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2018年12月 の伝言板を読む
2018年10月 の伝言板を読む
来たる[クリパ]まで約一ヶ月前となりましたので、再告知をします。 今回は、昭和の時代に始まった長~い歴史ある[クリパ]も平成最後の宴を 迎えることになります。流れゆく月日は早いもので、周りがどんどん移り 変わっていく気がします。が、気づかないうちに、私たち自身も端から 見れば変わってしまっているようです。自身の容姿もさることながら、 考え方も置かれている環境も日々刻々と更新されています。中にはまったく 変わらないサオリストもいるようですが・・・。(笑) さて、先日BOSS提供による、参加者の中から希望者5名へ[南沙織さんの サイン色紙]をプレゼントする旨のオファーを受けましたので、今回 追記させていただきます。未だにヤフオクなどで高額取引されている 現状を知れば、サオリストにとっては感激のお宝中のお宝となります。 本年12/23のクリスマスは、是非ともサオリストの仲間達と「おでん」の宴 (忘年会)に参加してみませんか。 そこで、嬉しい情報をひとつ、 「おでん」はカロリー低めなので血糖値が気になるおじさん達が爆喰い しても大丈夫らしいですよ、やったね。(どこかのテレビで言ってたよ) ※参加者の7割くらいが下戸ですから、アルコールの苦手な方も大歓迎よん! ーーー 2018年 参 加 者 募 集 要 項 ーーー 日時:12月23日(日/祝) 17:00~(時間無制限一本勝負) ※お店は15時から営業なので、早めの入店も対応可。 会場:お多幸・新宿店(4F)Reserve済 TEL03-3352-4771 〒160-0022 東京都新宿区新宿3-20-1 交通:JR新宿駅東口・徒歩7分、※アクセスは添付地図参照。 地下鉄丸ノ内線新宿駅B10出口・徒歩1分 ※道に迷ったらKINDO携帯へ。出迎えに参じます! 会費:男性:5000円前後(終宴時・均等割の明朗会計) 女性:3000円均一、なお男性でも少食の方や遅れての参加 & 早退の方は割引対応 参加:下記幹事KINDOまでご一報を。 又は、この伝言板上にハンネで参加表明してもOKでごわす! 受付:~12月17日(月)まで。なる早の参加表明は大歓迎! 主催:東京17会(とうきょうとなかい) 幹事:KINDO XXXXXXXXX@ybb.ne.jp 自宅・携帯 ※2019.12.19削除しました ★★★★★★★★★★ お楽しみ ★★★★★★★★★★★★★★ ※進呈:南沙織さんの直筆サイン入り色紙プレゼント(希望者5名様) ※企画:参加者へのプレゼント用 Cynthiaジ☆ソーパズル制作中! ※昔話:BOSSによるCynthiaに関するエピソードを披露予定!
こんにちは!お会いしたいです今年のクリパにいらっしゃいませんか? 以前、仲良くしていた茅ヶ崎のファンの方がいらしたのですが、私の知っている方なのかな? まあ、知っていても、初めましてでも、ファンの方と語り合えるのは嬉しいので、是非、 万障くりあわせの上、ご参加下さいネ! もちろん茅ヶ崎のMEA様以外のシンシアストリートを見て下さっている方、皆様とも シンシアへの熱い熱い思い(BOSSのシンシア愛には負けちゃうかもしれないけど)を 共に語り合えたら嬉しいです。
書き忘れましたが、イチロー選手以来これも17年振りの快挙です!
皆さんは野球なんて興味無い方も見えると思いますが、 今年からメジャーリーグに挑戦した大谷翔平選手はご存知でしょうか!? 自分もメジャーはあまり見なかったですがアナハイムエンゼルスの背番号17番に 決まった時は嬉しかったです! 開幕戦から伝説のベーブルース以来の二刀流で、今日各チームの番記者が選ぶ アリーグの新人王に選ばれました! 17と言う数字はシンシアファンにとって格別なので来年からの活躍にも期待 したいです。もし去年だったら新人のジャッジ選手が50本以上のホームラン打って 新人王だったので、今年デビューで運も味方したんですね! 皆さんも来年からエンゼルスの背番号17番を応援して下さい。
BOSSさんの投稿には胸が熱くなりました! 12月23日のクリパには是非とも参加させていただきたいと思います。 先日東京に行った際に数年ぶりにお多幸さんで夕食を食べて来ました。 関西人の私は初めてクリパに参加した時に出てきたおでんのお汁が真っ黒なのに びっくりしたのを覚えてます。 でも味は相変わらず美味しくてこの日も繁盛していました。 来月23日を楽しみにしています。
02のつづき 03-奇跡的な出逢い編ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 8日(月・3日目)早朝、 「じゃ、俺は家に帰るわ」 と言うおじさんに一宿一飯のお礼をして別れたあと、前日同様、東京駅から東小金井駅 へ向かいました。シンシアのアパート前に自分が到着した時には、もう既に8人ぐらい ファンの姿がありました。 しばらく経ち、扉を開けて階段を降りてくるシンシアの姿は、まさに月の女神様の 降臨といった輝かしい光景が印象的でした。多分スッピンだろうけど、それはそれは 可愛らしいスマイルに出逢え、ハートに矢が刺さったようなドキドキ感を味わいました。 〈夢か幻か、いやいやこれは現実なんだ〉と自分に言い聞かせながら、徐々に冷静さを 取り戻すことができました。 この日もスケジュール多忙のシンシアは、逢いに来てくれたファンのみんなに会釈する と、足早に迎えの車へ乗り込みお仕事先へ出発してしまいました。 この時、自分は彼女を写真に収める事だけで必死だったため、握手にまで気がまわらず 会話も出来ないままでした。でも初の生シンシアに逢えただけでもう大満足、おかげで 3日間の苦労と疲れが吹っ飛びました。この時、人生で一番の夢が叶った瞬間であり、 これ以上の幸せは無いと思ってしまいました。 11月8日を迎える度に、シンシアと初めて出逢えたこの思い出を大切に、これから先も ずっと自分だけの記念日として、心に刻み続けていこうと思っています。 そこで自画自賛ですが、やっぱり逢いたい情熱の思いは通じるんだなぁって強く実感 しました。 内気な性格からくる怯えや不安より、逢いたい気持ちが上回り、行動を起こすパワーを 誘発してくれたのかもしれません。 だけど、自分の性格は人見知りで恥ずかしがり屋なのに、よくぞ東京まで行く決意を 下した自身に我ながらビックリです。シンシア本人も同じように、人見知りで 恥ずかしがり屋な性格だと数年後に吐露していたので、似たもの同士ってことなのかな?。 明星の記事がきっかけで、同じように全国から上京し、アパートを探し当てたとしても、 留守がちな彼女に逢えないまま、夢半ば寂しく帰路に就くファンもきっと数知れず居た だろうと推測されます。 まだ早朝だったため、この後シンシアの通学先・調布のアメリカンスクールへ足を のばしてみました。月刊平凡(1972.1月号掲載)で、小柳ルミ子と一緒の電車で 通学・通勤していた記事が記憶にあって、時間が許す限り訪ねてみたいと考えていた ので、見つけたときは本当に嬉しく思いました。しかも、シンシアのアパート探しの 場合と違って、何も迷う事無くスムーズにアメリカンスクールへ辿り着けたので、 今回の思い出がもうひとつ増えることになりました。 しかし、当時シンシアはお仕事が忙しくて、思うように学校に通えなかった事実を 後々に知ったとき、思いっきり勉強したかった彼女にとって、とても辛い経験を したんだろうなぁと思うと、心から慰めてあげたい気持ちが湧いてきました。 この日は月曜日だったので、さらに渋谷まで戻り〈NTV紅白歌のベストテン〉 (渋谷公会堂)を観覧することにしました。お昼前に会場前へ到着した時は、 すでに入口から長蛇の列だったので、もう3階席の列へ並ぶより他ありません でした。白黒テレビの画面と違って、超満員の会場内は熱気ムンムンで、 生まれて初めて見る公開生放送に大興奮。高揚する臨場感を身体全体で楽しめて とても満足できました! この日はシンシアも出演していたので、本番終了後の いわゆる〈出待ち〉も体験できました。 今朝のアパート前で、彼女の移動車をチェック済みだったのが幸いし、 迷わないで彼女のお見送りに参戦することが出来ました。 初上京にしてはまずまずの戦利品(成果)を収めることができ、その日の夜行で 豊橋駅まで戻ることにしたのですが、シンシアに出逢えて興奮し疲れている身 なのに、なぜか帰路の列車内では一睡も出来ませんでした。きっと気持ちが まだ高ぶって熱も冷めずに、シンシアの笑顔がちらついていたからかもしれません。 明くる日からは、また元通りの高校生活を送ることになりました。 下宿先で、もっと沢山のでっかいシンシアポスターを部屋中に貼りめぐらせて いたら、その数は天井を占領するほどに迫り、シンシアだらけの部屋になって しまいました。そんなポスターの彼女の眼差しを見つめながら、〈今の僕には、 君しか見えない!〉な~んちゃってキザなセリフのひとつも言ってしまいそうに なりました。 自分が住む豊橋から東京までの距離は230キロ。新幹線は運行していたけど、 貧乏学生の移動手段となると普通列車しかありませんでした。そんな田舎暮らし から脱しようと画策する日々の中、卒業後は、シンシアと同じ東京に住みたい との夢が広がり、次はシンシアと握手がしたい、会話も交わしてみたいという 願望も涌いてきました。そんな自分がこれから先、生きていく意味(心の糧)に 巡り会えたことで、期待でいっぱいの明るい未来を垣間見ることが出来ました。 シンシアはシンシアそのものだから、シンシアにはずっと幸せでいて欲しい。 シンシア、これまでもこれからもずっとず~っと大好き、愛してるよ! (^.^) 画像詳細 07-1972.1月号 月刊明星 ライバルはおんなじ電車でツーキンしている (ぬいぐるみを抱いて電車に乗るってマジ卍! きっと編集側の演出かな、可愛いから許しちゃお) 08-1971.9.21号 週刊セブンティーン もうひとりぼっちじゃない!! (アメリカンスクール校門にあるネームプレート前でポーズ/左下) 09-1971.11.8 NTV紅白歌のベストテン/渋谷公会堂 (初めての観戦は3階席で、小さくシンシアを捉えることが出来た/BOSS撮影)
私もBOSS同様、沙織ちゃんがデビュー時の衝撃は47年経っても 忘れちゃ~いませんぜぃ! しかし、彼女のデビュー時にはその年から東京在住だった私でしたが、 沙織ちゃんに逢いたいと思っていてもBOSSのように行動するまでに 至らなかったなぁ。月刊明星の記事写真を見たときも、その場所へ行こうとは しませんでした。だってさぁ、逢えるなんて思えなかったんだモンね。その時、 BOSSの後をコッソリついていっていたら良かったと思っとりますです。(笑) 50番以内の会員番号もスゴイ! 私の場合は6千番台だったので、このことに 関してもとんでもない瞬発力と情熱溢れるファンだったんだと敬服いたします。 お見逸れしました!!! それじゃぁ、11月8日、三部作の最終投稿を楽しみにしています。
47年前のマサに今日ですネ! BOSSのシンシアへの 熱い熱い思いが伝わってきます。ファンの中でも別格だったBOSSだけど、 行動力もすごいし、運も持っていますネ! シンシアに会えて、写真まで 撮ってくるのはさすがです。 ファンクラブの50番台もすごいなあ
01のつづき 02-出逢いまでの悲喜交々編ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 11月5日(金)深夜、待ちに待った決行日を迎え、たった一枚の切り抜き情報を 手掛かりに、東京の地図さえ持たず夜行列車に飛び乗りました。きっとシンシアの 魅力が、自分をポジティブ思考へ変えて行動的な性格を呼び起こしてくれたので しょう。 6日(土・1日目)早朝、東京駅着後、中央線に乗り換えシンシアの住む東小金井駅 で下車し、早々に記事を頼りに用水路沿いを探し歩く事にしました。しかし、夕方 まで探し続けるも、何の手掛かりすら見つからないまま初日は呆気なく暮れていき ました。後から知ったのですが、当時の小金井市は人口7万人の大きな街なので、 当たり前ですが冷静になって考えてみれば、アパートの記事写真だけでシンシアに 逢えると考えてしまったのは、あまりにも浅はかで無謀な計画だったと言えるかも しれません。 その夜、学生の自分には外泊する資金も無いので、初上京の起点となる東京駅構内 で野宿しようと覚悟を決たのですが、案の定、自分の風貌から〈家出少年〉と 間違えられ、職質に遭い交番で事情聴取を受ける羽目になりました。しかし本当の 上京理由など言えるわけもなく、 「友達に会いに来たけど、いなくて…」 と誤魔化しながら返答すると、実家へ電話で素性確認を強いられ、家出人ではない 事実を親の口から説明を受けたあと無事に解放されました。このあと始発まで、 独りで膝を抱え駅構内で寝ようとしましたが、11月深夜のコンクリート上に 直座わりは、底冷えが厳しく寒さはハンパなく辛かった記憶があります。 明けて7日(日・2日目)は、始発電車で東小金井駅まで行き昨日の続きを試みよう と、地域一帯を絨毯爆撃のごとく捜索したのですが、市の境界すら判らぬまま時間 だけが無情にも過ぎてしまいました。 しかしそんな時、ラッキーな出来事と慈悲深きお導きに遭遇し、めでたくシンシア のアパート前まで辿り着くことが出来たのです。 アパートを見つけた時は、感動で「わーっ」て思わず叫んでしまいました。 自分がココまで来られたのは、これはある意味奇跡と言えるかもしれない! 〈Unbelievable ~!〉(^.^) 早速表札を調べてみると、彼女の部屋は203号室だと判明しました。 そこで思いの丈を書きしたため持参した、人生初のファンレターを203号室の 郵便受けに投函しておきました。 さらに思い切ってドアをノックしてみると、同居人の女性が親切に応対してくれて、 「今日は何時に帰ってくるか判らないから、明日の朝6時ぐらいに来たら逢えるよ」 と教えていただきました。 もう、それから明日のことを考えると、楽しみで胸いっぱいになり天にも登る ウキウキ気分に浸ってしまいました。その後は、夢にまで見たシンシア本人に 逢える時がいよいよ明日に迫っていると思うと、胸の高なりがより一層激しく なりました。 上京してここまで駒を進めたことで、〈よしっ、これできっと逢える!〉と確信 できるいっぽうで、夢が叶ってしまう喪失感も同時に脳裏を過ぎりました。でも、 これで忙しい彼女に本当に逢えるのだろうかという、不安な気持ちと期待が交錯 していたのも事実でした。 この日の夜も昨夜同様、東京駅まで戻りホームのベンチで疲れ果てて座り込んで いると、 「夜10時にもなるのに何してるの?」 と、知らないおじさんに突然声を掛けられました。 「この辺りで野宿するんです」 と応えると、 「だったら、今夜も寒くなるし俺といっしょに宿へ泊まらないか?」 と勧められてしまいました。正直ちょっと怖かったけれど、連日寒い夜を 過ごす事を考えたらラッキーなお誘いなので、そのおじさんの言葉に甘える ことにしました。ついでに温っかいラーメンもご馳走になり、八重洲口から ほど近い素泊まり宿に相部屋をとってもらいました。今考えると、もしも、 あっち系の人だったらヤバかったかもしれません! 話を聞くとやさしくて 親切なおじさんは、奥さんと喧嘩して家を飛び出して来たんだと告白して くれました。 03へつづく(11/8投稿予定) 画像詳細 04-1971.11月号 月刊平凡 自宅アパートの階段にて 05-1971.11.8 アパート前での初シンシア/BOSS激撮01(ファンと受け答えするシンシア) 06-1971.11.8 アパート前での初シンシア/BOSS激撮02(移動車で出発)
【お願い】南沙織さんのデビュー直後、彼女のことを〈沙織ちゃん〉と 呼んでおりましたが、都合により今回の投稿では一部を除き〈シンシア〉で 統一させていただきました。また、記号のハートマークが文字化けするため、 苦肉の策で本文中に(ハートマーク)と表記しました。 今回は1971年、自分が初めて上京し、憧れのシンシアに逢うまでの思い出を 綴ってみました。 01-ときめき上京決意編ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 当時16歳の自分は、愛知県豊橋市の書道家先生宅へ食事付きの下宿をしながら、 ごく普通に平々凡々と高校(男子校)生活をおくっていました。アパート下宿と 言っても自分専用のドアから出入りが可能なため、自由奔放なひとり暮らし だったと言えます。そのため、たとえ夜遅くに帰宅しようが外出して何日も 留守しようが、監視の目がまったく無い超ラッキーな環境下での青春時代を 謳歌することが出来ました。 もしも、親と同居し自宅通学の身だったら、学校をズル休みして東京へ行く ことなど到底不可能だったでしょう。だから、同級生と比べ自分は恵まれた 境遇だったと言えるかもしれません。 そんな高校在学中の1971年6月1日(水)、心ときめくスーパーアイドルが 彗星の如く誕生したのです! 皆さんご存じの通り、その女の子は、まさに 天から舞い降りた清らかな天使・月の女神様〈南沙織〉さんでございま~す。 彼女は小麦色の素肌に長い黒髪も爽やかに、瞳を輝かせながら眩しいほどの オーラを放っていました。 南国の香りする清楚な微笑みに魅了され、彼女のその衝撃的な姿に自分は ひと目で即ゾッコン(ハートマーク)LOVE! デビューと同時にすっかり ハートを鷲掴みにされると、魔法にかけられたかのように、寝ても覚めても ハートの中はシンシア色に染まり、日増しに愛おしい存在となりました。 ずっとこんな時間が続いて欲しいと願いながら、ファンクラブ会員募集の 告知時には、真っ先に入会手続きを済ませて、50番以内の二桁の会員番号を ゲットすることが出来ました。 当時の日課は、シンシアの曲を口ずさみながら、12キロを30分掛けて自転車 通学する毎日でした。かなり全速力で走り続けていたせいか、知らず知らずの 内に足腰が鍛えられ、クラスの長距離走ではいつもトップの成績を収めて いました。そのため、部活はすでに写真部へ所属していたにも関わらず、 陸上部から勧誘されたという体験があります。でも、陸上部は拘束時間が 長いので断っていました。その点、写真部は基本自由参加なので、居心地が 良く自分の性に合っていたのだろうと自己分析しています。 思えば、シンシアはそれまでで一番好きになった女の子で、こんなに夢中に なり心ときめいた経験は生まれて初めてのことでした。次第に逢いたい気持ちが 募るばかりで、彼女に逢う事が在学中の一番の夢と目標になりました。 しかし、いかんせん自分の住む町は片田舎なので、シンシアが地方活動のために 来訪する事など望めず、残念ながら待てど暮らせど彼女に来ては貰えませんでした。 そんなシンシアは、自分にとって雲の上の存在であって、会う事などとても 叶わぬアイドルなんだろうと半ば諦めていました。 毎夜、文化放送やTBSラジオの深夜放送から、流れてくるシンシアの曲を 聴いているうちに、応援する気持ちになり、自分もリクエスト・ハガキを 出して何度か番組内で読まれたこともありました。 ある日、シンシアの動く映像見たさに、我慢できず小遣いを貯めてデパートで 白黒テレビとステレオを購入し、シンシアの出演する歌謡番組をかじりつき ながら見たり、レコードを擦り切れるまで聴いていました。 下宿アパートのドアの内側にシンシアのポスターを貼って、学校への登下校時 にはいつも「シンシア、行って来ま~す! シンシア、ただいま~!」 ってKISSしていました。気持ち悪いって言われそうですが、当時は皆んな CHU~してたんじゃないかな!? この歳になってもまだしている輩が居たら ちょっと引いちゃうけどね。(笑) そうして月日は流れ、シンシアに逢いたい気持ちが日ごと募り、益々悶々と するだけで、そう簡単に逢える方法など見つかる訳も有りませんでした。 そんな時、月刊明星11月号に〈沙織の東京でのお城がやっとできました!〉 と題して、彼女が住むアパート全景が約3センチ四方大の白黒写真で紹介された のです。その説明書きによると、クリーム色の木造二階建で前面が空き地、 横に用水路が有る云々・・・と記されていました。 その記事を見たとき、天から照らす神々しい光明を感じ、〈あっ、この記事を 頼ってココに行けばシンシアに逢えるぞ〉と単純に思い込んでしまいました。 若気の至りと言うか無茶な考えと言うか、でも、心で思っているだけでは、 彼女に逢えるワケなどなく、その実行日を今か今かと伺っていました。 02へつづく(11.6投稿予定) 画像詳細 01-1971.11月号 月刊明星 沙織の東京でのお城がやっとできました!(掲載記事全面) 02-1971.11月号 月刊明星 沙織の東京でのお城がやっとできました!(アパート部分拡大) 03-1971.11月号 月刊平凡 アメリカンスクール11年生(通学編・東小金井駅前にて)
何年ぶりでしょう、cynthia streetに立ち寄ったのは。 正直とうの昔に閉鎖されたものと思ってました、勝手に。 けど、多くのファンが投稿を続けているなんて、ホントに、ほんとに、本当に感激です! いつまでも私たちの(本当は”私の”と言いたいんですが)女神です。 Cynthia 大好き!!