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2012年05月 の伝言板を読む
2012年03月 の伝言板を読む
参考まで。シンシア表紙ってこれかな?
『週刊ポスト』5月11日号に雑誌『GORO』の特集がありまして、 その中に、シンシアの名前がちらっと出てきます。 (前略) そう、『GORO』と言えば、激写だった。いわゆるヌードグラビアと違って、 もっと自然体で、時にはスターも登場する(しかしその多くはセミヌード だった)激写は私たち高校生に大人気だった(私が今でもよく憶えているのは、 高校二年の時の同級生のT君が南沙織の大ファンで、南沙織が表紙の号つまり 「激写」されている号を見て、脱いでいたらどうしよう、と買うのを付き合わされて 一緒に頁を開き、脱いでいないのを確認し、ほっとした彼の表情だ)。 (後略) 今日は「昭和の日」。しみじみとあの頃がなつかしいですね。 残念ながらシンシアの写真はありませんでした。小学館ケチです(^_^;)。
「時代のサカイ目」第六十二回(12.4.24) 『時代のサカイ目-酒井政利音楽プロデューサー50周年-』 第六十二回「意外と知らない名前の由来 北乃きい、柴咲コウ、天地真理、夏木マリ、 木の実ナナ、久石譲、江守徹…」 平成を物語る名前が芸能界にも登場し始めた。ドラマ『未来日記』(フジテレビ系 土曜午後11時10分)に出演している剛力彩芽(ごうりき・あやめ)。“剛力”という 珍しい名字は強い響きがあり、固い印象を受ける。反対に“彩芽”は女の子らしく柔らしい 印象だが、“芽”に芯の強さを感じさせる。珍しい名前と、ボーイッシュだがキュートな 笑顔、女の子らしい容姿に、一体どんなタレントなのかと興味をそそられる。 北乃きいも名前のインパクトは大きい。本人のイメージが元気で、色にすると黄色を 彷彿させることから、“きい”と命名。本人は戸惑いもあったようだが、一度聞くと 忘れられない名前というのは、芸能界では大事な要素となる。 柴咲コウのように漫画の登場人物に由来する芸名も。かわかみじゅんこの『ゴールデン・ デリシャス・アップルシャーベット』に登場する“柴崎紅”が大もとになる。古くは 天地真理も梶原一騎の劇画“太陽の恋人”からいただいた名前。 昭和の時代には、平凡な本名に反してインパクトのある芸名を付けることが多かったが、 平成では剛力のように本名にインパクトがあるため、あえて本名で通す人が増えた。ギャグ やダジャレが全盛の昭和では、ダジャレのように付けられた名前もある。 夏木マリはデビュー前、夏のデビューにしようと決まった。“夏、決まり”。木の実ナナは、 “着の身着のまま”で芸能界に飛び込んだことと、“ラッキー7”をかけて付けられた名前。 他に、外国のアーティストに由来して付けたのが、久石譲。アメリカの音楽プロデューサー でトランペッターのクインシー・ジョーンズを漢字に当てはめた。江守徹はフランスの劇作家 モリエールの並び替え。アメリカのエンターテイナー、ダニー・ケイに由来するのは谷啓。 役所広司は、千代田区役所土木工事課に勤めていた時に、俳優養成所の『無名塾』に合格。 塾長の仲代達矢が前職をもじって命名。幅広い役ができるようにという思いも込められている。 樹木希林は芸名をオークションにかけた。持ち物をオークションに出すという番組の企画で、 売るものがないからと当時の芸名“悠木千帆”を出品。2万2千円で落札されため、樹木希林を 名乗るように。35年も前にネーミングライツをした発想に脱帽である。 デビュー前のファンのコールで名前を決めたのが郷ひろみ。当時、人気絶頂だったフォーリーブス のコンサートにバックダンサーとして出演した時、会場から「ゴー!ゴー!裕美(本名)!」と 声援がかかり、5人目のフォーリーブスという意味もかけて決まった芸名。ただ名前は漢字では 固いイメージがあるため、ひらがなに。 武井咲は「花が咲くように元気で笑顔が絶えない女の子になってほしい」というご両親の願いで 命名されたが、芸能人になるべくしてなった名前のようにも思える。国民総プロデューサー時代と 言われた90年代に青春だった人たちが平成に出産し、親として最初のプロデュースが子への命名。 名前もビジュアル化している。 名は体を表す。ただ、きらびやかでインパクトある名前で注目されるのは最初だけ。努力を 重ねて磐石にしなければ淘汰されるのは、昭和も平成も変わらない。 『夕刊フジ』2012年4月25日号(24日発行)第6面(毎週火曜日連載)
「時代のサカイ目」第六十一回(12.4.17) 『時代のサカイ目-酒井政利音楽プロデューサー50周年-』 第六十一回「小林幸子 騒動は“舞台セット歌手”脱皮の好機」 野望、欲望を同じにする者同志、利害が一致して目的に向かって進んでいるときは、 互いが最強の協力者となるが、ひとたび利害のバランスが崩れると、それまでの蜜月が 深ければ深いほど一気に崩壊する。小林幸子が元社長の退任を巡って、泥沼の様相を 呈している。 大手プロダクションに所属していた頃から33年、苦労を共にしてきたふたりに亀裂が 入ったのは、小林の結婚が契機と言われる。二人三脚で、“小林幸子”という演歌歌手を 売り育ててきたところに、異分子が登場し、結果的に決裂。双方が弁護士を立てて言い分 を主張し合っているが、このままではただの誹謗中傷合戦になりかねない。 何よりも、小林の歌手活動に暗雲が漂い始めた。騒動の影響でプロモーション活動に 支障が出るとレコード会社が判断し、新曲の発売が延期になった。新曲は“絆”をテーマに 歌っているようだが、絆に背を向けるようなお家騒動とは皮肉なものである。 暮れの紅白歌合戦の選考に影響が出ることも懸念される。小林と紅白の関係はまさに蜜月 だった。長年歌手活動を続けてきたが、ヒット曲は数えるほどしかない中で、紅白歌合戦の “舞台セット歌手”のポジションを持ったことで、地方の興行が成り立ってきた面がある。 残念ながらそれは、歌手として寂しい限り。たとえば居酒屋をテーマにして、竜宮城で 歌っているようなものである。演歌の身上とされる、哀しみや切なさの表現はあくまでも 内面勝負で、形は作れるものではない。小林の笑顔や態度に作り物の白々しさを感じる人が いるのも、セット歌手のイメージが染み付いているからであろう。 歌手には旬がある。旬をいかに活用するかが歌手の生命線。旬にも賞味期限がある。 色あせ始めたら次の旬を引き寄せる。そのため戦略を立て、旬を次々に更新していく ようにプロデュースするのが一線級である。 旬を見事に更新させたのは由紀さおり。ピンク・マルティーニとコラボし、世界的な 活躍が認められて第3回岩谷時子賞を受賞した。この賞は、日本の音楽や芸術の発展、 振興に寄与した功労者に与えられる栄誉である。 昭和の歌謡曲を歌ったアルバム『1969』が欧米で大ヒットしている由紀だが、 彼女は“昭和歌謡”という言い方が大嫌いだと言う。どこか厭世感があり、過去の歌と いうイメージがつきまとうからだ。 ヒットした時代が昭和であっても、今歌えば今の歌である。ましてや、ヒットするのは 今が旬だからに他ならない。由紀さおりは歌謡曲の原点を真剣に見つめている。時代の やや先を見ながら、自分の立ち位置を定め、旬をたぐり寄せる。 形にとらわれず、内面の歌唱で勝負する。今回の岩谷時子賞受賞の際に歌った 「いいじゃないの幸せならば」は、抑えた中に気持ちのゆらぎを出し、ますます進化している。 小林は、この試練で“舞台セット歌手”から歌そのもので体現する歌手へと脱皮する チャンスが来たのではないか。歌手として旬をたぐり寄せるか更に遠のかせるか、進化 できるかどうかの大一番になる。 『夕刊フジ』2012年4月18日号(17日発行)第6面(毎週火曜日連載)
「時代のサカイ目」第六十回(12.4.10) 『時代のサカイ目-酒井政利音楽プロデューサー50周年-』 第六十回「郷ひろみ、結婚相手と24歳差を埋めたもの」 桜の満開とともに、おめでたい話題が続いている。郷ひろみ(56)が再々婚した。 お相手は元タレントの徳武利奈さん(32)。郷とは24歳離れている。彼女は元プロ 野球選手で、中日やロッテで監督代行も務めた徳武定祐氏(73)の次女。 続いてブラザー・トム(56)と22歳下の元タレントや、大森南朋(40)と18歳下 の女優など、このところの年齢差婚ブームで、とかく年の差が話題になりがちだが、 年齢差は何も気にならない。 それぞれが実年齢より若い部分と臈長(ろうた)けた部分を持ち合わせていることで、 年齢差が相殺されている。特に郷の場合、彼の中に少年が棲み続けていることや、 彼女の礼節の正しさ、分をわきまえた振る舞いにある。 郷ひろみというシンガーは今、第3期にいる。アイドルとしての第1期。スターとしての 第2期。そしてアーティストゾーンで活躍する第3期。一般社会では、第3の人生というと、 退職など一線からリタイアした後にマイペースで好きなことやりたかったことに取り組みながら 暮らすことを言いがち。 だがアーティストの場合は、それまでの積み重ねを発酵させて、エンターテインメント として昇華させる時期ということである。この時期にベストパートナーを得られたのは心強い。 郷は女性を見分ける目が甘すぎると言われ続けてきた。実際に、これまでのパートナーの素に ふれた時、型ばかりの家庭に育ったのだろうかと疑問を抱いたものだ。 16歳のデビュー前から、郷には“追っかけ”と呼ばれる熱狂的なファンがついていた。 レコーディングスタジオで作詞家の岩谷時子さんが、「いつも女の子たちに追っかけられて 大変よね」と声をかけると、「学校でもそうですから慣れっこです」と素っ気ない返事。 確かに彼は、小さい頃から女の子たちの注目を集めていたことで、少々の嬌声には驚く ことも動じることもなかった。結果、彼は常に女性の目にさらされ、見守られてきたため、 その原点には甘さがあった。 ブログに「何よりも安心できるのは彼女が僕よりも僕の両親のことを思い、いたわって くれるということです」と綴った郷。やっと、場を得て開眼したのだ。本来、互いが互いの 親を思いやるのは当然のことだが、残念ながら、自分の親のことばかり考えて相手の親は 二の次三の次の女性が多い。 おそらく父親がプロ野球の世界で名を成した選手だったことで、利奈さんは様々な配慮や 気遣いをする環境で育ってきたのだろう。人は誰しも、年齢に見合う部分と見合わない部分を 持ち合わせている。それがマイナスに働きそうになったときにうまくコントロールして プラスに向けてくれるのがベストパートナーだ。 その舵取りができるのは年齢ではなく、やはり知性、思いやり、忘れがちな礼儀。郷が 最近出演したテレビ番組「徹子とマツコの音楽時代」でみせたあのパワー、娯楽作品を さらに膨らませて楽しませる歌唱の圧巻さ。どうやら充実したアーティストゾーンを 満喫しているとみる。 『夕刊フジ』2012年4月11日号(10日発行)第6面(毎週火曜日連載)
『週刊文春』2012年4月12日号 “70年代、80年代「わが青春のアイドル」を選ぶ!” P140~145 http://www.bunshun.co.jp/
『週刊文春』2012年4月12日号 “70年代、80年代「わが青春のアイドル」を選ぶ!” P140~145
「時代のサカイ目」第五十九回(12.4.3) 『時代のサカイ目-酒井政利音楽プロデューサー50周年-』 第五十九回「青写真なき前田敦子のAKB卒業」 それは突然の宣言だった。さいたまスーパーアリーナで行われたコンサートの最後に、 本人の口から切り出された“卒業”。デビュー以来AKB48の顔として誰もが認めてきた 前田敦子が卒業するという。まだ本人が卒業宣言をしただけで、それがいつになるのかは わからない。秋元康氏を中心に、関係各所への了解などを取り付けて、おいおい発表される のだろうが、どんな卒業の仕方になるのか、どんな花道が用意されているのか、ファンならず とも気になろう。 “48分の1”の存在とはいえ、ブームの中の顔だけに、その処し方は本人、関係者の 責任とマナーが問われる。これまでグループからの卒業や脱退、引退は、事務所やレコード 会社などが先に青写真を描き、戦略を練った上でタレントが発表するというパターンだった。 ところが今回、本人の意志だけは固まっているものの、事務所側も前田の発言で初めて知った と言っているように、青写真どころか、デッサンさえもなかったようだ。他のメンバーに とっても、前田の卒業宣言がどれほど突然だったかは、ニュース映像を改めて見てみると、 周囲に映っている他のメンバーの驚きぶりからよくわかる。 前田はもう、グループの中でやるべきことが残っていないと判断したのだろう。二十歳を 契機に次の夢へと向かってゆくようだ。初期メンバーをはじめ、今後、前田に続くメンバーが 出て来るはずである。新陳代謝が活発になる気配がある。それだけに感傷に走る卒業ごっこに なってしまうと現象に大きく水を差す。今後、卒業へのランウエイを前田ほどインパクトを 持って歩き始めるメンバーはそういないはずだ。 その前田の宣言の様子を流したニュース映像が動画サイトに投稿され、一日で合計200万回 以上再生された。ニュースで前田の様子が流れたことで、携帯サイトからAKBの楽曲を、 動画投稿サイトから映像をダウンロード(DL)している人たちがいる。卒業宣言に限らず、 前田やAKBの映像や楽曲を自分のPCや携帯に取り込んで保存したいファンがいるだろう。 だが待ってほしい。無許諾サイトからのDLは違法である。違法音楽ファイル、違法映像 ファイルのアップロードには10年以下の懲役もしくは1000万円以下の罰金と法律で 定められている。DLについては罰則規定がないため、警告を受けても青少年を中心にDL する人が後を絶たなかった。 一昨年1月施行された改正著作権法により罪に問われることになった。さらに今国会で 刑事罰規定の法改正が提案されている。以前、石原慎太郎都知事が、他国の国民の民度が 低いと発言したことがあったが、違法DLは特に大衆芸能に対する諸権利への理解度が 低い日本人への、モラルや民度の問題である。芸能の世界は何事も選ばれた表現者と リスナーで成り立っている。マナーを心得た健全な応援合戦が展開されてこそ、本物の 映像が長年にわたって持続され続けるものである。 『夕刊フジ』2012年4月4日号(3日発行)第6面(毎週火曜日連載) 今週から火曜日掲載。写真は白黒です。
JPさん、情報ありがとうございました。 私もジュリーファンで、DVDを買いましたが、シンシアを見つける事ができませんでした。 映っていたんですね。 またじっくり見直してみます。
19日の夜長良川温泉のホテルでラッキーにもシンシアの映像を見ることができました。 トナカイさんが紹介いただいている『今晩の深イイ話』だったようです。 シンシアの映像は日本歌謡大賞新人賞受賞のもので結構長く流していました。 奈良から遊びに来ていた次男が先に見つけて温泉にはいるのを少しまって 見入っていました。酒井さんや有馬三恵子さんのインタビューなどもあり「17才」と いう曲名をつけた由来はなんでしょう?という問いかけがあって一つは実年齢だったと いうこと、もうひとつは彼女の成長に合わせたプロデュースを考えていたからということ でした。そのあと「ともだち」「潮風のメロディ」がながれ彼女の当時の発言から 創作されたことが紹介されていました。私小説的アプローチですね。 ちなみに昨日はシンシアが結婚式の披露宴をおこなった芝公園クレッセントハウスの近くに あるホテルで研修でした。