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2018年02月 の伝言板を読む
2017年12月 の伝言板を読む
大変、遅くなってしまいましたが全国のサオリストの皆さんへ新年のご挨拶を・・・、 では簡単に「アケオメ~っ!」 まず、年の暮れのNHK〈紅白歌合戦〉について話しておきまひょ。 今回の〈紅白〉は、 我が地元出身のウッチャンが総合司会を担当する(地元人吉駅前に は垂れ幕も掲げてあり、 ちょっとしたお祭り騒ぎ)というので、帰省先の田舎で数十年ぶりに初めから最後まで 視聴しておりました。しかし、我らおじさん達 にゃワケが解らない歌手や歌でチンプンカンプン でした。隣で見ていた母も若者のパフォーマンスには到底ついていけない様子で、 「紅白は、沙織ちゃんの出とった頃が一番良かったばいねぇ!」 と言いながら年越し蕎麦を作り始めた母の一言に、私も思わずうなづいてしまいました。 あれから40年以上も経ってしまったのだから、昔と同じ〈紅白〉に 期待するのは時代錯誤も 甚だしいのは理解しているつもりですが、久々に見た〈紅白〉の内容は、時の流れを感じずには いられませんでした。 やはり、私たちも歳を取りすぎたのでしょうかねぇ。(笑) ところで、今年の正月はいかがでしたか? 何か良いことありましたか? どこかの誰かさんは、Cynthiaの初夢を見たって興奮気味でカキコしているけど、 それってかなり重症ぎみと診断されちゃうんじゃな~い? でも、還 暦過ぎたつ~のに 彼女が登場する夢をみちゃうなんて、それはそれで春から大変結構なことだぁ~ね。 Cynthiaの初夢は、今年何か良いことが起きる前 触れなのかもしれませんね。 それにしてもサオリストの頭の中はいつだって青春真っ盛りだねぇ、感心感心。 富士山はおろか茄子のヘタの夢さえ見ずに熟睡 していた私にしてみれば、 それはそれはもう羨ましい限りでござります。 PS 帰省中にiPhoneでCynthiaStreetを覗いてみたのですが、田舎ではどうやら電波状態が 悪いみたいで苦労しました。当然電話も掛けられず 受けもできず、困ったものです。 もう、どうなってるのよ~! auさん、熊本・人吉エリアの4G電波のつながりを もっと良くしてちょ~よ! 早くしない とふんづけちゃうわよ~。 ここでグチってみても始まらないか!無念。 添付画像は、今年の年賀状に使用した絵柄です。 戌年にちなんで、愛犬と戯れるCynthiaのイラストで~す。
こんなLEXUSは唯一無二でしょうね? 新潟のI
皆様、こんばんはです? 初夢に何とシンシアが登場してくれて、今年は シンシアファンにとって自分にも皆さんにも良い年になる事でしょう?? ブルーマーメード発行で燃え尽き症候群だったのですが、ずっと夢には出てくれませんでした? 発刊後にはたびたび登場してくれて嬉しい限りです?
皆様こんばんは! u3が言うように全国にメンバーが200人いたかも知れませんですが、 実際に活動していたのは20人足らずだったと思います? マザー牧場のファンの集いバスハイクの時は、会長が車を出してくれましたね! お昼ご飯の弁当が事故で来れなくなり、会長の車で近くのパン屋さんを周り、 五軒ぐらい全てのパンを買いあさりました? 幸いお昼には間に合い事無きを得ました? CIAが関わったのはこれくらいであとは尻つぼみでしたね? 二級上だったからか上から目線で、自分とは波長が合わないと感じていました? 結局半年ぐらいの活動だったでしよう? ピークがテレビ出演だったのかな?? 会長はファンクラブが商業べースだから改革をしたいと言っていました。 それで自分が協力してシンシアを追っかけしない日は、ファンクラブに入り浸っていました! 小田急の鶴川から恵比寿までの定期券を買うぐらいでした? よくファンクラブの終了の後何時も渋谷のゲームセンターで遊んでいたのを思い出します?? 今思うと良い時代だったかな??
短編映画『そうして私たちはプールに金魚を、』(2016年 27分) 第33回サンダンス映画祭短編部門グランプリ受賞作品 chapter 1 誰もいない海 (1:07~) カラオケルームで「17才」を絶唱する4人の女子中学生(1:10~) https://www.youtube.com/watch?v=-zmtPP-yeA8
明けましておめでとうございます。 CIAのことですが、記憶をたよりに当時のミニコミ、FC会報(を転載した『新・青春の絆』) に載った情報を引っ張り出してきました。 "SoC" No.6(1975.04.04発行)に、Y氏による「C.I.Aだより-Cynthia Impelling Agency」 が載っていました。"私たちは本来の任務としてファンとシンシア スタッフとの意思疎通に 努めています。活動は実践主体で、機関紙のようなものは発行していませんが、これからも 相互協力をしたいと思います"というようなことが書かれていました。(Y氏=東京・YM氏) さかのぼって、ファンクラブの会報『Newシンシア』No.23(1975/01/10発行)に、「自由に はばたく第一歩の年であれ!!」という東京・YM氏の投稿が載っていました。"我々は、 早稲田を拠点として、学生によるCynthiaの後援会を発足させるために団結し、… 全て 艶やかな仮装の下に、うつろな微笑みを浮かべている芸能界で、Cynthiaだけがいつも 爽やかな素顔で歌っている…"というような、youtubeに上がっているNET『13時ショー』 (1975/03/20)での発言と同じような趣旨の投稿でした(『新・青春の絆』No.17-05 P.79)。 "SoC" No.7(1975.05.03発行)の「C.I.A通信-Cynthia Impelling Agency」は、"今回は 先日のTV出演に踏み切った私たちの意図と、その成果などを報告する予定でしたが、 No.6にFCに対する不満の声が多かったので、FCについて書くことにします"ということで、 当時のFCの状況、FCとプロダクションとの関係等が書かれていました("FCはCIAに全てを まかせてくれると言っていますが、今検討中です"とも。このあたりの事情もあって、 CIA(Y氏)はBOSSに協力要請した?)。 "SoC" No.8(1975.05.21発行)にはCIA通信見当たらず。伝言コーナーに、CIA大阪支部に よる大阪のラジオ番組へのリクエストの呼びかけあり。 "SoC" No.9(1975.06.21発行)には、「みなさんに協力をお願いします-元CIA大阪支部員」 "みなさんも御存知のことと思いますが、東京のCIAが解散しました。『週刊明星』での 解散についての記事で、地方にもCIAのようなものを作って欲しいとありました。そこで、 私達で作ろうということになりました…"という投稿が載っています。 "SoC" No.12(1975.09.21発行)には、元CIAの名古屋支部を作っていたという人からの投稿が 載っていました。 BOSSはメンバー数を「実際は20人くらいだったでしょうね」と推測していますが、各地方に 支部があったとすれば、番組での発言どおりメンバーは200人くらいいたのかもしれません。 実態は知りませんが、"SoC"への支部員の人の投稿等を考えると、真剣にCynthiaのことを 考えて活動していたメンバーも多かったのではと推測します。 自分たちの理想とすることと、それを実現することの難しさを目のあたりにして、現実の 厳しさを知り、半年前後で解散したのかもしれません(『Newシンシア』への投稿以前に 長い活動期間があったのかもしれませんが…)。
シンシアストリートの読者の皆様、明けましておめでとうございます さてCIAはトンちゃんが大まかにカキコしてくれたので、チョッと補足しますね。 まず自分はシンシアの俗に言う追っかけをしてて、ほぼ毎日の様に逢っていました ただ、普通の追っかけだったらマネージャーが電車の時間何か教えてくれませんよね 夜のヒットスタジオやうわさのチャンネルなどには、ガードマンをすり抜けて自分だけ 入っていました シンシアは何故入れるのか何とも思って無かったでしょうが、妹のロージーには 何でI君は此処に入ってこれるのかって不思議がっていました 電車時間はシンシアがマネージャーに、彼には時間を教えておいてと援護があった のでしょう それでいつも3人のファンと一緒に居たことが多かったです それでシンシアの近くにいつもいる3人にCIAの会長から、「ファンクラブを手伝って 欲しい」と要請がありました! 他の2人は自分たちの行動を邪魔されたくないと断りました そりゃ冷静に考えればライバルが増えるだけで、自分にメリットはないので断わるのは 正解だったのでしょう ただ自分はいつもシンシアの近くにいたので、他のファンにも本物のシンシアの良さを 知って欲しかったので了解しました しかし先日YouTubeでCIAがテレビに出てたの初めて見ました。 サングラスの男性が会長のYなる人物で、シンシアを目の前にしてサングラスは外すのが 常識だろう もしこれを生放送で見ていたらファンクラブには協力しなかったかもしれません カッコつけているのかもしれませんが、シンシアには無礼でしょう 会員数は200人と言っていましたが、実際は20人ぐらいだったでしょうね 他のメンバーもオタクぼいのばかりで、シンシアが苦笑する話しでお前は何様って怒りで いっぱいでした こんな事をカキコするとひんしゅくをかってしまうかな!? それで名前だけ一人歩きして、ほとんどファンクラブの事務所にも顔をだしていませんでした だから活動期間は短かったでしょうね トンちゃん、いっぱい持ち上げてくれてありがとうございました 自分は電車や楽屋でもすっぴんの寝起き顔やら、もう疲れきった表情もカメラに納めました 自慢じゃないですが、ただの一度も本人にもマネージャーにも写真は止めてと言われた事は ありません えっへん 結局自慢話に聞こえちゃうかな 山内広美さん、是非とも参加して下さい 色んな裏話を聞かせて上げますので、期待してもらっと良いです では、今年もシンシアを含めて皆様のご多幸をお祈りしています