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2011年08月 の伝言板を読む
2011年06月 の伝言板を読む
私には美術のことはわかりませんが、ちょうど、 フェルメールからのラブレター展が京都市美術館で開かれています。 6/25(土)-10/16(日)。 その他、宮城県美術館10/27(木)-12/12(月)、 Bunkamura ザ・ミュージアム12/23(金・祝)-2012/3/14(水)。 また、本日7/31(日)20時-21時NHK Eテレ『日曜美術館』で 「“手紙”が語るフェルメールの真実」が再放送されます。 『極上美の饗宴』第1回(4月4日)心奪われる瞳の謎 フェルメール『真珠の首飾りの少女』 http://www.nhk.or.jp/artbs/kyoen/content/index_04.html
「ハッピーライフイン沖縄」 2011年06月17日 南沙織の初恋の・・ 〔←青いターバンの少女の画像〕 写真家の篠山紀信が フェルメールの 真珠の耳飾りの少女 (青いターバンの少女) をテレビで再現していた フェルメールの絵に見られる鮮やかな青は、 フェルメール・ブルーとも呼ばれる。 この青は、天然ウルトラマリンという顔料に由来しているそうだ。 フェルメールは写真機が出来る前から 「キャッチライト」で少女の目に 表情を転化した・・・ 瞳と真珠の耳飾と唇に「光」を描いた。 〔←卒業写真〕 首里高校の卒業式 ボクのクラスに南沙織の初恋の人がいる 彼はテレビの歌番組に招かれて、ダブルのスーツで椅子に座り 隣で南沙織が歌ったそうだ。 もう!女は色男に弱いんだから・・・ボクのとなりのとなり 南沙織(旧姓内間明美) 地元沖縄で琉球放送の視聴者参加型のど自慢テレビ番組『オキコワンワンチャンネル』、 『100万人の大合戦』などでアシスタントのアルバイトをしていた。 ある時、琉球放送のテレビ番組にゲスト出演したヒデとロザンナのマネージャーが 持ち帰った南の写真が偶然関係者の目にとまり、東京に呼び寄せることとなった。 「日本におけるアイドルの第1号」「元祖アイドル」と評価されることもあるそうだ。 彼女のファンは、著名人にも多い。 羽仁進、泉谷しげる、大岡昇平、岩崎宏美、泉麻人、 やくみつる、さくらももこ、よしだたくろうなど。 よしだたくろうとかまやつひろしの楽曲「シンシア」は、南沙織に捧げた楽曲。 ハッピーライフイン沖縄:http://sukebo58.ti-da.net/c131807.html
オキナワグラフ1971年12月号 ネットで買いました。一年ほど前にバックナンバーが買えると知ったのですが、問い合わせ した時はこの号は完売していました。今でもバックナンバーは売っています。それとは別に 今回のネット販売も実現し、念願の71年12月号の全貌がわかりました。 シンシアについては、表紙と奥付に小さく「表紙の人」という説明があるだけとわかりました。 表紙の写真は、おそらくプロダクションのOMCかCBSソニーからもらったと思います。 (表紙の人)の説明文は、かなり斬新です。 (表紙の人) 表紙の人 南沙織(17歳) 本名・内間明美。月の女 神シンシアに似て、健やか でキュートでフレッシュな 新人として目下売り出し中。 奄美大島生まれ、久場崎ハ イスクールを出て、英語、ス ペイン語もペラペラです…
オキナワグラフがネットで買えます。 新星出版(株)が出している「オキナワグラフ」が、一部電子書籍化されています。 沖縄eBooksという会社から買えます。 (説明) 1958年4月の創刊号から、本土復帰(1972年5月)前後の現存する号を電子書籍化。 本土復帰の象徴であった沖縄国際海洋博を経て現在に至る、沖縄の政治、経済、文化、人々の 暮らしの変遷を写真を通して知ることができます。沖縄の戦後史資料としても貴重な写真月刊誌。 表紙に記載された「B円(ビーエン)」や「¢(セント)」という売価からも、沖縄が本土とは 異なる政治・経済体制のもとにあったことが窺えます。 1冊500円です。 (シンシアが表紙の号) オキナワグラフ1971年12月号 目次・詳細 沖縄の声を・・・「宮崎1日内閣」 国の独立と安全・・・野呂防衛次官来島 (表紙は 南沙織) -目次- 人物月旦 琉球セロファン会長 知名洋二 伝説の跡をたずねて 越来ようと 夜業やがまや 必ず実現する豊かな沖縄県 沖縄の声に応えた宮崎の一日内閣 通貨確認 $61,584,189也 トピックス 那覇・コザで政治ゼミナー 国の独立と安全のために 防衛庁野呂政務次官来島 もうかる農業 パインからみかんへ 平安山英順さん こんにちは町長さん 本部町 並里安博氏 大綱引きに20万人の人出 コンピュータ時代の担い手 沖縄情報処理センター おいしく たのしく すこやかに 森永製菓沖縄販売 那覇商業高校同窓会全国大会 沖縄観光開発事業団の海中都市 ママさんバレー 張切る若狭チーム 沖縄一の規模と国際水準の設備を誇る 首里観光ホテル起工式 落成 沖東自動車商会 大謝名トルコ 良い品はやっぱりお買得です 古堅家具センター 人物登場 公看シリーズ 健康な県づくりに挑む ニュース・ダイジェスト リウボウ増築/山中大臣と具志堅天皇ほか 歌のふるさと 西武門節 歌って踊って明日への鋭気を 社会時評 表紙の人 編集室 オキナワグラフ:http://www.s-syuppan.com/okinawagraph/index.html 沖縄eBooks:http://www.okinawa-ebook.com/index.html 電子書籍(オキナワグラフ)http://www.okinawa-ebook.com/item/okinawagraph.html
大岡昇平「戦争」(岩波現代文庫) (本書解説) 大岡昇平先生のエッセイ集です。1970年の夏に口述筆記で文章がしたためられたと あとがきにあります。先生が自身の半生を振り返ったエッセイ的な本です。 1970年に大光社から刊行され、1978年に九藝出版より再刊、2007年に 岩波現代文庫から三度目の出版がされました。 -目次- 第1章:その前のこと 第2章:太平洋戦争勃発 第3章:ミンドロ島 第4章:俘虜体験 第5章:戦争とは あとがき (文庫データ) 大岡昇平著「戦争」 A6判.並製・カバー・254頁 文庫分類番号 社会155-S155-(背表紙上部、緑色) 定価 1,050円(本体1,000円+税5%) 2007年7月18日初版(買ったのは2009年の3刷) ISBN978-4-00-603155-8 C0136 『俘虜記』『野火』で知られる著者が,自身の戦争体験を語り下ろす.数々の小説とは またちがった,作家の雰囲気が漂う著作である.「なにか事があれば,ひどい目にあうのは, またもやわれわれ国民ではないのか.」軽妙に聞こえる語り口の裏側に,戦争への激しい思い, 埋み火のような執念がゆらめく.文庫初収録の作品. (解説抜粋) 解説:野村 進 私の手元に、万年筆で「大岡昇平」と記したサイン本が二冊ある。 東京・成城の大岡氏の自宅を訪ねたおり、じきじきに署名していただいたものだ。仕事柄、 著名人には多々会っているが、取材する者と取材される者という立場上、サインをもらうこと など皆無に近い。大岡氏の署名がある『レイテ戦記』の単行本と、その場で大岡氏から プレゼントされた『ザルツブルクの小枝』の単行本は、稀有な例外で、私にとっては宝物の ような二冊なのである。 1982年の、たしかよく晴れた秋の日であった。知人の女性がどういう経緯からか 大岡氏よりフィリピン関係の資料を借り受け、それを返しに行く際、私を誘ってくれたので、 一も二もなく同行を願ったのだった。 心臓に持病を抱える大岡氏が会ってくれるかどうかわからないとのことだったが、幸いその日は 体調が良いらしく、和服姿の奥様の案内で居間に通されると、じきに長身痩躯の老作家が姿を 現した。何色かは忘れたが、品の良いカーディガンを羽織っていた。 二十代半ばだった私は、むろんかなり緊張していたが、思い切って携えていた自署を差し出した。 フィリピンの「新人民軍」という共産ゲリラに五ヶ月ほど従軍した記録で、フィリピンに縁が深い 大岡氏は関心を持つかもしれないと思った。 ところが、大岡氏は、「ああ、それ読んだから」と、一瞥もくれないのである。 いかに鈍感な私でも、感想を聞かずもがなという気がした。表情にこそ出さなかったけれど、 ひどく落胆した。 大岡氏は、度の強い眼鏡をかけているせいで、私のほうからは目玉が3倍くらいの大きさに 見える。その目に終始射抜かれているようで、私はからだを強張らせていた。 そのとき、ふとテーブルの上のレコードに目が留まった。当時大ヒットしていた、あみんの 『待つわ』である。 「お孫さんがお聞きになるんですか?」と尋ねると、「いや、僕が聞くんだよ」 少しはにかんだように答えた。私は、話の接ぎ穂がなくて、何の脈絡もないことを口走った。 「アミン」はフィリピンのタガログ語では「私たちの」という意味がある、と。 すると、大岡氏は初めて私の話に興味を示したように、「ああ、そう!」と感嘆の声をあげ、 「タガログ語も、日本の歌に入るようになっているんだねえ!」と、心底うれしそうに言うではないか。 いや、それとこれとは別の話で、と申し開きもできず、内心困惑している私を尻目に、 「僕はフィリピンびいきだんだよ」と、途端に口調が滑らかになった。 「あそこは、人がやさしいでしょう。ミンドロ島に行った(再訪した)ときも、みんなやさしかった ですよ。戦争中、日本にあれだけひどい目に遭ったのにねえ」 歌手では、南沙織(現在の写真家・篠山紀信夫人)のファンだと言った。「あの子は、フィリピンと 沖縄のハーフでしょう。フィリピンも沖縄も僕は好きだから、ひいきにしているんだ…」 本書の解説を依頼され、まず頭に浮かんだのは、もう四半世紀前の、一度きりの邂逅の場面である。 (解説P243~245) 野村進公式HP:http://susumu-nomura.com/ 岩波現代文庫:http://www.iwanami.co.jp/hensyu/genbun/
u3から指摘いただきました。ほかにシンシアの載っている箇所があると。次のページです。 探せばあるものですね。他にも大岡先生の文庫本の解説に名前があると教えてくれました。感謝。 『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史』 【ハードカバーP559 文庫下P247】 喜屋武が音楽の世界に目覚めたのは、那覇工業工業時代だった。南洋のポナペ人との混血の 友人が、南沙織がアシスタントをつとめる琉球放送の「オキコワンワンチャンネル」で入賞して景品を もらってくるのが、刺激となった。だが、そのときは音楽の道にはまだ進まず、ベトナム戦争が始まった 1960(昭和35)年、パスポートをとって東京に集団就職した。
秘密のケンミンショーは、日本テレビ系で毎週木曜日21時からの一時間番組です。 昨日のケンミンショーの補足説明を書きます。以下、県には、都・道・府を含みます。 この番組の最後の20分ほどは、連続転勤ドラマ「辞令は突然に」です。東 京一郎(あずま きょういちろう)と妻はるみが転勤を繰り返して、ご当地の名物などをドラマ仕立てで紹介して いきます。 一つの県を大体前後2回で紹介します。前編では、その県の主要な駅か空港の建物から二人が 出て来る所から始まります。その時にご当地の歌が流れることが多いです。 転勤ドラマは、この回から新シリーズになっています。ほとんどの県を回ったようで、二巡目 になり、夫婦の設定を少し変えました。妻はるみは、今までは専業主婦でした。今回から元女子 アナだったということになって、ご当地のテレビ局でアナウンサーをするという話になっています。 必ず転勤ドラマのご当地出身タレントがゲストで来ます。今回はスザンヌがゲストでした。 熊本県の話なので、気楽に見ていました。ところが、ドラマが始まったら、「チャチャチャ・ チャチャ」と聞き慣れたイントロが。びっくりして画面を見ていると、森高千里さんの「17才」 が流れてきたのです。 まさかここで「17才」が流れようとは思いもしませんでした。森高さんは、大阪の生まれですが 幼少時に一家で熊本市に移っています。実質的な故郷が熊本県です。 しかし、センスの良い選曲だと思います。 http://www.ytv.co.jp/kenmin_show/index.html
昨日の「秘密のケンミンショー」の後半の転勤ドラマ、昨日は熊本県でした。 このドラマは最初にご当地出身の歌手の歌が流れることが多いです。 何気なく見ていたら、いきなり「17才」のイントロが。びっくりして見ていたら 森高千里さんの「17才」が流れました。一番の半分以上が流れています。
BSで26日に徹子の部屋の再放送があります。
『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史』は、2008年9月に集英社インターナショナル から発売されたハードカバー本です。 このたび文庫本になりました。集英社文庫からの発売で、7月25日発売の奥付です。ハード カバーは648ページもあったので、文庫は上下巻になっています。 ハードカバーにはなかった主要人名検索が巻末に付きました。下が対照表です。左がハード カバー、右が文庫です。 P108 文庫上134 P531 文庫下214 P539 文庫下223 P539 文庫下224 P546 文庫下231 P549 文庫下235 P550 文庫下236 P594 文庫下289 P597 文庫下294 P539はハードカバーは一ページでしたが、文庫本では文章が分かれて2ページ掲載に なっています。 ハードカバーのシンシアが載っている場所は書きぬいたつもりでしたが、P539は気付き ませんでした。ここに載せます。ほかの部分は、2008年10月25日の投稿をご覧下さい。 【P539】 -安室奈美恵はどうですか。やはり、わじわじしますか? 「あまりピンときませんね。あれが琉球の芸能だといわれること自体わからない。南沙織? 同じです。BEGINや夏川りみさんの音楽には沖縄を感じます」 安室奈美恵や南沙織は、あくまで本土の人間にとっての沖縄のタレントであり、沖縄 ネイティブと本土の人間では、沖縄芸能の受け止め方が本質的に違うということなのか。 (文庫本情報) 『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史』 佐野眞一著 各巻780円(税込) 上巻 ISBN:978-4-08-746725-3 下巻 ISBN:978-4-08-746726-0 集英社文庫:http://bunko.shueisha.co.jp/
トナカイさん、徹子の部屋のレポートありがとうございます。 見逃していたので、嬉しいです。
徹子の部屋(11.7.19)ゲスト篠山輝信3 番組の会話を要約して載せます。主に徹子さんと輝信さんの会話部分を載せていて、省略 している部分もあります。会話をそのまま載せると膨大な量ですし、話し言葉と書き言葉では 受け取る意味も違います。輝信さんは、シンシアをお母さんと呼んでいます。 この投稿は、私の言葉で書いていて、実際の放送とはかなり違っていますが、原意は出来る だけ汲み取っています。 (番組開始) -テーマ音楽が鳴ると同時に、一枚の写真が写し出されます。- 黒柳:赤ちゃんを抱いているのは南沙織さんです。今日のゲストは篠山輝信さんです。 (前半) 黒柳:今日のお客様は、俳優の篠山輝信さんです。 輝信:指折り数えて楽しみにしていました。 黒柳:クイズ(注1)では時々ご一緒しますが。ご両親の影響をたっぷり受けてらっしゃるのが よくわかる(ルックス)ですね。最初お会いした時は、お母様に似ていると思いましたが、 話し方はお父様に似ていますね。 輝信:会う人によって母似、父似と言われますが、母似と言われた方が断然うれしいです。 -写真が写る- 黒柳:今写っている写真ですが、引退後の写真は出さないって。 輝信::母の引退後の写真は、原則として出さないそうです。この写真が初めてです。 黒柳:この写真の赤ちゃんがあなたかどうか迷ったって。 輝信:この写真をもらって、間違ったらいけないからと母に確認したら、母は即答出来ません でした。ほかの写真と見比べてこれはあなたで間違いないと言っています。 黒柳:男の子の三人兄弟ですが、上と下とはいくつ離れていますか。 輝信:兄と4つ、弟と2つ違いです。家には女性は母一人ですが、母が一番強いです。 黒柳:お父様はこの番組に今までに8回出ていただいています。 輝信:父はテレビに出る時に予定を言わないんです。でもこの番組に出る時だけは、事前に 出ると言っていました。そのため、子供の時もこの番組は見ていました。同じ番組に 僕が出れて、篠山家的にも名誉なことです。 -画面に「17才」シングルジャケットが写り、歌がほぼ一番流れます- 輝信:幼い頃から聞いているので、聞き飽きています。 黒柳:お母様の現役時代に一緒に仕事していて、その人の次男と今話していて不思議な気が します。 -1980年の徹子の部屋の紀信さんが映ります- 黒柳:この間お宮参りしたんですって。 行きました。写真館で写真も撮りました。あいつが写真館で撮りたいと言うので。 黒柳:写真館の方が(修正などで)綺麗に撮れるからでしょうか。 黒柳:これはお兄ちゃんの時の話ですね。お父様は忙しいので、学校行事もお母様が来ていた そうですね。 輝信:でも父は、高校の文化祭には二人で来てくれたんです。 黒柳:よかったですね。 輝信:もしかしたら母が誘ったのかもしれません。あの時は嬉しかったです。父とは(仕事で) 時間が合わず、家に一緒にいるのが少ないです。 黒柳:お父様とあなたの間で「石鹸事件」ってのがあるんですって。 輝信:ご存知でしたか。それは母の方です。僕も反抗期ていうのがあって、ある時、母と口論に なり、母に言っちゃいけないようなこと言ったんです。そしたら、手を引っ張られて お風呂場に連れて行かれました。風呂場だから石鹸があって、石鹸を口に当たられて、 「汚いことを言うのはこの口ですか」と言われました。 黒柳:まあ。 輝信:子供心にも「それでは落ちない」と思いましたが。母は専業主婦で、学校から帰れば母が いるし、やっぱりかないません。 -写真が写って- 黒柳:写真を拝見すると、お母様は変わっていませんね。 輝信:そのままとはいきませんが、あまり変わっていませんね。 黒柳:お兄様は今何歳? 輝信:31歳です。 黒柳:31の子供がいるお母さんとは全然思えませんね。 輝信:はい(嬉しそうに)。 黒柳:和田誠さんの長男もお兄さんと同い年で。(あなたが生まれる前に)和田さんとお宅に お邪魔してお母様の手料理をご馳走になったのよ。お父様もいました。おいしかった。 輝信:うちに来たことあるんですか? 黒柳:何度も行きましたよ。アイドルもやっていた人がこんなに料理もうまくて、綺麗な器に 料理を出してくれて。 輝信:僕も母の料理を食べて育ちましたし、母の料理は大好きです。 (後半) 黒柳:いつ俳優になろうと思いました? 輝信:大学卒業間近です。芸術学部にいましたし。 黒柳:ご両親は何て言ったの? 輝信:賛成も反対もしませんでした。やりたいならおやりなさいと。元々、両親とも子供に 何かをしなさいと言ったことはないんです。 黒柳:本当は裏方をやりたかったんですって。 輝信:そうなんですよ。僕は小中とサッカー部だったんです。舞台美術にも興味がありました。 トンカチとか持ってセットを作るのはカッコいいと思っていました。 黒柳:それで高校進学で演劇部に。 輝信:僕の高校には演劇部が二つあってんです。普通の演劇部と英語でミュージカルをする ミュージカル部です。僕はミュージカル部に入りました。 黒柳:そんなんですか。 輝信:ミュージカル部なんで、女子30人、男子5人の部員構成でした。すると男子が足りない ので、舞台に出てくれと言われ、しかも男子が少ないのでいい役が来るんです。 -高一の時の写真が写る- 黒柳:これは高一の時の写真ですね。 輝信:僕は目立ちたがり屋だったんです。学級委員長に手を上げたり、先生の質問にもハイハイ と手を上げたり。そんな性格だったので、ミュージカルをしている内に演じることが 楽しくなっちゃって。結局舞台美術の方は興味がなくなっちゃいました。 黒柳:舞台では歌ったの 輝信:ハミング程度です。僕はずっとサッカーやっていたし、英語も特別勉強しませんでした。 黒柳:お母様は、歌手だし英語もお上手ですしね。 輝信:文化祭では変なプレッシャーがありました。観に来る生徒や父兄も、「あの子がそうよ (南沙織の息子よ)」と思っていますし。期待がプレッシャーになって。 黒柳:大変でしたね。 黒柳:野際陽子さんと一緒にお仕事したとか(注2) 輝信:はい、軽井沢の町を紹介する番組でご一緒させていただきました。 黒柳:そこで何かあったとか? 輝信:軽井沢のメインストリートを二人で店を紹介しながら歩いたんですが。途中でプロデュー サーから「お団子をアーンと食べさせて」をカンペがでました。見物人も多かったので、 すごい緊張して、腕がブルブル震えて来ました。 黒柳:まあ。 輝信:野際さんが優しくて、僕の腕をつかんで震えを止めて、口を近づけてアーンと食べて くれました。 黒柳:よかったですね。 輝信:でも、放送ではこの場面全部カットされていました。 黒柳:ご両親の仲はいいんですね。 輝信:父は息子の前でも母をよく褒めるんです。「南沙織ってなかなかいいんだぞ」と。母も アイドル時代の自分にプライドを持っています。南沙織は南沙織って感じで。 黒柳:あなたはお母様の全盛時代をご存知ないですよね。 輝信:よくわからないです。 黒柳:当時はビデオなども無いですしね、写真だけですものね。 輝信:母は、みんなが居間に一緒にいると、わざと自分のCDをかけるんです。 黒柳:まあ。 輝信:でも子供として母の歌声を大音量で流されても、照れくさくて一人一人と自分の部屋に 戻っていって。最後は母と父だけがのこっています。父は曲を聴きながらいいねなんて 言っています。 黒柳:お二人の仲がよくていいわね。 注1:「世界ふしぎ発見!」(TBS系、毎週土曜日21:00~21:54)他局なので番組名は言わないようです。 注2:『旅の香り』(テレビ朝日、2009年05月03日(日)18:30~18:56)
先日、このコーナーで7月2日にパーティーがあると聞いて驚いていました。 その日、妻と 都心に出た帰り道に立ち寄った中古レコード屋で、20年以上も探していた『さよならシンシア』 のCDを手に入れ、嬉しくてのけぞってしまいました。 わたしの出発を聞いてはもらい泣きを した19歳のころを思い出し、笑ってしまいました。 レコードは既に持っていましたが、 やはりCDの迫力は素晴らしいです。
番組冒頭で、輝信さんを抱っこしたシンシアの写真が写ります。何度か同じ写真が 写りました。 シンシアは引退後のプライベートな写真は一切公開しないので、これが初めての写真だと 輝信さんが言っていました。 ほかに「17才」のシングルジャケットの写真が出ています。
情報ありがとうございます。急いで徹子の部屋のHPをチェックしました。水曜日は 静ちゃんがゲストですね。こちらも楽しみです。 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/
お母さんネタで出演のようです。 以下、ホームページから転載します。 7月19日(火) 出演 篠山 輝信(しのやま あきのぶ) 「母 南沙織のマル秘写真初披露」 父は写真家の篠山紀信さん、母は元歌手の南沙織さん。2006年俳優デビューし現在は レポーターとして活躍している輝信さん。今回は特別にアイドル歌手として一世を風靡し 結婚後は一切マスコミから姿を消していた母南沙織さんの私生活の写真を初披露して いただきながら篠山家の夫婦仲や子育て秘話を語って頂く。今でも家族が集まり食事を している時などに「南沙織は良いぞー」と自分の妻を自慢する父は如何なものか・・・と 苦笑した。
「時代のサカイ目」第二十三回(11.7.14) 『時代のサカイ目-酒井政利音楽プロデューサー50周年-』 第二十三回「大衆に寄り添える中島みゆきと桑田佳祐」 『言葉の実験劇場』をコンセプトに、1989年から始まった中島みゆきの『夜会』。98年 までは毎年開催されていたが、それ以降は不定期開催で、今年は2年ぶりにVOL・17が上演 される。 開始当初は通常のコンサートに近いステージだったが、徐々に進化。古事記の『天岩戸の物語』、 『雨月物語』、『銀河鉄道の夜』、『安寿と厨子王』などの古典を元にしたオリジナルストーリー をはじめ、全て書き下ろしのオリジナルストーリーで上演される。 またステージで歌われる楽曲も、毎回書き下ろされたオリジナル。コンサートでもなく、演劇や ミュージカルでもないステージは、『中島みゆきの夜会』という新しいジャンルを確立したといえる。 かつて越路吹雪は『ドラマチックリサイタル』と銘打ったロングラン公演を毎年、日生劇場で 開催していた。越路亡き後、誰がそのポジションを引き継ぐのかと、何人かの名前が取り沙汰されて いたが、ジャンルを超えて中島みゆきが受け継いだとみる。 中島はアマチュアの世界からポプコンで優勝し、プロデビューした。その後も独自の世界観で 聴く者を惹き付けて離さない。まさにアーティストゾーンにいる第一人者。アーティストゾーンに 入ったエンターテイナーは、大衆とどう折り合いを付けるかがポイントになる。 アーティスト性ばかり追求すると、コアな一部のファン以外、大衆は見向きもしない。セールス を伸ばすために人気を取りに行こうと大衆にすり寄ると、大衆はそっぽを向く。その媚びが大衆 には許せないのだ。 必要なのは、大衆に寄り添える、娯楽性に裏打ちされた良質の作品を生み出すことである。 それができない限り、“自称”アーティストでしかない。中島は、『地上の星』で ♪名立たるものを追って 輝くものを追って 人は氷ばかり掴む♪と歌った。 大きな夢を追い続けて、やっと輝く夢を手で掴んだと思ったら、手が凍てつくほどに痛く、 気付けば溶けて何もない…。大きな夢に向かっているようで、実は出世や昇級、昇給に向いて 走り続けるサラリーマンの痛さを表現し、大衆に寄り添った。 もうひとり、国民に寄り添えるアーティストがいる。桑田佳祐。彼の右に出る者はいないと いわれるほどのメロディーメーカーで、ロック、ポップス、バラードから昭和歌謡まで、 メロディアスな楽曲を作る。 また、歌う“声”を楽器として扱うことで、むしろダミ声に近い彼の声を、セクシーに エロティックに聞かせてしまうのは、桑田の桑田たるゆえんである。更には、サザンオール スターズというバンドで歌ったかと思えば、桑田佳祐としてソロ活動をする。シリアスな 大人の顔をしたかと思えば、ふざけて少年のあっかんべーになる。 そのスイッチの切り替えは、定期的にやって来るのではなく、本人のみぞ知る。その振れ幅 の大きさこそが、彼のセルフプロデュース力。円満な夫婦に対して、“妻が夫を手のひらの上 で転がしている”と評することがある。 中島は自身の作品を手のひらに乗せて転がし、桑田は、圧縮した自分自身を手のひらの上で 遊ばせている。どちらも、大衆に寄り添うことで、大衆が無条件に押し上げてくれる良質の エンターテイナーである。 『夕刊フジ』2011年7月15日号(14日発行)第17面(毎週木曜日連載)
週刊アサヒ芸能2011年7月21日号 「あのいい女が蘇る!」第一回 P62~69
「時代のサカイ目」第二十二回(11.7.7) 『時代のサカイ目-酒井政利音楽プロデューサー50周年-』 第二十二回「チャン・グンソクがモテモテのワケ」 韓流スターの勢いが堰を切っている。チャン・グンソクが来日した。昨年放送された『美男 <イケメン>ですね』でブレークし、20代から中高年層まで、幅広く女性に支持されている。 その人気ぶりは、韓流の先駆けとなった、一時のヨンさまを凌ぐほど。7月発売される写真集は、 既に5万冊の予約があるという。 今、韓流の人気の主流は、中性的な美形アイドル。グンソクはまさにその典型。それでいて、 華奢なヤサオトコではなく、兵役義務の影響もあり、女性が好む細マッチョな体をしている。 少年ぽさの残るあどけない表情を見せたかた思えば、強く逞しい男臭さを漂わせる。その ギャップに女性たちは魅了される。母性本能をくすぐられ、守られたい潜在意識を満たされるのだ。 グンソクに限らず、韓流タレントは露出が少ないことも、熱を煽る。初期のAKBのように “会いに行けるアイドル”とは対極の、もっと見たいという欲求不満の蓄積が、会えたときの ヒートアップの激しさに繋がっている。そして、満を持してタイミングよく来日する。 そんな韓流イケメンたちの勢いとは裏腹に、やや元気がないのが日本の若手俳優たち。今年 上半期で最も活躍したといわれる向井理。『ゲゲゲの女房』で人気俳優の仲間入りをして以来、 彼の顔を見ない日はないというくらい、露出が多い。 当初は、あのさわやかでメッセージを感じる笑顔に好印象を持ったが、最近は芸能界の甘い水の 飲み過ぎか、さわやかさがくどくなり、少々イヤミに感じかねない。子どもは子どもらしく、 俳優は俳優らしく、である。 真逆に、CMで改めて芸達者ぶりを見せつけたのがSMAP。ソフトバンクのCMがいい。 何ともアヤシゲなキャビンアテンダント、白戸家、武士、サラリーマンなど、コスプレよろしく 六変化を見せているのだが、それぞれの表情におかしみがにじみ出ている。 中でも『白戸家』に扮するバージョンでは、白い犬のお父さんを木村拓哉が、上戸彩役を草彅剛 が、さらには兄を香取慎吾、樋口可南子のお母さん役を稲垣吾郎が演じている。その中で際立って いるのが“なぞのおじさん”を演じる中居正広。 中居のキャラクターは、コンサートではおなじみなので、ファンの間では有名。中居は衣装も メイクもかなりこだわり、自分で作り上げただけあって、他のどの役よりも決まっている。六変化 どれも一瞬驚きで目を疑い、次の瞬間、ぷっと噴き出し、そして「ヘ~」と感心する。 SMAPは個々の活動は盛んでも、5人揃ってとなるとかなり頻度は少ない。むしろ5人揃った SMAPはCMが中心となっている。そのため、CMは練り上げて出演しているように見える。 安易に笑顔で商品を持つのではなく、SMAPの存在感を商品に反映させるというスタンスなのだろう。 さりげない芸をしっかり身に付けた彼らの、5人揃ったときの見せ方のうまさに、個々の役者と して度量をみる。今、芸能界でエンターテインメント性がピカイチなのはやはりSMAPかもしれない。 『夕刊フジ』2011年7月8日号(7日発行)第17面(毎週木曜日連載)
「時代のサカイ目」第二十一回(11.6.30) 『時代のサカイ目-酒井政利音楽プロデューサー50周年-』 第二十一回「対照的なノリでいま注目のお笑い芸人」 雨後のタケノコのように目まぐるしく入れ替わるお笑いタレントたち。お笑いタレントが 芸能界で大きな勢力となって久しいが、若手で突出している人が思い浮かばないくらい、みな、 どんぐりの回転舞台。 タモリ、ビートたけし、所ジョージ、明石家さんまの別格4人を頂点として、笑福亭鶴瓶 、島田紳助が自分のポジションを確固たるものにし、ダウンタウン、ナインティナインたち へと続いていく。が、その次の世代に突出したキャラクターを持つタレントがいない。 そんな中で、構成が面白いフジテレビ系「ピカルの定理」(土曜午後11時10分)が気を 引く。ピースの綾部祐二と平成ノブシコブシの吉村崇の、対照的だが表現に工夫が見えて場を 盛り上げている。まさに水を得て泳ぎ始めている。 以来、折りにふれ彼らを見ているが、特にピース綾部は、お笑いタレントというよりも “芸能人”に近づいている。 聞けば、彼のポジションは裏側ではセールスマン的だという。千原ジュニアを始め、中堅 どころの先輩タレントに自分を売り込み、番組を狙っていくと聞く。外交がうまいのだ。 だからといってごまをするわけではない。彼の場合、上下関係の厳しいお笑い界で、徹底的に 先輩を立てる。 先輩の灰皿に吸い殻があると、いつの間にかきれいにしていたり、先輩と同じエレベーターに 乗り込むと、ボタン脇に立ってエレベーターガールよろしく開閉を担当したり。そんな気遣いが、 先輩たちからかわいがられるツボになっているのだろう。 受け止め方によっては、取り入っているというマイナス印象は否めないが、ある意味、それは セルフプロデュース力である。頭数を揃えるためだけのいわゆるにぎやかしのひな壇タレントと 一線を画しているのは、今の時代必要不可欠なそのセルフプロデュース力によるところが大きい とみる。 そもそも綾部は吉本興業のタレント養成所NSC第5期生で、最初はピン芸人。当時は しゃべくり漫談をしていた。そのVTRを見たことがあるが、目を覆う。タレントは売れて ナンボ、自分の椅子を確保してナンボの世界なのだ。 その後、今とは別の相方とコンビを組んだが、売れずに解散。養成所で同期だった現在の相方、 又吉直樹のネタ構成能力に惹かれたようで、自分から近づいていったという。つまりは、自分を 生かすための相方を見つけたときの食いつきこそが、彼のセルフプロデュース力のはじまりだった のだ。 平成ノブシコブシの吉村も、養成所の同期。彼もまた、お笑いタレントというよりも“芸能人” に近いオーラをもつ。バラエティー番組で見せるややオーバーな演技も、磨けば役者としても じゅうぶん通用する。 気が小さく、楽屋では静かでやさしい性格だという。どうやら私生活では表現者の部分を 閉じ込めているのかもしれない。その分、仕事で破壊力を見せる。 綾部も吉村も、お笑い界の“裏地”とみる。服の表地を支えるポジションで、表と似たような 風合いを持ちながらも、実は一線を画している。何気なく目に触れたときでも、しっかりと ひと目に焼き付けている。 次世代のこのふたり、そのセルフプロデュース力で、お笑いとは言わず、“芸能人”として 成功していくだろう。お笑いタレント発である以上、それはよくも悪くも、ではあるだろうが。 『夕刊フジ』2011年7月1日号(6月30日発行)第17面(毎週木曜日連載)
> 2000年の映画『チャーリーズ・エンジェル』(キャメロン・ディアス、 > ドリュー・バリモア他)で使われて、 映画版のほうでしたか。 でも最新のスピルバーグの映画でシンシアに関連したシンガー、ライターの曲が 聴けるのはうれしいですね。
> 70年代のTV番組のチャーリーズ エンジェル(ファラ・フォーセットが > 出ていた)で使用された曲でしょうか? youtubeのTV版『チャーリーズ・エンジェル』の映像付きの「Undercover Angel」の映像を見ての推測だと思いますが、そうではありません。 2000年の映画『チャーリーズ・エンジェル』(キャメロン・ディアス、 ドリュー・バリモア他)で使われて、youtubeにアップする際に (たぶん)映画の映像を使えばヤバイということで、昔のTV版の 映像を付けたのだと思います。
6月18日の Bさんの書き込みで、映画 Super 8 の中で Alan O'Day さんの歌が数秒流れると あったので、今日見てきました。「Undercover Angel」のサビの部分が数秒流れていました。 始まって 1時間くらいのところで、8ミリフィルムの現像店の若者が車で子供たちを待っている 場面です。『Cynthia Street』で初めて知った人ですが、70年代のTV番組のチャーリーズ・ エンジェル(ファラ・フォーセットが出ていた)で使用された曲でしょうか?
シンシア 誕生日おめでとうございます。日付が変わらないうちに(ロスは、今 7月2日の朝8時前)。 ずっとお元気で!
OMCの写真を投稿しましが、説明不足ですいません。投稿した時、電波状態が悪くて 説明の投稿が消滅しました。 写真の説明をすると長文になるので、OMCの説明だけします。 OMCは、「オフィス・ミュージック・カプセル」の略です。シンシアが最初の所属した プロダクションで、最初のファンクラブも事務所内にありました。 かなり弱小のプロダクションです。当時、紅白の出場はヒットした翌年になるのが恒例でした。 6月1日にデビューしたプロダクションも弱い中、紅白出場を果たしたシンシアの実力は本物です。
今年のお誕生日はデビュー40周年の記念すべき日ですね。 本当におめでとうございます。 元旦の琉球新報のメッセージとあなたの近影には私も心が洗われました。 今日は17会の皆さんとお祝いをしたかったんですが仕事が入っていたので いま一人でお祝いのメッセージを打たせてもらっています。 これからもお元気でお過ごし下さい。 五日市のファンさん、OMCってCynthiaが最初に所属していたプロダクション だったと思います。何の略だったか?MCはmusic capsuleだったかと思います。(笑) それにしてもCynthia直筆のサイン入りとは羨ましい限りです!
シンシア誕生日おめでとうございます。今日迄の一年では、沖縄を語るメッセージを 出してくれ、又、あべさんのブログに姿を見せてくれて、私には嬉しい年でした。 これからの一年も、綺麗なままでいて下さい。シンシアにとって楽しく良い時間を 過ごされる事を祈ります。オメデトウ
シンシアお誕生日おめでとうございます、これからもお元気で。 (OMC)ってなんですか?
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シンシア、お誕生日おめでとうございます。デビュー40周年の記念すべき年のお誕生日を 祝えて、ファンは喜びにあふれています。この一年がますますよい年でありますように。
「グラビア冬の時代とビキニ盛衰記」 '46年に始まったビキニ環礁沖原爆実験は、核兵器の時代の到来を予告した。また、同年 開発された女性用水着をビキニと命名。商品の衝撃性を訴えたのだ。こちらもまさに新しい 時代の到来を予告していた。 夏のレジャーとして海水浴が定着したのは'60年代だが、日本にビキニが定着するのは、 '70年代に天地真理や南沙織といったアイドルが登場し、ビキニ姿で雑誌を飾るようになって 以降のこと。なかでもアグネス・ラムの登場が、一般女性へのビキニの定着を促進させたという。 '70年代末のヒット曲を見てみると、ピンク・レディーの「渚のシンドバッド」では ♪ビキニがとってもお似合いですと肩など抱いて♪(作詞:阿久悠)と、榊原郁恵「夏のお嬢 さん」では♪夏のお嬢さん ビキニがとっても似合うよ しげき的さ クラクラしちゃう♪ (作詞:笠間ジュン)と、ビキニ大衆化時代の始まりを歌い上げていた。 '80年代にはハイレグブームが押し寄せ、ビキニはいったん下火になる。そしてトレンドが 再びビキニへと回帰したのが、'80年代末の巨乳グラビアアイドルブームである。当時、巨乳 アイドル時代のけん引役だった、かとうれいこは、ハイレグ時代から巨乳ビキニ時代へ橋渡し する存在だった。 グラドル評論家の真実一郎によれば、現在はグラドル冬の時代。ビキニで勝負する肉体派は、 AKBやももいろクローバーらミニスカートとキャラで売るアイドルたちに押されぎみ。巨乳 アイドルとして名をはせたMEGUMIや佐藤江梨子は30歳に手がかかる。 もはやビキニに人々が衝撃を受けることもなく、すでに消費財と化したのだ。ビキニの パラダイムシフトが求められている? 週刊アスキー2011年7月12日号P75「恋のDJナイト」 http://ascii.asciimw.jp/books/magazines/wascii.shtml