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2008年02月 の伝言板を読む
2007年12月 の伝言板を読む
アドレスの消し方 教えてもらったとおりにやってみました。 消えていたら拍手喝さい、でも今までも公開しているから何をいまさら ですが、次回から表示はしますよ。 個人攻撃はしません!、でも騒ぎの元を作ったのは誰でしょうね?
改めて考えると、むつかしい。2回しかないのに分析されるとは。 あけみさん級ですね。あけみさんは、いろいろ傷つく方かもしれませんが、 私は「何書かれてもいいな」と受け入れたいのです。 日本人って「単一民族的」でしょう? 同意されないと「許せない」 という。同じ考え方で「当たり前」みたいな。戦前戦後の時代:音楽する 人は”不良”といわれた。私も学校でマンガ書く人を矯正したいと思った。 あのまま才能を伸ばせたら? まあ、伸びる人は「へ」とも思わないの かもしれませんが。 一念三千は、仏教用語なのか、日蓮さんなのかわかりませんが、一瞬の思いに 「三千の思いがある」:「無限の思い」があるんだという意味らしい。 言葉で「思い」を固定しようとしても、感情は超えた数ある。 書いていて、わからなくなりました。
私がある有名な方とメール交換しているとき、言葉の意味の 取り違いからお互いが不愉快になったことがあります。その時に 教わった言葉です。 「ことばは翼を持つが、思うところにとばない。」 George eliot それぞれの想いを的確に「ことば」で伝えるというのは、 難しいものですね。
『新潮45』は、今アマゾンに注文しました。シンシアのことじゃなくって、 京都精華大生殺人の記事があったからです。まぁ、それにより「新潮」を 判断します。 近所の事件ですからね。結構大変なのです。どういう書き方をしているのか、 それでわかるかと思います。何年か前にちょっとした大犯罪を犯した人物が いて、彼がその犯人だとか何とかという噂が駆け巡っています。状況判断 からして、彼じゃないと流布されているのですが、…。 ともかくそっちの記事から読みます。そこのところで判断したいと思います。 ところで、「Shigeru」さん、渋いですね。その選曲。こちらも考えます。 試験監督のときに重要なのですよ。 試験監督の最中は何もできません。ただひたすら、邪魔にならないように、 ボツボツと歩くのです。結局シンシアの歌を頭の中だけで口ずさむ(?)の ですが、2時間半の試験監督に当たった日には…。さて、今年はどういう 『Saori on Stage』を展開しようかな。やっぱ受験生を前にするのだから、 「恋の魔法使い」から入ってみようかな? 「朝市の…」は絶対入れることに決めました(笑)。Shigeruさん、 ありがとうございました。しっかし、あの歌は素晴らしい。 「仙台のTon chan」さん。「熱烈なファンでした」(???)、 何をおっしゃるのですか。少なくても、僕は、「今も熱烈なファンです」 シンシアの生き方ってある種の憧れです。このページに投稿される皆 そうだと思います。 本当
今回のことで、たくさんの方から、お叱りや励ましのメールを いただきました(ありがとうございました) その中で『Ton chanさんも、掲示板に、ちらっと「でも、そういう インタビューは信憑性に欠けるのもあります」と書いてくれれば、 私も一歩下がって記事を読むところでした。 なにか、掲示板で拝見するかぎり、執拗に記事を載せたことを非難 している、エキセントリックな方のような印象を受けたのですが、 こうしてメールで拝見すると、うって変わって非常に優しい方だと 認識しました』 と書いて下さった方がいて、そういえば、私はトナカイさんには、 メールで何度も言ったけれど、Cynthia Streetでは、きちんと 説明していなかったと反省し、主張PART 2を書かせていただきました。 また『 自分の意見がファンの総意』みたいな書き方は、いかがな ものか、と言う抗議もいただきました。 この点については、不快感を感じられた方がいらしたとしたら、 本当にごめんなさい! 私は、そういうつもりはなかったのですが、 今後、気をつけてます。気になる点がありましたら、また、指摘 して下さいネ! 自分では、気がつかなくても、人を傷つけてる ことがあるかもしれません。十分に注意していきたいと思います。 私は、誰もが認める、熱烈なファンでした(です、かな?) でも「三人娘(古い!)の中では、沙織ちゃんが一番好き」と、 言ってもらっただけでも、その人がよい人に見えてしまうくらい なので、熱狂的ではなくても、ちょっとだけ、南沙織が好き! というファンも、大歓迎したいと思います。そういう人たちに とっても、気持ちのよい、居心地のよいCynthia Streetになる ように投稿を続けていきたいと思います。 どうぞ、よろしくお願い致します。
私がどうして、この記事を削除してほしいと、トナカイさんに お願いしたかというと、記事を読んだ時に、記事の信憑性を疑った からです。確かに取材は、なされたのかもしれません。けれど、 トナカイが想像されるように、何ヶ月もかけて行われたかは、 疑問です。 Cynthiaへのインタビューは、玄関のインターフォン越しだった かもしれません(これも、想像です。インターフォン越しでも、 インタビューとしては、成り立ちます)。だから、『今は静かに 暮らしています』と言ったのかもしれません。 ロタ島以下のことだけが、載っていたなら、私も、とっても いい記事と喜んで読んだと思います。ただ、ガサコさんの生き様に、 焦点をあてたものなら、『18歳で沙織を生んだ母が』とか 『家族事情の複雑さ』とかいう表現が本当に必要な言葉なのか… 少なくとも、私にとっては、とても不愉快でした…しかも、漢字 まで違ってます。『産んだ』が正しい。『生まれた』と使うと 認識しています。 「生みの親は両親とも日本人です」というのも、確かにCynthiaが 言ったのかもしれませんが、そうではないかもしれません。どう いう状況で言ったのかも、わかりません。まして、雑誌に載る とは、思っていなかったかもしれません。 Privateさんも書いていましたが『仮に、重要な位置づけの告白 なら付け足し程度の取り扱いにはならないと思います。記載された こと自体シンシアの望んだものか疑わしいと思います。』 何人かの方が、Cynthiaが『言いたかったのでは?』と書かれて いますが(そういう可能性も否定はしません)ホントに言いたかっ たのなら、それでいいのですけど。 記事って、本当っぽく書いてあっても、違うことがたくさん あります。同じことを言っても書き手の表現で、まるで違うもの になってしまいます。 Cynthiaが現役の頃、明星か平凡に『たくろう、美代子と3人 飲み友達』という記事が出たことがありました。私は、Cynthiaに (いいなあと言うニュアンスで)「そうなの?」と聞いたことが ありました。その時、Cynthiaは即座に「違うよ!!」と、 不愉快そうに言いました。あんなふうに、写真入りで、きちんと 取材された記事でさえ、Cynthiaからすると、「違うよ!」と いうことが、あるのです。 だから、書かれたことをすべて、真に受けないで欲しいのです。 トナカイさんは、記事を読んだ時、真面目に取材がなされた良い 記事だと感じた、だからCynthia Streetにも、紹介したかった、 それは、わかります。 でも、私が読んだ時は、記事に不快感があった、だから、もしか して、Cynthiaも不快に思うかもしれないし、不快に思うファンが いるかもしれない、だから、記事の削除をお願いしたのです。 何度も書きましたが、こういう雑誌がでています、という情報は いいと思います。でも、記事をまるごと載せるか、載せないかの 判断が、全てトナカイさん個人の感性だとすると、危険だと思います。 まるで、人の言うことに耳を傾けないのではなく、一歩下がって、 人の話も聞いて下さい。
主張を書くまえに。 スマイルさんと野性のLionさんと、Privateさんは、同一人物では ありません。荒らしでもありません。ホントに純粋な、Cynthiaの ことを心の底から心配することのできる心優しいファンの一人です。 何通も頂いた他の方からのメールでも、自作自演では? という 疑問もあったので(でも、管理人であるu3には、まるで違う所から、 投稿されているのは、わかると思います)名誉のために、違う! ということを言っておきたいです。 ただ、たぶん考えている事が、似ているのでしょう。野性のLion さんからも、「Privateさんはトンちゃん?ではないよネ!」と 聞かれたくらいです。もちろん、私ではありません。私は、ちゃんと 名乗って主張しています(本名より、仙台のトンちゃんの方が わかりやすいので、こちらを使っています) 三人も、サイトの雰囲気も壊したくないし、Cynthiaも、傷つけたく ない。…でも、止むに止まれない気持ちで、真面目に書いている ことを分かって欲しいです。 もちろん、示し合わせたのでも、ありません。勘がいい私が、 「もしかして、スマイルさん?」 「もしかして、野性のLionさん?」と聞いたら、当たっていたのです。
この度、新天地に引っ越してこの土日で少し部屋も片付けました。 パソコンはまだネットには繋がらないのですが、セッティング だけは済ませました。先程、仕事から帰って、そのパソコンに 入れてあるシンシアを聴き終えたところです。この新しい土地 ではまだ親しい人はいないけど、シンシアの歌は遥か昔からずっと 寄り添う友人のようで心が和みます。聴いた曲は、「幸福ですか」 「早春の港」「ひとつぶの涙」「朝市の立つ町」「哀しみの家」 「バラのかげり」「この街にひとり」「愛の序曲」「或る日」 「夏の感情」、耳に馴染んだ、この声、リズムの取り方、歌い方! 全てが素晴らしく心に響いてきました。彼女の生い立ちがどうあれ、 私にはその魅力は何も色褪せることはありません。彼女の魅力の 真実は彼女の唄にある事を今更ながら感じています。
このサイトの雰囲気はよい、ありがとうございます。若いファンの 人にも、入って来て欲しい、賛成です。 ただスルーはゴアミストさんが、言い出しっぺではありませんよ。 スルーはファンの常識!!とは、私は思いませんが、スルーの事で、 ゴアミストさんに、突っ掛かるのは、筋違いです。全部読み直して! とは、言いませんが、何個か前の書き込みを、よく読んで下さい。 雰囲気がよいと思って下さるのなら、突っ掛かるのは、止めて下さい。 bettiさん自身もおっしゃるように、Cynthiaに対しても、価値感は、 みんな違います。アケミさんと呼びたいファンがいても、それを 否定するのは、いかがでしょうか?
ってthrowですか?なんか、その意味が良くわかりません。 投げ捨てるですか?じゃぁ無視すれば? まぁ、いいですけど。 ここって、シンシアについて自由に語り合える場所ですよね。 そんでもっていろいろな人と知り合え、財産が増えたと思っています。 これもスルーしてもらって結構ですが、シンシアのこと「アケミ」さんなんて…。 日本名は当時は一応そうだったとしても、今は篠山シンシアですからね。 ゴアミストさん、あなたのシンシアと僕のシンシアは違うのです。「当時の ファンの常識」って何なんでしょう。反論はいりません。ただ僕には、 年齢が上だということで、「威張っている」としか感じられません。 あなたの「常識」は僕の「常識」ではありません。 反論を書けば長くなるし、このページの質を落としたくないので結論。 違う世代、違う人が認め合い語り合うものであっていいのではないので しょうか? もっと若い世代のファンもおられるのです。その人たちが入ってこれない 雰囲気を作られるのは困ります。「スルー」なんて言葉を使われると、 彼ら入りにくくなります。ちゃんと言葉を選んでください。 幸い、僕はこのページのおかげで、さまざまな世代のシンシアファンと お会いし、いろいろな話をし、もちろん批判もされ、こちら側も批判し、 その中で、いろいろな発見ができました。本当に僕と時間を使って いただいた皆さん。言い換えれば僕をスルーしてくれなかった皆さん、 本当にありがとうございます。 このページは、結構、フォロー体制が整っています。いろいろな世代の 皆が書き込めるものであって欲しいな。本当に、違う世代なのに巡り 会えて、感謝しております。それぞれなりのシンシア像がある中で、 楽しく会話できるんですから。 本当に楽しいですよ、このページは。 シンシアのファンという理由だけで、語り合えるんですから、楽しい ですよね、面白いですよね。ほんと、感謝しています。 Cynthiaへ; 初めてファンレターを書きます。遅れた世代と申しましょうか、貴女の 現役時代には、地元の京都のコンサートで握手してもらったことが一番 の思い出です。貴女の引退宣言のあと、有望選手とされていたバレーを やめ、しばらくは関西中心ですがおっかけをしておりました あれは高校二年生。懐かしい思い出です。 今は何とか生きています。最近の心の支え(?)は17会の皆と、 シンシア、貴女です。本当に、精神が洗われました。頑張ります。 磯部 なんか、最近若い人の書き込みも減っているし…。
アケミさんのファンだったら、好きな人の事だからなんでも調べたし、 当時のファンの常識でだったと思います。だからスルー!
なんか、ネットの調子が悪くて、しばらく見られませんでしたが・・・。 何年か前にこのページで同じような騒ぎを引き起こした張本人として少し ばかり。 今回で勉強になったことは、やっぱシンシアは『平凡』スタッフとの仲が よかったんだなぁ、ってこと(笑)。1961年生まれの僕としては、引退が 高2のときですから、せいぜい、テレビで応援、レコードを買う、地元での コンサートに行く。それから・・・『明星』か『平凡』のどちらかを買う ぐらいしかできませんでした。そんでもって、どっちを選ぶのかって頭を 悩ましていたものです(笑)。シンシアだけを考えれば『平凡』だけどな…、 でも『明星』の方がトータルとしては…。ってなことを懐かしく思い出し、 得心しました。【爆】 アクユウ(悪友)さんが、シンシアとしての復帰にあたってなぜ選ばれた のか、わかりませんが、「ファンレター」の詩は良かったですね。 (『約束』の詩が大好きですが…。) このページって、『平凡』なり『明星』のシンシア個別の「読者の欄」の ようなものだと思います。みんなからの生なファンレターを読んで、 それぞれなりに笑ったり怒ったりすればいいのでは??。 その編集能力を管理人さんは持っておられます。みんな、好きなことを 書けば? いいのでは。信頼しております。ひどい場合には、連絡が 来ますから。 個人的見解 シンシアが、純粋日本人であるか否か、ってなことはどうでもいいこと で、彼女が育ったのは「基地の中」での環境下であったこと。だから、 あれだけ英語が話せること。そこにある部分、惹かれたこと、憧れた こと。英語が話せないシンシアなんて…、Cynthiaじゃない。 いま、プレミアムのDVDを見ながら、これに書き込んでいるのですが…、 シンシアは現在の方が絶対に綺麗です。Angel Gateでお会いしたときの ことです。『クリップ』の時よりも。そこにロージィさんもおられたの ですが、彼女との会話は、日本人の話す英語(ジャパニーリッシュ) ではなく、Englishでした。彼女に憧れ、英語のマスターを目指したのに 今のていたらく。反省しています。 ところで、トナカイさん。あの砂時計は、計算済みなのでしょうか? DVDの最後の復帰版(?)の『色づく街』の手前であっさり終わって しまうのですね。『街角のラブソング』が終わったら、あっさり切れて しまいました。
隔月誌の「東京大人のウォーカー」3月号は、阿久悠特集です。 「阿久悠と昭和を旅する」で、P30~81までの52頁です。 雑誌自体が132頁ですので、約半分を使った堂々たる特集です。 シンシアに関係した箇所を紹介します。 (P50) 「阿久 悠と戦友たち」 数々の偉業を成し遂げた阿久悠だが、それは決して彼一人だけの力で 成し遂げたものではなかった。都倉俊一、三木たかしといった新しい 作曲家たち、漫画家上村一夫、気鋭の演出家久世光彦といった、煌めく 才能を持つ若者たちが奇跡のように出会い、数々の偉業へと繋がった。 「ぼくも運が強いと思うけど、それ以上にぼくと組んでいる相手に 運がついて来るという自信がある」(『阿久悠 命の詩』より)と 彼は戦友について語っている。 阿久は毎晩のように戦友たちと集まり夢を語りあった。女性がお酒を サービスしてくれるような店は好まず、深夜でも食事ができ、ゆっくりと 話せる店を好んだという。中でも阿久が「青春のたまり場」と呼んだ店が 六本木にあった。 当時阿久悠が詞を提供していたピンク・レディーの最大のライバル 山口百恵のプロデューサー酒井政利氏もそこに通っていた一人だ。 「六本木の『マナハウス』※にはよく行きました。阿久さんをはじめ、 プロデューサーやディレクター、異分野な人たちが集まって、当時の レコード業界の話、政治の話などを深夜2時くらいまでしていました。 そこからいろんなアイデアが生まれたんです。情報交換の場でしたね」 山口百恵や郷ひろみ、南沙織らを輩出した名プロデューサーである 酒井氏は阿久のことを「作詞家兼プロデューサーだった」と話す。 「歌手の世界観まで意識 して詞を書かれていた。『この言葉は今、世の中に送ると刺さるんじゃ ないか』ってことがわかってたんだと思う。時代をついた言葉にはトゲが あるから、刺さ ると痛い。阿久さんの詞にはトゲがあったから、今もその心地よい痛みが 残っているんですよね」 ※「マナハウス」は、今は場所を替えてバーとして銀座にオープン している。「阿久さんはとっても聞き上手な方でしたね」とオーナーの 高松さん。中央区銀 座7-4-14光ビル3F。TEL:03-3571-1250(電話予約した方がベター)。 営業時間:夕方~24時。日曜日休業。 (P79) 79頁に主な作品一覧があります。1965年から2007年までの、 約160曲が載っています。1973年には22曲が載っています。 1990年以降は、9曲のみです。1993年は一曲の紹介で、 「約束」シンシアです。ちょっと嬉しいです。 東京大人のウォーカー:http://www.kadokawa.co.jp/sp/200409-03/tw/index.php (今時点では前号の情報しか載っていません)
「騒いだのは自分ではない」!? 騒ぎの原因になる火種をまいたことを忘れてもらっては困ります。 スルー出来ることと出来ないことがあるから こういう展開になっているんです。 目をつぶって来たことなどいくらでもあります。 そんなことをファンのマナーなどと呼ばないでほしい。 管理人でもないのに勝手なルールや要望、勧誘等 押し付けられるのも不愉快です。 自己弁護に終始した主張など これ以上読む気もありません。
先週の19日(土)に紹介された月刊サイゾー2008年2月号の 記事の紹介です。連載の「マル檄トーク・オン・ディマンド」という 対談が102頁から106頁にあります。 対談している人は、次の三人です。 神保哲生(ビデオジャーナリスト) 宮台真司(社会学者) 中森明夫(コラムニスト)ゲスト 今月は第14回で「偶像の系譜」というテーマです。シンシアが 出てくる部分を紹介しますと。 神保:さて、まずはアイドルの登場と、その時代背景から議論を進め ましょう。中森さんは近著『アイドルにっぽん』(新潮社)で、 アイドルの元祖は南沙織だと定義されました。彼女がデビューした 70年代の時代性とアイドルの誕生は、関係があったのでしょうか? 中森:70年代というアイドルの黎明期に何があったかは、年表を 見れば一目瞭然です。70年に「人類の進歩と調和」を標榜した 大阪万博があり、60年代の高度経済成長以来の「未来はドンドン 良くなっていく」というイメージにブレーキがかかり始めていた。 そして71年にドルショック、73年にオイルショックが起こり ました。また、72年には連合赤軍事件があり、60年代にあった いわゆる学生運動が根絶やしになった。戦後の高度成長とイデオロギー によるプロテストが、どうやらこの辺りで頓挫している。まさに その頃、今に至るアイドルの原型が出てきているのは、偶然では ないと考えます。 神保:なるほど。そこからアイドル百花繚乱の時代になりますが、 なぜ南沙織に注目したのですか? 中森:まず、多くのアイドルを輩出したCBSソニーレコードの 日本人第一号歌手が彼女だったこと。そして、沖縄出身であると いうことも非常に大きい。ピンク・レディーが失速した78~ 79年にアイドル冬の時代が到来しますが、80年の春に忽然と 現れたのが、福岡出身の松田聖子です。 僕の説では、アイドル的なムーブメントが衰退した時に、状況を 変化させるアイドルが南からやってくる。それは今日のガッキー (新垣結衣)まで一貫してい ます。そういう意味でも、南沙織が元祖というと据わりがいい(笑)。 アイドルとは誤解のパワーであり、いわば幻想の産物です。 特に沖縄は、良かれ悪しかれ、そういうものを喚起する力を 持っています。日本人でもないし、外国人でもないという微妙な ポジション、それがアイドルというヴァーチャル(虚構)とリアル (現実)の狭間にある存在にもふさわしい。 宮台:社会学では、ジンメルの「異邦人」概念の影響を受けた パークが「周辺人」の概念を立てる一方、社会学者のウェーバー が「文化は周辺から生じる」との命題を立てます。両方を合体する と折口信夫の「まれびと」に似た合意になる。共同体の境界線上に いて、どちらに属するかが曖昧な人々が、停滞した文化を活性化 するのだと。
私の書きたい事は、今までに書きましたので、これ以上、 主張として書く事はありません。何度も書きますが、騒いだのは 私以外の方です。これは今までの投稿からも明かです。 「ファンなら書くべきでない」というのもわかります。でも、 「ファンならスルーすべき」だとも言えるのではないでしょうか。 スルー(through)とは、見ないふりとか言う意味です。 たとえ書かれていても、「そうなんだ」とスルーすればいい のと思います。それがファンのマナーと私は考えます。 この件での書きたい事は書き尽くしました。この論争(という のか)について、私からの投稿はいたしません。 最後に、私の好きな詩人・ハイネの言葉で締めくくらせて いただきます。 「放たれた矢は射手のものではない」
もしもあの記事を別の場所で目にしていたなら、引っかかりは あるにせよ、これほどまでの書き込みはなかったでしょう ガサコさんという一人の生き様に焦点を当てた読物として捉える からです。よって、新潮社や記事の筆者の方に抗議などするはず もありません。 なんでこんな事が問題になるのか? わからない!? それは、ここがCynthia Streetだからに他なりません。 シンシアを想いシンシアの気持ちを想う人たちが集まる場所 だからです。そこには大きな違いがあります。その違いを 言葉で説明しなければならないとしたら、それはとても 哀しいことだと思います。 重箱の隅を突付くようなつまらない事に拘っていると感じられる 事でも人によっては決して譲れない大切な部分であったりすると いうことです。情報より優先されるべき配慮が時として必要なの ではないでしょうか。 書かずにいられない心境で投稿した人たちに対して、活気がある とか、ネット情報は丸見えだから注意してくださいなどという、 読み様によっては開き直りとも人を小馬鹿にした態度とも取れる 言動は非常に不愉快です。私の目には一つとして無責任な投稿 などありませんし、勝ち負けの戦いを繰り広げているわけでも ありません。 シンシアがもし身内だったら、この記事を何の迷いもなくネット 上に掲載するのですか? 事実に違いないけど本人の承諾済み なのか確認を取ろうとか、どうしても連絡が取れなければ保留に しておくとか、部分的に削除して掲載するとかの行動を取りは しませんか? 身内や大切な人に対するそれは自然な気遣いでは ないでしょうか? 今回の憶測や記事掲載もすべてこの部分が問われているのだと 思います。頑なに自分の主張を貫くのではなく(これまでも 幾度も感じてきたことです)、もう少し他の人たちの思いを 汲んで歩み寄ることは無理なのですか? 仮に、重要な位置づけの告白なら付け足し程度の取り扱いには ならないと思います。記載されたこと自体シンシアの望んだ ものか疑わしいと思います。 デビュー以来、ある事無い事、好き勝手に興味本位で書かれ 言われた事に誰よりも声を大にして叫びたいのに叫べない、 どんなに悔しくて辛い思いをしていても顔で笑って心で泣く しかない、そんな経験をずっとし続けて来たであろうシンシア の気持ちを考えると可哀想でなりません。それがファンであった 時の痛みや傷はどれほどのものか!想像できるかできないかは、 一人一人にゆだねられているそれが行動や言動に反映されている のだと思います。 シンシアは何も感じないバービー人形なんかじゃない! これだけは誰にも疑う余地のない事実です。
ファンなら誰しも、シンシアさんを守ってあげたいと思うのは 当然でしょう。一昨年の件は、トナカイさんの尽力がなければ実現 しなかったのも事実です。今回のトナカイさんの意見は少し過激 すぎますね。でも、記事の掲載に関しては、必ずしも間違いでは ないと思っています。 シンシアさんが如何にガサコさんのことを信用していたかという ひとつのエピソードと考えられないでしょうか?内容が衝撃的で あればあるほど、信頼度も深かったのだと思われないでしょうか? 内容については、不愉快に思われる気持ちもわかります。でも 、T.Sさんの言われるように本当に告白だったとしても不愉快に 思われるのでしょうか? 私的に言わせて貰えば、私は騙す ぐらいなら騙された方が気が楽だと思うほうです。 もし、シンシアさんが私と同じように思われてるのであれば、 心の重荷をひとつ減らしたのかもしれません。私達は想像の 域の中で、互いに論じ合っているに過ぎないのでは・・・ 真実はシンシアさんのみぞ知る!!
トナカイさんの書き込み読ませていただきました。 誰一人、面白おかしく書いている人なんていません。 「私に対する批判・抗議はいくらでもお受けします。ただ、やるから には、フェアにお願いします。新潮社や記事の筆者の方にも抗議して 下さい」と書かれていましたが、私たちが出版社に抗議するのは筋が 違います。Cynthiaが記事の文が違うと抗議するなら解るけど、 私は、記事になっていたからと全部サイトに書くのは良くないと 思います。 少なくとも私達ファンは、Cynthiaを守ってあげたい。 「このHPは、管理人が投稿時の情報を全て把握しています。投稿時に どこのパソコンから投稿したかはわかっています。面白半分で書き なぐりしても投稿時のネット事情は丸見えです」 上のこの文章は忠告でしょうか? 警告でしょうか? 脅迫でしょうか? 管理人さんは簡単に個人情報流すのでしょうか? それとも誰か解ったら、反論する人は権力で潰すのでしょうか? 私もここのサイトが楽しいサイトであって欲しいと願っています。 お互いが相手に耳を傾けて思いやるサイトであって欲しいと思います。
新潮45、図書館でよんできました。ガサコさんを追悼する 極めて真面目な記事だと感じました。シンシアも本当に お世話になった方だからこそ、取材に応えられたのだと 思います。シンシアのお父様の国籍については、これまで 公にされたことはなく、取材の中でシンシア自身が語られた のではないかと推察します。あくまでも推察にすぎませんが、 今なぜその事実が語られたのかを考えると、取材の場を 借りたシンシアからのファンの皆さんに対する告白では なかったのかと思います。シンシアから望んだことでは ないにしろ、結果としてファンの皆さんを偽ってきたこと が、シンシアの心に引っかかっていたのではないか。 わざわざ釈明することでもないが、いつか機会があれば 本当のことを伝えたい、という気持があったのではないかと 思います。ここで議論されている皆さんは誰もお父様の 国籍なんかにこだわる人はいないと思いますし、シンシア 自身もそれを確信されているからこそ今回の告白に繋がった のではないかと思います。 トナカイさん、貴重な情報ありがとうございました。 仙台のTon chanさんいつも楽しい話題をありがとうございます。 どうも筆(キー)無精で、いつもは皆さんの投稿を読ませて いただいてばかりですが、感じたことを書かせてもらいました。
皆さん冷静にね。
こういう本が出ています。と、情報として伝える事は、いいと思います。 でも、発売中の雑誌です。まるごと載せたら、著作権の問題もあります。 雑誌そのものに抗議しているわけでもありません。ただ、私がCynthia なら、この記事は、うれしくありません。 Cynthia Streetに載せたいというのは、トナカイさんの思い、でも、 世の中、知らなくても、いい事もあります。みんなが読みたい記事 でしょうか? 読みたい人は、お金を出して、本を買って読めば いいのです(あるいは、立ち読みでも) たくさんの人が不快に思っているのに、「なんでこんなことが 問題になるか、わからない」と言わないで、よく考えて下さい。 私を含めたみんなの思いを真摯に受け止めて下さい。お願いします
(先に知った者が伝えるべき) なんでこんな事が問題になるのか。私には全くわかりません。マジで。 私は、「新潮45」という月刊誌にシンシアが関係する記事が載った ので、それを紹介しただけです。この月刊誌は、あまり売れ行きも よくない(推定)し、コンビニではまずお目にかかれない雑誌です。 近年、急速に各地の本屋がつぶれていて、この記事を読むには取り 寄せるしかない地域も多いでしょう。手にするのはずっと後になります。 また、雑誌ですので、今から一ヶ月以上のちでは、記事を読むには 図書館にでも行くしかありません。 すでに新潮45を買った私は、まだ読めない方のために、内容を 紹介しました。全10ページの記事の内、シンシアの部分は2ページ です。そこを中心に紹介しました。確かに、少し詳しく紹介したかも しれませんが。私は、極めて客観的に、記事の内容を紹介しました。 (重箱の隅) 私の投稿を読んでいただければお分かりですが、今、問題になって いる箇所については、私の意見は一言も書いていません。私は、 そんな事を問題にもしたくありません。 それなのに、記事のほんの数語の部分を取り上げ、大問題のごとくに 騒ぎ立てて、記事全部、もしくは私の投稿を抹消しようという方が 出てきました。 (誰も知らなかった美談) この記事、“スターに愛された「ガサコ」の編集者人生”は、 筆者の長田美穂さんの快心の作と思います。全10ページは、 緻密な文章で書かれていて、ガサコさんを尊敬する気持ちで 書かれています。 私もガサコさんの事は、この記事ではじめて知りました。皆さんも そうだと思います。シンシア自身に「ガサコさんがいなければ、 もっと早く辞めていた」と言わしめ、取材にも応じてくれた、 シンシアのみならず我々ファンにとっても恩人にあたる方です。 まさに知られざる感動秘話の物語です。 そんなガサコさんの活躍した内容を書いた記事を、たった数語を 問題として抹殺しようというのでしょうか。 (ホントに読んだ?) この記事を批判される方は、そもそも実際に記事を読んでいる のでしょうか。本を買っているのでしょうか。一読すれば、真面目な 記事だとわかるはずです。万一、私が紹介した部分だけ読んでも、 それは伝わります。 長田さんは、取材で、ガサコさんの墓参りに行き、シンシア、 野口五郎さん、三浦友和さんなど関係者に直接会って取材を しています。数ヶ月が取材と執筆に費やされたものと思います。 記事の内容は、全て裏づけが取れた事実のみです。 (別冊宝島) この点、別冊宝島の「流行り歌に隠されたタブー事件史」は いただけません。こちらではシンシア関係で3ページの記事が ありますが、内容がありません。出展が明らかにされているのは 評価できますが、当時の週刊誌の記事の都合のいい部分を選び、 筆者が推測で記事を書いています。取材先も少ないようです。 ただ、数点の白黒写真がかなり大判なのはうれしいです。 私は、こちらはすでに投稿があるので、中身の紹介はシンシア ストリートではすべきでないと考えました。ですので、こちらの 紹介はありません。 (抗議は平等に) 私の投稿は、私の妄想でも捏造でも何でもありません。公開 されている(市販されている)雑誌の情報です。もし、私の 投稿を削除すべきと申すお方がいるなら、元の情報はどうする のでしょうか。 発行元の新潮社に抗議するのでしょうか。新潮45の販売 中止と回収をすべきとでも言うのでしょうか。もしそんな抗議を しても、相手にもされないでしょう。 私に対する批判・抗議はいくらでもお受けします。ただ、 やるからにはフェアにお願いします。新潮社や記事の筆者の 方にも抗議はして下さい。 文責トナカイ:Cynthia17s@aol.com
論点、ずれています。 誰も、おもしろ半分に投稿しているわけでは、ありません。 みんな真剣に、Cynthiaのこと、Cynthia Streetの事を 考えて投稿していると思います。 誰が言ってるかが、問題では、ありません。ネット情報 まる見えでも、そんな事を持ち出すのも、変です。みんなが 問い掛けている内容について、真摯に考えて下さい。 お願いします。
まず、私にはシンシアを貶める意思は全くないことだけは ご理解ください。私の投稿に不快感を抱いた方がいることを 真摯に受け止め、今後はシンシアのプライベートなことに 推測をする投稿は控えます。というか投稿そのものを少なく とも、しばらく見合わせます。 トナカイさんの「反論がある人は管理人さんか私(トナカイ)へ」 という投稿について、私がスマイルさんに反論してネットバトルに なるのを恐れ、牽制球を出したのかもしれませんが、個人の投稿に 対して、その反論を書くのも自由でしょう。ただ時としてそれが 醜いネットバトルに繋がり、掲示板が荒れる。最終的に、この 掲示板に書くのに適当か、不適当かは管理人さんに委ねるべきだ、 という意図で書かれたのでしょう。 ただ、他の方への反論はOKと申しましたが、 トナカイさんが仰るように、いくら自分と意見が違っても、 相手を「名指し」、それと「敬称抜き」というのは、ネットの エチケットとして如何なものでしょうか? 無礼な人間に対しては、無礼な態度をとっても良いのだ、 というならあまりにも短絡的では? それにひと、それぞれ価値観、尺度が違います。 断定的に人を、ああだこうだと決め付けるものどうかと 思いますが? 最後に、くどくど書いて失礼しました。 この件で、この掲示板で話を続けるのは不適当ですので、 私のメールアドレスを公開いたします。ご意見のあるかたは そちらを利用してください。 どうもお騒がせいたしました。
私の投稿が発端となって、様々な投稿がされて活気があります。 様々な方の意見が読めてうれしいです。ただこのような状況になる と、面白半分で投稿して、対立を煽るような投稿も出てきます。そう ならなければいいなと思います。 このHPは、管理人が投稿時の情報を全て把握しています。投稿欄の メールアドレスを空白で投稿しても、投稿時にどのパソコンから投稿 したかなどはわかっています。万一、面白半分で書きなぐりの投稿を しても、投稿時のネット事情は丸見えですのでご注意下さい。 文責トナカイ:Cynthia17s@aol.com
こんにちは!Cynthia Streetでの、メールアドレスの消しかたは、 投稿する時に、メルアドを入れないで、送信すると、その投稿には、 メールできません。 でも、メルアドを公開している人の方が、私は、安心できて好きです ケド(もちろん、個人の自由です) またCynthia Streetに投稿して下さいネ! ユウサンの投稿も、私は 好きです。楽しみにしています。 と、送信しようとして、間違って空メールを送ってしまいました。 ごめんなさい!また、送信しようとしたら、うまくいかなくて。 こちらから、失礼します
私としては親として子供達に小さいときから言ってきました 「自分にされて嫌な事は相手が誰だろうとするな!」と。 彼女がデビューした経緯は知る由も無かったし、デビュー シングル「17才」のジャケットの裏側にプロフィールが記して あったと覚えていますが、ましてや父親がどこの誰であろうと 母親がどこの誰でもいいのです、歌手「南沙織」にあこがれた ファンです、週刊誌に書いてあったことをわざわざ乗せる必要は 無いと思います、知りたい人は買って読めばすむことです、非難 するつもりはありません、相手の立場になって考えましょうよ。 「自分が嫌なら他人も嫌だろうな」で済むことです。 私は一時的にチャットになってもいいと思います、長続き すればそれこそ問題になるかと思いますが自然と消えますよ。 私もアドレスは公開してますので(消し方を知らないのが 正しい、笑)、ここで知り合った方とメール交換してます。
Private affair様、仙台のTon chan(敬称略)、野生のLION様、 投稿ありがとうございました。短い文ですが、私の思いを 分かっていただけてとっても嬉しかった。
いつもCynthia Streetを拝見しています。 今回の一件は、スマイルさん、Private affairさん、仙台のTon chan さんと同じ意見です。 雑誌に書かれていたから書いたじゃなく、相手の立場になってとか、 自分に置き換えてみたら、心ある人は、書かないのが、常識と思います。 言語道断! 2度とあってはならない事! 強く抗議します。 Cynthiaへ 辛い思いさせてごめんなさい。 でも、貴女には、たくさん応援している人もいること忘れないで下さい。 いつまでも貴女の見方です。 大好きです。
ついでだから、もう1点書かせていただきますネ! トナカイ さんは、個人間のチャットは控えて欲しいという見解のようですが、 私は違うと思います。ここはCynthia Street。ましてや、伝言板。 みんながチャット的に使っても、いいのではないか、と思います。 トナカイさんの前のお願いを見ると、何か情報を入れた万人むけの ものを投稿して欲しい、ということでした。でも、私は違うと 思います。万人向けって、実は誰の方も向いていないんです。 トナカイさんは、Cynthia Streetを見てる人は、情報が欲しくて みてる、と思っています。そういう人もいると思うけど、私は みんな、Cynthiaに対する思いを語りあいたくて見てくれていると 思います。そういう人達の思いを拒否しないで欲しいのです。 トナカイさんのアグネスのカレーの投稿も、宝塚の投稿も、 興味がない人も、文句も言わずに見ていてくれたでしょう! 前にも、ちょっと書いたけれど、いろいろな人がいて、いろいろな 事を言っていいと思います。変なルールを持ち出さないで下さい! お願いします。だれが見ても、気持ちよい、特に、もしも、 Cynthiaが見てくれた時に、うれしい気持ちになれるような サイトにみんなでしていきましょう。 、私は、メールを公開しているので、夏に初めて投稿してすぐに、 そらまめさんからメールをもらいました。私たちはすぐに、 仲良しになり、毎日のようにメールをやり取りし、Cynthiaのことは もちろん、お互いの兄弟のこと、両親のこと、子育てのこと、 いろいろやり取りをしていました。その中でも、Cynthiaや、 みんなにも読んで欲しいことをStreetに書いていました。 古いファンの友達に 「最近は、二人のサイトみたいだね!」と、冷やかされた時、 「じゃあ、書かない方がいいかな?」と聞くと、 「でも、読んでて、おもしろいから、いいよ」 と、言ってもらいました。 そらまめさんは、すっごく純粋なCynthiaファンです。そらまめさんが 「Ton chanさん、今年もよろしくお願いします!」と言った時、 それは、半分以上、Cynthiaに向かって、言いたい言葉なのです。 私は、Cynthiaの現役当時、ちょっぴりCynthiaの近くにいた人間として、 できる範囲で、そらまめさんの思いも受け止めたいのです。そんなに 目くじらたてることかなあ。 トナカイさんからの個人的なメールを受けて、私達は、投稿を 控えていましたが、私は、やっぱり自分の思いを書き込んでいきたい と思います。 最後まで読んで下さった方々へ 私とトナカイさんは30年来の友達です。私はトナカイさんを 否定しているのではありません。きっと、私くらいしかトナカイ さんに意見できる人がいないから。Cynthia Streetをより良い ものにしたい、それだけです。分かってもらえるとうれしいです。
私は、新潮のような記事は、Cynthia Streetにそのまま、 載せるべきではないと思います。まして、発売中の雑誌、 著作権違反、盗作ですよ! メールで何度もトナカイさんに 削除をお願いしました。が、聞いてもらえませんので、 本意ではありませんが、こちらに書き込みます。 宝島の方は、ゴシップだから、投稿しないそうですが、その 判断は、トナカイさん独自の基準です。記録として残すこと に、こだわっていますが、こんな記事の記録は、私がCynthia なら、うれしくありません。(古賀ミュージアムでの、会話の 記録とかは、トナカイならではで、すごい!と思いますし、 Cynthia Streetに記録として残していいものだと思いますけど) いまさら、Cynthiaの実父が、日本人とか、聞いたからと言って、 普通は、記事には書かないでしょう。それだけでも、新潮の記事 は、Cynthia Streetに載せる価値がないと、私は思います。 私達ファンは、Cynthiaが、ハーフだったから、ファンになった わけでは、ありません。だから、実父が、日本人だろうと フィリピン人だろうと、関係ありません。CynthiaはCynthia。 何もかわらない。 でもCynthiaじゃなくても、実父がほかにいた、なんて話題は うれしくないと思いませんか。それを雑誌で見つけたからと 言って、情報は共有しなければならないと言って、投稿する のは、やめて欲しいと思います。世の中、知らなくてもいい こともたくさんあります。 私は、Cynthiaがこのサイトを見てくれた時に、いつも居心地の よい場所であって欲しいと思います。 雑誌は、来月になれば、買えなくなるから、記録するという のが、トナカイさんの見解ですが、来月になれば、買えなく なるから、それでいいのです。うれしい話題のものは、みんなで 共有してもいいけどネ。 Cynthia Streetは、そういうサイトであって欲しいと思います。 トナカイさん攻撃みたいになってしまって、ゴメン! でもネ。 こういう意見の人が多いのも、知って下さい。
後で、ゆっくり書き込みますが、私も、そう思います。 同じような考えの人がいて、うれしいです。Cynthia Street は、立ち上げた経緯から言っても、決して、70年代のアイドル サイトでは、ありません。管理人のu3も、懐の深い人なので、 いろいろな投稿を認めているだけだと思います。 が、あまりトナカイさんが70年代アイドルサイトにこだわる なら、自分で、そういうサイトを作った方がいいと思います。 ここはCynthia Streetですよ!!! 17会イコール、トナカイさんと思っている人も多いと思います が(トナカイさんは、確かに、代表を務めていますが)トナカイ さんの意見は17会としての意見ではなく、トナカイさん個人の ものです。投稿に対するお願い等も、みんなトナカイさん個人の 意見である事も、申し添えます。 文責 仙台のTon chan
スマイルさんの投稿のどこが論争なのでしょうか!? 憶測の域を出ない首を傾げる内容と感じたことに対する 単なる意見に過ぎないと思いますが。 投稿に対して意見することがNGだというのなら 今後、どんな独断と偏見に満ちた、人を貶めるような内容であっても 先に投稿したもの勝ち!になりはしませんか? これではとても公平とは言えないと思います。 あの手の反論はU3、トナカイさん宛で処理されるべきものではなく 皆の目に触れて一向に構わない、もしろそうすべき内容だと思います。 ネットでプライバシーに関わる事をあれこれ詮索して書き込むことも あらゆる記事をそのまま掲載することも、正直あまり読んでいて 気持ちの良いものではありません。 ファンであるから尚の事そう感じます。 かつては歌手であった、 公人であれば何を書かれても何を書いても問題ない、では通らない。 誰しも忘れがちな傾向にあるけど、 彼女も公人である前に血の通った一人の人間であったのだし 現在も間違いなくそうであるという事をしっかり心に留めておきたい。 静かに暮らすことを何より願っているシンシアを陰ながら応援したいと思います。 それともう一件 以前、まる子さんも仰っていましたが、このサイトはいつから シンシアと70年代アイドルの情報サイトになったのでしょうか。 そうであるなら、2、3の限定されたアイドルの情報のみであることも Cynthia Streetの目次に70年代アイドルの情報記載が見当たらないのも 趣旨にそぐわない気がします。 Cynthia Streetって一体どういうサイトなんですか!? 管理人であるu3の見解を是非ともお聞かせ願えないでしょうか。
いつもシンシア・ストリートに投稿していただき、ありがとう ございます。この掲示板は、シンシアと70年代アイドルの情報を 共有することを最大の目的としています。 出来るだけ客観的に様々な情報を投稿していただければと思い ます。個人の価値観により意見の相違があるのは勿論ですが、 それでの論争は避けて下さい。 個人を名指しするような投稿は、謹んで下さい。どうしても 納得できない投稿があるなら、u3(管理人)か私あてにメールを いただけますか。 新潮45の情報を投稿したのは、一つは月刊誌の記事だから です。普通の本と違い、ひと月経つと入手できないので、 記録の意味で載せました。 文責トナカイ:Cynthia17s@aol.com
別冊宝島の記事は、女性週刊誌・内外タイムスなどの新聞に かかれたゴシップ記事を引用して、勝手な推測でかかれた シンシアを貶める内容。1962年生まれという記者が シンシア引退騒動時にこのような記事を小学生時分に読んだ はずはないと思われる。 また実父に対する蟹座氏の勝手な推測は、篠山シンシアさん 本人に大変失礼だと思います。
1、1月20日、「波瀾万丈」麻丘めぐみさんの回で、 オープニング、70年代アイドルをレコードジャケットで 紹介するシーンで、シンシアの「哀愁のページ」が映りました。 また、麻丘さんは「芸能界に馴染めず、居づらかった」そして 「その時、南沙織さんとか、浅田美代子さんとかいましたが、 私達は、楽屋で浮いていました」と発言。その時、シンシアと 浅田さんの顔写真が隅に映りました。 2、 某ムック本でのシンシア記事から 現在発売中の某ムック本にシンシアの記事が3ページに渡って 載っています。内容的にはスキャンダラスなのでお薦めできませんが。 これは72年5月、シンシアがテレビで突然引退宣言したことを 紹介したものです。断定はしていないものの、このスキャンダルに よって、彼女の「清純」とは違う一面を見せて、売り出そうとした。 いわば、「話題つくり」ではなかったか、という含みで書かれて います。まぁ、真相は知る由もありませんが、彼女が当時、芸能界に 不満があったのは事実でしょうね。この引退宣言で本当に心配した人、 「引退阻止運動」に参加した人が、この掲示板にもいるかと思います。 私など、当時彼女の熱烈なファンではなかった者が、こう書くと 気を悪くされるかも知れませんが、シンシアの引退宣言というか、 はっきり「嫌なことは嫌!」と発言したことは彼女らしいと感じました。 シンシアは確かに「沖縄の海や空のように、爽やかで純粋」な少女で あった、とともに、「アメリカンスクールに通う半分外国人」、 そして「なんでも言いたいことを言う現代娘」という側面もあったと 思います。 そういうところが、先の引退宣言につながったのですが、これも含めて、 シンシアの「魅力」だったと思います。そこが当時の若者の共感を 呼んだのも事実でしょう。 いつもニコニコしているお人形さんや、大人の言うことを素直に 受け入れる優等生ではなく、等身大で、生身の女の子という印象を 受け、むしろ好感を抱きました。 ・・・ということは、あの「引退宣言」が、ある意図を持った演出 なら、私はうっかり乗せられたことになるな(苦笑) 3、シンシアの「両親日本人」カミングアウト 実は、数日前、ウイッキペディアの「南沙織」の欄を見て、そう 記述されているのを気づいていました。その時は「根拠」のない ことを誰が書いたんだ!と憤ったのですが。(苦笑) 今までは「実父もフィリピン人で、シンシアが生まれた時に、 国に帰った」というのが公式見解でしたね。 ご健在なら、もう80才かそれ以上のはず。 シンシアが活躍していたとき、どんな心境だったんだろう? 別に、彼女が日本人でも外国人の血が入っていても構わないのですが、 私は身近に感じた反面、ちょっとガッカリした気持ちもあります。 なぜか、シンシアは「よその国から来た人みたい」であって欲しかった。 またどこの血が入っているのか分らない、って神秘的ですからね。 ハーフとしては日本人的だし、純粋日本人としては、エキゾチックで 謎めいたところが魅力だったのですけれどね。
山口百恵、南沙織…スターに愛された「ガサコ」の編集者人生 筆者:長田美穂(ジャーナリスト) 2008年2月号P88-97 (タイトル下の文句) 黄金のアイドル全盛時代。南の島から来た南沙織を陰で励まし、 大スター・百恵から「お姉さん」と慕われた女性編集者がいた。 彼女がスターたちの心をつかみ、愛された秘密とは-。 (見出し) 「神の子」 「スター“南沙織”の秘密」 「ロタ島の想い出」 「一人で行っていい?」 「ガサコが担当になった!」 「最後のタレントは“モモ”」 「百恵と友和のデートを手引き!?」 「一週間前の婚姻届」 (概略) 「神の子」 この記事は、月刊平凡の名編集者、折笠光子を紹介するものです。 愛称「ガサコ」のプロフィールをここで書いています。 「スター“南沙織”の秘密」 「ロタ島の想い出」 ここでは、シンシアについて語っています。 「一人で行っていい?」 ガサコの恋人の西郷との出会いなどが書かれています。 「ガサコが担当になった!」 野口五郎とガサコの話です。 「最後のタレントは“モモ”」 「百恵と友和のデートを手引き!?」 山口百恵と三浦友和とガサコの話です。 「一週間前の婚姻届」 ガサコは、肝臓癌で1997年8月1日に亡くなりました。病気が わかってからわずか2ヶ月ほどでした。享年57でした。
【スター「南沙織」の秘密】 当のスターの目には、ガサコはどう映ったか。 「今は静かに暮らしています。でも折笠さんのことなら…」と、 インタビューに応じてくれたのが、南沙織である。1971年 「17才」でデビュー、絶大な人気を得た。沖縄からやってきた、 ちょっと色の黒いハーフの女の子、愛称シンシア。 天地真理、小柳ルミ子と並び、日本で最初に「アイドル」と 呼ばれた女性歌手だった。78年に歌手引退、翌年、写真家の 篠山紀信と結婚して三男を設けている。今は対外的には「篠山 シンシア」という名前を使っているが、ここでは南沙織の名称で 記すことにする。 「私は芸能界が嫌で嫌で、仕方なかったんです。デビューした のは自分の意志だったのに、『芸人』になり切れなかった。短い 芸能生活と言われていますが、折笠さんがいなければ、七年七ヶ月 も私は持たなかったと思います。沖縄からたった一人、家族も 友達もいない東京に出てきた私にとって、折笠さんは、素顔に なれる、親しみの持てる貴重な方でした」 芸能人「南沙織」のデビューを取り巻く事情は、なぜか複雑 だった。実は、このインタビューで初めて明かされたことがある。 ハーフの女の子、として売り出されていたのだが、「生みの親は 両親とも日本人です」と、南沙織は言った。 18歳で沙織を生んだ母が、沖縄在住の米兵フィリピン人と 再婚したので、沙織と一緒に育った他の兄弟はハーフである。 沙織自身は沖縄生まれなのだが、出生地は母の故郷、奄美大島 ということにされた。家庭事情の複雑さに加え、72年の沖縄 返還を迎える前の時代には、沖縄生まれという響きが、「南の 島から来たアイドル歌手」にそぐわないと忌避されたのか。 なぜそうされる必要があるのか、17歳だった本人にはよく 呑み込めないうちに、「南沙織」はあれよあれよとスターに なった。「折笠さんには何でも話していました」と南沙織が 言うとおり、ガサコは、当時の沙織が抱えた、人に言えない 部分も共有してくれる大切な存在だった。 月刊平凡のグラビアには、アイドル誌ならではの「特ダネ」が 載る。スターの自宅公開、家族公開、そして水着である。 デビュー直後の南沙織に、事務所の用意した住居は、東京・ 小金井のアパートだった。自宅に朝、ガサコと西郷が訪れた。 まだ寝ていた南沙織は、「ちょっと待ってください」と言って 歯を磨き、二人をアパートに招き入れた。 しかし天井からぶら下がっているのは裸電球。テーブルは あっても食器はない。睡眠二、三時間の沙織には、アパートは 寝るだけの場所。日用品など買うヒマはなかった。 「でも、折笠さんがテーブルクロスや鍋や食器などを買って、 持ってきて下さったんです。撮影の後はそのまま頂いて、ずっと 使っていました」 71年11月号には、アパートの外観と、 台所に立ちエプロン姿でにっこり頬笑む沙織の姿が載った。 【ロタ島の想い出】 家族の公開も、沙織にはありがたかった。他のアイドルと 比べて南沙織のグラビアには、突出して「家族もの」が多い。 「家族の東京見物、わが娘の人気にびっくり」「家族といっしょに お正月」と何かと家族が誌面で紹介されている。「折笠さんの 配慮です。私が淋しがっていることを知って」と沙織は言う。 激務をこなすアイドルに骨休めをさせるため、平凡編集部は 芸能プロと組んで、時折、「撮影旅行」を企画した。沙織にも 休みを取らせたい、と所属のバーニングから相談されたガサコは、 沙織のイメージに沿うようにと、ロタ島を選んだ。 ロタ島は、隣のグアムやサイパンほど観光地化が進んでいない。 沙織と妹のロージー、マネージャー、そしてガサコと西郷は、 民宿で、手作りの料理や真っ青な海を楽しんだ。台風で一泊 延びて、四泊五日にもなった。「本当に楽しかったんです」と 沙織は振り返る。 ガサコと沙織は、毎月、何日かは撮影で顔を合わせるが、それは 明星、近代映画、セブンティーンなどのライバル誌編集者も同じ。 それでも、と沙織は言う。 「折笠さんや平凡の人たちは、何も用事がない時にも、私の顔を 見に来てくれたんです。テレビ局の楽屋にもお菓子をもってきたり、 ただちょっと声をかけてくれたり。私の様子を見て、次の企画を 考えていたんです。そういうことは、明星やほかの雑誌の人たちは しませんでした。だから、折笠さんとは、一緒に何かを作り上げた、 共に苦労したという感覚があるんです」 そしてガサコが沙織の内面を見たように、沙織も、ガサコのある 内面に気づいていた。「西郷さんは、折笠さんの大切な人なんだろう な、って。主人もそうですが、写真家は絶対に、被写体をきれいに 撮ろうとします。西郷さんが撮影してくださっている時に、ちょっと、 折笠さんの女性としての気持ちが揺れるように、感じたことがあった んです」 ちょうど南沙織のデビューの年、二人はつきあい始めたのだった。
マメゾウさん、波瀾万丈の報告ありがとうございました。 Cynthiaが話題に登る可能性は低いのかな?と考えていたん ですが、TVでも話題にされたんですね! 何となく、嬉しい 気持です。
酒井さんの音楽講座が1月19日(土)開かれました。第10回の ゲストは、石野真子ちゃんでした。以下、その報告です。 (時間) 午後1時半開場、午後2時から開講でした。実際は数分遅れで始まり ました。全17曲の内、9曲までをかけてほぼ1時間、10分休憩の後、 後半が始まり、午後4時20分ほど終わりました。 (受講者数) 会場のけやきホールは、定員220名です。今回の参加者は、 130人ほどでした。石野真子ちゃんファンが60人ほど。毎回 受講している常連の方が40人ほど。酒井さんが講師をしている 学校の生徒さんが40名ほどでした。 17会では、4名の参加でした。NKWさん、NHRさん、 TOMさんと私でした。 (開演前) 開場前に50人ほどの人が並びました。席は先着順です。多くの方が 真子ちゃんファンのようでした。 年末に報告したように、酒井さんに「17分砂時計」を送って います。お礼のハガキをもらっていて、その中で今回は招待すると 書いてくれました。会場で担当の方に伝えて入場券をいただきました。 ありがとうございます。 (開始) 2006年4月の第7回の時と同じで、舞台の中央に椅子が二つ 並んでいます。椅子の間に丸いテーブルがあります。上手側(かみて =舞台に向かって右)に酒井さんが座りました。シンシアの時は、 酒井さんは下手側に座ったし、8・9回もそうだったので、ちょっと 意外でした。 今回は、酒井さんが少し話した後、石野さんが登場。また少し 話した後に、デビュー曲を聞こうというので、「狼なんか怖くない」 がかかりました。シンシアの時は、「17才」の曲がかかってから、 シンシアの登場でしたので、毎回演出が違うようです。 (対談方式) 毎回同じですが、酒井さんとゲストが話し、ゲストの曲をかけて また話すという形式です。酒井さんは、毎回スーツ姿です。真子ちゃん は、全身黒ずくめでした。上下灰色に近い黒のスーツで、スカートは 膝丈でした。ストッキングは黒です。髪はセミロングでキレイな黒髪 でした。 石野さんも、全体の雰囲気が30年前と変わっていません。声も あまり変わっていない感じでした。対談は、真子ちゃんのデビュー曲の 話から始まります。 初期の作品が、作詞が阿久悠先生だったので、阿久先生の作詞の話に なります。「詩生活」「思秋期」など、「私」でなく「詩」、「春」 でなく「秋」と阿久先生の言葉遊びの曲がかかります。 続いて、新人賞レースの話になります。渡辺真知子さん、中原理恵 さんと新人賞を競った歌手の歌がかかります。 続いて、紅白出場曲の「春ラ!ラ!ラ!」「ジュリーがライバル」と 紅白出場曲がかかります。ここで休憩。 再開して、歌手最後の方の曲がかかりました。その後、曲の発表年が 23年飛ぶので、その話題に。酒井さんも遠慮して「乾杯」の人と 結婚して別れてとかぼかして言っています(真子ちゃんはバツ2)。 真子ちゃんは、1981年に引退、1983にカムバックしています が、舞台中心の活動でした。本人の弁「引退コンサートで各地を回って、 幸せになりますとみんなに言って引退したのに、戻ってきたので 恥ずかしくて歌手は出来ませんでした」 ただ、2003年になって一念発起、歌手活動を再開しました。 去年は、「こっちを向いて」がみんなの歌で採用され、とても 嬉しかったと言っています。 ほかにも色々話していますが、真子ちゃんはビクターだったので、 現役時代は酒井さんも一緒に仕事をしていないので、シンシアの時と 比べると、ちょっと遠慮しながら酒井さんが話していました。 でも、真子ちゃんは終始明るく、酒井さんも「典型的なアイドル顔」と 言っていました。 (花束贈呈) 最後に、「狼なんか怖くない」を再度かけて、曲がかかっている間に お二人は退場しました。 実は、17会として花束を用意していました。この報告は記録でも あるので値段まで書くと、真子ちゃん用に大きな花束(5,000)、酒井 さん用に小さな花束(3,000)を用意しました。 私達は、G17番から座っていたのですが、前の席が空いていて そこに大きな花束を置いていました。曲がかかる前に、酒井さんが 「花束を渡したい人はいまどうぞ」と言ってくれました。NHRさんが 真子ちゃんに、私が酒井さんに花束を渡しました。 開演前に花束を持った人を見たのですが、この時に花束を渡した のは、我々だけでした。これにはちょっと意外でした。 (営業) 真子ちゃんのCDを5枚発売していました。みんな最近のCD です。私も一枚買いました。「真子リバイバル」というもので、 アイドル時代のヒット曲10曲を最近歌い直したCDでした。 これを見て感心して買いました。シンシアもこれ出して欲しいです。 (二次会) シンシアの時も集まった日本そばの「志なの」で、4人が集まって 二次会をしました。いつもここから外を見ていると、酒井さんが駅に 向かって歩いていくのが見えるのですが、今日は見逃したのか姿が 見えませんでした。 花束を渡す人が少なかったのは、現役だからいつでも渡せると 少なかったのかとか、他の花束は幕間に渡したのかもとか話しました。 酒井さんと真子ちゃんの話に、我々も30年前の記憶が呼び覚まされ、 とってもいい一日を過ごせました。
麻丘めぐみさんの波瀾万丈で「南沙織さん、沙織ちゃん」と 名前が2,3回出ました。あと小さい写真も。でも話は、皆さん よくご存知の引退後、浅田美代子さんと3人でスーパーに 買い物に行ったり料理を作ったりしたという話で、シンシアの 近況については触れなかったです。残念。 めぐみさんは、地声が低いのと売れない歌手の苦労(お姉さん)を 知っていたので歌手にだけはなりたくなかったのですが、お父様の 借金返済の為、仕方なく歌手を続けていたそうです。 私も子供ながら「この人、なんとなく淋しそうというか暗い感じ (失礼!)」と思っていました。 そんな理由があったのですね。番組自体は、とても面白かったです。
コガ・ミュージアム ミュージアム講座 酒井政利のJポップの歩み~アーティストクローズアップ編~ 2008年1月19日(土)第10回 特別ゲスト:石野真子 曲目一覧 01.狼なんか怖くない 作詞:阿久悠 作曲:吉田拓郎 歌手:石野真子 年代:1978年03月 02.わたしの首領 作詞:阿久悠 作曲:吉田拓郎 歌手:石野真子 年代:1978年06月 03.詩生活 作詞:阿久悠 作曲:吉田拓郎 歌手:石野真子 年代:1978年07月 04.思秋期 作詞:阿久悠 作曲:三木たかし 歌手:岩崎宏美 年代:1977年09月 05.失恋記念日 作詞:阿久悠 作曲:穂口雄右 歌手:石野真子 年代:1978年10月 06.迷い道 作詞:渡辺真知子 作曲:渡辺真知子 歌手:渡辺真知子 年代:1977年11月 07.東京ララバイ 作詞:松本隆 作曲:筒美京平 歌手:中原理恵 年代:1978年03月 08.ジュリーがライバル 作詞:松本礼児 作曲:幸 公平 歌手:石野真子 年代:1979年09月 09.春ラ!ラ!ラ! 作詞:伊藤アキラ 作曲:森田公一 歌手:石野真子 年代:1980年01月 10.ハートで勝負 作詞:松本礼児 作曲:馬飼野康二 歌手:石野真子 年代:1980年04月 11.恋のハッピー・デート作詞:(訳)森雪之丞作曲:B.Findon-M.Myers-B.Puzey 歌手:石野真子 年代:1980年11月 12.true 作詞:石野真子 作曲:石川Kanji 歌手:石野真子 年代:2003年10月 13.海の記憶 作詞:山梨鐐平 作曲:山梨鐐平 歌手:石野真子 年代:2004年10月 14.金木犀の香る頃 作詞:小林和子 作曲:漆戸啓 歌手:石野真子 年代:2004年10月 15.あなたがいるだけで 作詞:ma-saya 作曲:大和田崇 歌手:石野真子 年代:2005年03月 16.こっちを向いて 作詞:松宮恭子 作曲:菅井えり 歌手:石野真子 年代:2007年03月 17.狼なんか怖くない 作詞:阿久悠 作曲:吉田拓郎 歌手:石野真子 年代:1978年03月
今日は引越しでTVが見れなくて残念です。 Cynthiaに関する話題がでましたら、どなたか教えて欲しいです!
本屋さんに行かれるついでに。 同日発売です。宮台、中森他で対談(内容は、ご察知の通り)記事で写真 1枚あります。新潮45、早速読ませいただきました。記事は、長田美穂さん ですね(アグネス・ラムの時代「中高公新書ラクレ刊」の著者)。 良かったですよ。
明日、20日の題名のない音楽会のゲストは、岩崎宏美さんです。 クラシック中心のこの番組が歌謡曲関係を取り上げるのは、ものすごく 珍しいです。 2008年1月20日(日) 午前9:00より放送 (BS朝日 2008年1月26日(土) 午後6:30より放送) 「岩崎宏美 ヒット曲七変化!」 題名のない音楽会:http://www.tv-asahi.co.jp/daimei/ 明日は、9時から岩崎宏美ちゃん。10時からは「波瀾万丈」で 麻丘めぐみちゃんに会えます。
「ブスの瞳に恋してる」が南沙織での検索に引っかかるとの質問と 回答読ませていただきました。私も色々調べたのですが、どこにも 共通点がありません。挿入歌に使われている様子もないようですし、 もしそうなら必ず誰かが教えてくれますし。 出演者の名前に「南」と「沙織」が含まれていたために、検索で 引っかかったという推理、納得です。 昨日発売された月刊誌「新潮45」に次の見出しがあります。 “山口百恵、南沙織…スターに愛された「ガサコ」の編集者人生” まだ読んでいないのですが、どんな内容か楽しみです。 新潮45:http://www.shinchosha.co.jp/shincho45/
「ブスの瞳に....」ですが、 出演者の大森南朋、滝沢沙織のお二方がサーチにひっかかったようですね。 最近、沙織さんが多いですよね。ジャズやアナウンサーにもいますし、 多分、ご両親にCynthiaファンがいらっしゃるのでは? と想像して しまいます。ファンの子どもの世代が活躍しはじめたのですね。 と、ふと、自分の年を感じています。
アマゾンで「南沙織」でサーチしたら、「ブスの瞳に恋してる」(?)で DVDがあげられていたのですが…。どなたかご存知の方おられませんか?
ご苦労様です。トップの画像が変わりましたね。両サイドのは 見たことのあるようなないような、でも左のは、南沙織の音符集 というか、なんかの2冊目のときのような気もしないでもない。 ところで、センターのはコンサートかテレビ番組のような気がする のですが、「女性」とか「夜霧の街」かなんかですかね??
チャット、伝言板、掲示板は、こんな感じで区別出来ます。 伝言板と掲示板は全く同じものです。HPやブログの作者が気分で どちらかにします。チャットは、伝言板(掲示板)のある状態を 言います。例えば、AさんとBさんが掲示板で会話するように 次々に投稿するような状態をチャットと呼びます。
トナカイさん、情報ありがとうございました。当日は録画して じっくり見ようと思います。私は歌手としてシンシアの、そして アイドルというかルックスとしてめぐみさんのファンでした。 52歳の現在の姿を見ても、お美しい。 72年5月、シンシアが突然引退宣言をして、結局2ヶ月間休業します が、その時、彗星のごとく現れたのがめぐみさんでした。長い髪、 スレンダーな肢体、清楚、シンシアと同じイメージで、より若い 美少女でした。引退騒ぎで、揺れるシンシアファンが彼女に移った ケースも多々あります。私もその一人ですが(苦笑)、しかし、 私はその秋の「哀愁のページ」を聞いて、シンシアに、少なくとも 歌手ファンとして戻りました。 さて、麻丘めぐみさんは、10年程前と思いますが、「波瀾万丈」は 過去にも出演した記憶があります。母姉と上京した時は、経済的に 恵まれず、いつもジャガイモ。モデルの給料が出たときだけメンチ カツが食べられたとか、明大中野高校夜間部に入る前の高校で イジメに合って転向したとか、モデル時代に余興で「真夏の出来事」 を歌って歌手にスカウト、それも本人は嫌がったのに、執拗に 勧められたという話を覚えています。 その中で、シンシアの名前も出てきました。 めぐみさんが引退してから、「同じく引退して主婦仲間になった 南沙織さん、浅田美代子さんとスーパーマーケットにお買い物に 行くのが楽しみ云々」と発言。シンシアの顔写真が隅に出たと 思います。と、司会の福留氏が「ええ! 麻丘さんと南沙織さんと 浅田美代ちゃん! 凄い顔ぶれですね!」と驚いていました。 今回もシンシアの話が出ると良いですね。
の違いを、日本語で説明できませんか? アケミさんと英語で話せるようになるには最高の映画だと思いました。 「不都合な真実」は、やくみつる氏にもみてもらいたいなーと思います。
もし、記憶が正しければ…、彼女はかつてこんなことを発言して いたような記憶が…。 彼女は、芸歴が長く、そもそもその当時の歌手ってのに違和感を 感じていて、(その当時の歌手を見て)「私は歌手じゃない!!」、 そんなことを思っていた。それを共通に認識していたのが、シンシアと 浅田美代子さんだった、ってな発言をしていたのを、たしか「徹子の 部屋」だったかなぁ…、で話していたような記憶が…。彼女が髪の毛に ガムをくっつけられて、泣きながら楽屋の洗面所で水でそれを落として いたとか、そのときにはいしだあゆみさんとか奥村チヨさん、オーヤン フィーフィさんとシンシアも一緒にいたとか…。徹子さん語る。 そこからいうと、酒井氏が「歩み」で、「あなたはヴォーカリストだった」 てな発言を何度かされていたことを思い出しました。 関西版で、上沼恵美子さんの芸能ニュースみたいなのがあって、森昌子 さんの一時休養、そして事務所独立の件について、彼女が現状の待遇に 満足しないのは、昔の、今の芸能界じゃなくって嘗て歌謡界で彼女が 受けていた待遇に、昔ながらのそれを求める彼女との間にギャップが あったから何じゃないのかなぇ、的な発言をしていましたが、そんな ところに嫌気がさしていたのかなぁ…。 ☆「歌手を辞められなかった理由」のところが注目ですね。
日本テレビで毎週日曜日の朝放送の「いつみても波瀾万丈」、 今週のゲストは麻丘めぐみちゃんです。シンシアの事を語って 欲しいですね。 (公式HP告知) 1月20日(日)朝9:55~10:55放送 ゲスト:麻丘めぐみさん 昭和30年大分で生まれる。幼児モデルにスカウトされ、3歳で初舞台に 立つ。家計を助けるために上京し歌手デビューをする。曲がヒットし、 トップアイドルの座まで昇り詰める。そんな折、父の借金のせいで 借金取りが仕事場にまで来るように・・・。そして父の借金の肩代わり をすることに。芸能生活ではマネージャーに厳しく監視され、 『作られたアイドル・お人形さん』を演じなければならず、自由な 時間は全くなかった。母への反抗もあって、わずか5年で引退の道を 選び結婚。女の子を出産したが4年後に離婚。そして芸能界復帰へ。 幼い頃から大人の世界に交じり、母の顔色を伺いながらどんな人生を 歩んできたのか・・・。 ◇幼児モデルにスカウト 3歳で初舞台 ◇初めて語る歌手になった理由 ◇デビュー曲レコーディング秘話 ◇父の借金 ◇歌手を辞められなかった理由 ◇母への反抗のきっかけ ◇引退後の生活 ◇出産・離婚・芸能界復帰 ◇娘の反抗期 ◇舞台演劇の製作・演出に目覚める 演劇集団を設立 ◇今後の目標 当時の麻丘めぐみさんの芸能生活や家族のことなど、娘・ひとみさん からの手紙を交えて語っていただきました。また、主婦仲間であった 浅田美代子さんがVTRで出演します。 どうぞお楽しみに! いつみても波瀾万丈:http://www.ntv.co.jp/haran/
この番組の最後の方、三組目のゲストとしてシンシアが登場します。 ちなみに、最初のゲストは、平尾昌晃・畑中葉子の「サンフランシスコ行き」 です。もう一組は男性グループです。 「Ms.」を歌った後、司会と話した後、高田みずえちゃんと石野真子ちゃんが 花束を持って登場して花束をシンシアに渡します。この時、他のゲストは出て きません。二人から花束をもらった後、シンシアは「17才」を歌った後、 ゲストなど全員が出てきて番組が終わっています。 酒井さんの音楽講座、真子ちゃんが当時のアイドル界やシンシアについて 話してくれるといいですね。 画面は(わかると思いますが)、左から真子ちゃん、みずえちゃん、 シンシアです。
1978年9月末、日本テレビ(4チャンネル)で、30分番組 「ヒット'78 ショッキング!ドッキング!」という番組が放送されました。 毎回公募で高校生が集まり、一人のマドンナに12人の男子高校生が 競って一人が勝ち残り、マドンナと話すという趣向の番組です。 番組作成は、大阪の読売テレビです。 その中で、毎回3人(組)のゲストが登場して歌を歌います。 この日は、シンシアもゲストでした。司会は4人いて、春やすこ けいこ、太平シローがいました(後の一人は今は誰も知らない人)。 シンシアがゲストで登場、「Ms.」と「17才」を歌ってくれました。 司会との会話で「今日歌うのが、(現役)最後です」と言っています。 下の画面は、オープニングです。上の方に高校生12名がいます。 マドンナがボタンを押すと、押された高校生は、椅子から落ちて 床まで滑り降ります。オープニングまでに一人落ちています。 番組のロゴの「キ」の上に見えるのが、春やすこけいこ。左が 太平シローです。右端の横向きの座っている女の子がマドンナです。 立っている人の左右の3人はマスコットガールです。オープニング にはゲストは出てきません。
19日は、酒井ディレクターの音楽講座です。当日券があり行けば 受講出来ます。皆さん行きましょう。 (公式告知内容) http://www.koga.or.jp/ 酒井政利のJポップの歩み ●酒井政利のJポップの歩み~アーティストクローズアップ編 ●第10回 特別ゲスト:石野真子 酒井政利のJポップの歩み~アーティストクローズアップ編 昭和40年代以降になるとこれまでの歌謡曲とは異なった新しい感覚の "Jポップ"と呼ばれる歌が誕生します。コガ・ミュージアムでは 昭和40年代から現代までに生まれた"Jポップ"を対象とした ミュージアム講座を開催します。この講座では、歌にまつわる エピソードをまじえ、レコードを聴きながら"Jポップ"の歴史と その背景などをたどります。 ◆第10回 特別ゲスト:石野真子 第10回となる今回は、特別ゲストに石野真子さんをお迎えし、 講師の酒井政利先生との対談形式で行います。酒井先生と出会った 当時のお話や代表ヒット曲にまつわるお話など、様々なエピソードを 石野さんの作品とともにお楽しみいただきます。 ●石野真子 1977年「スター誕生」に合格。翌年3月「狼なんか怖くない」で ビクターよりデビュー。日本歌謡大賞・放送音楽新人賞、日本レコード 大賞・新人賞、ゴールデンアロー賞・新人賞など各音楽祭の新人賞を 総なめにする。その後、数多くのヒット曲を出し、テレビ・ラジオ などで大活躍するが、1981年に惜しまれながら引退。1983年 復帰後、NHK大河ドラマ『いのち』などテレビドラマ、そして舞台 へと女優としての活動を続ける。2003年、20年間のブランクを 破り歌手活動を再開。以後、全国ツアーやソロコンサート、ライブを 行なうなど意欲的に活動中。2007年にNHK『みんなのうた』の 2月/3月のうたとして「こっちを向いて」を発売。 演奏曲(予定) 「狼なんか怖くない」「ジュリーがライバル」 「こっちを向いて」 他 ● 講師:酒井政利(音楽プロデューサー) 和歌山県生まれ。立教大学卒業後、コロムビアを経てCBS・ソニー レコードへ。南沙織・郷ひろみ・山口百恵などの多くのスターを世に 送り出す。「愛と死をみつめて」「魅せられて」で2度日本レコード 大賞を受賞。伝説のプロデューサーと言われる。現在は酒井プロデュース オフィス代表取締役を務めメディア・プロデューサーとして音楽分野に とどまらず映画・舞台の企画・制作も手掛けている。また、カウンセラー・ TVコメンテーターとしても活躍中。平成17年にはJポップの確立と 地域の音楽文化の発展に対して優れた成果を発揮したことから音楽 プロデューサーとしては初めて文化庁長官表彰を受けた。 (開講日時) 《 開催日 》2008年1月19日(土) 《 講座時間 》 開場13:30 開講14:00 《 開場 》コガ・ミュージアムけやきホール 《 料金 》 2,000円(税込) *入場券で博物館もご覧いただけます。開講前にご覧ください。 (詳細はこちらまで) 古賀政男音楽博物館(コガ・ミュージアム) 所在地/東京都渋谷区上原3-6-12 お問い合わせ先/03-3460-9051
良いんじゃないですか? ともかくわれわれも、そして何より シンシアもどうにか生き延びているのですから…(笑)。本当に あっという間でしたね、30年という月日。 でも、シンシアは記憶の中だけでなく、今でも「光る女」。さて、 われわれは光っているのでしょうか?ってな自戒の意味も含めて、 この時間を振り返るってのも良いと思います。人前で発言するって 事は「良いことだと思うから」。という意味で、トナカイさんに 一票(笑)。 それから、カフェ難民mineさん。92年の紅白のシンシアは、2曲歌う はずだったのに結局「色づく街」しか歌わせてもらえなかったとか 【酒井さんとのJポップスでの発言】、(きっとおそらくコンタクトを 完璧につけていて)観に来ていた家族の姿を捜し求めていたとか (歌い終わったらさっさと帰って、ファミリーの忘年会に出ていたと いう噂もあります【週刊誌情報】)。 そのもう一曲が「17才」だったとか。今から思えば、40前の シンシアの歌うはずだった「17才」を聴いてみたかったと、 太田裕美の「木綿のハンカチーフ」と「さらばシベリア鉄道」を 昨日テレビで聴いて思うこのごろ。どんな風に歌うつもりだった んだろうな…。でも、もう15年も前のこと。今ならどんな風に 歌うんだろうな。 今のシンシアと同様、否、負けないように輝いていたいもの ですね【苦笑】。
シンシアファンの皆さん、毎回投稿していただきありがとうございます。 色々な投稿が読めて、掲示板が盛況になっていて嬉しいです。ただ、不特定 多数の方が読むインターネットの難しさを感じてもいます。後で読んだ時に 事情が分からないかもしれませんので、下の投稿の説明を。 シンシアの公式ファンサイトに、Art of Lovingがあり、その中に メッセージ・ボード(掲示板)があります。 Art of Loving bbs :http://www.sonymusic.co.jp/Music/Info/cynthia/board/ 最近、シンシアストリートの掲示板で、個人と個人でやり取りするような 投稿がありました。その事を言っているような投稿が、Art of Lovingの 掲示板でありました。「ファンサイトは一部チャットが多いですが」と 書かれています。そんな事で下の投稿がありました。 ここにネットの難しさがあります。特定の人に向けた投稿は、 ネットの私物化と思う人がいらっしゃるのです。 どなたの投稿であれ、文章になると一つの考えが文章の中に出てきます。 今年は1978年からちょうど30年目に当たります。 私としては、「祝!引退30周年」と言いたいのですが、これもそう 簡単にはいきません。「引退は悲しい事」とあまり祝いたくないファンの 方もいらっしゃいます。ただ、私はあくまで「祝い事」として今年を 祝いたいと思います。 それで投稿される方にお願いなのですが、投稿は万人向けのものに していただけないでしょうか。シンシアを中心に70年代アイドルの 情報を中心に投稿していただけますか。 文章を書く以上、自分の主観で書く訳ですが、誰でも分かる情報を 入れた投稿を心がけていただけないでしょうか。よろしくお願いします。 文責トナカイ:Cynthia17s@aol.com
この度は、私事でアケミストさんならび多くの皆様に不快な 思いさせてしまったこと ここにお詫び申し上げます。まだまだ 寒い日が続きますが、シンシアはじめお体に気をつけて くださいね。
字が違ってました。すみません!! 携帯からの投稿なので、 編集できなくて。時々、あちゃーと思います
Cynthiaが労音のコンサートをした時(“A子さんの場合”)、 加藤登喜子さんの「帰りたい帰れない」という歌を歌っていましたネ。 大学生になって、初めてカラオケに行った時に、この歌を見つけて、 加藤登喜子さんの歌だったことがわかりました。置いてない店も あったけど、ある店では、こればかり歌ってました。 『恋文横丁』というパブがあり、常連でした(>_<) この歌を聞くと、なぜか、岩手出身の優しかったファンの女の子を 思い出します。
初めてまして! 仙台のTon chanといいます。公式サイトのメッセージ、見せて頂きました。 こちらはCynthia Street……Cynthia(南沙織さん)を好きな人が、 自由に(でも節度を持って)語り合う場所でいいと思っています。 一部の人(それは私?)のチャットの場所になっていても、いいん じゃないのかなあ。いらない時は、飛ばして読めばいいのだし。 アケミストさんも、一緒に想いを語り合いませんか? 大歓迎ですよ。
ジュセリーノ「未来予知ノート」に書かれているのですが、 理解するのにとっても分かり易い本を発見。「全世界バブルが 崩壊する日」浅井 隆著、株、第二海援隊発行。 ハイパーインフレと恐慌を考える日時を、ジュセリーノと 故意か、偶然か一致しているところは気に食わないのですが、 バブルから分かりやすくまとめています。10冊くらいすでに 本をいろいろ出版されているので、にわか作りの偽ジャーナ リストではなさそうなのですが、「情報の提供」を外国のように 会員で教えたいようです。 トナカイに入る時も勇気が要りましたが、「いけにえ」になる べく、講演会を覗いてこようと思います。「円天」なんて、 言わないといいんですが。だまされるのでしょうか? 本は、分かりやすく、面白く読めますよ。 くれぐれも、誤解なきよう。ジュセリーノは全部はずれていいの です。私たちは、全部外れるように、温暖化対策を考え、実行 するのみ。 地震は、各人、各様に「祈る」しかないのでしょうか。いえ、 本当は地震の元にも「温暖化」があるようです。絶滅、温暖化。 不可能なお題ですが。
進化論を論じている番組で(3ch?)、~機能は使わない、 必要がなかったので人類、動物になくなったのだと論じていた。 考えられることでしょう、今だって筋肉は、2週間もかからずに 衰える。 未来を透視する:マクモニーグル、ソフトバンク社に、未来と 現在の関係は、過去と現在の関係と同じことが理解されるように なるというのがありました。 つまり未来を予知する「もの」がある、未来の夢を見たとしても おかしくない!? 本当は、未来を予知する能力はみんな持っていたとしても おかしくない? 過去をさかのぼるのと同じに。 10年先、おなじように山で獲物を探している、20年後やはり 探していた。カレンダーもないのに、死ぬ夢をみた。殺される夢を みた。それまでおびえ続けなければならない。 としたら、一番いやな「能力」なのではないか。一番衰えて 欲しい「能力」。いやな「能力」。 つまり、進化の過程でそり落とされる第一番目の能力が「未来を 予知する」事なのでは。みんなが持っていたものとすると、67億人 がいるのだから、本人には、かわいそうなことだけど「現在も ひとりぐらい」は居てもおかしくない。 それ以外の人は、「第六勘」とか「勘」とか「虫の知らせ」の あいまいな所にとどめるから「楽しく生活」できるのです。 沙織さんは、私の希望する頭のいい人です。ちょっと良すぎる のと、直感がするどいのです。そんなきれいな人と一緒に生活して、 「浮気したと疑われたり」「バレたりしたら」どうなると思います? 絶対に、針のむしろに寝かされます。これ私の「第六勘」。
近い将来に、糖尿病、がん、B型肝炎、C型肝炎が、今年AIDSに 効くワクチンが開発されると言う。
2年ほど前、やけに「巨大地震襲来」みたいな番組が増えて、 自分が住んでいる高床式軽別荘の耐震強度ってどのくらいなんだろう? ふむふむ、窓がある壁が弱い?! 高床の柱で支えている壁って、窓だらけということです!? それに気づいてから、補強をTVどおりにはじめて、NTT料金支払いも 無視していたら、最後通牒を送ってきた。払ったんだけれども、 「お使いになりますか」とも言わず無視したから、こちらもやめた。 ダイアルアップが長すぎるのです。もう待てない時間になりました。 つまり、ネットカフェに入るまで、メールも書き込みも、世の中も 止まりますので。 ご容赦のほどを。 PS.縄文時代の高床式住居の村が、どうして突然消滅したのかなぞです というコメントを付した遺跡番組がありましたが、私にはわかります。
確かに、目が悪いはずなのに。 EYE バトルしていたのですよ。男同士だったら、ケンカになるという たぐいの。でも、感情を込めて歌う、感じてもらうには、必要な「歌い方」 だと思います。 比較して、15年前? 紅白で「色づく街」を歌った時は、目線がなにか 探しものでもしているかのようにアチコチ動きすぎて、「素人以下」の 評価になったのでは? TVはアップで追いかけていましたから。 沢田さん、eye バトルしなければ、情感は深まりません。 ちなみに、私は変質者ではありません。 と書いて考えるに、みんな同じように否定するのでしょうな。困りました。 そうだ! 沙織さんに聞いてみてください、外見はちょっと問題が増えてきた けど、きっとファンの中では、優良なほうだと言ってくれるはずです。 いえいえ、宇宙家族ロビンソン? を見ていたら、「異星人を外見で 判断してはいけない」と言いたいが為のドラマだったんだと気づきました。 隣人を外見で。。。 ところで、申し訳ありません、「シンシア」と言うには、彼女はあまり にも距離のある方なのです。ほとんど話したことないし、ほとんど2人 きりになったこともない。現実の世界では会話する内容もないのです。 本人がいやがっても「沙織さん」の方が、私の心は休まるのです。
確かに見つめられている、って感じましたよね。でも、確かいつだったか 彼女自身が、すごく視力が弱くって、話を聴くときにはじっと見つめて しまう、というような発言をしていた記憶があります。(同じ沢田ですが) 大ファンだったジュリーと共演したときには、照れて目を合わすことが できなかったとか・・・。たしか・・・、「カレンダー」とか言う歌を 二人で歌うことになったときには恥ずかしくって目を合わすことが できなかった、といううろ覚えの記憶があります。きちんと話を聴いて いるよ、ということの意思表示だった。 それにしても「プレミアム」のDVDでのシンシアのコメントは笑えますね。 当時はコンタクトがなかったのか・・・。時代を感じます。また、冊子の 最後のコメント「紅白は出るものです!!」には、彼女のプライドを感じます。 当時の僕の視力は2.0で、今はその当時のシンシアと同じ程度の0.1以下 (齢でしょう)・・・。眼鏡をはずすとほとんどものが見えません。
と思っていませんでしたか? ファンならみんな当然にそう思っている。 といいきかせ、沙織さんと目と目でバトルしていました。 それはホントなのだろうか、確かめたいと30年前に考えたまま 忘れていました。 ケーウンスクさんは、歌いながら会場の全員と握手しました。私の前に 来て、間をあけて笑顔になってから握手してくれたため、音楽テープが ひとつ増えることになりました。 石川さゆりさんは、演奏がCD? で斬新に感じました。 沢田さんは、目を合わせないようにするのです。30年前と何か 変わったと言うのでしょうか? 沙織さんとの違いはそこにあった! と書き込んでから気づきました。 沙織さんは目が合うと逃げないのです、こちらも逃げるわけにいかず、 じっと見ていました。 そのくせが、沢田さんに「つい」出てしまいました。 彼女、腕が太いことを気にしているのですが、カラオケバトルでは黒い衣装で まったく太くなく、というか、TVカメラって、ちょっとなんでも細めに写して いる? ほてる大橋で、目の前に来た彼女の腕を見たら、思わず目が止まってしまい ました。 そしたら、逃げるように舞台へ。 まずい、まずい。体全体の筋肉が、歌えるのどを守っていると私は思います。 私なんか、1時間もカラオケにいると、のどがあぶなくなるのを感じます。 うーん、フォローにならないな。
すご~い! 運動してますか、頭だけでなく体もそこそこ動かしてないとさびつきますぞ! なんのことだか?
そらまめさん、すごい!! よく覚えていますネ。 Cynthiaが出た時は「宮崎さんがお休み(夏休み)」と、言ってましたが、 私は、男性アナウンサーがお休みなのかな? って思ってました。 私は、Cynthiaが出る番組はみんな見ていたけれど、それ以外のテレビ は、ほとんど見ない人だったので、何も知らなくって(>_<) そらまめさんの記憶力、スゴ~い!
仙台のTon chanさん、私、全然優しくないですよ。 娘の口グセ「母さんに怒られ続けて15年」(産れた時から怒られっぱなし らしい)脇から「俺なんかもっと長いこと怒られっぱなし」と言われる ぐらい怒りっぱなしのようです。 いつも ここのページに書き込みをさせて頂いていますが、気をつけている つもりが、「誤字、脱字」が多くて80代の母の老後を心配するより 「私自身の心配をする方が先かなぁー」と思えるこの頃です。 「奥様八時半ですよ」は、鈴木さんと言う男性アナウンサーと宮崎さんと 言う女性アナウンサーが司会していた番組でしたよね~懐かしいです! って私産れていたっけ!!!
TBSの『奥様8時半です』はCynthiaが、デビューして間もなく、 突然引退宣言をした番組でもあり、Cynthiaがやめる前に特集を組んで くれました。その時、いろんな幸運が重なり、羽仁進さんと一緒に、 ファン代表のひとりとして、テレビに出させて頂きました。 引っ張りだしたビデオの中にその時の録画がありました。 1時間近くCynthiaが想いを語ったり、17才、純潔、人恋しくて、 MS.(ミズ)等を歌う貴重な映像だと思います。そこには、 インタビューに答える若かりし頃の私と、弟も!! たぶん、これを見ると、Cynthiaの引退当時の気持ちがよくわかると 思います。 Cynthia自身も、この頃は、自分の出た番組をみんなビデオに撮って いたのですが、この番組は、録画し損ねたらしく、後で会った時に 「誰か、録画した人いない?」と聞いていました。私は当時、 ダビングが出来なかったので、別の男の子がしてくれましたけど。 後半の部分にも、Cynthiaも私達も映っていたのですが、私の母は、 後半は録画してなくて、残念でしたけど。 後半、留学生達が話した後、ちょっとした料理(デザート?)が あり、それをCynthiaも食べています。実はその時、みんなの分には、 足りなくて、優しいCynthiaは、一口、味見して、隣にいた私に 「はい」と渡してくれました。『えっ!!いいの?』と思ったけど 、Cynthiaの使ったスプーン(フォークだったかな)で一口、私も 味見して、さりげなく、隣の人に渡しました。若かった私は、 めちゃめちゃドキドキしました。 その部分のビデオはなくて、すごく残念ですけど。 M君は持ってて「いつかダビングしてね!」と言ってあったのに。 あんなに早く亡くなるとは思ってなくて。 インタビューは、弟が「沙織ちゃんのどこがいいの?」と聞かれて、 「全てです」。「もっと具体的に?」と再度言われて「テレビで見る Cynthiaと実際に会うCynthiaと差がないところがいいです」 私は「女性で女性が好きなわけですが、引退するって聞いて、 どう思いましたか?」と聞かれて、「とても寂しいけれど、彼女の 選んだ道だから、応援したいと思います」と答えています。 青いお揃いのTシャツを着ているのが、私と弟です。もし、ビデオを 持ってる人は、見てみて下さいネ。 ファンとして、Cynthiaと一緒にテレビに出られた、私にとっては 貴重で忘れられない大切な思い出です。 羽仁先生はお元気なのかなあ。
こちらこそ、宜しくお願いしますm(__)m そらまめさんの書き込み、大好きです。Cynthiaを思う気持ちがすっごく 伝わってきます。 たぶんお会いしたら、意気投合できそうです!…けど、なんか私一人で ぺらぺら話してるかも?! そして、優しいそらまめさんは、ニコニコうなづきながら聞いて くれそうですネ。また、今年もCynthiaへの想いを語り合いましょう! (自分で敬称のちゃんをつけてるので、『さん』はなくていいですよ。 カタカナのトンちゃんでもOKです)
Ton chanさん 今年も宜しくお願いします。 仲間の「今、買わないで いつ買うの」と言葉、もっともだと思いました。 そんな素敵な助言のお陰でシンシアのビデオ 見れて良かったですね。 映像見ながらニタァーとしているTon chanさんを想像してしまいます。 (逢った事ないからないから知らないけど、今朝、二度寝した時、夢の中で Ton chanさんが遊びに来てくれて二人で観光地を周っていました。) 夢の中のTon chanさんは、元気いっぱいで、私はゼイゼイいいながら 歩いていました。
沢田さんは「会いたい」をカラオケバトルで歌いました。挑戦者 瀬戸カトリーヌは無情な機械を相手に93点を出し、挑戦チーム全員が おどけて、盛り上がって勝利を確認するダンス! プロとして、長年歌い続けた者として、負けない自信は当然垣間 見られました。が、相手はソフトウェアです。堺さんが、93点を 超えてください! 93点を超えられるでしょうか? と緊張を 最高に高め、沢田に歌わせました。最大の緊張の中で、彼女から 出てきた声は、あま~い声の、第三者的な「かたり」でした。 セトリーヌさんの学校の先生に褒められる「歌」とは違っていたのです。 後に、古賀政男は、「歌はかたれ、詩は歌え」と語っていたというのを 知りました。彼女が知ってか知らぬかは不明。 この「会いたい」自体は、近年になって、ラジオで聞いて、おもしろい (興味深い)歌うたってる奴がいるな、新人か? ぐらいにしか考えて いなかったのですが。 でも、聞いたことが「あるのかな~?」と探り、探りしていたら、 16年前?紅白に出たシンシア「色づく街」の時に、沢田さんも出て いたようです。 「会いたい」の歌詞そのものが、沢田さんの体験したものという。 ただ作詞家はまったく関係なく作ったらしい。私は、作詞家がとぼけてると 思っちゃうのですが。 悲しい歌を歌う彼女なのですが、ご主人と一緒に音楽活動を続けられ、 幸せだという。ここに、いつもギャップと疑問を感じているのです。 シンシアは、結婚前だったから、歌そのものが、現実とずれては いなかったのかも知れない。そのせいかシンシアが歌うとそのまま 感情に出していたと思う今日この頃です。 PS.沢田さんの得点は95点で、円満解決と相成り申した。
申し忘れました。立ち読み、盗み見した方には、それなりの印象。 何度か読み直された方にはそれなりの本です。隠されたものに気づく方は、 それでそれの本です。 去年、彼の実績は5割現実ではありませんでした。 そして、現在ウィキペディアで「ジュセリーノ」が書き込み停止に なってます。まだ売れるとも分からない昨年25日の発売で、すでに 出版社が「著作権侵害」で文句をいう? ということで、公言は おひかえのほどを。「集団ストーカーされますぞ」 浅草6区ののりで~す!
2ちゃんねる書き込みをいたしてまいりましたが、投稿あとに修正ができる、 「←戻る」キーで戻って修正ができるのには「おどろきました!」
いま、シンシアに内緒で浮気をしておりまして、久しぶりに「開いたら」 すごい盛況?! いえ、自分が読んでたぶん「わかる事」「人が多いせい でしょうか」つい、つい限りなく読み始めてしまいました。BBSの写真、 元気そうでいい写真と。たぶん私がファンになる前なんでしょう。 Kさんは糖尿病、といってもすい臓が力尽きたようでした。合掌! 何年か会っていないと、今も生きているようです。 長島温泉でのコンサートって? なんなんだ? と遠かった私には 長いことなぞでした。そこで、沢田知加子の「会いたい」コンサート、 岩室温泉、ほてる大橋に行って参りました。 なーんだ!みんなで 温泉に入るんじゃないんだね。 ところで、引退もマジかになった頃の写真見て、「そうだ、そうだ こんな感じだった」とネットの技術に感心してます。 ところで、「火事だ!」という状況になると、「湯のみひとつ」 大事そうに持ち出すそうです。私もその口なので、事前によく考えて おきましょう。 ということで、小さな声でお伝えします。 「未来予知ノート」ジュセリーノ著、ソフトバンク出版くらい読んで おきましょう。好き勝手に「怖いこと」を浅草6区、お化け屋敷の 呼び込みのように述べておりますが、ホントに怖いことは、3行ほどに 匂わしてあるだけです。「隠してるのです」 シンシアにこの事をはがきに書いて出したのですが、ボツっ! になったでしょうね。
明けましておめでとうございます。 今年も宜しくお願いします。
ずっと封印していたCynthiaのビデオ! ついに出してしまいました。 ベータのビデオをオークションで手に入れ、画像安定装置まで、買って。 前のCynthia Streetに誰かが書いていたけれど、私も引退直前にビデオデッキを 買いました。当時β2方式でしか、録画できない機種で21万5千円もしました (生まれて初めて組んだローン、月々1万ずつ、家庭教師のバイト代で支払い ました)。ビデオを買うかどうか迷っていたのですが、「今、買わないで、 いつ買うの?」というファン仲間のアドバイスで、引退宣言と同時くらいに 買いました。愛なき世代が何曲かと、以後、引退後までのほとんど番組を 録画してあります(最近のは、ありませんけど)。 30年近くも前のビデオですので、多少のちらつきはありますが、Cynthiaが 想いを語ったり、17才、純潔、人恋しくて、MS(ミズ)等を歌う貴重な 映像や、ニコンのコマーシャルや、優しい時代等の映像もあります。一人で 見るには、あまりにもったいない!!! Cynthiaすっごくカワイイです。 あの時、ビデオを購入したおかげで30年近く経った今、当時のCynthiaの 映像を見る事のできる私は、とっても幸せものだなあと思います。 誰かがCynthia Streetで書いていたけれど、愛なき世代とか、MS.を歌う Cynthiaは、とってもいい顔をしています。 私の宝物です!(Cynthia Streetを見ているようなファンの人と一緒に見て、 感動を分かち合えたえたら、いいですネ)
いいなあ。私は京平先生の声を聞いた事がないので (というか、お顔もよくわからなくて(>_<) 京平先生(とCynthiaは呼んでましたネ!)のお話を聞いてみたかったです。 Cynthiaの事にも触れてくれたら、もっとよかったですね!
明けましておめでとうございます。新年から小ネタですが、 1月3日の夜にNHKのFMでダブルDJという形で筒美さんと 元ピチカート=ファイブの小西康陽さんの出演する2時間の番組が ありました。実質的には小西さんが敬愛する筒美さんにインタビューを するという感じでしたが、久しぶりに筒美さんの声が聞けて感激でした。 確かもう67歳くらいのお歳だと思いますが、いまだに伝説どおり オリコンやビルボードの上位曲はチェックし続けているとのことだし、 相変わらず、「自分は音楽家という自己表現者ではなくヒット曲を作る ことを義務づけられた人間」と割り切っておられ、若い頃からまったく ぶれることのない姿勢にいさぎよさを感じました。 ただ残念だったのは、シンシアについて語られることがほとんど無く、 BGM的に「哀愁のページ」が流れていただけでした。(女性作詞家の 話が出たときも有馬さんの話題にはならなかったし)でも、歌手に ついて触れたのは、郷ひろみや平山三紀の声がサウンドとして好きだと いうくだりと、トリビュートアルバムでの秋川さんの話くらいで、 自分が手がけた歌手について語るというようなコーナーは無かったので 仕方ないと思いました。
シンシア,皆さん、明けましておめでとうございます。 今年もシンシアと、みなさんにとって、実り多き年であります様に。 年末年始の書き込みだけですみません。
トナカイさん、TANAKさん、昨年は貴重な写真UPして戴き有難うございました。 アグネスから便りが来ましたので載せます。
皆様ちょっと遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。 北風沙織さんって本名ですか!?、年齢を推察するとは20代の半ばから 若いと10代の後半ですね、確か女子バレーにも沙織さんがいましたよね、 両親若しくはどちらかが沙織ファンだとやはり娘には沙織とつけたいです よね、私もそうしておけばよかった、今からでも娘に改名を迫ろうかな ○○沙織にしなさいと。 u3さん、いつもの事ながらトップの画像を季節ごとに変えていただきまして ありがとうございます、見るたびに目じりが下がっています、ほんっとに かわゆい。 あまり出てくる事は有りませんがほとんど毎日のように見ています、 話の仲間に入れるなと思うとたまにですが出てきます、最後になりましたが 彼女と皆様の健康と幸せを影よりお祈りします。
あけましておめでとうございます。 最近はご無沙汰しておりますが、本年もよろしく。 先ほど、某民放のバラエティ番組を見ていたら、女子陸上競技のホープで 北風沙織選手という人が出てきて(すげえ、芸名みたい!)なかなか ビジュアル的にも優れていて、アイドル的にも人気があるとのこと。 ちょっと、ググってみたら、沙織という名は >彼女の両親が南沙織が好きだったことから名付けられている。 ですって。 南(沖縄)の沙織に対して、彼女は北(北海道出身)の沙織さんですね。
明けましておめでとうございます。いつもは、伝言板に直接きますが、 BBSの写真を見て来ました(u3ありがとう!) Cynthiaかっわいい! 思い出通りの頃かな?あの頃、こんな感じのヘアバンドしてましたよネ? 今年も、みなさん、宜しくお願い致します。よい一年になりますように!
今年もよろしくお願いします。 BBSのタイトル画像、いいですね。いつ頃の写真でしょうか? 今年は、この写真のように何かうれしいことあるといいですね。
明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。 今年は、シンシアの引退30周年の年でもあります。 シンシアにとって今年も実り多い年でありますように。