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2008年03月 の伝言板を読む
2008年01月 の伝言板を読む
こんばんは heisanです。 オークションで落札したCDボックスが先週から今週にかけて3種届きました。 前書いたように、PCに落としながら、何とか怒涛のように全曲聴いた ところです。聞いてみて思ったのは、まずボックス買いの無駄ですね。 分けて出ているので、シングルは殆ど重なっています。まあ、DVDが 付いていたり、ライブの「さよならシンシア」があったりで、それなりの 価値はあるとは思いますが。 プレミアムは良かったです。無くしてしまったLPを1度でカバーでき ましたから。しかし、DVDは今のとは違って、イメージビデオみたいな 感じですね。本当はライブやTVの場面があると良いのですが。今では、 YouTubeで見るぐらいしかないのでしょうね。 取り敢えず聞いてみての感想です。前にも書きましたが、再デビュー後 以外は、どのアルバムにも聞き覚えのある曲が入っていました。余り 聞かなくなったというつもりでも、TVなどではしっかり見ていたので しょうね。自分の記憶力に感心しました。(まあ、そろそろ年齢の加減 で、昔のことしか頭に残っていないと言うのもあるかもしれませんが) 「17才」も良いですが、「ともだち」のような、アップテンポだけれど 少しゆっくり目の明るい曲が、どちらかと言うと好みですね。買ってない アルバムの辺りでは「街角のラブソング」「想い出通り」なんかが良い ですね。「哀しい妖精」もすきです。日本語も英語もどちらも頭に残って 繰り返してしまいます。 写真を見ても、あのころは急に大人びていく様子がどちらかというと嫌で、 少し離れてしまったのですが、今見ると、始めの頃の「本当に可愛いなぁ」 と言う感じから、引退直前の写真では、可愛いから本当に美人になって いますね。今なら飛びつきそうです。(30年たって、私も大人になった ようですね) それに、原語のポップス。あの頃、英語の歌はこのアルバムで覚えた ようなものです。 後は、ライブのDVDなんか出ないかなぁという感じですね。今なら、 少々高くても何とかなりますしね。 まあ、どの曲も1曲ずつしっかり聴いても良いし、BGMとして聞いても 仕事の妨げにならない。嫌な音には全くならない感じです。 (今週は家では仕事になりませんでしたが) この歳でこちらもFAN再デビューですね。
このページを荒らしてしまうかもしれませんが・・・。久美沙織さん、 是非書いてください。あなたなりのシンシアを。その楽曲を。 それぞれのシンシア観って違うと思います。それで、表現は変ですが、 有馬さんや、酒井さんが書くと、バイブルになってしまう。それって 面白くない。 久美さん、曲から連想することを、あなたなりに書いてください。 それで、こっち側も、僕とは違う、ってそれぞれのシンシア像を 再確認できるのですから。みんな違うんですよね。 こんな風にシンシアを捉えてる人もいるんだ、ってな感覚です。 ただ、「ちびまるこちゃん」みたいな扱いは許せませぬ(笑)。 シンシア論に限定されず、あなたの感性と、曲との繫がりの中で、 是非書いてください。それでわれわれも自分が再認識できるの だから。そして、現時点であなたがその力量があるのですから。 「大ブーイング」起こったら面白いじゃないですか(笑)。起こして ください(爆)。 17会のおかげで、いろ~んなシンシア観がある、それを認め合いながら、 喧嘩しながら、それぞれなりに、分かり合えるっていうか、そんな コミュニティーみたいなものを作りたいですね。 偉そうに言っていますけど、昨年シンシアと直接お会いできたときは、 がちがちに震えて…(爆沈)。皆さんに上げるはずの飴をシンシアに 差し出すだけでいっぱいでした。 だから、勝手に久美さんのシンシアを描いてください。それを基にして、 「僕のシンシアは…」って話になると思いますから。絶対書いて くださいね。30周年記念ということで。
シンシアストリートがまた落ち着いて読めるようになったので うれしいです。 シンシアと親友だったという自慢話は読んで痛かったです。 久美さんのシンシアの曲を題材にした小説は読みたくはありませんが これぞ自信作といえるものでしたら気が変わるかも知れません。 やはり大切な思いを傷つけたくないですから。
娘がインフルエンザになってしまったりして、しばらく拝見して おりませんでした。失礼しました。さまざまなご意見ありがとう ございます。 「読みたくない」というブラドンちゃんさまのお気持ち、とても とてもよく分かります! 正直いって、わたしも「別のどなたかが」書かれたら不愉快かも。 マンガでも、小説でも、映画などでも…… ヘタクソなら「なにさまのつもりで、そんな勝手なことを!」と思うし、 うまければうまいほど、悔しくて、腹がたつだろうし……。 なので「そういうことができたらいいな」という気持ちはもうずっと 前から持っていたのに、実行にうつすことができませんでした。 ともあれ、 シンシア・ファンのみなさまがたから「大ブーイング」をあびない ような作品ができないかぎり、どんなかたちであれ、発表はできない なぁ、と思っております。 それは、もちろん、難しいです。http://kumikura.jp/
事情があって、部屋の整理を…。 そしたら、大阪厚生年金でのチラシが・・・。 いま、シンシアの新たなる出発(たびだち)・・・・・・ さようなら、僕たちのシンシア 美しい想い出とメロディを本当にありがとう。 長くて短いようだった歌手生活にピリオドを打ち、 いま、新たな青春のはじまりを告げようとしている。 沙織、あなたは 僕たちの青春だった。 そのやさしい歌声は、 いつまでも僕たちの心に残ることだろう。 そして今、再開を夢みて 僕たちは祝福しよう。 シンシアの新たなる出発を・・・・・・・・・。 というフレーズでした。ということで、今日の気分は、ありふれているけど、 『青春にはじないように』
2002年発行だったのですね。『プロデューサー』。シンシアもコメント 書いていて…。古賀ミュージアムでの対談(?)のエッセンスが詰まって いますね。シンシアはリズム、百恵は詩だとか、結構面白いですよ。 アマゾンで買えます(はず)。もしまだの人は是非ご一読を。 1回目の紅白出演、シンシアは辞退したかったんだそうです。それを 酒井さんがぶったたいたとか。
久美沙織さま 「南沙織さんの曲をタイトルにして集めた短編集」 是非読んでみたいですね。期待しています。 ちょっと前、NHKで「あの歌が聞こえる」という 漫画と歌の新しいコラボレーションという番組がありましたが、 あんな感じになるのでしょうか。 実は私、学生の頃、漫画研究会に所属していまして、 シンシアを主人公に漫画を描いたことがあるんですよね。 ストーリーは… 芸能界で活躍するシンシアのもとに 沖縄のボーイフレンドから芸能界に入りたいという手紙が来る。 …という、『紅白歌のベストテン』の「弁論大会」で シンシアが語っていたストーリーをそのまんまいただいてました。 シンシアは良いですね。 作家、アーティストの創作意欲を刺激するものがありますね。 久美沙織先生のご活躍を期待しています。
解答用紙、回収のとき、自分としては言葉かけてあげたいんだけど、 それは無理。一応制度上のきまり。職務上、ちゃんとやらなければ ならないから、シンシアを考えている間なし(爆沈)。先の書き込みの でちょっと忘れていたな。 結果はともかく、回収に回っているとき、「ありがとうございました」 って、こちらに手渡ししてくれる受験生、何とか、うかってもらいたい 気持ちになります 。。 勝手な妄想ですが、シンシアって、解答用紙を僕に手渡してくれる少女 だったのかな?緊張感で動けない、そして無造作に机の上においている ような受験生ではなかったはずー、と勝手に妄想。ポジティブな彼女に 乾杯!! っとなれば、やっぱ「透き通る夕暮れ}かな?(変換自信ない)。
今日は、国公立の前期日程。試験監督でした。あれほどつらいものは ない。何もしてはいけないのだから…。一応、最初は雑務に追われますが、 試験開始後、彼らの真剣なまなざし、というか問題に取り組んでいる姿 には、30年近く前の自分もそうだったんだなぁ、って…。 当然、そのときには、どの受験生も可愛く見え。ホント真剣にやってるん だもん。「私は今生きている」(17才)を頭の中で口ずさみます。この 学生はどこからやってきたんだろう?(潮風のメロディ)。彼なり彼女が 合格してくれたら、どんな学生生活を送るんだろう?(ともだち)。 合格者たちとの、これからの最低4年間に思いをはせる一日でした。 でも、かれらもいずれ卒業していくんだなぁ、とおもうと、やっぱ 「涙ひとつふたつ」(笑)。まぁ、そのときの感情に任せながら、 彼らの表情を見て、シンシアの歌を思い浮かべていました(許しがたい 蛮行?)。 なんかですねぇ、今日の感想。これだけ時間が経過すると、当時の 憧れの的であったシンシアが、今日の受験生に思えてしまった。 それで、ついでに(?)卒業生たちのことも思い出します。日常的 には思い出さないのですが、受験生の真剣な顔を見ていると卒業生を 思い出します。ということで今日の曲は「約束」。彼ら、時たま だけど、会いにきてくれます。 今日の感想、シンシアは確かに「月の女神」だけど、ときたま、 わがままを言って会いにきてくれるんですよね。卒業生みたいな 存在。というのが、新たな今日の僕の発見です。 ほんと、卒業生と会うと和むんですよね。文句なしに。僕はシンシア より年下ですけど、職業柄(?)、今は、シンシアは卒業生って感じ。 だから、本当に、たま~に顔を見せてくださいませ。
昨日、近くで仕事が入っていたので春一番が吹く中、芝公園を 散策してきました。園内は梅の花が甘い香りを漂わせていて 「春の予感」が感じられました。 「クレッセントハウス」はどの辺りかな? と思いながら公園の 周りをほぼ一周し終えたころに港区の区役所がありました。 Cynthiaもここには足を運ばれたことがあるんだろうな? とか 考えながらふと隣の建物を見ると「THE CRESCENT HOUSE」と 書かれた洋館を見つけました!とても由緒のある落ち着いた感じの 建物でしばらく眺めていました。Cynthiaが結婚された当時は 自分の中では避けて通りたい話題でしたのでここに立ち寄ろう などとは考えもしなかったでしょうけど、今は当時のCynthiaの ことを想い起こしてとても感慨深かったです。 今日はNHK文化センターで、Cynthiaのビデオをみてきましたが 紅白のものしかないんですね~? 以前横浜の放送文化センター だったか?では「レッツゴー・ヤング」でビートルズの「デイ・ トリッパー」と「ゆれる午後」を歌うCynthiaをみてきたことが ありますが、あれもNHK番組だったと思うんですが…。もっと 多くの動画をみたいですね!
こんばんは こちらでは初めまして。 Cynthiaのオールドファンです。 実は公式とかいうページに(これだからいけないのだろうなあと自省)、 ユーチューブの「南沙織」画像ありがとうサンクスといった、動画投稿への 御礼と皆さんへの情報提供をカキコしたのですが、その時つい筆がと いうかキーボードが滑ってSONYの奴らが気を悪くするようなことも 打ってしまったのか、削除されてしまいました。抗議すれば、「掲示板を 閉鎖しますよ」という条件が一方的に示されていますから、少し若かった 昔のように批判するのもためらわれるので、こちらで愚痴ります。 でも、動画提供ほんとうにありがとう!見てない人はぜひ探してください。 すぐに見つかります。さよならコンサートは是非DVD発売を期待したい ですね。
あのですね・・・、76年ぐらいのことなんですけど・・・。 京都のコンサートで、You've gat a friendを日本語でシンシアが 歌ったんですけど、なんかあれが印象的で、(日本語って言っても 訳詩です) winter, spring, summer or fall のところが、「季節外れの迷い恋じゃない」だけは覚えているんですが、 後のところは覚えておらず・・・。 でも、感動したことだけは、たしか。レコード化されていないし、 いまだわからず。誰か知っておられる方おられませんか? 今日は、『哀愁のページ』を聴きながら
初めまして 神戸に住んでおりますheisanと申します。 '56年生まれ。中学のときに初めて買ったレコードが『17才』の アルバムでした。レコードが痛むのが惜しくて、再生即録音で ラジカセでずっと聞いていたのを思い出します。その後も 「素顔のままで」辺りまでは、買い続けていたと思います。 (他の歌手にはその後も余り引かれることがなかったですね) その後は、バンジョーやマンドリンなどを買って、違うジャンルに 行ってしまい余り聞かなくなってしまいました。 最近になって、何故か(何故なんでしょうね?)また聞いてみたい なと思い、「南沙織」で検索をしたところ、このサイトに行き 当たりました。 ここで、アルバムがCD化されているのを知ったり、CDボックスが 出ていた事を知ったりとで、ソニーのサイトに行き試聴をしました。 その後、急に聞きたくてたまらなくなってしまい、その後は、 オークションで探し、アルバムのプレミアム・シングルのメモリーズ、 色々入ったアンソロジーと、ボックス3つと、前ならできなかった 大人買いをしてしまいました。(乏しい小遣いがほぼ消えてしまい ましたが) 取り敢えず聞きながらPCに落としていったのですが、さすがに10代 に聴いた音楽ですね。驚いたことに、持っていたはずのアルバムの曲、 殆どすべてに覚えがあるのです。じぶんが若かっただけでなく、音楽 自体に魅力があったんですね。 しかし、聞きなおしてみると、「17才」のころから最後(再デビュー 後)まで声のトーンが変わっていないですね。(雰囲気は変わっています が)すごいものだと思いました。どの歌も「南沙織」の歌になっています ね。あのころは感じてなかったのですが、始めから歌が上手かった (人によって感じ方は違うでしょうが)のでしょうね。ライブの音源 でも良く分かりますね。スタジオ録音と遜色がありません。 長々と書いてしまい、すみません。再発見が余りにうれしかったもので。 レコードも探せばでてくるかも分からないのですが、阪神大震災(この 時までは必ずあったのです)で何処へ行ったか分からなくなっています し(もしかしたら壊れた家から救い出しているかも…)、今では、 レコードプレーヤーも手元にないので聞きようもなかったのです。 しかし、今でもFanであることを続けておられる方がこんなにおられた とは思いませんでした。色々な資料、楽しんで見せていただきました。 これからも、色々教えていただければと思っています。 Cynthiaに再会させていただき、有難うございました。 MATURITYを聞きながら
くみさん、是非とも「女性」か「夏の終り」でお願いします。 遅れてきたファンなので、デビュー当時を知りません。 「女性」で初めてファンになって、引退後に初めて聴いた 『Cynthia Street』のLPに入っていた「夏の終り」(何故か、 「終わり」ではない)にジーンときました。
有馬さんが書くのならともかく、南沙織さんの作品は有馬さん、 筒美さん、シンシアですでに完成されたものばかりです。それを わざわざ付け加える必要はないのでは。 私は読みたいと 思いません。
なんか好きなんですよね。17才への返歌みたいな扱いだったけど、 有馬さんとツツミさんコンビだし…。一番も好きだけど、今の気分は2番 「きりもない海鳥の自由さ 真似して私とびたいの 好きなとき愛にのめり込み ある日ははぐれて暮らすのもいいもの 大人のしあわせしたたかに 迷って 試して くだかれて モザイクのようにつなぎ合わせる そしてようやく目覚められるの 男と女のあり方そうよ 不思議ね あなたはいかが?」 「17才」からの成長というか何というか。 でも、くみさんありがとうございます。
すみません、全く覚えていません。もう8年ほど前になりますかねえ。 見開き2ページの超短編でした。
ダン池田さんがお亡くなりになりました。シンシアの現役時代に 「ダン池田とニューブリード」であまた音楽番組で演奏を指揮していました 名指揮者です。 去年の12月25日に、都内の病院で亡くなられていましたが、 21日になって明らかになりました。享年72歳、 ご冥福をお祈りします。
銀婚式の年に、想い出のクレッセントハウスで家族水入らずで食事を してみたい。でもみんな忙しくてなかなか全員が揃わない…みたいな ことをおっしゃってたのを思いだしました。 実現されたのでしょうかね~? http://www.restaurantcrescent.com/intoroduction/introduction.html 芝公園に面したところなんですね。とても由緒あるレストランでここの ウエディングラウンジで式をあげられたんですね。なんかとてもCynthia らしい感じがします。 公園と言えば東京は関西と比べて緑が多くていいですね。代々木公園は 「シンシア・イン・コンサート」の撮影場所でしたっけ?
それは記念の年ですねぇ。 夏ぐらいまではバタバタなんですが、なんとか時間みつけて、がんばって みたいと思います。版元みつからなかったら、サイトでやればいいですね。 (歌詞をかいてしまうと、Jasracに登録しないと訴えられてしまいますが、 タイトルだけなら、大丈夫なはずですし) そこで、みなさまにお伺いです。 「どの曲がいいですか?」 この歌のために物語をつくってみて! のリクエストかあったらお願いします。 >WASIさま それ、どなたの作品か覚えてらっしゃったらお願いします。 >bettiさま 赤川先生は、女性主人公を素敵に描かれるのがほんとうに上手ですよね。 男性作家ではめずらしいかも? みなさま、どうもありがとうございました。
The CD Club 2008年4月号 P22-23 【今月の推薦盤】ポップス/歌謡曲コース “70's-80'sゴールデン・ポップス・ヒストリー(ソニー・ミュージック編)” 『CBS・ソニーが新たな歌謡史を拓いた時代 一世を風靡した人気曲の オンパレード!』 -70年代~80年代を象徴する輝ける大ヒット曲がズラリ- コンセプトと選曲-オムニバス・アルバムの魅力は、その二つで決まると 言っていい。このアルバムのコンセプトは“CBS・ソニーが生み出した 名曲を集める”というものだが、このレコード会社自体が1970年代から 80年代にかけての歌謡シーンをリードした存在であるため、その時代を 象徴するヒット曲がズラリと並んでいる。 アイドル・ポップスの嚆矢(こうし)とされる「17才」(南沙織)や “歌謡フォーク”ブームの先駆けとなった「旅の宿」(よしだたくろう)、 さらにはニューミュージック時代の到来を告げた「異邦人」(久保田早紀)、 「かもめが翔んだ日」(渡辺真知子)などなど。 注目すべきは、従来の歌謡曲と新奇のジャンルを融合させたような作品が めだつことで、リズム&ブルース出身の上田正樹が関西弁で歌ったバラード 「悲しい色やね」は、その白眉だろう。 じつは、それこそがこの会社の個性であり、日本コロムビアに代表される 戦前からの老舗に取って代わることができた秘密だった。 日本のソニーと米国のCBSの合弁によって、1968年に誕生し、洋楽の 紹介事業から出発したこの会社には、作家の専属主義のような、既成概念に とらわれない“若さ”があり、名プロデューサーとして名を馳せた酒井政利ら が、筒美京平らフリーの作家を重用するなどして、音楽的な冒険に挑戦。 それゆえ、時代の変化にも素早く対応できたわけだ。 “個性的な聴き方が広まった”とうのも変化のひとつで、その流れを促進 した“ウォークマン”を開発したのが、親会社のソニーという事実も、 なかなか興味深い。 -“遊び心”も垣間見せる選曲の妙 歌謡曲ファンなら納得の一枚- とまあ、コンセプトだけでも面白いのだが、選曲も心にくい。たとえば、 キャンディーズの場合「春一番」か「微笑みがえし」あたりを選ぶのが定番 なのに、あえて、ブレイク作品の「年下の男の子」を持ってきた。また、 渡辺徹がアイドル時代にヒットさせた「約束」のように、歴史に埋もれがちな 名曲を入れているのも、評価したい点だ。 さらに、思わずほくそ笑みたくなるのが、ラスト2曲。松田聖子の「赤い スイートピー」と郷ひろみの「2億4千万の瞳」が、並べて収められている。 「今度生まれ変わったら一緒になろうね」の名言で知られる二人が、こんな ところで寄り添うようにしていたとは…。 なんて、ちょっと下世話的な愉しみ方も、歌謡曲ならOK。音楽的な資料 性に加え、そんな“遊び心”も垣間見せるあたり、この企画のスタッフも じつに心得た感じだ。歌謡曲ファンなら納得の一枚、と見て間違いない。 文:宝泉 薫(ほうせんかおる)著述業-1964年生まれ。早大除籍後、 ミニコミ「よい子の歌謡曲」を経て、現在に至る。「東スポ」や「Jポップ 批評」で連載を持つほか、昭和の青春歌謡をテーマにした単行本を企画中。 著書に“一発屋”シリーズなど。 The CD Club:http://www.cdclub.jp/
“70's-80'sゴールデン・ポップス・ヒストリー(ソニー・ミュージック編)” 【収録曲】 01.空に太陽がある限り/にしきのあきら 02.17才/南沙織 03.恋する夏の日/天地真理 04.木綿のハンカチーフ/太田裕美 05.年下の男の子/キャンディーズ 06.青春時代/森田公一とトップギャラン 07.旅の宿/よしだたくろう 08.かもめが翔んだ日/渡辺真知子 09.東京ららばい/中原理恵 10.魅せられて/ジュディ・オング 11.異邦人/久保田早紀 12.SACHIKO/ばんばひろふみ 13.恋人よ/五輪真弓 14.もしもピアノが弾けたなら/西田敏行 15.悲しい色やね/上田正樹 16.約束/渡辺徹 17.赤いスイートピー/松田聖子 18.2億4千万の瞳―エキゾチック・ジャパン/郷ひろみ
The CD Club 2008年4月号 P22-23
直接、Cynthia Streetに書き込み頂けるなんて、感激です。 ホントにありがとうございます。 それにしても、シンシアの曲をテーマにした短編集なんて、 考えただけでも、ワクワクしてきます。 『でも、ちいさなお話を読んでいって、クライマックスのところで 「知っているひとなら、ちゃんと歌が聞こえてくる」みたいな のって、素敵だと思いませんか?』 って、考えただけでも、スッゴク素敵です。ぜひ、ぜひ実現させて 下さいませ。シンシアにも、読ませてあげたいなあ。きっと、 とっても喜んでくれそうです。 というか、ファンである久美沙織さまが、引退後30年も経った今、 南沙織さんの曲をテーマに、本を書きたいと、考えていて下さること 自体、シンシアが知ったら、とっても喜んでくれそうです。 楽しみにして、待ってますので、ぜひ、ぜひ、いつか、実現させて 下さいネ!!
すごいですね。久美沙織さんに書き込んでいただくなんて・・・。 感謝。直接、お送りしてもいいのですが(ちゃんとアドレス公開 されているし)、このページの活性化(?)のためにも、あえて ここで書かせてもらいます。 希望としては、もう一人の沙織さんに、このページへの投稿を材料と して、もちろんあなたの感じ方を機軸にですが、引退して30周年に なるシンシアへの「ファンレター」を書いて欲しいな、と思います。 そしてそれぞれのファンの人生とかも含めて。もちろん創作で結構です。 僕は、赤川次郎さんのファンでほぼ読破しております。その文庫の 解説をいくつか書いておられますよね。楽しく読ませていただき ました。僕自身としては、彼の作品で描かれている主人公って、 なんとなくシンシアに似ているなあと感じ読んでいるのです。 「月の女神」が去ってから、それぞれの生き方、みたいな感じで。 それぞれの歌をモチーフに。これはあくまでも希望です。 引退30周年企画(?)にぜひご参加ください。 これは削除していただいて結構です。
確かに情景が浮かびやすい曲作りがしてありますよね。雰囲気の ある言葉を使いながら、その雰囲気でごまかさないところがいいなあ。 WASIはずっと以前に、こんなつくりの短編を読んだことがあります。 内容はささやかな恋愛とはかない別れの、まあよくある話でしたが、 話の後に「BGMは南沙織のひとかけらの純情でした」と書きくわえて あったんです。 話の内容ではなく、あくまでも雰囲気を拝借しての小説で、なかなか 良かったですよ。
仙台のTon chanさまにご紹介いただいたモノカキの久美沙織 (くみさおり)でございます。おじゃまいたします。 両方名前みたいだとか、由紀さおりモドキだとか、宝塚だとか、 AV女優さんみたいだとか、いろいろいわれたことがありますが、 ほんとうは、シンシア南沙織さまが大好きで大好きで、ちょっと でもあやかりたくて、「373」よりひとつ少ない「93」に したのでした。 二十何年使い続けているペンネームですが「サオリちゃん」と 呼ばれることはまずありません。そういうタイプじゃないんで しょうね。 モノカキ同士のつきあいからはじまったので、夫も、夫の家族も 「くみ」です。 もうじき三歳のムスメに、おかあさんにはなぜか名前がいっぱい ある、というのをなんとか納得させようとしているところで ございます。 ★ モノカキとしては「南沙織さんの曲をタイトルにして集めた短編集を 書きたい!」と思っているんですけど、なかなか実現しません。 なにしろ歌詞をきくともうしっかり物語や場面が立ち上がって くるので、プラスαするのが難しい。タイトルをきけば、ファン ならもう「どんな話なのか」わかっちゃうでしょうし…… でも、ちいさなお話を読んでいって、クライマックスのところで 「知っているひとなら、ちゃんと歌が聞こえてくる」みたいな のって、素敵だと思いませんか?
先日、旧正月のホンコンへ行ってきました。向こうのセコハンのレコード店を 巡って見ましたところ、沙織さんのLPも何点か出ていましたが、中に 『Simplisity』のホンコン盤というのがありました。ジャケット裏面下に Manufactured by CBS/SONY HONGKONG LTD とプリントされていました。 帯は無く中身は内容的には日本盤と同じですが、歌詞カードが明らかに コピーした様で少しチャチでしたが、音質は良かったです。この盤は セコハンではなく新古品の様で、他にもホンコンソニーによる70年代 80年代のオムニバス盤の新古品が何点かありました。 『Simplisity』以外でのホンコン盤も探しましたが見つかりませんでした。 当地での沙織さんの人気は元々あった様ですが、「人恋しくて」の広東語 バージョンを中国人歌手(ポーラチョイ他)が歌って大ヒットして以来、 改めて注目される様になったそうです。70年代アイドルでは百恵、秀樹、 沢田に次ぐ人気だそうです。
Ton chanさんに影響を受けて、彼女と南沙織で検索すると、とあるページを ゲット。彼女の文章ですが、割と面白い。彼女とは同年代なんだな。 興味ある方は、 http://kumikura.jp/kuri/mj3.htm へ。
シンシアと同様、離婚されていませんよ(笑)。 酒井さんにとって、長女がシンシアで、長男が郷ひろみ、次女が百恵で しょうね。長男はともかく、女の子は頑張っているのでしょうね。 T&Cの会報の最終号に彼女はコメントを寄せてくれています。一部 省略して、「これからはなかなか会えなくなってしまいますね。でも、 沙織ちゃんの目がキラキラ光っているのを見て安心しています。 これから何かしようとしている自信に満ちた目なのですもの。 時々は連絡をください。お元気で…」。 それに対し、シンシアは、 「レコード会社が一緒だったので、顔をあわせることが多かったわね。 私の家で、写真を撮ったときのこと覚えてる? ・・・」 なんとなく、楽しいものですね。でも、シンシアはお茶目なので(?) ときたま出てきてくれているだけでもありがたいです。 そろそろ、また歌でなくてもいいから、何らかの形で姿を見せてくれない かなぁ…。
始めて、書き込みさせて、いただきます。 シンシアが、篠山紀信さんと結婚するって報道された時 納得してしまいました。周りはあんなオッサン(ごめんなさい) って、言ってたけど。 確か、ラジオの「夜霧のコンサート」?にも来られてたし 何よりも、篠山紀信さんが、撮る写真は「南沙織」じゃなく、 「シンシア」が写っているので、私は大好きでした。 生意気言ってごめんなさい。 家の近所に住んでる、天地真理ちゃんは、ある意味、芸能界の 犠牲者かも? 本人は、現在病気療養中です。
『南沙織さん、ステキですよねぇ。 永遠に憧れのひとです。』 というメールをちょっとしたことから、久美沙織さん本人から頂きました。 …久美さんは、南沙織ファンだという小説家です… これから、本屋さんに行って、彼女の本を探してきます。『久美蔵』と 検索すると、彼女の自家製サイトが出てくるそうです。興味のある方は、 のぞいて見て下さい。私も、ちょっとだけ見てみました。興味のある方 は、是非本屋さんに行って、本も買って下さいネ! 久美さんとお知り合いになれたのも、Cynthia Streetの情報があった からです。Cynthia Streetをいつも見ていて下さるみなさん、 ありがとうございます。
そうでしたネ! 報道陣がたくさん増えてきたので、お店の人が追い払っていました(それで、 私達も追い払われそうになって!!) 私達は、お祝いのお花も渡したし、『おめでとう!』も言ったので、 さっさと帰って来て。私は急いで、仙台に帰って、次の日、朝、昼と テレビをチェックしていました。たぶん、この頃のビデオは、私が 一番持っているかも!?! 何しろ、浪人中で、時間が自由になったから(>_<) 良妻賢母のCynthia 見習いたいです。
結婚式は、報道陣シャットで内部の様子は撮影されませんでしたが、 式後にレストランの外で紀信さんとツーショットでの会見(といっても、 マイクを突き出されている囲み取材)が芸能ニュースで流れました。 お二人ともとても嬉しそうな表情で、紀信さん「かみさんと娘を 同時にもらったみたい」、シンシア「彼は、随分歳は離れている けど少年のような綺麗な心をもっている人」と語っていました。 幸せそうなツーショットでしたが、2人の顔の大きさがあまりに 違うのに驚き(笑)。なにはともあれ、シンシアと同期、同時期に 活躍していた女性歌手は、皆結婚に失敗してしまいましたが さすがシンシアは良妻賢母です。いつまでも家庭を大事にして いって欲しいです。
TANKさん! これが、まさしくCynthiaの結婚式当日、港区芝のクレッセントの前で、 報道陣のインタビューを受けているところです。 シンシア、輝くような、いい顔をしていますネ!! 私のシンシア関係の資料は、実家の自分の部屋(すぐ裏ですが) なので、久しぶりにみました。ありがとうございます。
定かではありませんが、そういう時期の写真かな?
またもやうろ覚えな記憶。 クレッセントハウスとか何とかいうレストランじゃなかったのかな?。 小さい教会もついていたとか何とか。たぶん式では、ウエディングドレス?? (週刊誌情報。ロージィさんが運んでいたとか何とか) パーティーでの服はたしかに紺だったとは思いますが、なんか水玉模様 みたいのがついていたんじゃなかったかな。あと乾杯の音頭は酒井さん。
Cynthiaの結婚式とは、言っても、友人達を招いての立食パーティーの ような形でした。Cynthiaは、地味な上品な紺色のドレスを着ていたと 思います。 もしも、当時の録画がある方は、見て下さい。あの時、紀信さんと 並んでいた、あのドレスです(哀しい妖精のレコードジャケットの イメージです) 実は、実はCynthiaが、長男を出産した時も、お花を届けに行っています。 帝王切開だったので、『面会謝絶』の札が、かかっていて。その時は、 看護婦さんにお願いして来ました。 今なら、きっと出産後の友達なら、お茶と美味しいパン、それに果物 かなあ。 Cynthiaの写真集、いいですネ!!!
シンシアさんが結婚されて、もう30年近くになるのですね。 シンシアさんが若い頃、「シンシアさんがどんな男性が好みか?」とか 私は興味がありませんでした。ただ、漠然とシンシアさんには、 「小さな恋の物語」のチッチとサリーをイメージしていて、小さめの シンシアさんとノッポの男性、スラッと長身の男性と結婚するのかと‥ 勝手に思い込んでいたのですが、、、 シンシアさんの花嫁姿はきれいだったろうにね。 見たかったですね。30年を記念して写真集はどうですか? 紀信さん!
何となく思い出したのですが、Cynthiaの結婚式(披露宴)の時、 お花を持って行きました。出口(入り口?)で、待っていたら、 マスコミも増えてきて、お店の人に追い返されそうになりました。 私はお店の人に「絶対、私が待っていても、Cynthiaはイヤがらない から!!」と、交渉しました。すると、紀信さんのマネージャー(?)の 女の人が出て来て、私は「仙台のTon chanといいます。おめでとうを 言いたいだけなのです。わざわざお花を渡しに仙台から来たのです」と 言ったところ、ナント中に入れてもらいました。 直接、Cynthiaに、お花を手渡し「おめでとう!」を言いました。 記念写真まで写してもらい、後から、共通の友達を通し、送って もらいました(懐かしい大切な思い出です) 一緒に何人か行ったのですが、みんなはシャイで、中には 「行かない!!」結局、私だけが、渡しに行ったのですけど。 後から、テレビで、紀信さんが「お嫁さんと、娘を一緒にもらった みたい」なんて、インタビューで、のろけていましたネ。 あれから、もう30年近く経ちます。月日の経つのは、早いです。 一日、一日大切に過ごしたいですネ!
「涙のひとつふたつ」は2/7にbettiさんがアップしてくれて ありました、大変失礼しました。 1998年07月の伝言板を参考にしたり、YouYubeを見たりしたのですが なかなか分からなくて皆さんに頼ってしまいました。 早速iTunesに曲目を登録しました。 「ファンレター」という曲名だったんですねえ、裸足の少女とか渚の娘とか、 そんな曲名かと思ってましたので意外な題名でした。 ありがとうございました、楽しみながら聞きたいと思います。
No1.夜汽車を乗り継ぎ遙かにいきたいあなたの元を~2.44秒 No2.ノンビ~リと空を流れてる~2.35秒 No3.また、いつか同じ場所で同じポーズ取って、~3.59秒 No4.裸足の娘が走る、渚にヒールを捨てて~5.25秒 No1.=昨日の街から(傷つく世代) No2.=涙のひとつふたつ(ひとかけらの純情) No3.=約束(Art of Loving) No4.=ファンレター(Cynthia Best~Eternity) -2008.2.15(FRI)訂正- No1.のアルバム名、最初『20才まえ』と書きましたが間違っていました。訂正します。
ふたつ目、LP「ひとかけらの純情」のなかの「涙のひとつふたつ」だと思われます。 3曲目、おそらく「約束」 4曲目、「ファンレター」 一曲目はわかりません、お許しください
3月1日から映画「明日(あした)への遺言」が公開されます。原作は、 大岡昇平先生の「ながい旅」(角川文庫)です。 大岡先生(1909-1988)は、シンシアの大ファンで対談もしています。 是非皆さんもご覧下さい。 ながい旅:http://www.kadokawa.co.jp/bunko/bk_detail.php?pcd=200701000242 明日への遺言:http://ashitahenoyuigon.jp/index1.html
初めておじゃまします。 人からいただいた南沙織さんのmp3ファイルなのですが 曲名を教えていただきたいのですが、いきなりで図々しいお願いです。 イントロ部分と演奏時間で分かりましたら教えてください。 ・夜汽車を乗り継ぎ遙かにいきたいあなたの元を~2.44秒 ・ノンビ~リと空を流れてる~2.35秒 ・また、いつか同じ場所で同じポーズ取って、~3.59秒 ・裸足の娘が走る、渚にヒールを捨てて~5.25秒 以上の4曲なのですが、最後の「裸足の~」は聞いたことがある ような気がするのですが、曲名が思い出せません。
以前、あまり話題に出しては、いけないと言われていましたが、 某動画のサイトで南沙織を検索すると、資生堂メロウカラーの 「春の予感」のCMが1分間見ることができます。確かにレコード とは、演奏も歌も別の録音です。テレビの歌番組では、CMのように ラストのI've been mellowは繰り返しで歌ってましたね
やっぱりそうだったんですね。CМ版もフルコーラスで聴きたいし、 資生堂のPVも観てみたいです。小林克也氏が言ってましたが ビートルズの音源はまだまだたくさんあって、これからも小出しに リリースされるということです。Cynthiaも未発表の音源や映像が あったら何とか世に出して欲しいですね。「早春の港」でいうと 何かの大相撲のイベントにCynthiaがゲストで登場し土俵下で大きな ヨットの柄のセーターを着て歌うというТV番組がありました。 あれをもう一度観てみたいものです。
373さんのCM版ですが。 差し出がましく、私の見解を(あいかわらず"うっとうしい"と思われたら、 スルーしてください)。 最初にお断りしておきます。耳はたいして良くは無いかも。 イントロを4小節にして、最後に「I've been mellow」と繰り返して、 丁度、CMサイズに1コーラスを1分にまとめている事から、単純な トラックダウンの違いでは無いと思います。 テンポが幾分早い気がしますし、歌が少しニアンスが違います。 "皮肉な"の入り方に為が無い(こちらが、本来のCynthiaの癖だと 思います)。 ステレオとモノラルの違いが在るかも知れませんが、ミキシングが 均等になっているように聞こえます。 アレンジは基本的に同じだとは思いますが、CM版には、ピアノの リズムを刻む所が無かったりするので、レコード版の完成以前に CM用に作られた、もしくは、トラックダウンされたように思えます。 あまり、細かすぎると引かれちゃうのでこの辺で。
「夜のヒットスタジオ」で「春の予感」が取り上げられたとき、 ものすごく褒めていて、少しだけだけどCMのプロモーションビデオが 流されて、結構きれいだったなぁ…。それように初めて作ったって 発言もあったようななあったような。その後番組で歌ったときは なんか違うな、って感じましたね。「ハロー・シンシア」のビデオ 販売のとき、それを期待していたんだけど、やっぱ違いましたね。 資生堂関係の方誰か持っておられますかね…。資料館があったら 調べてみたいものです。はっきりいってうろ覚えですが、すごく 綺麗だったような…
久しぶりに書き込みします。これからの季節「早春の港」と 「春の予感」はぴったりですね。気のせいかも知れませんが 資生堂テレビCMメロウカラーの「春の予感」とCDの「春の予感」 では少し違って聴こえます。違うテイクなのでしょうか。耳のいい人、 教えてください。
朝日新聞のコラム「天才の育て方」にレスリングの吉田沙保里選手の お母さんの記事があります。 http://www.asahi.com/edu/student/tensai/TKY200801140145.html (冒頭の引用) 夫の栄勝は3人目も息子を望んだが、幸代は娘が生まれて大喜び。「可愛い 名前を」と、アイドルにちなんだ名前をつけた。「さおり」は南沙織から、 「保」は河合奈保子から1字もらった。 ここだけなんですが、記事がおもしろいですよ。連載の2回目です。
久方ぶりに、チェルシーのCDを。 関西ローカルの上沼恵美子の番組で、 おばはんになったなぁ、ってトークで、 「かばんの中に『チェルシー』が入っている自分が怖い」で 思い出しました。そうだ、どっかにCDがあるって…。 結論といたしまして、やっぱ、シンシアのチェルシーは群を 抜いていますね(笑)。透明感というよりは、表現うまく できませんが、ストレート感(?)が良いですね。 今日は、『哀しい妖精』を聴いてみようかな? 割と好き なんですよ。感想は後日。
今日は『ひとかけらの純情』より。 本当は「透き通る夕暮れ」がメインのはずだったんだけど…、 その一曲手前の「涙のひとつふたつ」に今日は決定。 「のんびりと空を流れてる 別れ雲いくつか 悲しみも愛も知らん顔 どこへ消えてゆくの 私のあの人 今しあわせかしら 春先には心が痛む 涙のいくつか知って 明日へ続くのね」 (以下省略(笑)) 春先には限定しませんが、常にとはいえませんが、時にはそんな 気持ちになります。もちろん皆さんのことも。 それから、どうでもいいというか、主観だけなんですけど… Cynthiaの「Top of the world」って、絶対、カーペンターズ以上ですよね。 カラオケで、その場の雰囲気で洋曲を歌わねばならぬとき、その歌か、 「Dancing Queen」ですかね。ほんとのことを言えば、「君のともだち」 なんだけど、原曲のアレンジにはついていけませぬ。というか、無理(苦笑)。
『20才まえ』なら 何と言っても「妹よ」そして「20才まえ」が、私は大好きです。Cynthia 自身も好きで、よくコンサートでも、この2曲は歌っていましたネ! 「妹よ」は一度、弟がラジオにリクエストをして、かけてもらったことが ありました。当時、仙台にはAMOという人気の深夜番組があり、「妹よ」 なんかも、アルバムの曲なのに、たま~にかかっていました。Cynthiaは、 リクエストもかなり、いつも上位でした。 中学の時、男の子達に「昨日は、沙織ちゃん、おめでとう!」とか、 「1位、ムッカつく」…真理ちゃんファン……とか、いつもコメント もらっていました(私のCynthiaファンは有名)。懐かしい思い出です。 一番初めにCynthiaと親しくお話したのも、この頃で。「妹よ」「20才 まえ」は、聞いていて、いつも涙が出そうになるくらい大好きな大好きな 曲です。 あっ、もちろん「秋の午後」もいい曲だと思います(っていうか、 みんないい曲ばかりですネ)
『月刊現代』の巻頭の方に「MY BEST SONG」という連載があります。 毎回、一人のゲストが想い出の歌にまつわる話をするものです。 発売中の2008年3月号では、連載第10回です。今回のゲストは、 三宅裕司さんです。想い出の歌は、「17才」です。 4ページのカラーグラビアで、1ページ目は三宅さんの写真、2ページ からインタビュー記事になります。3ページは当時の写真とその歌が 歌われた時代のエピソードが書かれています。4ページ目がインタビューの 続きと歌のシングルジャケットと歌詞が載っています。それと映画 「結婚しようよ」の写真も。 三宅さんの思い出話はこんな感じです。1971年、二十歳の学生 だった三宅さんは、仲間4人とジャズバンドを組んでいました。この年、 ひょんなことで赤羽のキャバレーで一ヶ月演奏する仕事をしたそうです。 その一ヶ月に色々あったのですが、一ヶ月も何とか過ぎて、ギャラを もらうのですが、ここで悲劇が。一人でもらえると思った金額が五人で その金額だったのです。みんなガッカリして、車に乗って帰ります。 『みな無口になり、何気なく車のラジオのスイッチを入れた時、 流れてきたのが、南沙織の「17才」だったんですねぇ、これが。 なんて爽やかな清々しい声なんだろう、そう思ったらぽろぽろと 涙が出てきましたよ。』 話はこれだけですが、いい話ですね。「すがすがしい」シンシアの 声が三宅さんの心を揺さぶったのでした。 月刊現代:http://moura.jp/scoop-e/mgendai/(今現在では2月号の内容です)
「秋 歌えば彼は」⇒「枯葉」です。 基本的なミスを!!!
今、「20才まえ」を聴いています。「10代の終末に感じること…… あなたに問いかける」がサブテーマ。本当にいい曲ばかりです。 今日のところはbestは『秋の午後』ですね。ちょっとシーズン違うけど。 「秋、歌えば彼はがひとひら 恋をしていた日々思い出たちが立ち止まる 秋 あてもなく手紙を待ちわび あいのせつなさを知った日暮れがある 今も歩けば遠い心にこの風 人の吐息に似てる枯葉がふりしく あの意味のないさよならも いとおしくなる今日の午後 秋 誰も悪い人はいない … いとしくなる今日の午後 秋 だれも 優しい人たちよ」 (著作権の関係でカットしたけど、やっぱオーバーかな…。基本1/3だから やばいね。すべての責任は私が取りますけどね、シンシアが訴えれば【爆】) なんかねぇ、この歌って、良いですね。サオリストはみんなそうです。 これから、過激な発言はできるだけ控えます(笑)。 「むりかなぁ???」
先週の水曜日(1/30)放送のザ・ベストハウス123を、録画して 今日見ました。この番組は、一つのテーマのベスト3を5つ取り上げる番組です。 最初のテーマは、「あなたも飼える!超かわいいミニミニ動物BEST3」 でした。その第3位が「ティーカップに入るプードル」でした。本当に小さい 犬でティーカップに入るほど小さいんです。 実際にその犬の映像も流れました。画面右下に撮影したペットショップの 名が。「シンシア★dog-house」とありました。 ザ・ベストハウス123:http://wwwz.fujitv.co.jp/123/index2.html シンシア★dog-house:http://www.mini-poodle.com/
私が勝手に作りあげているあけみさんのイメージは、その通りです。 「うそ」には怖い方ですが「ホント」なら仕方ないじゃん。
シンシアって、喜んでくれているんじゃないのかな。失礼ね、っとか言いながら。 この場って、シンシアを語り合って、「創る」場だと思うから。
1月28日にメアドを公開してから、お叱りのメッセージが数件ありました。 中には、かなり挑発的、一方的な言葉もあり、そのようなメールには 返信はつけられませんでした。 2月2日から今晩にかけて、乙女座氏、スマイル氏、Private affair氏の 投稿に対して、私が思うところは、今日の20時58分34秒にTON CHANさん が代弁してくれました。 決して、私の方から彼女に依頼したことではありません。 乙女座さん、 スマイルさん Private affairさん 野生のLIONさん 私も、「私人となったシンシアをそっとしたい」という気持ちは同じです。 しかし、私の投稿で、少なくとも、数人の皆さんには不快感を与えてしまった。 その逆に、私がメアドを公開してから「蟹座さんは正しい」とか「あの程度 なら許容範囲だと思います」という同意・励ましのメールは皆無でした。 この事実は厳粛に受け止めます。 改めて、掲示板でお騒がせしたことは、お詫びをして 「シンシアストリート」は陰ながら見守ります。
私の母べえ伝説(短期集中連載・最終回)「アグネス・チャン」 こんな強い母親見たことない! アグネス・チャン(52)の母・リタ さん(81)はまさにグレートマザーといっていい。 「今まで母から褒めてもらったことはないんですよ」アグネスと いえば、歌手としてだけでなく、日本ユニセフ協会大使として積極 的に慈善事業に携わるなど、親にしてみれば誇らしい限り。だが、 リタさんは厳しいエールを送り続けている。 「母は『人は褒めても頭でっかちになる』と常に話していました。 例えば、香港にいる母から電話があって、一回で出ると『何出てん の~。アンタ、今日仕事ないの!』って言われるんです。逆に仕事が 忙しくて何回も電話に出られずに、やっと折り返すと『そんなに 働いてばかりいたら死ぬわよ!』って言われます。もうどっちか わからないですよ~(笑い)」 リタさんは19歳で結婚。「父は中国国民党員で当時、中国は 内戦状態。その後、政治的な背景から国を追われ、母と一緒に香港に 移った」という。「私が生まれたのもちょうどそのころ。何も持たず (香港に)逃げてきたので、家庭は貧しかったけど、母は一度も弱音 を吐きませんでした。家のカーテンを外して、その生地で私たちの 服を作ってくれたりもしました」 子供の前では決して弱みを見せず、気丈に振る舞ったリタさん。 1972年にアグネスが歌手デビューのため来日した際も「猛反対 する父親とは対照的に『やれ!やれ!』と、私を応援してくれました。 香港でデビューする時も、マネージャー的なことをやってくれました。 人には何か一つ得意とするモノがある。それを信じて頑張れって…」 最近もこんなことがあった。アグネスは06年に唾液腺腫瘍、 07年に乳がんの手術を行ったが「唾液腺腫瘍の方は母に事前に 言っていなかったです。後でそのことを話したら『誰の命だ! 死んだらどうおわびするんだ!』と本気で怒られました。だから、 乳がんの時は事前に話したんです。そしたら『おお!乳がんなら 大丈夫だ。行け!』って言われた(笑い)」。 そんなリタさんも77年に最愛の夫を亡くした時は、人目も はばからず泣いていたという。「あんなに落ち込んだ母を見たのは 初めて。それだけ家族、父を愛していたんだな、と感じました」 家族を大切にする心。それは3児の母となったアグネスにも受け 継がれている。 「私が少しでも赤ん坊から離れると、母は『おまえは鬼か!』と 怒るんです。ご飯の時も寝る時も一緒にいなきゃダメだ!って。 (赤ん坊と)一緒に寝たら、間違って下敷きになっちゃうんじゃ ないか?って心配するんじゃないですか。でも、母は赤ん坊と いつも一緒にいることこそ、最高の子育てであることを知って いるんです。そうしたことでおおらかな子に育ったし、親離れも 早かったです」 86年にアグネスが生まれたばかりのわが子を連れテレビ出演 した際、それの賛否をめぐって「アグネス論争」が巻き起こったが、 これは母の子育て論に基づいたものだ。 現在、リタさんは香港で不動産投資などを中心に事業を展開。 誰に頼ることもなく自立した生活を送っているという。母は強し。 まさに恐るべし…だ。 <東京スポーツ2008年2月3日第26面 種井一司> 母(かあ)べえ:http://www.kaabee.jp/static/
今回の騒動、火種を巻いたのは、とか、きっかけはとか、いろいろ批判も ありますが、火に油を注いだのは、間違いなく私です。不愉快な思いを されたみなさん、本当にごめんなさい! でも、Privateさんも言うように、思いはみんな一緒です(私の意見は Privateさんにとても近いです。それで、『トンちゃんが Privateさん?』と 聞かれたりしましたが、でも、私はPrivateさんではありません。) なんとか折り合いをつけて、終わりにしましょうとの願いを聞いて下さった 皆様、本当にありがとうございました。 そして、ごめんなさい! これからも、誰もにとって、気持ちのよい、Cynthia Streetになるようにと 願っています。 今日は節分、みんなの心の中の鬼を退治して、よい1年になりますように!! いつも、投稿下さってる皆様、ご覧頂いている皆様、どうぞよろしくお願い いたします(これで、この件は、終わりにして頂けるとうれしいです)
こんにちは!今、私は蟹座さんとメールのやり取りをしています。 お互いの行き違いを、お互いに修正し、歩み寄っています。蟹座さんも 話すと、きちんとわかる人です。 それで問題となった初めの投稿も書き直されています。 蟹座さんのメール 「私は、シンシアの実父のことを書いたことは真摯に受け止め、今後は 控える」と掲示板で書いております。また1/23の投稿に付いても 一部問題と思われる箇所は削除しています」 と。もし、スマイルさんに連絡がつくなら、伝えて下さいと頼まれました。 問題の本も『某ムック本』と書き直されています。(但し、私個人と しては、本の題名を出したのは、そんなに問題だとは、考えていません。 蟹座さん自身も初めの投稿でも、スキャンダラスな内容です、と断って いたように記憶しています) 乙女座さんは、蟹座さんからメールに返事が来ないそうですが、初めの 1通には、返信したそうです。でも、中傷メールとかもあって、同一 人物かと思い、後は、返信していないそうです。 そこで、提案です。蟹座さんに送りたいメールを私に下さい。私が 転送し、返事をもらいます。それで、どうでしょうか?(これは、 蟹座さんに頼まれたのではなく、私の提案です) 蟹座さんは、反論も書きたいけれど、掲示板が汚れるのは、イヤと 考えてくれています。蟹座さんの、その優しい気持ちも汲んで下さい。 Cynthiaを思う気持ちは、人それぞれです。蟹座さんも、蟹座さん なりに、Cynthiaを大切に思っています。みんな、それぞれに思いが あります。それを、それぞれ大切にしていきたいと、私は思っています。
雑誌が読者限定であったのに対し 思慮と敬意を欠いた勝手な憶測を書き込んだり 記事を丸ごとCynthia Streetに掲載したことで、 知らせる必要のなかった多くの人の目に触れる場を提供し更に 拡大させる手助けをしたことが一番の問題なのだと思います。 シンシアには家族がいます。家族一人一人にもまた付き合いがあります。 世の中には問題にしない人やスルーする人たちばかりではありません。 どんな波紋を広げるのか、その影響はシンシア一人にとどまらないことを 忘れてはいけないと思います。 周囲への影響・配慮に人一倍心を砕いているシンシアの足を引っ張ったり いい加減なマスメディアの片棒をファンが担ぐことがあってはならないと思います。 いろんな考え方があるにせよ、彼女を傷つけたくない、 嫌な目に合わせたくないという点では一致しているはずです。 友人間の雑談やメールと違い、不特定多数の目に曝されるネット上で、 傷つけたり悪影響を及ぼす可能性のある意見や記事を 不用意に掲載するのはやはり考え物です。 真実か虚偽かは二の次です。 情報はほどほどでいいです。 誰も傷つける可能性のないものだけで十分です。 それ以外は個人のパソコンに収めておけば良いこと。 情報量の多さと想いの深さは比例しないのだから。 「静かに暮らしたい」とメッセージを送り続けるシンシア ささやかなのに仲々手に入れることが出来ないでいる。 こんなにも長い間、期待を裏切らずに応え続けてくれたのだから もうそろそろ、願いを叶えてあげても良い頃でしょう。 いつまでも心波立たせるのは、酷というものです。 メッセージに真摯に耳を傾ける事こそが、ファンのマナーだと思います。 今回の件は、今一度自らを省みる良い機会になりました。 今後のCynthia Streetの在り方に期待します。 それでも変わらなければ、もはやファンではないところに 行ってしまっているのでしょう。
私の書きたかった事を代弁していただいたようで、申し訳ないです。 静かに暮らしているシンシアを思い、私の投稿はこれで最後にします。 反論もあると思いますが、よろしくお願いします。
Cynthiaと渡辺真知子さんは、一緒にテレビ出演しています。 私の持っているビデオでNHKの『お楽しみファミリーホール』と いう番組がありますが(78年8月23日放送)あいざき進也さん、 香坂みゆきさん、クニ河内さんらと一緒に、山口さんチのつとむくん、 カレンダーガール、南の島のハメハメハ大王などを歌っています。
星座の方へ、 メアドを公開して意見は直接と言われてましたが私のメールは 無視され続けています。 メールが届いて無視されているのか届いていないのか分かりません のでこちらに書かせていただきます。 スマイルさんのOBJECTIONというタイトルはKINDO氏の以前の 書き込みのタイトルを参考にしていると私は考えます。個人名を 出して異論があると言ったのは、スマイルさんが最初ではないので あります。 ========================================= ●●さんへObjection! 投稿者:KINDO 投稿日:05月11日(木)15時57分38秒 だから、●●さんが書いた一部の情報は、トリビア(フジテレビ 番組)のあるコーナーで緑の沼に沈められるハガキと同じ運命にある 情報だと言えます。 「どこかで拾ってきた〈パンドラの箱?〉を開けて、それを 公表するなんて、心外だわ!」 と反論し訴えてきましたので、KINDOが代弁いたしました。 ========================================= 別冊宝島の記事は、KINDO氏が以前書かれた「緑の沼に沈められる ハガキと同じ運命」の情報であると考えます。従ってスマイルさんは 指摘し雑誌を信じて欲しくないと訴えたと私は考えます。 さらに亡くなったお母さんの告白を書いてみたり(まったくの 邪推であるにもかかわらず)実父の気持ちを推し量ってみたりと 同情を寄せているようで他人の生活ののぞき見以外のなにもの でもない駄文である。シンシア及びシンシアの家族が読んで 不愉快に思わないのかとの他人を思いやる能力の無さに同情 いたします。
そうそう。シンシアの声質って、独特ですよネ(だから、 物まねも難しかった)。そういうちょっとだけ好きなファンが たくさんいてくれたから、新人賞や歌唱賞もいただけたのだと 思います。だから、ちょっとだけ好きなファンも大切にして いきたいって、私は思います。 私も前に、Cynthiaの歌(引退後のコマーシャルソング)が テレビから流れてきて、『今のは、絶対Cynthiaだよ』と一人、 興奮していたのを思い 出しました(普段は、ほとんどテレビを見ない人なので)… たま~につけたテレビでCynthiaの声が聞けるなんて、私には、 ちょっとした感動でした。 車に残って由紀さおり(南沙織だってば!)を聞いてると いう後輩、かっわいい!!
今日、新しい職場の2年後輩の同僚を車に乗せてアルバム 『maturity』をかけていました。すると、その同僚が 「これ、南沙織ですね?」と聞いてきました。「なんで、 わかった?」って聞いたら、「ぼくも、昔好きでしたから、 声で‥」と。彼は初めて聴いた曲だったようですが、 Cynthiaの声質って結構むかし好きだった人にも記憶に 残っているんだなと思いました。 でも、私が用事を済ませる間「車で待ってます。由紀さおり でも聞いて‥」と言うので「南沙織や!」とちょっと大きめの 声で言ってしまいました。大人げ無かったかな~? こういう人って「ちょっとだけ、南沙織が好きだった」ファン なんでしょうね?
トナカイさんの記事ちゃんと読んでいませんでした。ごめんなさい。 講座では使われなかったのですね。 ただ、渡辺真知子さんと彼女が同期であるとすれば、一緒になった ことあるかもしれませんよ。ファンクラブの最終号で、渡辺さんが、 「デビュー間もない私と、沙織さんとは本当に短い期間のお付き合い でした。・・・これからも機会があれば、長いお付き合いがしたいと 思っています」。それにたいして、シンシアは、「本当に短いお付き 合いだったけど、なぜか親しみの持てる女性なのよね。 あの笑顔のせいでしょうね。 ニューミュージックのなかでもあなたの作る歌って、大人の感じで とてもよいと思います。ベタベタしていないところが好きなの」 ってレプライが…。ということで、石野さんとシンシアは会った ことがある可能性が…
『新潮45』Get。精華大の件ですが、一応報告させていただきます。 なんかちゃんと取材していないな、って感想です。もっと簡単に 情報はいるのにね。あまり信用できないって言うか、新聞記事から の引用、それから電話インタビュー(しかも割りと近場ではない ところ)だな、と感じます。 彼の下宿先って、京都の住民からすれば、考えられないところだし…。 というか、大学の場所からすれば、親戚の家という説もあるのだけど、 それにしても自転車通学なんて…、通常考えられないところ。しかも、 大学からその下宿先の道筋からいえば、反対方向だし…。あの時間に 買い物に行くってのも…。そこのところが、なかなか解けていないの ですよ。『新潮』はそこのところぜんぜん触れていません。 ということで、あの原稿からすれば、『新潮』の水準はある程度読める ような気がします。ただ、情報として提供することは意味があったと 思います。 シンシア関係の記事で面白かったのは、「今は静かに暮らしています…」 ってところ。なんか何年か前の「アンソロジー」発売のとき、ちあき なおみさんと一緒にテレビ朝日で取り上げられたときの、電話インタ ビューと同じでだしですね。まぁ、その程度のことといえばそうです が、その後、テレ朝に沖縄関係でインタビューがあったから…、もし、 「ガザコさん」が特集を組まれたら、何らかの形でシンシアが現れる のかも…、という要らぬ期待をしてしまいます。 それから、トナカイさん、石野真子さんの「彼が初恋」の原曲が シンシアのだってこと、割と有名、というか僕らの年代ではあたり まえですよ。ブツクサいっていたことを思い出します。やっぱ、 シンシアの方がいいよね、って。それにして、もシンシアのカバーは 多いですよね。三田寛子『色づく町』は断固却下(本人のせいでは ない。スタッフが悪い、とは思うのですが)。 シンシアのときの音楽講座で思いだすこと。森高さんの「17才」を 紹介したあとでの酒井さんのお話は面白かったですね。石野さんは僕と 同い年(彼女は早生まれですが)、80年発売だとすると19才のとき ですね。講座で、シンシアのカバーを続けて流す、酒井さんのあの ときの発言からすれば、やっぱ、『生』なのかなぁ…。 ってなことからすれば、今のシンシアの『17才』は聴かない方が いいのでしょうか?なんとなく、そう思います。今のシンシアの曲が 聴きたいな。
1月19日(土)に開かれた音楽講座の報告の追加です。 コガ・ミュージアム ミュージアム講座 酒井政利のJポップの歩み~アーティストクローズアップ編~ 2008年1月19日(土)第10回 特別ゲスト:石野真子 ここでは、直接音楽講座とは関係ありませんが、真子ちゃんの 持ち歌でシンシアの曲をカバーした曲の話です。 シンシア:「ふるさとの雨」(ファーストアルバム『17才』収録)1971年 石野真子:「彼が初恋」(シングルA面)1980年 この曲は、ほぼ同じです。有馬三恵子作詞、筒美京平作曲です。詞は少し違いますが。 この曲が真子ちゃんの中でどのような位置づけなのか、音楽講座が終わる まで知りませんでした。私は、真子ちゃんのCD(レコード)は一枚も 持っていませんでした。会場で即売されていたCDを一枚買いました。 真子ちゃんがアイドル時代に歌っていた曲を、いま歌っているアルバムです。 『Mako Revival』 CTR-05013 2005.4.27 RELEASE (COME TRUE RECORDS) 01.わたしの首領 02.めまい 03.春ラ!ラ!ラ! 04.彼が初恋 05.プリティー・プリティー 06.日曜日はストレンジャー 07.ジュリーがライバル 08.詩生活 09.ガラスの観覧車 10.いたずら 帰宅してから聞いた時、10曲の中に「彼が初恋」が入っている事に 気付きました。真子ちゃんにとっても想い出深い曲のようです。
ここでは、酒井ディレクターを称えたいと思います。今回の音楽講座を 聞いて、酒井ディレクターのゲストを大切にする気持ちに感嘆しました。 真子ちゃんは、アイドル時代はビクターに所属していました。酒井 ディレクターは、CBSソニーです。 1978年のレコード大賞の新人賞では、ビクターとCBSソニーは 競い合っていました。新人賞を受賞した渡辺真知子さんがCBSソニー だったからです。 酒井ディレクターは、真子ちゃんとはアイドル時代も今も一緒に仕事は していません。普通、こういう場合、自分の守備範囲で話を進めてしまう のが普通の人だと思います。 今回なら、渡辺真知子さんやシンシアの話を会話に絡めても不思議では ありません。しかし、渡辺さんの話は少し出て曲もかかりましたが、 シンシアについては全く話に出てきませんでした。渡辺さんを取り上げた のは、デビューが同期だからのようです。 音楽講座で取り上げた曲は16曲、選曲は酒井ディレクターが決める でしょう。その中に「彼が初恋」は入っていません。真子ちゃんが今でも 好んで歌い、シンシアの曲のカバーにもかかわらずです。 酒井ディレクターがその気なら、「彼の初恋」を取り上げて、シンシア の話をする事が出来ました。 酒井ディレクターはあえてそれをしませんでした。真子ちゃんのデビュー は、1978年3月なので、シンシアと一緒に仕事をした事はほとんど 無いでしょう。レコード会社も違いますし。 酒井ディレクターは、それを察して取り上げなかったと思います。 何と懐の深い方なのか。あくまでゲストを立てて、そこから真子ちゃんの 魅力を引き出す。感動した音楽講座でした。