 当時、Cynthiaの、載ってるのは、何でも欲しくて、ダメもとで、よく、レコード屋 さんや、本屋さん(明星や平凡の表紙だったりすると)に、貼ってあるポスターを 下さい!とお願いに行きました。なので、結構、誰も持っていないお宝ものを私は、 持っていたりします。 一度、レコード屋さんの前に、等身大のCynthiaの立て看板があって、何度もお願いに 行ったけど、それは、結局もらえなくて(>_<)仙台のアーケード街のお店でした)
私も、そらまめさんみたいに、風邪をひいたら、ベンザが飲める!と思っていました。 念願の風邪をひいた時(私は、丈夫で、ちっとも、風邪をひきなくて)私の場合は、 母の方から、「沙織ちゃんのベンザ、買ってあげようか?」と言ってくれました。 やっぱり、薬局に買いに行ったら、「ベンザは効かないから、こっちにしたら?」と 言われました…同じような経験していて面白いネ… 私は「ベンザがいいので、ベンザ下さい!!」と言い切り、ベンザを買って来ました けどネ。ついでにお店に貼ってあるベンザのポスターまで、予約して来ました。後から、 取りに行ったら、大きいポスターは、もう誰かにあげた後で、私は小さい長いポスターを もらって来ました。懐かしい思い出です。…そらまめさんの投稿のおかげで、いろんな 懐かしいことをたくさん思い出しています。ありがとうございますm(__)m
久留米絣の写真キレイです。私も写真など載せたいのですが、まだ上手く 出来ないのです。うまくなったら載せたいと思います。
誰も書かれていなかったので書き込みます。2007年8月1日に亡くなった 阿久悠氏の作詞家生活40周年を記念して発売されるコンピレーション・アルバム 『阿久悠を歌った100人』シリーズ。レコード会社5社がそれぞれ選曲した20曲 収録のCDを発売、ソニー・ミュージック・ダイレクトから発売される 『青春時代~GS・フォーク・ニューミュージック編』には、シンシアの 「ファンレター」が収録されています。 【収録曲】 「花のある坂道」(大石吾朗) 「若草の髪かざり」(チェリッシュ) 「青春挽歌」(かまやつひろし) 「吟遊詩人」(ガロ) 「青春時代」(森田公一とトップギャラン) 「個人的メッセージ」(ハイ・ファイ・セット) 「メッセージ」(都倉俊一) 「たそがれマイ・ラブ」(大橋純子) 「世迷い言」(中島みゆき) 「風来坊」(加藤登紀子) 「時代おくれ」(河島英五) 「哀愁物語 ~哀愁にさようなら~」(村下孝蔵, 中林由香) 「ファンレター」(南沙織) 「三都物語」(谷村新司) 「なぜ口笛を吹かなくなったか」(森山良子) 「純情」(吉田拓郎&加藤和彦) 「ジョニイへの伝言」(高橋真梨子) 「BOO~おなかが空くほど笑ってみたい~」(ゴスペラーズ)
私も「さんま御殿」見ました。 前回よりもリラックスされたようで 新しい一面が見れました。 爽やかながら楽しいお喋りに、シンシアは毎日輝信君を見られるんだなぁーと ちょっと羨ましいです。いいな、男の子! 輝信さんを始めてみた時、叔母さんでシンシアの妹であるロジィーさんに 似てると思いました。とくに目元! 輝信さんが輝信さんらしく活躍される事を願っています。
23日放映のさんま御殿に輝信氏が出演されていましたよ。芸能人告白SPで ギャル曽根から、「目がとてもステキ!!」と告白され、スザンヌからは 「トビウオのよう・・・」と言われていました。 また輝信氏自身ひと目惚れするタイプではなく、付き合ってからだんだんと 好きになるタイプだとおっしゃってました。そして好きになると記念品を買う とのこと、また別れてもそれが捨てられないと言うことを告白されていました。
ベンザの秋のCMは私も多少記憶があります。「風邪、No Good」とか言う せりふのあるやつですね。シンシアの衣装は赤と白のサンタのような感じで下は ミニだったような‥‥(この辺、記憶があいまいです)。確か当時ポスターが 随分盗まれたようですね。 日本自転車工業会というと、沖縄海洋博の前頃に新聞広告などでも、自転車に 乗ったシンシアの正面からの写真を掲載しているのをよく目にしたものです。
シンシアのCM、ハイベンザが飲みたくて風邪をひきそうな格好をしていた。 念願の風邪をひいたのですが、家には、「家庭用常備薬」があり、 母はそれを飲みなさいと言った。 この薬を飲んだらハイベンザが飲めなくなるので、母からの薬を 飲んだふりをしていた。 それからは、母が帰ってくる時を見計らって、薪ストーブの 近くに陣取って、顔を真っ赤にし、体温計の温度もちょっと上げて 必要以上に咳き込んで見せて風邪を強調させた。 何日も続く風邪に母が「病院行くか」といってきたので、 「いやー病院行くほどでもないよ。市販の薬は利くというから 市販の薬買うよ」とまんまと母親からお金を貰った。 学校帰り、薬局に寄り「風邪ひいたのでハイベンザください」と 言った所、おじさんが、「あぁベンザは効かないからこっちにしなさい」 私、「ベンザがいいんです。」おじさんとやりとりしているうち おじさん他の薬を包装してよこした。お金を払って帰って来た。 その薬で風邪も治ったけどベンザが欲しくてした芝居はなんだっんだろう。 完璧な芝居をしていたつもりだったけど母は気付いていたんだろうなぁーと 当時の母の歳に近づいた今になって思います。 我ながら とんでもない中学生だと思いました。(ちょっと反省)
久留米絣のCMです。1972年の3月頃かと思われます。いい表情ですね。
ベンザの歌は お願い、大事にしてね。 お願い、大事にしてね。 風邪には、ベンザね、はい、ベンザ、 は~い、はい、はい、ベンザ、 ハイベンザ こんな感じだと思います。音程は、ちょっと外れてるかもしれないけど、 歌えるので、今度、会った時にでも(いつの事か)教えてあげます。
こんにちは!CynthiaのPremium、ホントにいいですよネ! こうして新しいCDを出せるのは、Cynthiaにとっても、私達ファンにとっても、 すごく幸せな事ですネ!! Cynthiaにも、ソニーにも、酒井さんにも、そして、今でもCynthiaの事を 思ってくれるファンをはじめ、すべての人に感謝です。DVDを見て、 紅白の事を(当時の事を)思い出しています。 スプーン集め、そういえば、そうでしたネ! 今回の青春の絆はたぶん、Cynthiaの、昔の情報がほとんどだと思います。 バックナンバーの17号より前には、きっと若かりし頃の私も、結構載っているかも? 秋…ですネ! 色づく街の似合う季節ですネ。朝晩、冷えるので、風邪などひかないように! Take Care!
にはどんな方がいますか。有名なところでは、大岡昇平さん、羽仁進さん、 多くのフォークシンガー達ですが、聞いた話では、フィンガー5の次男光男、 桂三木助,香坂みゆき、日高のり子、相原友子、五十嵐夕紀、大竹まこと、 泉麻人,田尾安志、ケント・ギルバートあたりです。 ほかにはどんな方がいますか、教えてください。 あとCMについてのお答え、TANAKさん有難うございました。
私がインターネットを利用し始めたのは、1997年夏でした。会社から アクセスできるようになってからでした。それまではパソコン通信で Cynthiaの情報を集めていました。パソコン通信でも活躍されていた yorityさんの“MusicBox”を見つけたときは感激しました。 会ったことはないけれど、Cynthia現役当時からお名前は拝見して いました。そのうちにCynthiaのサイトを作るつもりだとメール して、2ヶ月弱でどうにか目鼻をつけ、"CynthiaStreet"を公開 したのでした。あれから10年経ったのですね。当初ホスティング したGeocitiesの容量が2MBまでだったし、MusicBoxや坂口氏とこが 画像を掲載していたので、棲み分けとして"CynthiaStreet"は 当面テキスト情報のみでいくことでスタートさせました。自宅 からのアクセスはダイアルアップで、電話代とniftyの利用料金を 気にして、通常はブラウザの設定を「画像を表示しない」にして アクセスしていましたしね。(^_^;) それを考えると、隔世の感 があります。最近はずっと更新をさぼっていますが、今後とも よろしくお願いします。
このHP、Cynthia Streetが開設されて今日で、ちょうど10年になります。 おめでとうございます。 最初はこの伝言板だけだったと思いますが、インターネットによって全国の シンシアファンが集えるようになった記念の日です。当時は文字情報(テキスト情報) のみでしたが、今は画像も載せる事が出来ます。 年を追ってシンシア情報が飛躍的に増えてきました。その成果として、2003年 からは「青春の絆17-1号」と会報も発刊出来るようになりました。ネットを 利用してシンシアファンが情報を共有できる時代が始まった日です。日曜日ですし、 皆さん今日は祝杯を上げて下さい。 管理人であるu3、いつもありがとう。
を聴きながら書いて居ります。このアルバム、シモンズを始め、歴代の歌手に よる歌声が入っていますが、シンシアバージョンが一番長いですね(3分14秒)。 不二家のパイ「紗織」といい、緑茶「茶織」といい、食品業界はちょっとした 「沙織ブーム」ですね。第三の沙織は一体何が出てくるでしょうか、楽しみです。 今CDは、シンシアの歌声が流れています。 「あなたにもシンシアのチェルシーあげたい・・・」
東北の方も紅葉の頃でしょうか? プレミアムご購入されたのですね。 いいでしょ! 歌にあわせて当時が甦ってきますね。 持っていなかったLPレコードも今こうして聴けることは本当に幸せです。 先日、ある歌手の方が当時のレコードの紙ジャケットのままでCDを出すと云う 情報を聞いたので、昔、友達から借りたレコードの中で好きな曲があったので 買おうと思ったら紙ジャケットはそのままでしたが、中の音楽がかなり変っていました。 そう思うとシンシアのプレミアムがどれだけ凄いことでしょう。 sonyさんとシンシアには感謝の気持ちでいっぱいですね。 青空のきれいな秋の空を見ながらコーヒーを飲みます。 シンシア、以前、スプーン集めが趣味と言ってましたね。 今でも集めているのかなぁー フッと思い出しました。 12月「青春の絆」購入予定です。 その時、若きしのTon chanさんに逢えるでしょうか?
シンシアのCM出演は、既出以外に、久留米絣、日本自転車工業会、 不二屋のジョワ、富士フイルムがありますね。その他、確認していない のですが、沖縄銀行があるようです。
有難うございます。あのポスター、メガネ屋さんにありましたね。 他にお店のドアやウインドウに貼ってあったステッカーなども思い出されます。 あの当時、お店の人に頼んでおくとあとから戴けるなんて事知らなかったから 貰えず仕舞いです。
有難うございます。聞いた話ですが、武田薬品は、やたらなタレントは CMに使わない、武田のCMに出られるタレントは、テレビ界でも高く 評価された証拠だと聞いたことがあります。あと「青春に恥じないように」の シングルジャケットにJAXの文字がありますが、あの当時、JAXのCMにも 沙織さんは出られていたのでしょうか。クエスチョンです。もし出来るものなら、 南沙織さんが出られたCMばかりを集めたDVDリリースしてほしいです。 夢のような企画。でも巷には、業界業種を超えたCMソングを集めたCDは いくらでもあるから、まんざら夢物語でもないかも。いつかそんな時代が きっと来る・・・と思う。
これは持って無くて画像のみです。ちょっと恐いシンシアです。
ついでなので、ニコンのCMのパネルを載せます。これは私の宝物でもあります。
どこか憂いのある眼が素敵です。トナカイさん有難うございました。
この投稿の内容は私の記憶に基づいていています。思いっきり間違っている 可能性もあります。 ベンザのCMですが、1972年の冬と秋に流れました。風邪薬ですので、 春から夏は流れなかったと思います。 1972年の初冬のTVコマーシャルはこんな感じでした。シンシアが下の 広告のような格好で画面の中で飛び跳ねていていました。明るい調子の音楽に のってシンシアが飛び跳ねていました。トランポリンか何かに乗っていた感じ でした。ナレーションとかは全く覚えていません。 同年秋、シンシアは「哀愁のページ」を出します。CMもこれに便乗、今の 言葉で言うとコラボレートしています。レコードの歌詞の次の部分をCMに 取り入れています。歌い方はレコードと同じです。 歌詞「あやまちなんて、誰にもあるわ」 CM「風邪引きなんて、誰にもあるわ」 その時のシンシアの服装などは覚えていません。静かなムードのコマーシャルでした。 1971年暮れから翌年初冬の週刊誌にはかなり広告が載っていると思います。
週刊文春1972年1月24号に載った広告です。
トナカイさん、貴重な写真どうも有難うございます。沙織さんが卓球メーカーの モデルガールをされていたのは初耳でした。初めて見る写真です、有難うございました。 他に、あの頃テレビで放映されていた、武田薬品の風邪薬ベンザのCMは「哀愁のページ」 の替え歌が流れていたそうですが、どんな歌詞だったかわかれば知りたいです。 ベンザもテレビ以外で、雑誌にも広告載ったのでしょうか。薬屋さん店頭に 置かれたポップ広告とかポスター等ありますか。もしあれば是非見てみたいです。 トナカイさん、誠に不躾な注文ですがお願いします。
シンシアが出演したCMはあまりありません。その中で知る人ぞ知る広告を 紹介します。卓球のモデルガールです。テレビやラジオでのCMは流れなかったと 思いますが、1971年の秋から半年ほどモデルをしています。 バタフライのブランドで知られる卓球メーカー(株)タマスの広告です。 シンシアがショートパンツに半袖のTシャツ姿でモデルを務めています。 契約は更新しないで、そのまま終了したようです。1971年から翌年の 『卓球レポート』という専門誌に広告が載っています。
このウエブサイトいつも読まさせて戴いて居りますが、初めて投稿します。 南沙織さんが出演されたCMどんなのがありますか?私が覚えているのは、 武田薬品のベンザ、旺文社の英語教材、ニコンオルマ70だけです。 他に覚えていらっしゃる方教えてください。
今日の沖縄そばの日、沖縄そばを食べて祝いました。わしたで沖縄そばを 買ってきて食べました。おいしかったです。 シンシアが現役当時、沖縄そばという言葉はそれほどなじみがなかった気が します。ソーキそばの名の方が知られていた気がします。 私は沖縄には2回しか行った事がありませんが、最初に行った1984年に 那覇で初めて食べました。それまで食べたい食べたいと思っていましたが、 本土には沖縄料理店も少なくやっと食べれました。 今は、都内なら駅前には大体沖縄料理店があります。隔世の感があります。 写真は、週刊少女コミック1971年11月14日号の巻頭グラビアです。 「食欲の秋ラーメン」みたいな特集で、アイドルがラーメンを食べている写真です。 当時は、都内でも沖縄そばを食べさせる店は数えるほどしかなかったと思います。 そんな訳で、シンシアもラーメンを食べています。
9月10月とこのシーズン、ラジオをつければよく「哀愁のページ」を 耳にします。多くのサオリストたちがリクエストしているのですね。 私もこれから「色づく街」や「人恋しくて」をリクエストしようと思います。
今日、沖縄料理店に入ったら張り紙がありました。10月17日って 「沖縄そばの日」だったんですね。生まれて初めて知りました。 1978年10月17日を記念してだそうです。シンシアの引退から ちょうど10日後ですね。 皆さん、明日は沖縄そばを食べましょう。 以下は、ウィキペディアからの引用です。 「沖縄そば」という名称 1972年の本土復帰以前は、沖縄でそばと言えばすなわち沖縄そばのことで あったので、特に意識することなく単に「そば」と呼ばれることがほとんどで あった。その後日本そばとの混乱を避けるために「沖縄そば」という呼称が 用いられるようになったが、1976年に沖縄県公正取引室が、全国生めん類 公正取引規約の「そばの名称は、蕎麦粉が30%以上混入されていること」を 根拠に、この名称に対してもクレームをつけた。しかし戦前より一貫して 「そば」と呼ばれてきた伝統、慣習を守れとの機運が強く、沖縄生麺協同 組合等の交渉により、1977年通称としての「沖縄そば」が県内のみ使用と 限定され認可された。その後、1978年10月17日に公正取引協議会「生めん 類の表示に関する公正競争施行規則」別表に「本場沖縄そば」と表示され、 沖縄県内で生産され、仕上げに油処理を行うことなどいくつかの条件の下に 特殊名称としての使用が許可された。これを記念して10月17日は 「沖縄そばの日」とされている。 1987年4月5日には沖縄そばの本土への移出が認可され、沖縄県以外の 地域でも沖縄そばという名称で販売、流通することが可能となった。 現在は中華めんの一名称として正式に認められており、かんすい (唐あくを含む)を用いた麺に対しては、産地や製法などの制約なく 沖縄そばの名称を使用してよいことになっている。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 http://ja.wikipedia.org/wiki/沖縄そば
田山さんのライブ、11月17日(土)です。18時開場、 19時から2時間ほどの予定と思います。
シンシアファンの皆様へ・・・またまた「田山雅充ライブ」のお知らせです。 いつもシンシア・ファンの皆様には、ライブご来場賜りまして本当にありがとう ございます。 今回も事前にリクエストがあれば、「人恋しくて」などシンシアに書いた作品の 数々も歌ってくれるそうすよ。 「田山雅充公式HPのBBS」または「メール」で ご遠慮なくリクエストして下さいね♪ 自身の歌う♪あ~う~「春うらら」(1976年)の大ヒットでもお馴染み! “田山雅充”さんの本年ラストライブです。 ぜひお見逃し無く~。 <ライブ会場> 東京・曙橋 live-house&restaurant 「BACK IN TOWN」 03-3353-4655 http://homepage3.nifty.com/backintown/index.html 東京都新宿区住吉町3-2第2山田ビルB2(都営新宿線「曙橋」下車徒歩3分 ) 料金 3675円(飲食代別途) ご予約・お問合せは直接B.I..T.までお願いします。 <サポート・ミュージシャン> 濱田金吾(E.B./Gui./Cho.) 小坂きよし(Key.) 松藤一英(Perc.) みっきぃ石内(Vln) B.I.T.では、バンドスタイルの楽しいライブが毎回展開されています。 ベテラン・ミュージシャンのハイセンスな演奏に支えられて、田山雅充の ダイナミックなヴォーカルはいっそう冴え渡ることでしょう・・・。 また特筆すべきは、このお店の“おいしいお料理”の数々です。ワインや カクテルも豊富に取り揃えられています。 ハートフルなラブソングに耳を傾けながら、素敵なディナー・タイムを 過ごしてみませんか? 詳細は「田山雅充公式HP」をご覧下さいませ。
朝日新聞2007年10月11日(木)夕刊第1面 木曜日の新聞の子供の名前に関する記事です。読み重視の名前が増えています。 月女神と書いて「ディアナ」も大丈夫なんですね。これなら「シンシア」と いう名前の女の子が出てきそうです(もういるかも)。
発売中の週刊女性自身2007年10月23日号(通巻2326号)の特集の一つが 気になりました。 “追跡ワイド! あの歌姫20人の秋ドラマ!” P40から46までで、写真は全て白黒です。今のアイドルと昔のアイドルで 計20人です。 70代の歌姫は、山口百恵さん、中島みゆきさん、松田聖子さん、 加藤登紀子さん、アグネス・チャン、森昌子さん、ちあきなおみさんです。 光文社:http://www.kobunsha.com/top.html
シンシアが名前を読むのに苦労していたから、なんで振り仮名 書かないんだろうと思ってましたが、当時、僕はシンシアが日本語 読めると思っていなかったから英語でしか書いた事なかったです。 でも、一応僕の手紙も読んでくれましたが!(プチ自慢) 寝る前に会報を枕元に置くとシンシアが現れそうな気がするけど、 一度も現れてくれませんが。 キンドーさん、u3,トナカイさん、 いつも大作の会報ありがとうございます。
「Cynthia Street?」に対するご意見読ませて頂きました。 今までの疑問が解消され、ある意味納得しました。 おっしゃるように『「Cynthia Street」を70年代のアイドル情報と それに関する出来事を投稿するサイトと捉えている。』 そういう趣旨であれば確かに何の違和感も覚えず読めるのでしょう。 ただ、Cynthia Street のトップページにある 『南沙織(Cynthia<シンシア>)さんのページへようこそ。』 を文字通りに解釈している私にとっては何か違うんじゃないの? という思いはどうしても拭い切れないものです。 投稿が少ないのを寂しいと感じるよりも違和感を覚えたのはそのためです。 くだらない話だということでももちろんありません。 あくまでも「Cynthia Street」であるのならという気持ちは今後も 変わりませんが、見解の相違という事がわかっただけでも投稿した意味が ありました。ご意見、ありがとうございました。 このサイトの管理人さんがどのような趣旨をお持ちなのか定かでは ありませんが、何にも増してCynthia Street を覘いたシンシア本人が 違和感なく受け入れられる、気持ちのよい 場所だと感じることを私も願っています。 つい先日の吉田拓郎さんのコンサートで「シンシア」が聴けました。 お知らせまで。
17会の皆さん、いつもお世話になっています。 29周年おめでとうございます。これからもよろしくお願いします。 「青春の絆」17-05号。届いた日から幸せに浸っています。 Belloさん。そのとおりです。私です。 徳山(現周南市)のコンサートの感想と指笛のイラストを書きました。 ええ、お聞きになったらおわかりでしょうが、ふりがなを忘れてしまいまして、 後の回でリスナーの皆さんに大変おこられてしまいました。 いや、7枚書いたうち4枚ほどは書いたんですが、ヤマが外れてしまいました。 わ、すいません、全部書けば良かったんです。 シンシア万歳!シンシアファン万歳! シンシアの魅力は永遠に不滅です!!
10月7日はCynthiaが引退された記念日でしたね。おめでとうございます! 今年で29年ですか?ということは「17会」も結成29年ということになるので しょうか?こんなに長く続いているのも、Cynthiaが引退されてもその魅力が 色あせないからでしょうが、これまでこの会を盛り上げてこられた会員の皆様の 努力にも感謝したい気持ちです。 私が最初に「17会」の集まりに参加させていただいたのは引退25周年の記念日に 調布で開催された会でした。たしかお昼過ぎに集合して青森行きの最終電車の時間まで いましたが、あっという間に時間が過ぎてしまったのを覚えています。 29周年を記念してCynthiaと17会会員そして全国のサオリストの皆様のますますの 発展をお祈りします。
シンシア、さよならコンサートから29年の記念日おめでとうございます。 17会でもお祝いしました。JR御徒町駅改札前に、14時に集合しました。 参加したのは4名、キンドーさん、Belloさん、Tさんの4名です。毎度の メンバーですが(^^;)。 私が集合時間に遅れて、14時45分に着きました。遅れてごめんなさい。 御徒町駅隣の吉池の5階のお好み食堂が会場でした。キンドーさんが、 特製ポスターをプレゼントしてくれました。感謝。 話題は様々で70年代から今年の話まで話しました。様々なシンシアの話題を 語って2時間ほど過ごしてお開きにしました。 参加していただいた方、ありがとうございました。下の写真は、調布駅の ホームから写した調布グリーンホールです。今日の13時半頃の光景です。 右のビルはもうすぐオープンの新築です。
トナカイさん、キンドーさん、Tさん、オフ会楽しかったです。 会報が出たばかりだったので、シンシアの事色々話せて楽しかったです。 キンドーさんお薦めのキングのファイルお気に入りで、せっかくなので、全会報を キング製に入れなおそうと思っています。 「ふるさと」 山川啓介作詞 川口真作曲 萩田光雄編曲で『哀しい妖精』のなかの「ふるさと」 今まで山川さんのオリジナルの詩だと思っていたけど、「ふるさと」、実は シンシアが英語で作詞したのを日本語詞にしたのが彼だとシンシアが 言っているのを聞きました。 伴奏なしで歌うシンシアの自作の「ふるさと」を 聴いて感動しました。 ラジオ番組のシンシアストリートの昔の録音を聞いていたら、ハンドルネーム 海田さんと同一人物だと思われる人のはがき(コンサートへ行ったときの 感想とシンシアのイラストが書かれていた)が読まれているのを聞いたり、 Bettiさんの名前がFM7で読まれたりと、昔、リクエストカードをせっせと 書いていた人の名前を、ラジオの録音で聞くと凄く不思議な気持ちです。 こちらのシンシアストリートで、約30年後にまたネット上で会話するのも 考えたら凄い事ですよね。
明日は10月7日、思い出しますよネ!調布のグリーンホール。。。 私は明日、長女の吹奏楽のConcertを見に行きます。ジャンルは違っても、 10月7日にConcertを見られるのが、嬉しいです。 長女の学校は、東北大会に出るくらいで(全国には行けないけど) 上手なので、聞き応えがあります。ちょっぴりCynthiaのことを 思い出しながら、10月7日を過ごします。
明日、10月7日はシンシアのさよならコンサートが開かれて29年目の日です。 みんなで祝いましょう。東京近辺の方、明日の午後2時頃にお祝いしませんか。 話が急で申し訳ありませんが、ご都合のつく方連絡お待ちしています。
発売中の週刊大衆10月15日号の情報です。月曜日発売なので、 もうすぐ次号が出るのですが。気になる見出しがあったので 『引退から27年、伝説のアイドルに異変が…山口百恵に積まれた パチンコメーカー10億円』 記事の内容ですが、パチンコの機種の話でした。アイドルやアニメなどを テーマにしたパチンコ台が今続々出ています。小柳ルミ子さんや中森明菜さん、 美空ひばりさんのパチンコ台もあります。 パチンコCR小柳ルミ子:http://parthia15.com/kisyu_jouhou/syousai_p/koyanagirumiko.html そんな中、倖田來未さんのパチンコ台が大ヒットしているそうです。 そんな中、メーカーが狙っている最後の大物が山口百恵さんのパチンコ台 だそうです。もし実現したら台の売り上げと一台あたりの版権料が 10億円になるという記事です。 記事の中で酒井政利ディレクターのコメントが。 「百恵さんの場合、歌の持つ性質が娯楽的ではないので、パチンコ台には 向かないのではないでしょうか」 記事はおそらく実現は無理だろうと締めくくっています。 週刊大衆:http://www.futabasha.co.jp/?magazine=taishu (1週間遅れで掲示されるので、もうすぐ見れます)
いつも楽しく読ませていただいています。たまには、「くどい」と思う こともありますが(笑)。ただ、アグネスのカレーは面白かったです。当時、 京都ではシンシアvsアグネス論争とかあったりして、30云年前を懐かしく 思い出します。松本隆の作品はアグネスよりだとか…。懐かしい思い出を 引き起こしてしまいます。林哲司が…。荒井由実が…。誰にどういう楽曲を 提供していたのか、、とかなんとか。いろんなことが思い浮かびます。 ところでこれから私は少しばかり旅に出ます。まだ納金していないので、 帰国した際にはちゃんと納金しますのでおいておいてください。 でも、カレー屋の話は、きっとシンシアも行っていたのだろうと思うと、 来年には生きたいですね。ただの妄想ですが…。それも楽しい。 今度東京に行くことがあれば、行ってみます。
私の投稿が一番回数・容量ともに多いので、ここは弁明すべきと思い 投稿します。シンシア・ストリートは、シンシアを中心として、70年代 アイドルとそれに関係する出来事を投稿するサイトと考えています。 今のシンシアが芸能活動を休止しているので、シンシアの話題だけでは、 投稿が寂しくなりますし。 シンシア・ストリートは管理人のu3の尽力で、開設された1997年 以来の全投稿が保存されています。これほど過去の投稿を大事にする サイトはありません。シンシア・ストリートこそ、アイドル情報を 投稿するのに最適なサイトと考えます。 後から読んだ時に、あの時はこんな事があったなと、その時代を 感じられる投稿を心がけています。 17会の会報「青春の絆17-05号」が完成しました。キンドーさん、 全作業お疲れ様でした。予約いただいた方の元にはすでに届いていると 思います。これから申し込みたい方はメールをお待ちしています。 トナカイ:Cynthia17s@aol.com
そらまめさんにしか、わからないCynthiaの写真!って、いいですよネ。 私も米つぶみたいに写ったCynthiaの写真を大事に、大事にしていたのを 覚えています。それから、テレビに写ったCynthiaを写した白黒写真とか…ネ!! 初めてCynthiaと一緒に写した写真(夏の感情の頃)は、まるで何も写ってない くらい真っ黒で、それでもそのフィルムも、私にとっては、宝物でした(笑) 後に知り合ったファンのみんな(特にボス)の写した写真は、私にとっては カンドーものでした。
こんにちは!初めまして。いつもCynthia Streetをご覧頂いてありがとう ございます(って、ろくに投稿もしていない私が言うのもおかしいですが) まる子さんの言う事も一理あります。 でも、何日も、何の投稿もないと寂しいですよネ!くだらないように見える 投稿でも、何人かの人にとっては、楽しい投稿であったりもします。ここは、 みんなの集まる広場であっていいんじゃないのかなあ。 自分にとって、くだらない時は、とばして読んで下さい。 細々と、でも確実に30年近く、活動して来ています…それは、みんな一人一人の シンシアに対する熱い思いがあるからです。いろんな人がいて、いろんな事を 言って。いいんじゃないかなって思います。でも、いつもファンにとっても、 シンシアにとっても、気持ちのよい場所でありたいと思います。 まる子さんも是非、シンシアに対する想いとか、近況とか、投稿して下さい!! 想いを語り合いましょう。
今頃になって、シンシアプレミアムを手に入れ、感動に浸っています。 紅白はもちろん、リアルタイムで見ていたのだけど、こうして見ると、 感激ひとしおです。 あの頃にタイムスリップしてしまいそうです。 シンシア、かっわいい!!
こんにちは、初めまして。 Cynthiaの貴重な情報いつも楽しく読ませて頂いてます。 さて、以前から気になっていたのですが、 Cynthiaとはほとんど関係ない内容の書き込みをよく見かけます。 たまにならまだわかるのですが、あまりにも延々と続くのを 目にする度にとても違和感を覚えてしまいます。 書き込むのはここではなく、他にもっと相応しいサイトが あるのではと感じるのは私だけでしょうか?
何か出ているようですね。シンシアの写真だとか、雑誌の切抜きだとか、 まぁ\2,000~ですのでそう目くじらを立てるほどのものじゃないとは思いますが、 どっかの雑誌のシンシアの小物…とかいうタイトルでしたのでまたかと思って チェックしたのですが、割と健全な感じでしたよ。