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2007年06月 の伝言板を読む
2007年04月 の伝言板を読む
はっきり言って、Cynthiaは今なお「月の女神」です。 今の彼女は本当に綺麗です。こっちも頑張らねばと思います。 ↓のトナカイさんの写真より、本当に運麗だった。 本当に綺麗だった。そしてそれに遭遇できて、なおかつ会話が できて狂喜乱舞。 「負けてはいられません」という心象です「20才」を聞き 直しております。
会員から情報をいただきましたので載せます。 ありがとうございます。 一昨日発売された『マンスリーWiLL』(ワックマガジンズ刊) 7月号です。記事は無いのですが、写真の特集として「芸能界、 三人寄れば・・・」という特集が掲載されています。女性では 「元祖・三人娘」「スパーク三人娘」「新三人娘」「花の中三 トリオ」が掲載されています(写真提供はマガジンハウスなので、 『平凡パンチ』などに掲載されたものだと思いますが) 「元祖・三人娘」江利チエミ、雪村いづみ、美空ひばりの 1955年、さすがにきれいですね。「スパーク三人娘」中尾ミエ、 伊東ゆかり、園まり1965年頃の写真だと思うが、個性あるお顔 立ち(失礼m(_)m....)。たしか、この三人娘、新潟地震の復興に ご尽力されていましたよね。いまでも一番仲の良い三人娘なんで しょうね。 さて、我らCynthiaの「新三人娘」 仲が良かったかどうかは 怪しいですが、好みの違いや、後の変身ぶりの違いもあります けど、きれいですよね。 記事抜粋 1970年代アイドルの元祖ともいえる歌手によって結成された 三人娘。(略)ライバルの総称という傾向が強かった。(1973年) 『月刊WiLL』:http://www.web-will.jp/
6/4付アルバムランキングでは、竹内まりやの6年ぶりと なるオリジナルアルバム『Denim』が初登場で1位を獲得した (売上22.1万枚)。 竹内まりやのアルバム1位獲得は、2001年8月発売の『Bon Appetit!』 から3作連続、通算8作目。“52歳2ヵ月”での1位獲得となり、 2003年10月のカバーアルバム『Longtime Favorites』で自身が 記録した、女性アーティストのアルバム1位の最年長記録“48歳8か月” を3歳6か月更新した。ちなみに女性歴代2位は、松任谷由実の “47歳10か月”。 本作は「返信」「シンクロニシティ(素敵な偶然)」「スロー・ラヴ」 「明日のない恋」のシングル曲に加え、松たか子への提供曲 「みんなひとり」のセルフカバーなど全12曲を収録。初回限定盤は、 他のアーティストへ提供したセルフカバーを中心に、過去にシングル 化されアルバム未収録の6曲をリミックス・リマスターしたボーナス ディスク付2枚組仕様となっている。 ■『Impressions』は5年9ヵ月ぶりの返り咲き 1994年に発売され、累積で300万枚を超える大ヒットとなった ベストアルバム『Impressions』が今週になって急上昇。週間売上は 先週の685枚から1991万枚へと大幅アップで、順位も先週の225位から 95位へと急上昇。2001/9/17付に84位を記録して以来、5年9か月ぶりの TOP100入りを果たした。
昨日から公開になった「パイレーツ・オブ・カリビアン3 ワールド・エンド」を見て来ました。字幕版と日本語吹き替え版と ありますが、吹き替え版をお勧めします。 この映画は、映画の最後の場面、スタッフの名前が出てくる画面の 後で、おまけの映像が流れます。その後、吹き替え版のみの映像が あります。 吹き替えの声優の名前の場面です。そこに沙織の名が出ます。 エリザベス・スワン:弓場沙織 映画の1は、明日の日曜洋画劇場で放送されます。地上波 初登場です。こちらも沙織さんが声優ですので、必見です。 パイレーツ・オブ・カリビアン3:http://www.disney.co.jp/pirates/ 日曜洋画劇場:http://www.tv-asahi.co.jp/nichiyou/
The CD Club 2007年7月 24-25page
The CD Club 2007年7月 22-23page
いろーんな考え方があると思います。シンシアへの価値観は 人それぞれ違うのですから。先日、トナカイさん・Belloさん・ u3さんと語り合った夜は楽しかったです。みんな違うんです ものね。みんな見解が。それでいいと思います。ただ、全面否定は されなかった。本当にシンシアファンの皆さんに30年たって回り 逢えたことを感謝しております。17分の砂時計を熱く語る浅草での 皆さんの顔覚えています。それぞれのシンシア観があります。 それぞれを否定されることはいいですが、ここの価値観を拒否 することはお互いにやめましょう。だって、永遠の女神なんだから、 シンシアは。 これは削除していただいて結構です。ただ、気に食わないから 参加しないというのは…。これが気分はセブンティーンさんへの レスポンスでs。逢えたらいいですね。ぜんぜん価値観の違うもの 同士が。
当時テレビ局でアルバイトをしていましたが、眩いほど美しいと 感じたのは、あべ静江さんと麻丘めぐみさんと、南沙織さんでした。 ほかのアイドルの人は、とても可愛いという印象でした。
僕もここ1年、ここを見るのをやめていました。理由は ここに書き込むのをやめた良心的な人たちと同じです。 不愉快だったのです。 シンシアさんは復帰後の記事の中で「卑怯だけは許さない」と 言われています。逆ギレしたり、嫉妬したり、盗用したり、 そんな類の人間達がいくらファンですとすり寄ったところで、 潔癖な彼女の方でお断りでしょう。 ですが皆さん、この件はもう終わりにしませんか。Jさんの 書かれたとおり、賢明なファンのみんなはわかってると思い ますので。不適当でしたら消してください。
Jさんが全部言ってくれましたが一つだけ・・。 2チャンは無法地帯ではありません。それなりにルールが ありますしなんといっても日本は法治国家です。気分は セブンティーンさんの心情をお察しします。優秀な法律の プロを知っていますのでよければ紹介します。 自分はS○○Aの友人です。
気分はセブンティーンさんの文章からは人柄が 読み取れていましたし、どうもおかしいと思っていました。 大体2chなんかで大事な自分のHNを書くようなマヌケはいません。 沙織さんのファンは馬鹿じゃありませんから、ちゃんと わかってるでしょう。逆ギレして裏で悪口を言うなんて、 いくら無法地帯でもどうかと思いますよ。
>>気分はセブンティーンさんへ 投稿者:あるひ 某巨大掲示板にてBさんへのメッセージを書いてます が、Bさんに読んでもらいたいのならこちらに書いた方がいいと 思います。 ?! ?! ?! 巨大掲示板とは、2ちゃんねるのことですか? 私の人間性に関わりますので、はっきりさせて頂きますね。 私は、2ちゃんねるなど見てもいませんし、ましてや書き込み などしていません! 自分のハンドルネームに愛着を持って いますし、全責任も持っています。ここ以外で使用したことなど、 絶対、100%ありません。 自分の意見は、コソコソせずに、正々堂々、ここに書き込みます。 どのように調べていただいても構いません。 あまりに古い話ですし、かなり迷いましたが、あるひさんを 無視するのは失礼ですので、全部正直に書かせて頂きますね。 以前、ここでbettiさんに呼びかけた動機はシンプルでした。 「このままだと、この人はシンシアから嫌われてしまう。 それではいくらなんでも可哀想。今なら間に合うかもしれない」 それだけです。 その直後、2ちゃんねるで私を攻撃してる人がいると聞きました。 その時の気持ちは、あるひさんと全く同じです。 「意見があるのなら、何故ここに書かないんだろう」 とても悲しくなりましたし、ショックでした。 ここの信頼出来る方々に相談したところ、 「全国のみんなが感じてた事をハッキリ代弁したのがあなた なんだから、自信を持って」 「誹謗中傷したのが誰と誰かはわかっている」 「匿名性を隠れ蓑にして、あなたを貶めたり、ウソを書いて 喜んでいるような人間のいる下品な裏版などに、まともな シンシアファンがいくべきではない」 そのアドバイスに従い、ついでにここを見るのも長い間 やめていました。 それで返事がこんなに遅くなってしまったんです。 本当に申し訳ございませんでした! と、同時に、教えて下さったあるひさんに深く感謝いたします。 どうも、ありがとうございました! シンシアファンの中に、私のハンドルネームを無断使用してる 人がいるなんて。非常に残念です。 でも、殆どのファンの方々は、 「礼儀」「節度」「品格」「思いやり」をちゃんと持っている 精神性の高い大人だと信じています。 長々と書いて、すみませんでした。
※22~23ページのポップス/歌謡曲コースと関連したページです。 “70年代スーパー・アイドル” 時代を象徴する“イコン”であったと同時に、優れた歌い手 でもあった彼女たち。その伝説はいまもなお日本歌謡界の歴史 に燦然と光り輝く!! 宝泉薫(ほうせん・かおる) ベスト・アルバムの魅力は、その歌い手の歴史を聴くことに ある。そして、その語られ方はさまざまだ。 たとえば、南沙織の場合、シングルの作品を発表順に並べて いく、というもの。すなわち「17才」でデビューしてから、 結婚を予感させるラブソング「グッバイガール」まで、彼女の 女性としての成長も楽しめる構成になっている。 当時まだ米国の統治下にあった沖縄から登場した彼女は、 “元祖アイドル”。天地真理やピンクレディー出現前のオリコン 1位獲得曲数記録を打ち立てた小柳ルミ子とともに“新三人娘” と呼ばれた。 筒美京平をメインライターに迎えての洋楽的アプローチは、 歌謡曲にポップスをどう馴染ませるかの実験でもあったわけだ。 これに対し、山口百恵の場合は、(後日書き足します)
今月の推薦盤 ポップス/歌謡曲コース(22-23page) '70年代スーパー・アイドル・コレクション 麻丘めぐみ・桜田淳子・岩崎宏美・石野真子 「4人のアイドルたちの可憐な歌声-若き青春の1頁はあの日のまま」 収録曲(各4曲) 麻丘めぐみ:芽ばえ、悲しみよこんにちは、私の彼は左きき、 :ときめき 桜田淳子 :わたしの青い鳥、天使の初恋、気まぐれヴィーナス、 :サンタモニカの風 岩崎宏美 :二重奏(デュエット)、ロマンス、センチメンタル、 :二十才前(はたちまえ) 石野真子 :狼なんか怖くない、わたしの首領(ドン)、 :失恋記念日、日曜日はチャレンジャー -解説- “アイドルの走りを形成した番組『スター誕生』” 歌謡界に<アイドル>という新たな概念が生まれたのは、 1970年代が幕を開けてすぐのことだった。共に71年に デビューした<新3人娘>の南沙織、小柳ルミ子、天地真理を 筆頭に、フレッシュなスターが相次いで登場してアイドル 黄金時代が到来する。 アグネス・チャンや郷ひろみと同期にあたる72年の新人・ 麻丘めぐみは、デビュー曲「芽ばえ」のヒットで人気を得て、 翌73年には「わたしの彼は左きき」がさらなる大ヒット。 楽曲に恵まれたことはもちろんだが、一番のセールス・ ポイントは、秀でたルックスであった。 本盤に収録されているビクターの4人のアイドルは、72年 デビューの麻丘めぐみ、73年の桜田淳子、75年の岩崎宏美、 そして78年の石野真子と70年代全般に及ぶ中で、子役時代の 麻丘を除く3人には共通点がある。それは『スター誕生』 出身であるということ。 アイドル隆盛期を招いた背景には、71年に日本テレビで スタートしたスカウト番組『スター誕生』の存在を欠くこと はできないだろう。76年にデビューしたピンク・レディーも 然り、ビクターレコードを代表する70年代アイドルの殆どが 同番組から巣立っていったことは特筆に価する。 “逸材の桜田淳子、実力派の岩崎宏美” キャンディーズや浅田美代子がデビューした73年、 「天使も夢みる」で颯爽と登場した桜田淳子は、『スター 誕生』の審査員たちも絶賛した逸材だった。サード・ シングル「私の青い鳥」でブレイクしてヒットを連発し、 番組から誕生した(中三トリオ)の森昌子、山口百恵の中でも 一歩抜きん出る。75年にはシングル売り上げナンバーワンの 栄誉に輝いた。 その75年に「二重奏(デュエット)」でデビューした 岩崎宏美は、「ロマンス」「センチメンタル」など阿久悠= 筒美京平コンビの優れた作品を抜群の歌唱力で表現した。 あらゆるタイプの作曲を自在に歌いこなす彼女は、今も 現役で活躍する歌謡界きっての実力派のひとり。 それに対し、吉田拓郎作曲の「狼なんか怖くない」で デビューした石野真子は、粉うことなき正統派アイドル だった。2年目の「日曜日はストレンジャー」からは 筒美京平も作家陣に加わり、作曲を量産。81年に結婚して 一時引退すrも、その後女優として復帰し、活躍を続けている。 演歌やムードコーラスなど、大人向けの歌謡曲がヒット チャートを席巻していた時代、愛くるしい笑顔で爽やかな ポップスを歌うアイドル歌手たちの姿は一際目立った。 歌唱力よりルックス優先という新しい価値観が生まれた ことで、歌謡界の勢力地図は大きく変化していったのである。 アイドルたちが最も輝いて見えた70年代は、昭和が円熟期 を迎えた、日本の青春時代でもあった。 鈴木啓行(音楽評論家)
ソニーミュージックのCDクラブの会報にシンシアの記事 The CD Clubの7月号会報に歌謡曲の記事が載っています。 The CD Club:http://www.cdclub.jp/
『週刊朝日』の情報をありがとうございました。 今でも変わってないそうで、嬉しいですね。
数年前デパートでお見かけしました。 モノトーンのシックな装いでしたが、かえって綺麗でした。
が、結構増えているのが中心市街地離れを推し進めている のでしょう。でも、国際通りというか、公設市場辺りは最高です。 二階は食堂で、いろんなものがあります。必ず迷子になりますが (笑)、やさしい人が多いので、ちゃんと教えてくれます。 なにより、モズクのてんぷらは絶対に食べるべき。「梅ドラゴン」 も探せばありますよ。格安で。行きたいなぁ
『朝日新聞』2007年5月21日(月)夕刊2面
『日刊ゲンダイ』2007年5月21日(月)13面
一時復帰後?のシンシアの曲って、シンシアが歌いたい曲 だったのでは?「うみ・そら・かわ」が好きです。
が歌えなくなったとき、というか、商業ベースで勝手に 作られていることに嫌気をさした、自己主張が顕在化したとき ではないのかな?「私は操り人形じゃない」って感覚。終盤? のころのコンサートで、シンシアも(曲名不確かですが) 「恋の操り人形」???をよく歌っていたような気が…。 メロディーは軽快ですが、歌詞的にはちょっとダークだった ような気がします。
『夕刊フジ』2007年5月18日(金)に連載中の「魔法の営業術」に 面白い記述が。 今回はセールスで現場から去るタイミングについて書いています。 芸能界を例にして引き際のタイミングを説きます。 『芸能界でも、人気が絶頂のときに引退したタレントは伝説に なります。古くは原節子さん、70年代の山口百恵さんがいい例 でしょう。』 落ち目になって引退しても誰も覚えていない、人の記憶は盛り 上がっている時に最も覚えているとの事です。セールスでも、 早めに去れという事です。
発売中の『週刊新潮』2007年5月24日号の巻末の グラビアに載っている広告です。
中森明夫「アタシジャーナル」第26回“篠山紀信・ シンシア夫妻との夜”
情報ありがとうございます。『週刊朝日』の記事は、 大体こんな内容です。 中森明夫「アタシジャーナル」第26回 “篠山紀信・シンシア夫妻との夜” 『アイドルにっぽん』という本を上梓して、まず直接手渡さ なければならない人がいた。篠山紀信氏である。ライター生活 25年、アイドルについて書いた文章をまとめた本だ。その半分 ほどの章が篠山氏との縁で書かれている。 出会いはちょうど20年前、12歳の後藤久美子の発言集を創る 仕事をした。その本のグラビア頁を撮影されたのが篠山先生 だった。30歳の頃からは週刊誌の巻頭頁の仕事で御一緒している。 時代(とき)の女を篠山さんが撮り、私が文章を寄せるという 連載だ。それは世紀を超え、なんと12年間、570回も続けられた。 毎回現場に立会い、撮影が終わると食事を共にし、酒をくみ 交わす。談論風発に沸く。時にはその日の被写体の女優が宴席に 加わる。美女と美酒と楽しい語らいと。なんと豊饒な30代だった ろう! ゴールデンウィークの初め、夕刻、篠山氏に電話した。本を 手渡したいと告げると「じゃあ、すぐに会おう」と言う。これが 篠山紀信だ。常に今を生きている(なるほど写真家は目の前の “今”しか撮れない)。指定された青山のチャイニーズ・ レストランへ急ぐと、息を飲む。現れた篠山氏は奥様を伴われて いた。 奥様とは……そう、南沙織さんだ!? いや、「南沙織」は芸名で、現在、主婦である彼女は普段 「シンシア」の愛称で呼ばれている。篠山さんの写真展の オープニング・パーティで何度かお目にかかっているが、 相変わらずのその美しさに目を瞠(みは)った(これで三児の 母親とは!)。現在ではまったくマスコミに登場しないけれど、 アイドル時代の初々しさそのままの美貌には驚くばかりだ。 そう、南沙織こそ我が国のアイドル第1号である。アイドル という言葉はそれ以前にもあったが、彼女の登場は決定的に その意味を変革してしまった。時に71年、6月のこと。当時、 11歳だった私は、ある日、ラジオから流れてきた『17才』 のイントロと爽やかな少女の歌声を耳にして、呆然とする。 まるで目の前の景色が一変したみたいだった。 30数年後、まさかその人が隣席に座り、私のグラスに 老酒をお酌してくれるとは!? なんだか夢のよう。 「『色づく街』がいいんだよな、南沙織の歌では」と 篠山さん。思えば、自分は少年時代からこの人の撮る アイドルの写真を見て育った。彼の写真によって女性を見る “目”を養われ、異性への動機付けを与えられたのだ (現在、50代以下の日本男子なら皆そうだろう)。 そんな日本一のアイドル写真家が目の前にいて、隣席 では南沙織が微笑む……なんと贅沢な祝宴だったことだろう。 フカヒレを口にした篠山さんが「ん?」と違和感を 表すと「カキ油じゃなくて赤ワインで煮てあるのよ」と シンシアさん。即座に了解する御主人-なんとも繊細な 夫婦間のコミュニケーションを見た。 「お父さん、マッサージを呼んであるんでしょう」と シンシアさん。「ああ、そうだったな」と篠山さんの言葉で 宴席はお開きとなる。請われて私は自著に署名した。 <アイドル写真家・篠山紀信様 永遠のアイドル・シンシア様> 「まあ」とそれを目にした篠山夫人は笑っている。 大型連休の初め、“お父さん”とその美しい奥様は目の前 から消えていった。まるでいい夢でも見たように気分が明るい。 ホロ酔い加減で夜の青山通りをひとり私は歩く。吉田拓郎と かまやつひろしが唄った「シンシア」を口ずさみながら。 足取りも軽く、“色づく街”を帰路へと着いた。 なかもり・あきお アイドル評論家。著書に『アイドル にっぽん』(新潮社)。「アイドルは日本が産んだ最高の 文化です。今回の本はアイドルの状況を面白くすることを 第一の目標として出しました!」とのこと。現在、好きな アイドルは、姫咲友梨香(会いたい)。 『週刊朝日』2007年5月25日号 P.48 Atashi Journal -解説- エッセイの表題の「アタシジャーナル」は1992年に休刊に なった『朝日ジャーナル』をもじっています。 老酒(ラオチュウ)とは、紹興酒と思います。 フカヒレは、姿煮のようです。味付けに牡蠣油(オイスター ソース)を使いますが、この店は、スープの隠し味に赤ワインを 入れるようです。どの店かは不明です。
本日発売の『週刊朝日』のP48、中森明夫氏の「アタシ ジャーナル」というエッセイにシンシアが登場しています。 題名は「篠山紀信・シンシア夫妻との夜」 内容は、中森氏が近著『アイドルにっぽん』を、その制作に 協力してくれた紀信氏に手渡すため、指定された青山の チャイニーズレストランに赴いたところ、シンシアも同席 した。というもの。(その青山のチャイニーズレストラン とは、昨年の秋、シンシアが紀信氏を叱咤した店かな?) 中森氏は以前にも、シンシアに会った事があるが、 相変わらずその美しさに目を瞠った。しばし、彼女の デビュー時を回想、というものです。
1971年デビュー。17才。1(NO.1) 111(み) 73(なみ)ですか? 最近、考えていること。シンシアはidol(偶像)だったのだろうか? そうじゃない感じをします。偶像崇拝じゃないな…。なになんだろう? 人によって違うだろうな。
現在、都内では東京都宝くじが発売中です。その回数が 1971回です。いい回数です。1972回も発売中ですが、こちらは スクラッチです。 JR有楽町駅から銀座の売り場をいくつか回って「17組」を 探しましたがありません。連番はあきらめて、バラで17組が 入っているのを探してもらったらありました。 とってもいい数字のがありました。しかも抽選日は5月17日です。 宝くじ:http://www.takarakuji-official.jp/
下の写真はフラッシュなしですが、こちらはフラッシュを 使いました。200mは離れているのに、案外光って届きます ね。おかげでいい写真が撮れました。 撮った時は小雨でした。でも、偶然レンズの前を落下した水滴に フラッシュの光が当たり、月夜の光景のように写っています。
Angel Gate 2007の千秋楽(5/7)の後、調布に行きました。 シンシアが最後のステージに立った場所を見たくなったので。 しばらくぶりに訪ねたら、右隣にビルが建築中でした。外見は 完成しています。前は2階建ての倉庫かなんかだったと思います。 グリーンホール自体は全く変わっていないのが嬉しいです。 あの日(1978.10.7)、階段を上って会場に入った感動が よみがえりました。
中森明夫さんの『アイドルにっぽん』、本の冒頭の1ページ は英語の綴りの解説です。写真のようにこれだけで1ページです。 中森さんは、アイドルの意味を、その時々で、IdolとIdleに 使い分けているみたいです。 アイドル 【idol】 偶像、理想、崇拝される人。転じて、人気者。人気のあるタレント、 芸能人の呼称。 例・○○界のアイドル 【idle】 怠けた、職のない、価値のない、実働していない、空転している-の意。 類例・アイドリング=エンジンの空転。
idolですね。すいませんでした
トナカイさんの連載(?)興味深く読んでおります。 そこで質問、アイドルって、idleでスペル合ってますか? もしそうなら、アイドル=象徴ってのは…。
『「モー娘。」10年なぜ?』 女性アイドルグループの「モーニング娘。」が今年、結成10年を 迎える。オーディション番組の落選組が集まって始まり、メンバー を入れ替えながら国民的アイドルグループと呼ばれるまでになった。 なぜこんなに続いたのか、プロデューサーのつんく♂さんらの話から 考えてみた。 -加入→成長→卒業、移ろう「物語」/虚構、より精密に- モーニング娘は97年に5人で結成、99年に「LOVEマシーン」 がミリオンセラーとなり、大ブレーク。現メンバーは11人だが、 これまで25人が在籍した。さらに卒業組らを合わせ、現在45人の 女性歌手が「ハロー!プロジェクト」なる一団を構成。CDの 売り上げこそ頭打ち気味だが、底堅い人気を備えている。 デビュー当時は女性アイドル歌手は低調で、「冬の時代」と いわれていた。 なぜ10年も続いたのか。音楽評論家の能地祐子さんは 「それまでのアイドルは5年もやったら終わりが定石で、 受け手も送り手もそれを楽しんでいた。モーニング娘。は 最初は長く続けるつもりはなかったようだが、いったん 成功を収めてからはアイドルの定石とは違う、むしろ ニューミュージックに近い、長く続ける戦略をとった」 コラムニストの中森明夫さんは、現在のようなアイドルは 70年代、南沙織で始まり、ピンク・レディーで完成したとみる。 やがて受け手もアイドルが虚構であることを承知で楽しむよう になる。小泉今日子が「アイドルはやめられない」と歌ったのは 85年だった。 モー娘のメンバーへのインタビューを手がけている能地さん は彼女たちの印象を「団体競技のスポーツ選手のよう。仲も チームワークもいいが、お互いライバルとして常にストイック に競いあっている」と話す。 加入、成長、卒業と、生身の女の子たちが描く、移ろう 「物語」が、またファンを引きつける。アイドルという システムの作り込みがより精密になっている、といえる。 「お約束」を楽しむプロレスから、「リアル」を売り物に する総合格闘技に人気が移っているのにも、どこか重なる。 歌や踊りが必ずしもうまくないのに人気を集めるアイドル は、欧米にはあまり見あたらない。なぜ日本にはアイドルが いるのか。 稲増龍夫『アイドル工学』(89年)などが指摘するように、 政治の季節も高度成長も終わり、若者たちを駆り立てる 大きな物語が消えたとき、より身近な関心の対象として アイドルは現れたといわれる。カリスマ性を備えた映画 スターから、テレビサイズのアイドルへの移行でもあった。 普通の女の子の気配を残し、過去のアイドルに比べ 鍛えられたパフォーマンスを見せるモー娘は、一つの 到達点なのかもしれない。 中森さんは新刊『アイドルにっぽん』(新潮社)で 憲法1条「天皇は、日本国の象徴であり」の「象徴」を 「アイドル」と読み替えている。天皇が神から人間に なったように、スターからアイドルの時代になった今、 日本は「世界のアイドル」「かわいいだけの国」になる べきだ、と論じている。 -「不均衡から美しさ生まれる」 つんく♂さんに聞く- ―国民的アイドルグループと呼ばれるまでにするのに、 秘策はあった? アイドルというのは誰かが消費するもので、僕らが 作るものではない。形だけ作ろうとするから、失敗するんです。 ―メジャーデビュー曲の「モーニングコーヒー」は懐かしさ さえするアイドルポップスでしたね。 あのころは時代が少しハード志向。悲しさや激情が 求められていたが、過剰気味だった。そこにだれが 食べてももたれない和風のデザートを提供したんです。 ―加入と卒業を繰り返してきたのは。 新しい子が入ると、ピカソの絵じゃないけど、不均衡 から美しさ、哀愁が生まれる。上の子はどんどんしっかり してきて、自律に任せられる。「アメーバ経営」という 言葉があるけれど、そんな感じです。 ―新人を入れるとき、必ずしも才能がある子を選ばなかった そうですね。 欠点を乗り越えようとする表情やパフォーマンスに色気が 出る。女性スポーツ選手が化粧もしていないのに、プレー中 すごく美しく見えるのと同じかな。 ―最近、中国出身の2人を新加入させました。 アジア圏を網羅しないと日本の音楽文化を世界に持って いけない。10年にして外に出る時期になった。 ―これからは。 宝塚歌劇団は十数人で始まって、大きくなった。だったら うちらもなれるんじゃないか。ビジネススキームはでき あがっている。あとはどんなハプニングが起きるか緊張 させている状態。なんかの拍子に突然変異を起こしたいんです。 (『朝日新聞』2007年5月3日朝刊25面文化欄 鈴木京一記者) asahi.com:http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200705030090.html
輝信さんが話す時、しょっちゅう画面左下にシンシアの写真が出ます。
輝信さんは、左側の後方の席です。
2007年5月8日(火) ゲストが最初に映る時にはテロップが出ます。
さんまのネタ振りはうまいですね。 輝信氏の発言もそれなりにうけていたし、よかったです。
今晩が楽しみです。
LPの『悲しい妖精』でしたっけ? 「朝靄に包まれたテラスで挽きたてのコーヒー…」 それが自分の中でリフレインしています。 今日は『踊るさんま御殿』ですね。 新聞の見出しに、南沙織&篠山紀信の息子・・・って あったのを見て、喜んだのは僕だけでしょうか?
中森明夫さんの新著、『アイドルにっぽん』(新潮社)に シンシアについての文章があります。 アイドルにっぽん:http://www.shinchosha.co.jp/book/304631/ 序章の10ページに、次のような事が書かれています。 『アイドルの起源は諸説あるが、南沙織こそ現在のスタイルでの 「国産アイドル第1号」と呼ばれることが多い。戦後27年目に して米国より返還される沖縄-そこからさわやかな乙女の歌声が 聴こえてきた。“シンシア”という愛称で長い髪をなびかせ 南の島からやってきた美少女。CBSソニー・レコードが 初めて手掛ける和製ポップスを唄う娘…と、たしかに戦後初の 日本型アイドルと呼ばれるにふさわしいいくつかの条件を、 彼女は備えていた。 南沙織が「17才」で歌手デビューしたのは、1971年6月1日の こと。同じ年の春(4月)に小柳ルミ子が「わたしの城下町」で、 秋(10月)には天地真理が「水色の恋」でデビューを飾っている。 “三人娘”と呼ばれた彼女たち以後、たしかに新人歌手の顔ぶれが 急速にアイドル的な色彩を帯びてゆく』 他にも数ヶ所に名前が載っています。 『週刊朝日』の先週号に書評が載ったそうです。5日の 『朝日新聞』朝刊の書評欄に広告が載っています。文字だけ ですが。いくつかの週刊誌や新聞でこれから紹介文が載る かもしれません。
同じ番組の別の所の映像です。
テレビ東京の経済番組に『ワールドビジネスサテライト土曜版』 があります。毎週土曜日23:00からの1時間番組です。 先週の放送の特集の一つが「官公庁オークション」でした。ヤフー オークションのような個人が出品するオークションとは別に、市や 県などの自治体が出品するオークションの紹介でした。 最近では、フィギュア人形や自動車、レコードなどが出品されて いるそうです。私も初めて知りました。番組では、レコードの場面も 流れ、「哀愁のページ」が映りました。 ワールドビジネスサテライト土曜版:http://www.tv-tokyo.co.jp/wbs_sat/ 官公庁オークション:http://koubai.auctions.yahoo.co.jp/
“深秋立樓頭”で検索したら、次のHPが見つかりました。 http://www.fortunecity.com/tinpan/blackflag/673/autum.htm 深秋立樓頭 此曲是其中一首小鳳很喜愛的歌曲。 由於此曲推出時我年紀還很小, 故不太清楚當時有多受歡迎, 但據小鳳於演唱會時曾經透露, 此曲於推出時曾受到一些爭論, 原因左於人家都聽不懂 歌詞想表達甚麼意思, 所以我猜想此曲於當時可能不太流行吧。 在我而言,其實我聽歌一向都不多留意歌詞的, 只知道旋律優美我便會喜歡,靜靜地告訴你, 其實我也聽不懂此曲的歌詞的, 但若然聽得懂的話那又如何? 呵欠......這麼惱人的事,還是不要去深究吧, 或許是填詞人故意留給一些空間給聽眾 去猜想呢?這樣還不是更好嗎? 哈哈!我猜到甚麼就是甚麼了,蠻有滿足感耶。:p PS: 據ALEX透露,原來此首詞是用了一種叫 「意識流」的寫作手法,特色是不受文法的規限, 將一些事物和境象隨意寫下。 喔噢!人們都在想得這麼多, 到頭來原來都是沒有甚麼特別意思的,唉! 人生在世,又何必那麼執著呢? 曲:JANIS IAN 詞:湯正川 俯首低聲雙對望共夜話 不計雨雪到我背頭迎 初冬早醒敞開心胸雙照應 塵世裡百樣錯漏變合稱 尚記彷彿早春一片羞怯地默認 深秋立樓頭半淚盈 夜裡枕邊憶過去 猶念及卿一句 無意種下愛念恐怕心碎 草影風聲總破滅寂夜靜 不禁閉眼過去到目前 早該分清幾許光陰不似箭 惟有再放下困惑冀待變 尚記彷彿早春一片羞怯地默認 深秋立樓頭半淚盈 夜裡枕邊憶過去 尤念及卿一句 無意種下愛念恐怕心碎 路望盡放眼四顧盈風景往後退 分不清細雨掛瑩淚 莫問及過去困惘 彷有若雨露下徐徐 落田穗 茫茫風中蒼漠裡 事過境遷心牽心已倦義亦斷 方看透徹概嘆怨恨由 風聲不休影響知秋空對奏 情寄片片葉柳飄降疊厚 路望盡放眼四顧風景往後退 分不清細雨掛盈淚 莫問及過去困惘 彷有若雨露下徐徐 落田穗 茫茫風中蒼幕裡 事過境遷心牽心已倦義亦斷 方看透徹概嘆怨恨豫 風聲不休影響知秋空對奏 情寄片片葉柳飄降疊厚 何要處處霧雨侵我獨透
Belloさん、ありがとうございます。 どのような内容の歌詞なのかとても興味があります。 英語の訳詩ではなく日本語の「哀しい妖精」(作詞 松本隆) と同様「湯正川」という人の作詞なんですね。 この名前で検索してみたところ、「晩秋立楼の頭」という曲名で 翻訳サイトを見つけたんですが、ほとんど日本語になって ないです。晩秋の歌のようには思えますが…。 5.晩秋立楼の頭 作詞します:スープの正川 作曲します:Janis ian 曲を編みます:呉智強 頭を下げる低い声は比較的共に夜話を眺めます 雨雪にこだわらないで私のオールバックまで(へ)固まります 初冬にもっと前に目が覚めて度量を開け放して相当します 俗世の中で百点の誤りと脱落は相当して語っています 尚記がまるで早春は1面はにかんで黙認します 晩秋立楼の頭 半分涙は満ちます 夜忱の辺は思い起こして向こうへ行きました まるで卿の1つを思いますおよび 中の下よく思うことが気がありません 恐らく胸が張り裂けます 粗雑な影のうわさはいつも水泡に帰する寂しい夜は静かです 思わずぼろぼろな目 過去〜現在 もっと前にはっきり見分けるべきです いくらかの時間は矢のようではありません ただ更に困惑の冀を下に置いて変わることにじっとしています 道は最も後退しますへ周りを見る景色に目を向けることを眺めます 転載は ※Http://www.mojim.com 悪魔の鏡の歌詞ネット 小雨が光沢のある石の涙に掛かることをはっきり区別できません および過去がっかりして困ったことを聞きません 彷は雨露の下でゆっくりとのようです 下ろす田穂 広大な風の中で青色の砂漠の中 事が過ぎ状況も変わった 心が気になるのはすでに疲れます 義も切れます 方は見抜いて切ります 嘆き を恨みます うわさがやまないで演奏することに対して秋空を知っていることに影響します 情は葉柳の飛び散る桑厚を郵送します切れ (何が至る所に霧の雨を要して私を侵略しますただはっきりしています) うーん、まるで伝わってきませんね~。 とりあえず歌詞の画像は保存させていただきましたので、中国語(広東語)が堪能な 人が見つかったらもう少しちゃんと翻訳してもらいます。
Shigeruさん、広東語はわかりませんが、 歌詞カードをスキャンしました。
本日のスポーツ紙6誌を見ましたが、残念ながら どこにも千秋楽の記事は載っていません。
最近、みなさんの話題を独占している「エンジェルゲート」の 篠山輝信さんのことが掲載されているWebサイトを偶然発見しました ので、お知らせしておきます。 病弱だった晩年のシンシアのお母さんのことについて短い語りです が、シンシアもそうだったように、お母さんの愛情を沢山受けて 育った彼は、これからの俳優人生にきっとプラスになることでしょう。 シンシア同様、何事にも屈せず初心を貫く芯のある人生をおくって ほしいものです。 掲載内容----------------------------------------2007.5.2発 「すてきエージング」 現状に満足しない 篠山輝信(しのやま・あきのぶ)さん 俳優 1983年生まれ。昨年4月に舞台デビューした後、テレビ ドラマなどに出演。3~6日に東京・新国立劇場中劇場で上演 されるミュージカル「エンジェル・ゲート」に出演する。 ■■■ 幼いころになりたかった職業は「医者」。その理由は、病弱で 入退院を繰り返していた母方の祖母の病気を治したかったから。 病院のベッドに潜り込み、祖母の優しさに甘えていたことをよく 覚えています。 夢は変化し、昨年俳優の道を歩み始めました。「3人兄弟の だれも写真家になろうとしないな」と家族で冗談交じりに話して いた時、おやじ(写真家・篠山紀信さん)が「もし写真家を継ぐ としたら(二男の)お前だな。表現するエネルギーを持っている よ」と言ってくれたのはうれしかった。 今も「先生」と言われるのを嫌うおやじの影響もあるのでしょう。 年を重ねても、現状に満足せず、「これでいいのかな」と疑う ような役者であり続けたいと思います。 いつの時代もエネルギッシュな若者がたくさんいる社会であって ほしい。それには少子化の進行を止める必要があります。僕自身も 家族の大切さは実感してはいるけれど、今はまだ、子供を持つ余裕 はないですね。 http://www.yomiuri.co.jp/iryou/kyousei/suteki/20070502ik0c.htm ※5/3のShigeruさんの投稿を見過ごしていて、気づかず同じ情報を カキコしてしまいました。失礼しました。 つい私が最初の発見者と思い込んで、ちゃんと確認もせずカキコ してしまいました。いや~それにしても、どの情報を見ても、 みなさんのWeb的千里眼能力には改めて感服いたしました。
終演後の写真です。階段上部から見ています。一番下に 展示用の自動車が見えます。左側にある休憩用の椅子の所で シンシアが下りてくるのを待っていました。
開演前の劇場ロビー前です。階段を上りきった場所に 劇場入り口のチケットのもぎり場があります。
ロビーの花で輝信さん宛は二つだけでした。 花は他に50近くありました。これはおまけ
ロビーの花2
ロビーの花1
終演後の客席です。ほぼ真ん中に人が人が固まっています が、ここが横の通路です。昨日シンシアが座っていた席は左側 の方、オレンジのリュックの人の右の白いTシャツの人の頭の 辺りの席です。
エンジェルゲート千秋楽(2007.5.6-SUM-13:00~)の報告です。 (入り) 残念ながらシンシアも紀信さんも来ませんでした。昨日二人が 座った1階10列41・42番は空席だったようです。もしかしたら来る 予定で来れなかったかも。 本日は2階席にもお客さんが入っていました。入りですが、 残念ながら昨日より少なかったです。2階席の入りは5割弱、 1階席は9割弱でした。 私はネットで手に入れた1階3列49番という席で観れました。 上手(舞台に向かって右)ブロックの前から2番目の列でした。 舞台がよく見えるのはいいですが、舞台端のスピーカーから 近すぎました。 スピーカーから席まで5mほどしか離れていません。大音量 が身近で聞こえて、もう少し離れた席で観たかったです。 (ハプニング) 第2幕では、主演のユリ(南里)とヨウヘイ(輝信)が二人 で語り合う場面が二ヶ所あります。二つ目の場面でのハプニング です。ユリのマイクが入りませんでした。 この場面、前半はユリが一人で話しますが、あまり台詞は ありません。後半はユリがヨウヘイに近づいて話します。 後半はヨウヘイのマイクを使って話しています。大事な台詞の 大部分はマイクに入りました。 (アンコール) 千秋楽は一回ありました。幕が上がると全員が勢ぞろい しています。南里さんが前に出て挨拶します。 「本日は本当にどうもありがとうございました」 こう言って全員がお辞儀して、その後、口々にありがとう ございました、と言っていて幕が下りました。 一部ファンが手拍子を続けましたが、これでお開きに なりました。終演は午後3時18分でした。 終演後も多くの観客が、劇場に残ってなごりを惜しんで いました。終演後2分ほど経った時、幕の内側から拍手が 聞こえました。残っていた観客百人ほども拍手をしました。 (終演後) U3とBelloさんが、終演後に待っていてくれました。天気は 朝から雨で、終演後も雨が降っていました。三人で劇場裏手の 方にあるデニーズに言って、千秋楽を祝いました。 心温まる芝居を観れました。シンシアを見かける事も出来た し、最高のゴールデンウィークになりました。
(席) 昨日の夜の部の公演(2007.5.5-SAT-18:00~)にシンシアと 紀信さんが観に来ていました。お席は、1階10列41・42番でした。 前が通路になっていて、ちょうど真ん中の席です。41番が シンシアです。 本日は、私はTOさんと観ました。チケット引換券をネット 上で手に入れたので、これで観ました。席は、1階19列65(私)、 66番です。TOさんが鳥の巣頭を見つけてくれてご観劇が わかりました。 夜の部の公演は、2階席は閉鎖されていて1階席のみです。 その1階席だけの入りで9割弱でした。一日いい天気で、 人出が各地に流れたのかも。 シンシアと紀信さん、休憩時間の15分は席を立たない で座っていました。こちらはファンのマナーを守って、 意味も無いのに前を通り過ぎるような事はしませんでした。 回りも観客もマナーで、誰も近づいていません。 (観客の評判) お芝居の方は皆さん熱演で、感動の舞台でした。今回の 公演、ミュージカルとして立派に成り立つ出来です。観客の 方も芝居に引き込まれているのが、観ていてわかりました。 私達の近くに中学生と思しき姉妹が見ていました。幕間に こんな意味の事を言っていました。「この芝居に南沙織の 子供がでているんだって。誰かしら。親は観に来ていない のかな。見たいな」 私は、思わず「あそこにいるよ」と教えてあげたかった けれど黙っていました。 この芝居の観客、女性は服装に気合が入った人が多いです。 まるで原宿か六本木のようです。若い女性の出演者が多くて、 彼女らがファッションリーダー的な所があり、観客も影響を されているようです。 (終演後) u3とBelloさんが終演後に外で待っていました。4人で シンシアの出待ちをしました。終演時間は、20時14分頃 で、5分ほどしてシンシアが紀信さんと下りてきました。 今日は二人を黙って見送りました。 シンシアは黒いコートを着ていました。昨日とは違う コートだったと思います。コートの前はしまっていたので 上着はわかりません。下はくるぶしまでの細いパンツ でした。昨日より歩き方がちょっと左足を引いている 感じで、痛々しかったです。早く完治になりますように。 シンシアをお見送りした後、近くの焼き肉屋に入ろうと したら予約待ちで出て、去年行った居酒屋は閉まっていて、 バーミヤンで食事して帰りました。
今日の夜の部、シンシアと紀信さんがご観劇でした。 明日の千秋楽もかなりのかなりの確率で観に来てくれそうです。 当日券は十分にあります。予定のない方、楽しい観劇しませんか。
がオキコだったとは!!。今は、会社名変わっています。 先日お配りしたのは、プレーンのやつです。あと、黒糖とバナナ味があります。シンシアに献上してしまいましたので、渡せなくって申し訳ありません。あれは一袋で200円(15個入)、で10袋ほど買うとまけてもらえます(180円)。通販OKですので、もしお気に入られたのなら、着払いでお求めいただければと…。あと「梅梅」もお勧めです。もう僕は登録されておりますので、3回目(笑)。今度お会いできるとき、ずばーっともって行きましょうかね。
デイリースポーツ5月4日最終面
スポーツニッポン5月4日22面
サンケイスポーツ5月4日25面
初日翌日の5月4日(金)のスポーツ新聞の記事をまとめました。 東京中日スポーツ=16面にベタ記事、カラー写真あり。 サンケイスポーツ=25面にベタ記事 スポーツニッポン=22面にベタ記事 デイリースポーツ=記事なし、最終面(24面)にオリオンビールの広告あり。 日刊スポーツ=記事なし 下の写真は東京中日スポーツです。第2幕の序盤の光景です。
(取材陣はなし) Bettiさんだけが、開演前のロビーの状況を知っています。それによると、報道陣はいなかったそうです。観客は女性の方が多いので、シンシアとロージーだけでは目の前を通り過ぎない限りわからないものです。 (ワイドショー) 今日(4日)のワイドショーを出来る限り見ましたが、どこもエンジェルゲートを取り上げてはいないようです。 (打ち上げ) 私達5人は、軽く飲みに行く事にしました。中劇場は京王線の「初台(はつだい)」という駅の上にあります。隣は新宿駅です。逆方向の調布方面の3つ先に「代田橋(だいたばし)」という駅があります。 駅を降りて5分で着くのが、杉並和泉明店街、通称沖縄タウンです。どうせだからと、ここに行きました。 沖縄タウンhttp://okinawa-town.jp/ とっても真面目な商店街で、着いた時は20時40分頃でしたが、飲食店を除く全ての店が閉まっていました。通り過ぎて雰囲気を味わった後、すぐそばの飲み屋に入りました。 カウンターだけで5席という店で、ちょうど誰もいませんでした。こちらは5人なので、貸切状態となりました。 芝居の初日とシンシアに会えた事に乾杯しました。もっともアルコールを頼んだのは、私とBettiさんだけで、あとの3人はウーロン茶でしたが。Bettiさんの友達は京都の学校でBettiさんと同級生だったそうで、今は東京在住です。 店のテレビが、横山ノックさんの訃報を伝えました。5人の内、3人が関西に縁があるので、しばしその話題でも盛り上がりました。 Bettiさんは、オキコの「梅ドラゴン」をみんなに配りました。三角形のベッコウ飴みたいなの真ん中に梅が入っています。 幕間にシンシアにもプレゼントしたそうです。シンシアも懐かしい味とか言っていたとか。 梅ドラゴン:http://www.okiko.net/?a=61 店には泡盛もおいてあり、水割りで飲みました。店に1時間ほどいた後、解散になりました。 去年の4月15日の音楽講座以来、1年ぶりに会えたシンシアは、輝く美しさでした。とっても幸せな一日でした。
(残り物には福がある) 当日券や招待券の席は当日に機械的に割り当てるシステムのようです。しかし、開演時間を過ぎて買った席が、9列といい席の上に、隣に女神様が座っている席なんて、偶然を通り過ぎています。神のご加護でしょうか。 (終演後) 中劇場は、改札からまっすぐに50mほど先の建物の外まで大きな吹き抜けになっています。真ん中の通路の側面には、椅子も置かれて休憩所になっている箇所もあります。 u3はそこにいました。シンシアも観に来ていたことを言って、Bettiさんも来ました。Belloさんも来ました。 シンシアは楽屋には寄らずに、普通にこちらから帰るらしいと聞いて、待っているとシンシアとロージーが通ります。 こちらにも気付いてくれて、挨拶してくれました。この間、オキコのラーメンを贈った事でお礼を言ってくれて、すごく嬉しかったです。 二人はそのままお帰りになりました。 (シンシアの服装) 終演後にシンシアが席から立ち上がった姿を見ていました。それと帰り際に見たのを合わせた、当日のシンシアの服装です。 シンシアは、白一色の綿のワンピースを着ていたようです。その上に黒いコートを羽織っています。下は白いパンツをはいています。女子高生がやるような「埴輪スタイル」に似ています。足元はくるぶしまであるブーツでした。左足首には包帯を巻いていました。歩くのは普通に歩いているようでした。 髪はセミロングで、メガネをかけていました。 ロージーは、黒のワンピースでした。生地の上に何色かの水玉模様が付いていました。 こうして、u3も含めて、全員がシンシアとロージーを観れたのです。こんな嬉しい事、そうありません。
(紀信さんを探せ) 私は1階19列15番の席です。最後列最下手(舞台に向かって左側)に近い席です。前方の席をよく見渡せました。開演が15分も遅れたので、観客を後姿でですが、よく見れました。 観客の男女比ですが、女性が6割、男性4割ほどです。普通の芝居ですと、女性が9割ほどですから、男性の観客が多いです。出演者のほとんどが女性アイドルですからでしょう。 私は、紀信さんの鳥の巣頭を目印に観客を探しました。シンシアだけでは、まったくわからないからです。紀信さんの頭は見つかりませんでした。今回は観に来ていないのかなと思ったのです。 (開演前) 開演時間には遅れたBelloさん、席に座ったら、隣の女性から挨拶されたそうです。振り向いたら何と、シンシアが座っていました。シンシアのお隣はロージーが座っていました。シンシアは30番、ロージーが29番です。 この時はわかりませんでしたが、一つ前の右側には、Bettiさんも友人と座っていました。08列 通路 33(Betti)34(友人)35 09列 29(Rosie)30(Cynthia)31(Bello)32(男性)(幕間) Belloさんも幕間の終わりごろにシンシアが戻ってくるまでは、ロージーとは気づかなかったそうです。シンシアは幕間には、ロビーの端のドリンクコーナーで、ロージーと飲み物を飲んでいたようです。 Belloさんは、幕間になるとすぐそばにBettiさんがいる事に気付きました。私も見つけてくれて、シンシアの席を教えてくれました。 何の事はない、シンシアは来ていました。それも私の目の前10mほど先にです。私の席からは舞台を見て、視線を少し下に落とすと、シンシアの席が見えるのです。 シンシアは来ていました。しかも私の目の前にいたのです。私が舞台を見て、ちょっと客席に目を移すと、シンシアがそこにいるのです。 (第2幕開演前) 休憩時間終了間際にシンシアが席に着きました。その後は、芝居が始まるまで、ずっとシンシアの後姿に見とれていました。 シンシアは、肩までの長さでストリートな髪でした。驚くのは髪のツヤでした。ハッキリと天使の輪(キューティクル)が見えるのです。碧の黒髪の美しさが輝いていました。 上演中も、舞台が明るいと客席もほのかに明るいです。暇があればシンシアの後姿を見ていました。シンシアの左髪の端は耳の後ろに乗せています。時々前の方に垂れるので、また耳の後ろに乗せているのが見えました。 (終演後) 初日でしたが、アンコールが1回あっただけで、舞台挨拶とは無くてお開きになりました。私は帰り際のシンシアを見ていました。 実は、シンシアは40日ほど前に左足を怪我したという話を聞いていました。それで歩くのが難しいので、今回の公演には来ないと思っていたのです。 でも観に来てくれて、すごく嬉しかったです。更に嬉しいことが続きます。
なんとなく衝動で、2枚と言ってしまったので…。Belloさんとほんの少しだけ相談したのですが、せっかく東京に行くのだから、そしてシンシアと回り逢える可能性も少ないし…、前日乗り込み立ったので、2日は大学教員と沖縄料理を食し、当日は時間つぶせるために彼と15,000歩、品川界隈、そして原宿~明治神宮~新国と…。Belloさんは間に合わないので後で会いましょうという約束をして…、こちらは開場前15分から「でまち」をしておりました。後はトナカイさんに任せます、が、僕は33番ですよ(笑)
(17会で観に行った人) 17会では3人が観に行きました。私、Belloさん、Bettiさんです。京都から来たBettiさんは学生時代の友達と二人で観に来ました。他に大阪からu3も来ていましたが、芝居は観なかったので、外で待っていました。 Belloさんは仕事が終わって駆けつけて、劇場に着いたのは18時5分すぎだったそうです。当日券を買って、席は1階の9列31番でした。 Bettiさんは、1階1階8列34番、友達は35番に座っていました。この時点では、私はBettiさんと連絡をとっていないので、席番は知りません。Belloさんは当初は来れないと言っていたので、いないと思っていました。 Belloさんが席に着いたのは18時8分頃だそうです。席に着いた時にはまだ公演は始まっていませんでした。
新国立劇場中劇場の座席表です。今回の公演では、左右の一番端のブロックは使われていません。間仕切りの壁があって、知らないと壁の向こうに座席があるとは思えません。 今回の公演では、1階は843席、2階席187席の、1030席が定員です。 1階は9列と10列の間に横に通路があります。9列までは傾斜はほぼ水平です。10列からは一列ごとに階段になっています。
(当日券) 当日券が発売されました。私も当日券で観ました。この公演のチケットは、一般の前売り券と招待券に分かれています。どこの会社か知りませんが、チケットを景品に広告を出した会社があり、それに当選した人が引換券になる葉書とチケットを交換しています。 私は開演10分前に当日券を買いました。席は1階19列15番でした。ほぼ最下手の席です。この列は、センター部分は全部開いていました。 前売り券以外の招待券や当日券は、当日になって席番が決まるようです。私の前に並んだ人は私の隣に座っていませんでしたから、他の席に座ったようです。 入りですが、95%ほどの入りでした。この手の公演としてはいい入りです。
(ロビー) ロビーには50ほどの花が飾られています。紀信さんとシンシアからのは見た限りありませんでした。輝信さん宛が二つあったと思います。 一つは、株式会社STANDZからのものでした。もう一つは、中村獅童さんからでした。 他に出演者の出しているCDが数種類売られていました。 (上演時間) 去年は第1幕70分、第2・3幕85分でした。普通の芝居でも長い方です。演出する方もそう思ったのか、今回は第1幕55分、第2幕50分になりました。この方が中身が濃くてよかったです。 初日ですが、18時開演の予定が、15分遅れで始まりました。遅れるとの放送とか何もなしで、堂々と15分遅れで何事もないように始まりました。 ところが、その事が奇跡を起こしました。その報告は後でのお楽しみです。
入場時には他に宣伝のパンフレットも配られます。その中のB5のチラシがこれです(裏は白)。「エンジェル・ゲート」の小説が6月に発売されるそうです。
チケットのプレゼントで当選した人に送られる葉書です。
更にアップです。
パンフレット2ページのアップです。
パンフレットの2・3ページです。
5/8(火)踊る!さんま御殿!!に輝信さんがゲスト出演します。 日テレ 夜7:58分~ http://www.ntv.co.jp/goten/
パンフレットです。チケットをもぎられて入場した時に全員に配られます。A4判の4ページです。こちらが1ページと4ページです。 これ以外にパンフレットとかは売られていません。
(感想) なかなかいい話になっていて、感動できます。第1幕の最後の方に、すごく感動するエピソードがあり、これがとてもいいです。第1幕だけで終わってもいい感じです。 輝信さんと南里さんの関係ですが、去年は高校の同級生、今回はちょっと不明で、同い年のようですが、輝信さんはバンドをやっていて、高校の話は出てきません。このあたりはぼかして描かれています。 去年は、幽体離脱した南里さんが輝信さんの部屋に来て、そっと輝信さんにキスする場面があります。 今回は、キスはなく、実際の南里さんを抱きしめる場面があります。 前回も今回も、男性陣が少ないです。50人ほどの出演者で、男性は7人だけです。しかもユリ側の男性は輝信さんだけです。他の男性は敵役か大人です。 とっても目立つ役でもあります。去年のTVドラマ「ダンドリ」でも、男性陣は少なかったです。輝信さんのキャラって、紅一点ならぬ黒一点な役ばかりですね。役者って、最初の方で方向性が決まることもあるので、こんな役が多くなるのでしょうか。
なんとなく仕事が詰まっていて、GWは少しは羽を伸ばしたい、と思っていたときにこのページで得られた情報で、思い切って行くことにしました。来週からまたハードになるので、初日に行くしかないのかな…、ということで…。怪我をしておられるらしいのでこないかもしれないとは思っていたのですが、気分転換ということで。突発的に決めました。 公演自身は第一部は、わけが分かったような分からんような…。後半である程度納得できるというか。でも、割と面白かったです。シンシアは来ていないのかなぁ…、と残念だったのですが、何と僕の一列後ろの4つほど後ろにシンシアが!!! 17会というかこのページのおかげです。終演後、ほんとに少しだけですが、17会のメンバーのおかげで、初めてシンシアと直接話すこともできました。至極の極みの時間でした。トナカイさんたちに上げようと思っていた「梅ドラゴン」、シンシアに献上してしまいました。ごめんなさい。 あとのオフ会も楽しかったです。夢から未だ覚めやらぬbettiです。皆さん、本当にありがとうございました。
(あらすじ) 渡米していたリョウが10年ぶりに帰国して、ユリと会うことになったが、直前に交通事故死してしまう。その半年後位から話は始まります。 見習い天使三人の内、ハルとマミが一人の少女の魂を運ぶ命を受けます。天子の規則で、身内の魂は運べないので、リョウははずされます。死ぬ運命はユリでした。それを知ったリョウはハルとマミと行動を共にします。 ユリは予定通り車にはねられますが、即死のはずが重傷になります。リョウが運命を変えてしまったのです。病院に運ばれたユリは、幽体離脱で魂だけが体から離れます。 魂となったユリは、結局、体に帰り、驚異的な回復から元に戻ります。ここまでが第1部です。 ヨウヘイに誘われて「フライング・ハート」に入り、色々ありますが、デビューしてライブコンサートに出ます。天上界ではユリの運命は変えられないと、ユリは再び死ぬ運命になります。 再度、見習い天使三人組がユリの魂を運ぶ役目とされます。リョウは今度失敗したら、存在そのものが消滅すると言われます。 コンサートのアンコールで暴漢に刺されたユリは、即死状態で、リョウが魂を運ぼうとしますが、悪魔が邪魔します。リョウは、自分はどうなってもいい、ユリを生かして欲しいとミカエルに懇願します。 その願いはかなえられ、ユリは生き返ります。リョウは、天使でも人間でもない存在として、クラブ「エンジェルゲート」のマスターとなります。
主な登場人物 (ホンダユリの家) ユリ:南里侑香;16歳らしい、 キョウコ:木下智恵;母 (見習い天使) 下級天使で見習い中、三人一緒に行動する。天使なので普通の人には見えない。 ハル:水谷妃里;見習い天使 マミ:吉野紗香;見習い天使 リョウ:神田利則;見習い天使、ユリの父で10年ぶりにユリに会いに行く途中に交通事故死、 (ユリの友達) ユリと三人でバンド「フライング・ハート」を作ってメジャーデビューを目指す。 ヨウヘイ:篠山輝信;ユリと中学が同級生らしい。ギター担当。 ナオ:桜井美紀;ユリと中学が同級生らしい。ユリと二人でボーカル担当。 (天上界) この物語では、天上界があるという話になっています。天使の仕事は、恋人同士をくっつけたり、人が死んだらその魂を天上界に持ち帰るなどです。 大天使ミカエル:青山倫子 天使エリ:未來貴子;見習い天使を見守る。 (クラブ・エンジェルゲート) 渋谷にあるクラブで普通に営業しているが、実は天使が営業している。秘密の天上界に通じるエレベーターがあり、天使はここから地上界に出入りして、魂を持って天上界に戻る。 マスター:大垣知哉;支配人 コフン:須川華奈子;アシスタント、メイド喫茶の姿
キャストの主要人物のアップです。
今回のキャストです。去年は名前だけでしたが、今回は準主役。お母様もお喜びの事と存じます。
エンジェル・ゲート情報 新国立劇場・中劇場(去年と同じ会場です) 2007年5月3日(木・祝)~6日(日)、5公演 6300円(全席指定) 5月3日(木)18:00開演 5月4日(金)13:00開演 5月5日(土)13:00、18:00開演 5月6日(日)13:00開演 出演:南里侑香 吉野紗香 篠山輝信 水谷妃里 荻野恵理 桜井美紀 飯尾麻耶 須川華奈子 栗山絵美 赤塚篤紀 岩崎雄一 嶋祐一郎 木下智恵 深谷愛 吉田有希 岡明子 /HIDEBOH BON-BON BLANCO 大垣知哉/ 神田利則/青山倫子/未來貴子 脚本 :横山 由和・浅井 さやか(One on One) 演出 :浅井 さやか(One on One) 音楽監督:斉藤 恒芳 振付 :HIDEBOH・森 将雄 美術 :佐藤 由紀子 音響 :山本 浩一 舞台監督:名鏡雅宏・黒田大輔 衣裳 :三浦将起 主催 :フジテレビジョン 企画製作:フジテレビジョン / スペースクラフトプロデュース 制作協力:ステップスエンタ-テイメント / ネルケプランニング 協力 :キョードー東京 / ぴあ 第1幕55分 休憩15分 第2幕50分 (参考-2006年版情報) “ANGEL GATE~春の予感~” 会場:新国立劇場・中劇場 公演日程:4月13日(木)~16日(日) 公演日程:開演の30分前に開場 4月13日(木)18:30開演 4月14日(金)18:30開演 4月15日(土)13:00開演、18:00開演 4月16日(日)13:00開演 出演:南里侑香、有森也実、吉野紗香、未來貴子、森ほさち、 土屋久美子、他 [声の出演]:神田うの、黒谷友香、栗山千明 第1幕70分 休憩15分 第2幕70分 第3幕15分(2と3幕の間は休憩なし) http://www.fujitv.co.jp/events/stage/angel/index.html エンジェルゲート公式:http://www.angelgate.jp/
去年に引き続き今回も初日に行きました。去年とは大幅に脚本も変わり、輝信さんの演技も落ち着いていて、思ったより(笑)数倍楽しめました。 当日券はあると思うので、時間のある方はどうぞ。 相変わらずCynthiaは美しかったし、トナカイさん、Bettiさん、u3と会えて楽しかったです。
明日の新聞も要チェックですね。 2日の読売新聞のサイトに輝信さんの記事が出てましたので参考までに URLを記載します。http://www.yomiuri.co.jp/iryou/kyousei/suteki/20070502ik0c.htm Cynthiaのお母様のことも少し触れられています。暖かい家庭で育った輝信さんらしい好感の 持てるコメントだと思います。 余談ですが共演の南里侑香さんの生年月日を見て驚きました。3月13日…私とまったく同じじゃありませんか? あ!年は違うけど(笑) http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070424-00000004-ykf-ent
シンシアがロージーと観に来ました。紀信さんは来ませんでした。取材はありませんでした。 明日のワイドショー一応要チェックです。