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2016年11月 の伝言板を読む
2016年09月 の伝言板を読む
今日はデビュー直後の記事です。画像がクリアではないのは察してください。 週刊誌、月刊誌で掲載された(知り得る)最古のものです。 1枚目は 週刊アサヒ芸能 1971年7月1日号 オキナワ便乗歌手とか沖縄返還祝賀歌手とか、 まあひどい呼ばれようです。父がアメリカ人になっています。この本が実際に店頭に 並んだのは6月中旬ころでしょうね。 2枚目は 月刊平凡7月号 これは5月頃に店頭にならんだと思われます。奄美大島生まれ、 タイトルは「十七歳」になっています。 3枚目は 新譜ジャーナル7月号 これは音楽系雑誌なので誤表記はありません。シングル 「17才」のジャケット写真のポーズ違いですね。「コバルトの海がはこんできた オレンジの恋のうた」とサブタイトルがあります。オレンジ?
TANAKさん、是非ともクリパに参加して下さい 一度もお逢いしていない新人の参加は大歓迎です ブルーマーメイドには掲載出来ない、直接会った人だけしか発表出来ない秘密話しちゃうかも 最初は心配かも知れませんが、損はさせない自信があろので勇気を出して参加を待ってます
TANAK様、レアな画像ありがとうございます! 当然見たことが無いものでした。特に2枚目のはシンシアのさわやかさが 感じられて素晴らしいですね。
今日は掲載元が分からない画像です。 1枚目は 1973年7月12号の平凡に掲載された写真で、ファンと事務所で歓談している 様子のようです。この写真自体は掲載誌もわかっているのですが、この写真の 右の壁に貼られている実物大写真が何なのかわからないのです。当然持って いません。その左隣のポスターは傷つく世代の、その左隣は哀愁のページの 販促ポスターです。 2枚目は切り抜きの状態で持っているのですが、掲載誌不明です。どなたかご存知 でしたら教えてください。ポーズも表情もなかなか良い写真です。 クリパ、だいぶ前に参加させていただきました。最近は勤務の都合で出席 できないのですが、頑張って調整してみようかな?
早いもので、いよいよ今年も〈クリパ(おでん忘年会)〉をお知らせする 季節になってまいりました。 いつものように、南沙織さんへの思いを語り合いながら、ファンの仲間たちと 大いに飲んで大いに食べようではありませんか! と言っても、私たちサオリストの 仲間には様々な事情?により下戸(ゲコ)さんが多いため、主に喰い気のほうが 主流になると思いますが…(笑)。 だからアルコールの苦手な方も大歓迎ですよ。 この〈クリパ〉は、ファンの方々に気兼ねなく参加していただければと考えて 毎年開催している恒例行事です。 そこで、今年はデビュー45周年を迎えた年でも あり、広く参加を呼びかたいと思いCynthiaStreetに告知させて頂きます。 今回の〈クリパ〉では、常に彼女の一番近くにいたファンBOSS(写真集〈Blue Mermaid〉 撮影者)による思い出話や、写真集にも書かれていないCynthiaに関わる様々な エピソードなどが聞けることでしょう。 Cynthiaの微笑ましい逸話や彼女の生き様を 知ることが出来る絶好のチャンスですよ。 言わば〈生き証人〉とも言えるBOSSの 貴重な体験談をじっくりと語ってもらおうと考えています。 本年6月1日に写真集〈Blue Mermaid〉が発行され、それによって新たなサオリストが 仲間入りしました。 そんな新顔の方も、どうぞお気軽に参加していただきたいと 思います。 是非とも、多くのファンの方のご参加をお待ちしております。 では、ここで〈クリパ〉って何なの?と思っている人のために簡単に解説して おきましょう。 〈クリパ〉とはXmasパーティーを略した名称で、〈東京17会〉のファンの間だけで 通用する造語です。 その形式はパーティーと呼べるようなシャレたものではなく、 ドレスコードの規定も何もありません。 単にクリスマスの時期に開催するという だけの、決して敷居の高い集いでもありません。 会場も〈おでん〉屋さんなので、 むしろ忘年会と呼んだほうがしっくりくると思いますが、40年近く続く歴史ある宴 (うたげ)なので、馴染み深い名称をそのまま使い続けているというわけです。 つまり、今で言うオフ会のようなものと考えてもらえればいいでしょう。 近年、サオリストOBの参加者が少なくなってきています。 年齢的に時間が自由に ならない事情もあるかと思いますが、年に一度だけ昔の仲間が集まる〈クリパ〉に 参加して、久々に元気な顔を見せてちょ~だいませませ! 教訓:参加の機会を見逃し積極的な行動もないまま、いつ参加するの? 「今でしょ!」 ちょっと古かったかな。 お店へ人数を伝えて予約を入れるため、参加希望の方は11月末日までに、必ず 下記KINDOのメアドまで、お名前(or ハンドルネーム)を明記して事前に連絡を ください。 お手数ですが、ご理解とご協力をよろしくお願いします。 なお、主催者側のKINDOから参加希望された方へ、個別にメール返信するシステムは 行っておりませんのでご了承ください。 今後のこちらからの連絡事項は、全て CynthiaStreetのBBS上にて公表していきますので、変更などが発生した場合も 同様となります。 と言うわけで、いつもBBSをチェックするようお願いします。 現在、Cynthia関連のお宝抽選大会などのお楽しみコーナーも企画中だよ~ン! 日時:12月23日(金/祝) 17:00~21:00(延長有)※お店は3時から営業なので、 早めの来店も可能ですよ。 会場:お多幸・新宿店(4F) TEL03-3352-4771 住所:〒160-0022 東京都新宿区新宿3-20-1(お多幸・4階建社屋)※添付地図を参照。 交通:JR新宿駅東口・徒歩7分、地下鉄丸ノ内線新宿駅B10出口・徒歩1分 会費:5000~6000円位(終宴時・均等割の明朗会計スタイル) 主催:東京17会(とうきょうとなかい) 幹事:KINDO(羽田) XXXXXXXXX@ybb.ne.jp 自宅03-3823-2235 携帯090-XXXX-XXXX ※画像は、1972年12月24日の三人娘のイラスト。(写真集〈Blue Mermaid〉より)
私たちが普段目にしている雑誌などの画像写真は、カメラマンが撮影した 膨大な数のフィルムから厳選された画像であることはご存じかと思います。 じゃあ選ばれなかった〈残りの画像〉は何処にあるの? ちゃんと保管されて いるの?…という疑問が沸いてきますね。 確かにその辺のところは当事者のみが 知ることで、私たち読者には情報が開示されていません。 さて、今回紹介するのは、正にこの〈残りの画像〉の写真になります。 つまり、 実際の出版物に掲載された写真とは別の画像だということです。 ここでは入手経路 などの詳細は書けませんが、当時の掲載された画像も小さく同時に並べてみましたので 確認してみてくださいね。 上/1971.11月号 月刊明星 沖縄へ初の里帰り みんな会いたかった! Cynthia を囲んだ久しぶりの一家団欒の風景。 左からパパ、ロージィー、Cynthia、 アリス、ターミー、ママ。故郷沖縄へ凱旋帰国した沙織ちゃんと、家族みんなの 微笑ましい光景だね。でも、黒線の下部の掲載誌・誌面全3頁をよ~く見ると、 中央ページ下部に配置された写真の別アングルだと判ります。 このような 間違い探し的なレア画像も、ファンにとってはお宝画像だよね。 下/1972.3月号 月刊明星 ワァー 雪ってはじめてよ!! さて、コチラは真冬の飛騨へ撮影取材におもむいた時の写真です。 黒線の下部の 実際の掲載誌・全3頁の右タイトルページに採用された画像とほぼ同じですが、 片足を上げたポーズのほうがレア画像となりました。 初めての雪に感激する Cynthiaの可愛らしいエピソードもレポートされていますので、以下に記述して おきましょう! 名古屋から岐阜〈岐阜・郡上郡ひるがの高原スキー場〉まで、車で約3時間。 沙織は その車の中ではしゃぎっぱなしだった。 想いはもう見たことのない雪の山々にとんでいたのだろう。 やがて車のヘッドライトに雪が舞い、フロントガラスのスクリーンに飛び込んで きたとき、思わず沙織はさけんだ。 「ウソ!! あれが雪!? ちがう!! ホコリよホコリが舞っているだけよ!! 」 南国生まれの沙織と雪とのはじめての出会いは、こうしてユーモラスに行われた。 早朝の飛騨の山々は雪化粧が美しく沙織は目をさますと、待ちきれないように おもてにとび出した。 沖縄では決して見ることのできなかった世界。 沙織は雪のかたまりを持ち上げると、 その角を《シャキッ》という音をたてて食べてみた。 そして、こちらを振り向いて 「ねぇ、この雪って沖縄にもっていけなァ~い? パパやロージィに見せてあげたいの」 とウィンクした。 それでも最後は冷たかったとみえて、雪をポンと捨てるとたき火の 前に走っていった。 ※PC閲覧の場合は、画像をクリックすると少し大きく表示されますよ。
さて今回のレアな画像KINDO編は、セーラー服の沙織ちゃんを特集してみました。 そうなんです、沙織ちゃんの場合は日本の高校に通う女子高生ではありませんから、 当然〈セーラー服〉で通学なんてこともありませんでした。それでも、彼女のセーラー服姿が 見てみたいと思っていた当時のファンも多かったはずです。そんな要望?にお応えして 企画掲載されたのが今回のレアな写真です。さぁさぁさぁ~、とくとご覧あれ~ッ! いつの時代も、少女からオトナへ変身する前の初々しいその女性の姿は、男性諸君に とって夢をあたえてくれるものですね。 上/1972.9月頃 週刊・少女コミック付録ポスター(果たしてセーター服なの? との疑問もありますが…) 中/1973.6月号 月刊・近代映画(アイドルのセーラー服姿の特集で、麻丘めぐみちゃんも 同時掲載されています) 下/1974.0206 NETベスト30歌謡曲・武道館特番(左から麻丘めぐみちゃん、浅田美代子ちゃん、 南沙織ちゃん、天地真理ちゃん、山口百恵ちゃん、桜田淳子ちゃんのセーラー服姿が一同に して見られた貴重な番組でしたね)※写真集〈Blue Memaid〉第1巻より/撮影BOSS ※PC閲覧の場合は、画像をクリックすると少し大きく表示されますよ。
10月7日=38年前の今日、歌手・南沙織さんが〈さよならこんさ~と〉 (東京・調布市市民福祉会館 グリーンホール)のラストステージを飾った記念日を 迎えましたね。(※別の日に大阪・名古屋・高槻でも公演されています) 彼女の中で決めていた9月いっぱいで卒業の意思に反し、最後のコンサートが なぜ10月になったのかは、どうやら都内全ての会場がすでに押さえられていたため、 9月内公演が不可能となったからでしょう。そこで仕方なく、都心から少し距離ある 会場を選択せざるを得なかったみたいですね。 では、少しだけ当時を振り返えって思い出をここに記しておきましょう。 舞台上の彼女の姿からは、全般的にラストという悲愴感めいた表情はこれっぽっちも 見られませんでした。最後に来てくれたファンへ、精一杯の笑顔で応えたかった のでしょうねぇ。そんな微笑むCynthiaが見られたのは、きっと引退発表から3ヶ月が 経って幾分か気持ちも落ち着き、一段落した〈安堵感〉からかもしれませんが、 いい思い出を残して帰ってもらいたいと思う、プロ歌手としての意思の表れだった のではないでしょうか。ただ、少しだけ終演頃に涙を見せるシーンがあったくらいかな。 彼女の最後の舞台を盛り上げようと考えたファンたちが、考え出した演出は 〈紙テープ〉による応援作戦でした。投げた〈紙テープ〉が誤って彼女に当たっても ケガのないように、堅い芯を全て抜き取り、巻層には小さな紙片をたくさん挟み込む案が 採用されました。その甲斐あって、投げられた〈紙テープ〉から炸裂した紙吹雪が、 キラキラと舞い散って舞台上のCynthiaに降ってくれて作戦は大成功となりました。 楽しい時間はあっという間に過ぎて行き、最後の曲♪「Tryin’ to Get the Feeling Again (うつろな想い)」を歌う頃には感極まり、うつむいてつぶやくような歌声になって しまいました。ここで一旦幕が下ろされます。 激しく客席の声援がわいて再び幕が上がり、アンコールに応え〈♪私の出発〉を 歌い終えると、投げられた紙テープいっぱいのステージ上で、彼女はいきなり ハイヒールを脱いで、舞台の片隅にポーンと投げ捨ててしまいます。 「楽しい思い出でいっぱいでした。ほんとうにありがとう!」 涙をいっぱい流しながら彼女はさらに、 「もうひとり、どうしても、ありがとうを言いたい!」 そう続けると、設置された舞台袖の椅子にかかげてある愛用の麦わら帽子のほうを見つめ、 「南沙織さん、今日までほんとうにありがとう!」 と、これまでの自分自身にも感謝の言葉を捧げました。 ここで、《全てが愛を必要とする 内間明美》と座右の銘を記された垂れ幕が下りてきました。 「本当に、ありがとう! そして、ひとりでは絶対、南沙織にはなれなかったのに、 ひとりで全ての結論を出してしまって、本当にごめんななさい。長い間、ありがとう ございました」と、Cynthiaは震える唇を噛み締めながら、感謝と謝罪の言葉とともに 頭を下げる一幕もありました。 デビュー時から一貫した考えを持ち、人前では泣かないようにと信念を語っていた Cynthiaは、今回も「決して涙は見せないで、最後を飾りたい」と、強い意志で ラストステージに挑んでいたけど、終盤頃にはそんな彼女の目に光るものが溢れ、 最後のあいさつで感極まり涙声になってしまったようです。 緞帳(どんちょう)が下りても、多くのファンが別れを惜しみ、もう一度彼女の 姿を見たいとアンコールの声援と手拍子が会場内に響いていたけど、しばらく経っても Cynthia再登場の気配はなく、とうとう諦めた観客が帰り始め、空席が目立つように なりました。それでも、熱烈なファンは最後だということもあって、半分ヤケに なりながら、彼女の再々登場を信じアンコールを叫び続けました。 アンコールも幾分か長く感じてきたその時でした。再び緞帳が上がりステージ上に 彼女が現れたのです。熱心なファンに応えるため、涙ながらに再々登場を果たして くれました。 しかし、舞台上に現れた彼女の姿は、もはや先ほどまでの華やかなステージ衣装の 南沙織さんではなく、シックな私服に身を包んだひとりの女性Cynthiaの姿でした。 この時、Cynthiaの再々登場を背中で感じた観客が、慌てて客席へ戻って来るという 混乱もありました。すでに会場の外へ出てしまい、この後の模様を知らないファンも いるかもしれませんので、彼女の最後の言葉を書き記しておきましょうね。 Cynthiaは少し興奮気味でしたが、心から湧き出る気持ちを噛みしめながら、 彼女自身の言葉で静かに語り始めました。 「明日からどんな生活になるのか、とても自分自身楽しみです。まず、最初に やっていかなければならない事は、何よりも今までおろそかだった勉強を、 もっと一生懸命やること。その後は、自分がこれから生きていく道、それを探すこと」 「今まであたしはどっちかって言うと、ファンの人を励ますよりも、たくさんファンに 励まされて、この7年を過ごしたと思います。とても厳しかったファンの目でしたけれども、 結局は一番正しい愛情でした。これから、様々なそういったこと、そして、あたしたちが 育ててきた心のつながりの何かを大切に、いい思い出として、これからずっと生きていきます」 「これから生きていく段階で、色んなことに巡り逢うと思います。ころんだりするでしょう。 でも、芸能界で一番勉強になったことは、ころんでも立ち上がることです。Cynthiaは何処に 居てもどんな状態でも一生懸命生きていきます。いろんなことが皆様の耳に入ると思います。 でも信じてください。いつも頑張って自分の道を生きていることを…」 「ずっと、こうして皆様と居たいんですけど、キリがありません。これを最後に お別れしたいと思います。ありがとうございました!」 私服に着替えたCynthiaは、様々な彩りの紙テープでいっぱいになった舞台上から、 最後の言葉を放ってくれました。 「みなさん、ありがとう!」 そして、彼女は〈歌手・南沙織〉から、ひとりの大学生・内間明美さんに戻って しまいました。緞帳(どんちょう)が下りてしまうまで、彼女は涙をこらえファンに 向けて一生懸命に手を振ってくれていたのが印象的でした。 ファンのみんなは、誰もが心の中でこう叫けび続けたことでしょう。 「さよなら、Cynthia! 夢をありがとう!」 ※写真集〈Blue Memaid〉第4巻より一部を抜粋し添削記述。 上/1978.1007 東京・調布市市民福祉会館 グリーンホール いつもの笑顔のCynthia (撮影=BOSS) 中/1978.1007 東京・調布市市民福祉会館 グリーンホール 終盤頃に感極まって涙を 見せるCynthia(撮影=BOSS) 警備員ともみくちゃになりながら、シャッターを切り続けたBOSSに感謝ですね! 下/1978.1031号 週刊女性の記事より 涙を流しながらファンの握手に応えるCynthia ※PC閲覧の場合は、画像をクリックすると少し大きく表示されますよ。
調子こいて第6弾 1枚目は Just in YOUNG 1973年11月号からカレンダー これはLP哀愁のページの ジャケ写真と同じ服装です。髪がきれいですね。発行の1年以上前に撮影されたと 思われますが、編集者がボツにするには諦めきれなかったのかもしれません。 2枚目は 鳩よ! 1992年4月号 澁澤龍彦の世界の文中に掲載された写真(拡大して います)。「シモン人形出版記念パーティーで。南沙織、篠山紀信夫妻と。」と 説明があります。気品があって大変美しい奥様と、貫禄の旦那様といった感じです。 ほんと冷凍保存されています。 3枚目は 夢の紡ぎ手たちの華麗なる跳梁と飛翔 というタイトルの数ページの 大判リーフレットみたいなもの。発行者も発行年月日も記載がなく、写真下に 「変貌する業界のメディアとソフト」とありますので、ソニーの何かの業界向け 資料かなと思います。どなたかご存知でしたら教えてください。
レア画像と言える着物姿の沙織ちゃん、じゃんじゃん出てきますね。 TANAKさんのコレクションが楽しみです! 当時、お正月に関するテレビ番組や雑誌で着物姿を披露していた沙織ちゃん。その数は 計り知れないものだったことでしょう。分刻みのスケジュールのなか、その度にお着替え するのは大変だったでしょうねぇ。でもそのおかげで、今でもこうしてファンを楽しませて いると思うと彼女に感謝・感謝というほかありません。Cynthia、サンキュー・ベロマッチョ! ではKINDO編-04は、〈シルバー仮面〉出演時のオフショット(フォトカード)ですよん。 上/勢ぞろいした出演者たちとの記念撮影。 “シルバークロス”のポーズを教わっているところ。 中/シルバー仮面とツーショット(カラー版) 下/シルバー仮面とツーショット(モノクロ版) ※PC閲覧の場合は、画像をクリックすると少し大きく表示されますよ。 1972.2月号 月刊明星記事より 快調なペースで歌謡界をばく進しているシンシア。 中・高校生に受けているタレントNo.1という アンケートに基づき、今度はTV映画〈シルバー仮面〉(1月2日PM7:00~30・TBS系)に出演。 スタジオ入りした彼女の片手には、漢字にカナのふってある台本が、しっかりとにぎられていた。 「芝居って、高一の時、英語劇をやっただけでしょう。まるで自信ががないの」 と恥ずかしがるシンシアですが、いやいやなかなか堂にいってうまいものでした。 1972年2月号 月刊TVガイド記事より 71年登場の歌の新人では小柳ルミ子と人気を分けた南沙織が、新春正月2日放送の『シルバー仮面』 で、初めて“お芝居”を見せる。 東京・世田谷のスタジオでは、日ごろ怪獣ばかりを相手に しているため、スタッフにも大もて。 南も歌の合間の息抜きとあって大はしゃぎ。 「歌よりお芝居のほうが緊張しないみたい」 と楽しそうだった。 なお、正月放送とあって南は晴れ着も着用する。彼女の“お芝居” ともども、ファンはお楽しみに!
1971年の毎日グラフ、8ページにもおよび、1971年では最もページ数を 割いた特集ですね。KINDOさんの2枚目の写真地方公演で体育館かなぁ、客が床に 座っているのではないかと思います。おじいさんがいい表情してますね。 今回は着物第2弾で通算5回目。 1枚目と2枚目は 婦人画報 1974年11月号 1枚目は矢羽根絣というそうです。 2枚ともロングヘアーを後ろで組んで大人っぽい写真です。 3枚目は 婦人倶楽部増刊きものと着付け 1975年10月号 絞り友禅 この髪型も 斬新です。この号にはもう一枚、振袖の写真があります。
TANAKさん、着物姿の沙織ちゃん画像UPを有難うございます! 2番目の久留米絣、3番目のピエール・Cデザインの着物写真はとても レアだと思いますよ。私は初めて見る画像ですから…。 さてさてKINDO編-03は、彼女のデビュー年暮れ発行の掲載誌からご紹介させて頂きま~す。 1971.12.19号 毎日グラフ 〈魅力の周辺〉 タイトル/十七歳 なぜかしら…… 本 文/〈十七歳〉の明るさをふりまきながら、デビューした。 続いて〈潮風のメロディ〉で南海の健康ムードに追い打ちをかけ、 “沖縄ムード”に乗っかって、今年は沙織の年であったという声もある。 歌謡賞の新人賞やホープ賞をいくつももらい運強い。 どこにでもいそうな親近感が、十代のアイドルに仕立てあげている。 上/表紙・地方の何処か、夕陽も沈んだ里山を背景に撮られたものらしい。 中/NHK?の公開歌謡番組でしょうか、観客席から歌をお届けしている沙織ちゃん。 下上/楽屋内の素顔。隣に居るのはアメリカン・スクールの友だち・糸子さん。 電話で頼まれて、宿題やレポートを仕事場へ持っていってあげて沙織ちゃんを サポートしていたという。 下下/ちょっと寂しそうな表情を捉えた楽屋内でのポートレート。 知っている方は分かると思いますが、毎日グラフはかなり大判サイズの誌面のため、 スキャンするだけでも四苦八苦。2ページにわたる一枚の写真の場合、つなぎ目を なくす補正作業も必須となり一苦労しました。 ※PC閲覧の場合、画像をクリックするとちょいと大きく表示されますよ。
1971年の毎日グラフ、8ページにもおよび、1971年では最もページ数を 割いた特集ですね。KINDOさんの2枚目の写真地方公演で体育館かなぁ、客が床に 座っているのではないかと思います。おじいさんがいい表情してますね。 今回は着物第2弾で通算5回目。 1枚目と2枚目は 婦人画報 1974年11月号 1枚目は矢羽根絣というそうです。 2枚ともロングヘアーを後ろで組んで大人っぽい写真です。 3枚目は 婦人倶楽部増刊きものと着付け 1975年10月号 絞り友禅 この髪型も 斬新です。この号にはもう一枚、振袖の写真があります。