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2018年11月 の伝言板を読む
2018年09月 の伝言板を読む
久々におじゃま(カキコ)させてもらいます。 我々サオリストにとって、思いの多い月である10月が過ぎ去ろうと しています。 実は、10月1日の夜にBOSSから電話をもらい、「40年前の10月1日の ラストパーティに君も参加していたのだから、何か思い出でもカキコ してよ~」とのご要請がありました。 BOSSは我々地方在住のサオリストにとっては大恩人ですから、すぐに カキコすれば良かったのですが、正直なところ、ラストパーティの事は あまり覚えていない・・・と言うよりも私にとってあまり良い思い出と しては残っていないので躊躇したしだいです。 著名歌手とその熱烈なファンとのお別れの「儀式」ととらえるなら、 それは必要なイベントだったのだろうけれど、あの日のシンシアは何故か 遠い人に思えて淋しかったのです。1人対350人では、直接話しをする ことも出来ないし、仕方のないことだったのですが・・・。親しい仲間と 思っていた仙台のTONちゃんがステージ上で司会をしている姿を、 遠くからうらやましく眺めていた自分がいました。その時の心境を、 今あらためて客観的に考えてみると、その約2ヶ月前に行われた イベントとの違いがあまりにも大きかったからだと再認識しました。 そのイベントは歌手とファンとのイベントというよりも、一人の女性で あるシンシアと彼女を慕う仲間とのふれあいの機会でした。 プロダクションやファンクラブの企画ではなく、本当にプライベートな 旅行であり、ふれあいの機会でした。1978年7月、シンシアと我々 サオリスト数十名は、シンシアがプライベートで休みをとった日に、 石川県の千里浜のリゾートホテルに全国から集結しました。1泊2日で 彼女を囲んで浜辺でゲームや花火で遊んだり、ホテル内で生ビール飲み 放題の大パーティなどで騒ぎまくったのです。本当にあの時は楽しかった し、シンシアをとても身近な女性として感じ、接することの出来た非常に 貴重な時間を過ごすことが出来たのです。 その時のひとつのエピソードとして、私の脳裏に明確に記憶されている ことがあります。 夜の海岸で、砂浜にじかに座りシンシアを囲んで雑談をしていた時の 事です。その時、シンシアは周りにいる数人の人にしか聞こえないような 声で、唐突に「紀信先生の山中湖の別荘に行って楽しかった」ことや 「紀信先生が自らたらこスパゲッティをつくってくれた」ことなどを、 とても楽しそうに、でもどこか遠くを見るような表情で、我々に語り かけてくれたのです。目の前にいるシンシアから突然に紀信先生の名前が 出た事や親しくしている事について、私はその時どう反応していいのか 分からなく、戸惑ったことをまるで昨日のことのように覚えています。 今般、BOSSが紀信先生とシンシアとの交際の事をシンシアの 休業宣言前に知っていたことをこの伝言板で表明されました。 「さすがBOSSだなぁ」と思いつつも、このことであの当時の事を 振り返る機会を与えていただきました。 何故、突然に(こちらが聞いてもいない)紀信先生の事を無防備に 語り始めたのか? きっと、あの時のシチュエーションの中で、 シンシアは一人の女性として(信頼している)紀信先生と過ごした 楽しいひとときの事を、心と心が触れ合えた我々にも知ってほしかった のかな!?・・・と拝察しております。 シンシアと紀信先生との事は、我々サオリストにとって極めて デリケートな事であり、その取り扱いには充分な配慮が必要ですが、 こうしてその一端をHP上でカキコすることが出来るという事が、 40年という歳月の積み重ねによるものと思料します。 尚、この時の砂浜での事は、私が30年前に自費出版した小冊子 「邂逅」の中で、「たらこスパゲティ」と題した拙文で詳しく 記しております。 この小冊子は、KINDO氏の全面的ご協力のもとに1988年に 200部程 上梓しました。 今年も、私は年末のクリパに出席させていたく予定です。 KINDO先生宜しくです。クリパに参加される方で、もし、 この小冊子をご希望の方がいらっしゃれば、差し上げようかと 考えております事を申し添えます。 [長くなってしまい、ゴメンナサイ。]
Bossさん、激白ありがとう。 7~8年前、篠山先生が出演されていた『徹子の部屋』を見ていたときの ことです。突然、南沙織の理想の男性像を語られている記事を思い出し ました。最初は篠山先生が理想の男性像に近いと感じられましたが、 番組の最後の方では、理想の男性像ではなく、篠山先生を念頭に置いて 語られた記事ではないかと感じました。おそらくこの取材を受けられた 時には、‘シンシアさんの心中に篠山先生が居られたのでは‘という 疑念を持っていましたが、それが裏付けされたようで何か安心できました。 これからも‘激白‘よろしくお願いします。
クリパでお会い出来るのを楽しみにしていますネ! 実はその日、子供の吹奏楽のコンサートがあることがわかり、行けないかもと 思ったけど、23日、24日の二日公演なので、23日には他の家族で行ってもらい 24日のコンサートに間に合うように帰ることで次女には納得してもらえました。 南沙織さんへの熱い思いをみんなで語り合いたいですネ!
さすが、Bossさん。 記者の方にも信頼されてたのですね。 沙織ちゃん情報も、真っ先に教えてもらってた。 すごい。 Bossさんもすごいけど、CIA並みの 週刊誌記者の取材能力にも 脱帽です。 取材源を探し出す能力、まさに神業。
またも睡眠薬を飲んでカキコしてしまい申し訳有りませんでした! 続き 実はさよならコンサートの何ヶ月も前から、紀信先生とお付き合いを している事は極秘情報として知っていました。業界関係者「とある 週刊誌の記者」の方と友人関係だったので、シンシアの情報は逐次に 連絡が来ていたのです! ある日急に重大な話しがあると居酒屋に呼び出されました。 熱烈なシンシアファンだと知っている彼は中々核心部分に入って くれませんでした。 ファンである自分がショックを受けると心配して気を使わせてしまい、 彼の口を重くしたのかもしれません。当時の私のシンシアに対する 位置付けは、ファンの域を凌駕していて達観して見ていました。 この歳になって同窓会に参加して追っかけはほとんど全国を制覇したよ と言うと、決まって言われたのがそんなに好きだったら結婚したいとか 恋人にしたいと思わなかったのと必ず聞かれました。うーんそれは 次元が違うんだよと言っても中々理解して貰えませんでした! 私にとってシンシアは神で有り天使で有ったので、恋ごころ抱く存在 では無かったのです。だから恋人が出来ようが結婚しようが、シンシアに 対する立ち位置は普遍でした。 自分が先ず心配したのは引退前にスクープされたら、シンシアも嫌な 思いをするだろうと考えていました。それにラストのさよならコンサートに 向けて最後の追い込みをしてるシンシアファンに、一生懸命に応援して 貰いたかったです。 シンシアが最後のコンサートに向かっている時に何時もラストスピーチで 言っていたのは、私が結婚相手を皆んなが反対するかも知れません。 その時にはたった一人でも良いですから応援して下さいって言っていました。 後から考えるとそれは無意識のうちに紀信先生の事があっての発言していた のかもしれません! この当時から女性歌手の方はミュージシャン、テレビ局のAD、マネージャー、 業界関係者の方と結婚、離婚して芸能界復帰するのが定番でした。 シンシアには心から幸せになって欲しいと願っていましたから、紀信先生なら 心配ないと思っていましたから結果は願ったりかなったりでした! やっとまともなカキコが出来ました! クリパの時にはシンシアストリートにはカキコ出来ない今回の枝葉を情報を 発表しちゃうかも!!!
Bossさんはやはりご存知だったのですね。 完全無敵のファンだ。 今だったら文春砲? 『週刊女性』の記者にも南沙織ファンがいて、 引退後に記事にしたのでしょうか? Bossさんもすごいけど、 やはり『週刊女性』の記者の取材はすごいなぁ。
クリパもちろん参加いたします!! もう1年たつんですね。早いですねぇ~ 今回はほんの、ちょっとしたシンシアに関する話をお持ちしますね。
先日は睡眠薬を飲んでカキコしたから支離滅裂で 大変失礼致しました! 後から読むと恥ずかしいです? 満寿夫さん、早速のクリパの参加表明ありがとうございます。 しんのすけさん、投稿ありがとうございます! 実はシンシアと紀信先生がお付き合いをされている事は、さよなら コンサートの何ヶ月前から噂じゃなく真相は知っていました。 私も公表は控えていたのでコンサートの会場に来ていたファンで 知っていたのは僅かでした。 コンサートでこの件に触れなかったのはマジだったからでしょう! 私は紀信先生だったから、きっと大切にしてくれると確信して いましたから賛成していました??
Bossさん、 ファンも全く知らなかったヨーロッパ旅行を週刊女性がスッ羽抜くとは、 ガクガクブルブル。当時の『週刊女性』の取材力は凄かったのですね。 Bossさんも知らないことあったとは、驚きです。
2018年10月15日、今だに忘れられない一生の思い出です。 コンサートが終わった翌日に紀信先生が待つヨーロッパに旅立った事が 『週刊女性』に載り、ファンの間では喧々諤々でした。 あるものは裏切られたとレコードを聴く粉々にする輩もいました! そのファンの気持ちは理解出来ます。 あれだけ何度も結婚の為に引退するんじゃない、学業に専念する為だと 言っていながらだったから! 引退宣言をした時はまだ紀信先生との結婚はまだ2人ではまだだったん じゃないけどな! シンシアは嘘だが嫌いだったし引退宣言からさよならまでに2人の間に 急速に進展したのでしょう。 渡欧だって最低でも2か月まえにはチケットは取って有っただろう。 この半年後には結婚式をした訳だから、さよならの時はもう結婚する事が 決まっていたんじゃないかなぁ 出来れば!さよならコンサートのアンコールぐらいで宣言して欲しかった。 で、何でこの日が記念日だと言うと、皆さんには理解不能かも知れませんが 1週間後の同じフライトを見送りに成田に出掛けました。 しかし当時は成田闘争真っ只中でしたから、見送りの入場は原則禁止でした。 しょうがないのて飛行機が見られるとこまで歩こう思い両側に3メートル ぐらいの高さ鉄板の間を歩いている時にフライトの時間20時になって、 成田湯川への帰路につきました。 すると間もなく巡回のパトカーが来て職質を受け身を拘束されました。 後部座席の真ん中に座らせられ両側に警察官が座り成田署に向かいました! 尋問室で何故にあの場所いたのか、色々な尋問を受けました。 シンシア1週間後フライトを見送りに来た時説明会しても中々信じて 貰えませんでした。 最後は自宅に電話をしてシンシアのファンだとわかってもらい、シンシアの スケジュールを記載した手帳と『週刊女性』、パスケースに入れてあった シンシア等2ショット写真で無事に解放されました。 成田駅までパトカーで送って貰いました!
仙台のTon chanさん 歓迎のコメントありがとうございます。 実は、山口の田舎者なので、新宿のお多幸さんまで、 当日無事にたどり着けるかどうかとても不安です。(^_^;) 何としてもたどり着いて、皆さんとシンシアの話で盛り上がりたいですね。
海田さんこんにちは 参加表明ありがとうございます。クリパでお会い出来るのを楽しみにしております 私も万障繰り合わせて、万難を排して参加しますよろしくお願いしますm(__)m
もう、何年も前からずっとあこがれていた東京17会のクリパ。 今年こそは、万障繰り合わせて、万難を排して、 参加させていただこうと思っています。 どうぞよろしくお願いします。
月日の経つのは、ホントに早いですネ! 引退宣言を聞いてから、ラストコンサートまで3カ月間、大好きな大好きな シンシアを出来るだけ追いかけていました。 今日がラストコンサートコンサート自体は、 高槻や名古屋でも見ていたのですが、やっぱり最後の最後ということで、 ホントに1分1秒を惜しみ、シンシアを見ていました(実は、名古屋の ラストの時は、席が後ろの方だったこともあり、シンシアの声を子守り唄に して居眠りしていて、仲間達からヒンシュクをかっていました) 調布のグリーンホールでは最前列左側で見ていました。BOSSも書いてくれた ように、みんなでcameraを持ち込みました。『没収されても、代わる代わる 写せばいいね!』と言っていたけど、私なんかは、ホンの5~6枚写した ところで没収されてしまいました。 BOSSのおかげで貴重な写真がいまだに見ることが出来ることに感謝しています。 クリパには参加しますネ! 皆様も万障くりあわせの上、ご参加下さいませ。 お会い出来るのを楽しみにしています。 南沙織さん 素敵な思い出と沢山の仲間を残してくれてありがとう Cynthia いつも、いつまでも大好きだよいつもいつもファン一同 Cynthiaの幸せを祈っています。 いつまでもいつまでも元気で幸せでいて下さいね
シンシアストリートの読者の皆さんお久し振りです?? 今日は調布でのさよならコンサートの忘れられない節目の日です! 多分当時の今頃には現地に着いて、断つな青春の絆のビラ配りをしてたかな? そこには最終最後のコンサートだけに絶対記録に残さないといけないという 使命に燃えていたサオリスト達がいました。あるものはポータブルビデオ デッキにカラービデオカメラ、あるものはフィルムカメラをいかに会場内に 持ち込むか必死でした! 会場入り口ではカメラチェックが有り殆どが預けさせられました。 当時ですからビデオ関係は大きく紙袋の中に入れて上部には小物を入れて 持ち込もうとしましたが、係員に見つかりもう一度人混みに紛れて何とか 持ち込めました。カメラ担当の自分はカメラバックを預けて、紙袋に本命の カメラを入れて持ち込ちました! 座席は2列目のセンターで一列目の人の 頭の間から撮っていました。暫くすると通路の最前列にプロカメラマンが 何人か来ました。それに便乗して自分も通路に出て撮りだしました。 カメラは当時プロしか持っていなかったニコンF2モータードライブ付きで、 機材では負けていませんでした。 すると間も無く係員来て肩を叩いたから振り向いて、何なんだよと一喝すると スゴスゴと帰って行きました。 自分なんかはカメラを持つと性格が強気になれて怖いもんなしでしたね~?? 写真を撮るのに必死で歌などは記憶に有りません。 そしてシンシアはファインダー越しでしか見ていませんでした。 この後とある場所でM君がシンシアの横断幕を持って深夜の行進しました! 早いものでもう40年もなるんですね~ ps キンドーさん、本年のクリパは勿論参加させて頂きます!
私事ですが、KINDOの古いMACが時代遅れのためか、最近言うことを 聞いてくれず、本来の記念日2日前ですが出勤先からこのカキコを投稿する ことになりました。よろしく。 来たる10月7日は、1978年に〈さよならこんさ~と〉(東京・調布市 市民福祉会館グリーンホール)が行われ、歌手・南沙織さんが終止符を 打つことになったラストステージの記念日です。 このコンサートの思い出カキコは誰かが書いてくれることでしょうし、 KINDOの2016年10月2日に投稿したカキコのほうも見てもらうとして、 今回は当時のエピソードを少しだけ書きたいと思います。 Cynthiaの引退年は、記録等の機器類の持ち込みは全面禁止が当たり前に なっておりました。しかし、サオリストにとって最後の大舞台を記録すると いう任務に、躍起になっていたセミプロ軍団の仲間たちが活躍の時を狙って おりました。そしてビデオ&オーディオ班や写真班それぞれが、涙無くしては 語れない血の滲むような努力の結果、記録取得を成し遂げています。 セミプロ軍団の仲間は〈サオリスト自身が記録せずに、誰が[南沙織]の 活動歴史を未来に繋げることが出来るんだ!〉とキモに銘じながら、毎日の 主軸をその活動に明け暮れておりました。そして過去の修羅場の経験を 活かして、様々な手法を用いながら持ち込み禁止に対抗していました。 雨の日も風の日も、重い機材を担いで全国各地へと出向き、良い席を 獲得すべく、時には前日の会場入口に夜から並ぶことも多々ありました。 夜半は新聞紙を上着内側のお腹周りに巻きつけ、寒さをしのぎながら 過ごしたこともあるという強者もおりました。 そんな彼らが取得した記録画像と情報が、フォトグラフ集〈Blue Mermaid〉 (2016.06.01・東京17会発行)に掲載発表できたことは喜ばしい限りです。 そして、私が時々カキコに添える写真も、今日まで残 された記録があるから こそ成せる投稿でもあるのです。40年以上前の仲間たちの努力の結晶が、 こうして彼女の記録として今も継承し続けられるのです。 このような記録を残してくれた仲間たちと、記録収集に協力的だったCynthia ご本人にも、この場を借りて心から感謝のお礼を言わせてください。 「Cynthiaありがとう! そして仲間のみんなも、ありがとう!」 ※セミプロ軍団=プロ同等の機材と技術を習得し記録することに命を賭けた Cynthiaファン。通称セミ軍団とも呼ばれていた。 撮影:BOSS 1)いつものようにファンに向けて笑顔で応え、語りかけるように歌うCynthia。 2)これまでの彼女の人生感や恋の思い出を、曲と曲の間に織りまぜながら語る スタイルでプログラムは進められた。 3)長~いカーテンコール後の観客も諦めかけた時、山のような色とりどりの 紙テープが残るステージ上に私服姿のCynthiaが再登場。そして、ファンに 向けラストメッセージを静かに語りかけるCynthia。彼女は、緞帳 (どんちょう)が下りてしまうまで、ファンに向けて一生懸命に手を 振って感謝の 気持ちを表していた。なお、投稿写真は各地の 〈さよならこんさ~と〉で撮影された画像を使用。
サオリストの皆々様方、お元気でしょうか? 今年もクリパ告知第一報の季節がやってきちゃいました。しかし、なんでこんなに 月日の経つのが早いのでしょうか!? ついこの前クリパをやったばかりだと 思っていたのに・・・。これでまた一つ歳を重ねてしまうことになるわね~! 本年12/23のクリスマスは、是非ともサオリストの仲間達と「おでん」の宴(忘年会)に 参加してみませんか。そこで、嬉しい情報をひとつ、「おでん」はカロリー低めなので 血糖値が気になるおじさん達が爆喰いしても大丈夫らしいですよ、やったね。 (どこかのテレビで言ってたよ) サオリストのみなさん! 今年こそ、どうか元気な内にお逢いしましょう! 年に一度の宴への参加は、自分自身が健康で行動できてこそ実現できるものです。 参加する意志があるなら体力がある限り、どうぞ遠慮なく足をお運びください。 サオリストである私たちは思っているほどもう若くはありません。どうか元気な うちに元気な姿でクリパへご参加ください。カラ元気でもいいからさ・・・よろしくね! ※参加者の7割くらいが下戸ですから、アルコールの苦手な方も大歓迎よん! ーーー 2018年 参 加 者 募 集 要 項 ーーー 日時:12月23日(日/祝) 17:00~(時間無制限一本勝負) ※お店は15時から営業なので、早めの入店も対応可。 会場:お多幸・新宿店(4F)Reserve済 TEL03-3352-4771 〒160-0022 東京都新宿区新宿3-20-1 交通:JR新宿駅東口・徒歩7分、※アクセスは添付地図参照。 地下鉄丸ノ内線新宿駅B10出口・徒歩1分 ※道に迷ったらKINDO携帯へ。出迎えに参じます! 会費:男性:5000円前後(終宴時・均等割の明朗会計) 女性:3000円均一、なお男性でも少食の方や遅れての参加 & 早退の方は割引対応 参加:下記幹事KINDOまでご一報を。 又は、この伝言板上にハンネで参加表明してもOKでごわす! 受付:~12月17日(月)まで。なる早の参加表明は大歓迎! 主催:東京17会(とうきょうとなかい) 幹事:KINDO XXXXXXXXX@ybb.ne.jp 自宅・携帯 ※2019.12.19削除しました ※参加者へのプレゼント用お楽しみグッズ計画中! ※BOSSによるCynthiaに関するエピソードを披露予定! 写真は、ちょっと参加者が少なくてさみしかった2017年のクリパ集合写真です。
キンドーさん 書き込みありがとうございます。(最後の写真でシンシアが持っているお人形は 『シンシア人形』って、彼女が言ってました。そう言われて、よく見ればシンシアに 似ている感じがしない?) 南沙織さんの引退からちょうど40年経つのですね。40年か早いものです。 20才だった私もナント60才の還暦を迎えました。あの頃一番若かった Masked Rider さんも来年還暦で、彼から『老いる』なんて 言葉を聞くとやっぱり月日の早さと一抹の寂しさを感じます(冬美さんに何度も Masked Rider さんの事を言ったのは、田代さんにとってもMasked Rider さんは、 ファンの中でも特に気になる存在だったのかもしれませんネ!) さてさて今ごろ 南沙織さんのラストパーティーを終えて、打ち明けをやっていた頃かもしれません。 ラストパーティーの打ち上げはシンシアが当時よく髪を切っていた原宿の美容院の すぐ近くでありました。赤坂プリンスホテルからタクシーで会場に向かいましたが、 この時、私は初めてシンシアと一緒にタクシーに乗りました。(一度でいいから、 シンシアと同じタクシーに乗りたいとの夢がこの時叶いました) 赤坂プリンスを出てタクシーに乗る時にもサインを求めるファンに優しく対応して いました。いつもファンをとても大切にしてくれていたシンシアでした。 何故、南沙織さんのラストパーティーが10月1日に行われたかというと、シンシアは ホントは9月いっぱいで仕事を全てやめて引退する予定でした。 ところが、引退を決めたのが突然だったために、ラストコンサートの会場がどこも 空いてなくて、東京でのラストコンサートは『出来ない』可能性がありました。 それでシンシアが9月いっぱいの引退を譲ってくれて10月7日に調布のグリーンホールで ラストコンサートが出来る事になったのです。 事務所側はファンとの交流にあまり乗り気ではなく、ラストパーティーも9月いっぱいで 引退した後で10月1日にするのなら『いいわよネ!』という感じで10月1日に決まったのです。 ファンをとても大切に思ってくれていたシンシアだったので、最後の最後にみんなに チャンとお別れとお礼を言ってからやめたいというのが、彼女の考えでした。 それで10月1日はマネージャーもなく(マネージャーの清水さんはゲストでは来て くれました)シンシア一人で来てくれたのです。でも初めて一人で行動したせいか、 約束の時間にシンシアが来なくて、スタッフ一同大慌てでした というわけで、シンシア到着後、時間があまりなくて、シンシアが『ドライヤーある?』と 言って、シンシアがドライヤーで自分で上手に髪をカールさせる様子を間近で見ていました。 私にとっても『青春の全て』というほど大切な大切なシンシアと過ごす最後の時間 (ラストコンサートは残っていたけどネ!)でした。今でも昨日のことのように鮮やかに 覚えています。 毎年10月1日はもちろん、引退宣言をした7月3日から引退までの日々を夏になると 思い出しています。 今日は羽田にシンシアを見送りに行った 今日は浜松に行った 今日はシンシアと海に入った(千里浜)今日は一緒にテレビに出た(TBS奥さま8時半です) 今日は星空のコンサートだった今日は高槻のラストコンサートだった 今日は名古屋のラストコンサートだった等々、毎日毎日思い出しています。 今日BOSSから『忘れているかもしれないけど今日はラストパーティーのあった10月1日だよ』 ってメールをもらいました。『シンシアストリートに何か書いて』って。 自分の誕生日はつい忘れても10月1日は忘れることはない私にとっては大事な大事な記念日です。 ファンの仲間に会いたいなあ
早いもので今は無き赤坂プリンスホテルでのあの日から40年目に なっちゃったのですね?? 参加者として100人ぐらいだったと思って いましたが、350人だったとはビックリでした ロビーには音声が漏れていたので、来れなかったサオリストに公衆電話から 実況報告していました。しかし、突然ロビーが無音になり、どうやら主催者側の 人間の仕業でロビーの音声をオフしたのでした?? 何てけつの穴が小さい奴ら なんだろうと憤慨しました?怒り) そして最後に握手会になり、両側にファンが並びシンシアを迎えました。 自分は最後方に並び段々近付いて来るシンシアにドキドキでした? そして目の前に来て手を差し伸ばすと、シンシアはありがとうと言って 握手してくれました? 今も柔らかい感触は残っています! 実は昨日の夜夢にシンシアが出て来ました?? 覚えているのは目が醒める寸前なので、今日の夢の中に登場してくれたのだろうな? やっぱり節目だから登場してくれたのかな!? ありがとうシンシア???
ラストパーティーが開催された1978年10月1日(日)から40年が 経ちました。そこで、当時を振り返って、ちょっとだけ思い出のアルバムを 覗いてみましょう。 ファンクラブ(FC)企画により、FC会員限定で全国から350人の参加者が選ばれ、 会場の千代田区赤坂プリンスホテル別館でCynthiaとの残り少ないひとときを 過ごしました。この会場は1971年日本レコード大賞の選抜会場でもあり、 Cynthiaが新人賞にノミネートされた思い出の部屋でもあります。 参加者は、彼女の歌はモチロン、質疑応答、クイズ大会など、プレゼントが 当たる催し物もあって、大いに楽しんでくれたようです。特にプレゼント 企画では彼女の逸品をゲットできるとあって、最高の盛り上がりを見せて いました。この会場まで足を運ぶような強者らしく、さすがにちゃっかり しているようですね。(笑) 会場での彼女は、サヨナラ特有の湿っぽさもなく終始明るい笑顔でファンに 接しておりました。と言うより、退く決意をしてどこか吹っ切れた感が見えて、 強い前向きな印象さえ感じました。馴染めなかった芸能界に訣別し、これからは 好きな勉強ができる明るい未来を描いていたからでしょうか。 ~つづく 1)開門されて登場したCynthiaはファンの目の前を歌いながら歩いて特設ステージへ。 2)立食・歓談中もファンのみんなへ笑顔で接してくれたCynthia。 3)プレゼント大会で、Cynthiaが抽選箱から当選番号を引くところと、今まさにじゃんけんで勝負しようとしている場面。
~つづき 途中から司会進行を任されたTONちゃんが、今回のCynthiaの衣装について 彼女へそっと聞いてみたら、 「〈南沙織〉は9月末で卒業し芸能界を離れた後だから、10月1日のパーティーには、 シックな衣装が相応しいと思ったの」と答えてくれました。 またTONちゃんも、Cynthiaを引き立てようと悩み抜いた末、モノトーンの衣装を 選択したことで、奇遇にもCynthiaなりの持論とシンクロしてしまったようです。 Cynthiaは、 「これから、あたしが生きてゆく上で、 苦しいことや悲しいことがあっても、 力一杯生きていきます。だから、遠いところからでもず~っと、あたしを 見守っていてください」 とシメの挨拶をすると、参加者の一人ひとりと丁寧に握手をしながら会場を 後にしました。 サオリストにとって、彼女の存在は一生の思い出に残ることでしょう。 さらに、このパーティーに参加したファンたちは、握手した彼女の手のぬくもりを ずっと忘れずに生きてゆくことでしょう。 そして六日後、〈さよならこんさ~と〉(東京・調布市市民福祉会館 グリーンホール) が控えるだけとなるのです。 参考:2016.06.01発行 フォトグラフ集〈Blue Mermaid〉より 1)参加者を交え何やら指折り数を数えているCynthia。 2)左/特設ステージ上で熱唱のCynthiaと手拍子で応援する参加者。 右/司会進行を務めたTONちゃんと、打ち上げに参加してくれたロージィー。 3)参加者350人を8班に分け記念撮影。9番目はスタッフの打ち上げ時の記念撮影。 右/ファンからプレゼントを頂き、パーティーを終え安堵の表情を見せるCynthia。