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2009年06月 の伝言板を読む
2009年04月 の伝言板を読む
現在スカパーのフジテレビTWOで『夜のヒットスタジオ』が再放送されています。 6月18日からの放送でついにシンシア登場回が放送されます。 曲は「人恋しくて」で、1975年8月11日放送分です。 http://wwwz.fujitv.co.jp/otn/b_hp/909200031.html
ご無沙汰しています。久しぶりの書き込みになります。 今晩は赤坂のホテルに宿泊しています。前回東京に来たのが2月の終わり だったのでそれ以来約3ヶ月ぶりの東京です。あのときは早春でしたが とてもよい天気だったので少し散策して恵比寿駅から電車に乗って 岐阜の自宅に戻りました。 そのとき携帯で撮った写真を添付します。かつて7月7日にCynthiaが 降臨(笑)してくれたときの写真の公園です。梅の花がとても きれいに咲いていました。 今日は六本木ヒルズで仕事が入っていて49階「タワーホール」という ところにいたんですが、外を見渡しながらこの視界のどこかにCynthiaの ご自宅が入っているんだろうなと思っていました。麻丘めぐみさんの 近況を目にして、なんとなく何度か僕らの前に出てきてくれたCynthiaを 想いだしてちょっと羨ましい気分になりました。 麻丘さんはビクター音楽産業の第一号歌手だったんですね。 Cynthiaは当時新興だったCBSソニーの女性アイドル第一号として71年に 会社の総力を上げて売り出したと聞いていますがここでも二人は同じような 境遇ですね。 でも確かCynthiaが語られてましたが、最初はビクターからデビューと 聞かされてたのが急にCBSソニーからデビューすることになって驚いたって ことでした。 もしCynthiaがビクターからデビューしてたら二人の運命はどうなってたん でしょうね~。
1/3 『週刊実話』2009年6月11日、No22号 表紙(モデルの胸に注目) 目次
2/3 『週刊実話』2009年6月11日、No22号 P52・53
3/3 『週刊実話』2009年6月11日、No22号 P54・55
麻丘めぐみ(『週刊実話』09.6.11号)4 投稿者:トナカイ 投稿日:2009年05月30日(土)11時40分0人生劇場 Close Up! インタビュー 麻丘めぐみ(歌手) ◇ 芸能生活50年-今の“わたしの彼”は…? ◇ =1970年代歌謡ポップスを牽引した麻丘めぐみは今年、初の舞台に 立った日から芸能活動50年。出産、離婚、そして復帰と、かっての トップアイドルは人生経験とともに輝きを増すばかり。= -3歳の初舞台から50年、振り返ってみてどうですか。 「本当に運がいいというか、神様が与えて下さった50年だと思って います。ただ申し訳ないんですが、歌や音楽がこんなに素晴らしいと いうことが実感できたのは、この何年かでなんです。一時は“麻丘めぐみ” を背負い過ぎて、その重圧や期待感に負け一度止めてしまった。 でも何十年も経ち、こうして改めて自分の歌を思い返してみると、 とても楽曲として素晴らしいし、歌わせて頂けた幸せがものすごく あるんです。これをしっかり受け止めて自分の声が出る限り歌っていく ことが、作って下さった先生やスタッフの方たちに対する感謝の気持ちに なるのかなと思っています」 -ファンの方のためでもありますよね。 「そうです。それで、これからちゃんと音楽をやっていこう、楽しく 音楽をやっていこうと思って、去年から『Megu-Vision』と銘打ち、 ライブ活動を始めたんです。 そこでは私のステージを楽しみにして下さった30年来のファンの 方々にもお会いできて、すごく喜んで下さって…。本当に申し訳ない ことをしたなぁ、何で歌って来なかったんだろうっていう思いが生まれて、 そういう方々に恩返しのつもりで歌っていかなきゃって、すごく感じました」 -今年1月のライブでは、ミニスカートでの登場が話題になりましたね。 「歌に関してはキーを変えてないので、当時の楽曲のままお届けできる とは思っていました。ただ、それだけではどうかなぁと考えて、ミニ スカートで当時を再現したら面白いかもと思ったんですね。それでも、 あまり無理のない程度に、昔と違うけど風味を残しながらというところで(笑)」 -結果、かなりの評判で大成功でした。 「喜んで下さいましたよね。スタッフも大笑いしながらも喜んでくれて(笑)。 そういう意味でも、やっと音楽というものを楽しんでやれるようになったし、 お客様と共有できる自分の持ち歌があるというのはラッキーなことだと 実感しました。これは本当に宝物ですよ」 -3月にはCD12枚組のプレミアムボックスが出たわけですが、こういう 形はなかなか出せるものではありませんよね。 「しかも私は全然知らなかったんですが、ファンの皆さんがビクターに お願いして下さっていたらしいんです。それで、出るらしいっていう話を 聞いて、えぇっ!そうなんだ!って。パッケージの製作にあたって、 当時のLPもファンの方に提供していただいたそうです」 -ファンクラブもできたそうですね。 「おかげさまでこの度、なぜかできました(笑)。前々からファンの方の 中では、作ってほしいというお話はあったんですけど、私的にはこの齢で 気恥ずかしい面もありましたし」 ◇ ジャニーズファンに狙われた女子高生時代 カミソリ、藁人形も送られた ◇ =麻丘めぐみが歌い始めた70年代初期から、歌謡曲自体が変わり始めていた。 ポップス的要素が加わり、歌い手もただ直立して歌うのではなく、フリを つけるようになった時代だ。= -70年代の楽曲は、筒美京平さんのものですよね。 「筒美京平さんと千家和也さん(作詞)が多いですが、その時代に活躍 した作曲家・作詞家のほとんどの方に書いて頂いてます。私たちの前の時代 というのは、作曲家も作詞家もレコード会社の専属制度みたいなものが ありましたが、それが解かれて、何年か経ってからですからね。筒美さんに しても都倉俊一さんにしても、新しい方たちが出てきた時期でした。 ディレクターさんも、私の場合は元ヴィレッジ・シンガースの笹井(一臣) さんだったんですね。音楽活動をやっていた方が、全く新しい感覚で 取り組みだした時でした」 -新しい歌謡曲を作っていこうと…。 「特にビクターは、それまで“演歌のビクター”と言われていて、 ポップスがなかったんですね。私は『ビクター音楽産業』(72年に 日本ビクターから音楽制作部門が独立。現・ビクターエンタテインメント) で第一号だったので、これを当てないと音楽産業として独立してやって いけないという、まさに社運をかけた状態。 だから、社員の方も皆さん本当に熱心にやって下さいました。その積み 重ねが、あそこまでのヒットに繋がったんだと思います」 -歌手デビュー曲の「芽ばえ」(72年)は日本レコード大賞新人賞、 「わたしの彼は左きき」(73年)は“左ききブーム”を呼んだほどの 大ヒットでした。あの頃は世間に対する歌の影響力が凄かったですね。 「私の曲だけでなく、レコード自体が売れた時代ですからね。一曲 ヒットすると、テレビやラジオで毎日その曲が流れ、子供からお年寄り まで皆その曲を一生懸命覚えたっていう時代。そんな背景も良かったん だと思います」 -麻丘さんは、“振り付き歌手”のハシリですよね。 「そうですね。振り付けをして歌うアイドルとしては、私や同期の 郷ひろみさん、西城秀樹さん、ちょうどその時代でした」 -男性アイドルのファンからは、ずいぶん嫌がらせがあったと聞いています。 「ちょうど新御三家(郷ひろみ・野口五郎・西城秀樹)と私は同じ齢で 学校も一緒で、仕事もほとんど毎日一緒だったんです。それであらぬ想像を されたんでしょう。それこそカミソリとか藁人形とか送られたり、実際に 髪の毛にガムを付けられたことも3回ぐらいありました。 歌っていてミカンを投げられたり、トイレットペーパーを投げられたり したこともありましたね。本当に怖かったですよ。いまだに女子高生の 制服姿を見ると、当時の私をふと思い出してしまうぐらい」 -昔のお仕事の様子を見ると、よく小柳ルミ子さんとご一緒しています。 「デビューした当時から可愛がっていただきました。当時はスカウト組と オーディション組があって、ルミちゃんはオーディションで宝塚から 入りましたが、私と(南)沙織ちゃんと(浅田)美代子ちゃんは スカウトされて歌の世界にポッと入れられた感じ。 基本的に意欲が見えないというか(笑)、よく分からない状態で 歌っていたんですね。一生懸命自分なりにやっているつもりなんだけど、 ルミちゃんに『ちゃんと頑張りなさい!』って怒られていました。 ルミちゃんは歌っても踊ってもOKですからね。 例えば年末の隠し芸大会が近づくと、私と沙織ちゃんはものすごく 暗~くなっていたんです。当時は忙しい中、ほとんど稽古もないんですよ。 日舞はまだしも、洋舞はいろんな格好をして踊らなくちゃいけなくて、 もう恥ずかしくて恥ずかしくて。そこでいつもルミちゃんが愛情を持って 怒ってくれて、いろいろ教えてくれました」 ◇ 今のブームを終わらせたくない ◇ =この10年間、自ら主催する演劇集団『シアタードリームズ・カンパニー』 の活動を続けている麻丘めぐみ。公演にはもちろんお金がかかり大変そうだが、 そうまでするのには理由がある。= -『シアタードリームズ~』では、普段は演出や監修をされていますよね。 「自分の出る公演は、お金の事情もありまして4年に1度ぐらいしか できないんです。これまで2公演で自分が出て、あとは制作・演出。 それも2人ぐらいでやっているので、実際には何でもやらなくちゃいけない。 自分が出るものに関しては、60歳までに一本何かやりたいと思っています」 -演出することによって得ることは何でしょう。 「こちらから発信していくというのは、自分のモチベーションを下げない ためということもあるんです。受けてやるのとは全然違う。“自分がやりたい って言ったでしょ”って、自分に対するプレッシャーもありますから。 この世界で長くやっていると、周囲の人が気を使って忠告などしなくなる ので、自分で自分にダメ出しをしていくしかないんです。そうすることで、 自分の課題が見えてくるんですね。 演出では高い授業料払ってやらせて頂くことでも、それで得るものは大きい。 マネージャーをはじめスタッフも、今では“やらせておかないとダメだ” と考えてくれるようになりました」 -話は歌に戻りますが、6月7日にはホテルオークラで、ヒット歌手を 集めたディナーショー『昭和のヒットパレード』がありますね。 「一昨年ぐらいから70年代の歌謡ポップスがブームになりました。 これをブームで終わらせたくないとは思っています。今の不況で元気の ない時代に、どんな歌が元気になれるのかって考えると、やっぱり元気な 時代の歌って力があるんですよね。それが70年代の歌。私の「~左きき」 だけでなく、他の方の歌も、歌うと元気になれるんです」 -声を保つために何かされていますか? 「私は声帯が強いみたいで、声が出なくなったことはあまりないん ですよ。カムバックした後は、10年以上ヴォイス・トレーニングを していますし、大丈夫です。歌ってないと声はすぐ出なくなりますけど、 歌っていると果てしなく出るようになるんですよ」 -最近のプライベートはどうですか? 「地味~に暮らしてますよ(笑)。趣味がなかったんですが、1年前から 陶芸を始めました。当初は、陶芸って山の中に行かないとできないかと 思っていたんですが、お友達に『いまは電気窯よ』と言われて、そうか! と。陶芸をしている時間は楽しいですね。 “楽しい”ことにも静と動があって、陶芸は静なんです。時間がある ときは週一のペースで、先生が驚くぐらい昼ごろから夕方までお茶も 飲まずにずーっとやっています」 -再婚などは考えていますか? 「性格的に再婚したかったらすぐにしているので、まだ相手に巡り合って いないんでしょうね。でも離婚後もそれなりに恋愛はしてきましたし、 自由にやってきたつもり。たまたま結婚に至らなかっただけです。 ただ、自分の中でいちばん大事なのは娘で、それは生涯変わりません。 大切な友達も多いですから、今は穏やかに暮らしたい気持ちが強いですね」 -最後に、熟年世代へのメッセージをお願いします。 「自分にもいえることですが、楽しんでできることを見つけて動き 出そう! その何かを見つけることが難しい方もいると思いますが、 それなら歌もありますよ。 歌って健康にもいいんです。下手だと思っても、誰かと一緒に歌えば 大丈夫。私もライブだけでなく、ジャズクラブやボランティアでも声が 出る限り歌っていきたい。いつかどこかで、これを読んでいる方と 一緒に楽しい時間を過ごせたら最高です」 (『週刊実話』2009年6月11日、No22号 P52~55) http://www.nihonjournal.jp/web/jituwa_200922/index.html
麻丘めぐみ(『週刊実話』09.6.11号)5 投稿者:トナカイ 投稿日:2009年05月30日(土)11時31分41-解説- インタビューの中にあった『昭和ヒットパレード』は、新型インフルエンザ の流行のために中止になっています。残念です。 (興行主告知) 新型インフルエンザ流行に伴うイベント中止のお知らせ 拝啓 早夏の候、ますますご健勝のこととお慶び申し上げます。 さて、新型インフルエンザの感染が確認され、感染拡大が懸念されている 状況をうけて、5月24日(日)、5月31日(日)、6月7日(日)に予定しており ました当社主催の「昭和ヒットパレード」を大変残念ながら中止させて いただきます。多数のお客様がお集まりいただくイベントは、このような 状況では中止せざるを得ないという結論に達しました。苦渋の決断では ありますが、未曾有のことでもあり、何とぞご理解いただきますよう お願い申し上げます。楽しみにされていた皆様には、心よりお詫び申し 上げますと共に、誠に申し訳ごさいませんが、何とぞご了承の程 よろしくお願い申し上げます。末筆ではございますが、今後の皆様の ご健康と発展をお祈り申し上げます。 ※ 既にチケットをお買い求めの皆様へ今後の対応及び払い戻し等に 関しましては、順次対応させていただきますので、そのまま捨てずに お持ちになっていて下さい。 敬具 株式会社レオンプロモーション http://www.leonpromotion.com/
『徹子の部屋』(09.5.19(火))内容 投稿者:トナカイ 投稿日:2009年05月30日(土)09時53分27報告がとっても遅れてすいません。当日の紀信さんは、黒っぽい スーツに白いシャツで、結婚式に行くかのような姿でした。今回の 会話の大半は、紀信さんが新しく出した写真集のことでした。今まで 秘蔵してきた写真も多数載っています。41年前に撮った黒柳さんの 写真も載っています。 黒柳さんの方からシンシアの話題を振ってくれます。今日の服装に ついて、決まっているとほめると、紀信さんが言います。 「『徹子の部屋』は皆さんおしゃれして行くのでと言われて」とか 言い、黒柳さんが「奥様の見立てですか」とか聞くと、紀信さんが 「ハイ」とか言っています。 紀信さんて、本名で「みちのぶ」と読むのですが、誰も読めないので 「きしん」の通称名で通しているそうです。時々、「みっちゃん」と 呼ばれる事があって、そんな時は親戚かとドキッとするそうです。 番組の最後、黒柳さんが次のような事言っていました。「最近、次男の 方とクイズ番組でご一緒していますのよ」、『世界ふしぎ発見』の 2008年11月22日放送の事を言っているようです。 こんな感じで、黒柳さんの見事な話術でシンシアの雰囲気を 感じられた放送になりました。 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/back2000/html/090519.html
『徹子の部屋』ゲストは紀信さん(09.5.19(火)) 投稿者:トナカイ 投稿日:2009年05月15日(金)13時30分45色々情報ありがとうございます。尾崎亜美さんの最新セルフカバー アルバム『Reborn』にも、「春の予感」入っています。 来週火曜日の『徹子の部屋』のゲストは、紀信さんです。
NHKテレビ『Songs』 投稿者:ヨハナーン 投稿日:2009年05月13日(水)23時59分34きょうのNHK総合テレビ『Songs』は尾崎亜美さんでした。 番組冒頭、いきなりCynthiaの映像で「春の予感」が出ました。 番組の中で、ソムリエの田崎さんがワインを選んだ場面で、尾崎さんの ナレーションがあります。 “私の作る曲の歌詞には、よく食べ物や飲み物が出てきます。南沙織さん に提供した「春の予感」もそうです。透明感のある南沙織さんを見たとき、 ワインのイメージが湧きました。1978年私が二十歳の時に初めて他人に 書いた曲です。聞いて下さい。「春の予感」” ここで尾崎さんの歌で「春の予感」が始まります。 BSでの再放送もあると思います。
今晩、テレビ朝日で歌謡番組2時間(09.5.9 19:00-20:54) 投稿者:トナカイ 投稿日:2009年05月09日(土)10時25分26『サタスペ! お宝昭和歌謡満載!!クイズみんなの懐うた』 05/09(土) 19:00-2008:54 テレビ朝日 大女優の(秘)歌手映像倍賞千恵子も大竹しのぶも由美かおるも浅野ゆう子も… 蔵出し連発▽涙の歌謡大賞名場面森進一・新沼謙治(秘)Q▽名曲脳トレQ& カラオケ熱唱…徳光・岡江・麻丘めぐみ・ピーター 出演者/徳光和夫 岡江久美子 麻丘めぐみ ピーター 勝俣州和 大沢あかね 司会/東野幸治 下平さやか 前田有紀 その他/ 倍賞千恵子 大竹しのぶ 由美かおる 浅野ゆう子 森進一 新沼謙治 http://www.tv-asahi.co.jp/sat-sp/
私にとっての「バラのかげり」 投稿者:タロー 投稿日:2009年05月07日(木)00時57分30秒「バラのかげり」は私にとって、とても記念すべき曲でした。 この曲が出る少し前だったと思いますが、私は惚れていた女性に見事に 振られました。られる理由が分からず、神様を呪ったほどです。 そしてこの曲を聴き、立ち直りました。 この曲を私はこう聞いています。 私は別れを言う女を追いかけたのですが、曲は違いますね。 「どうぞ消えてあなた」です。 そう、私はこの曲を聞きながら、別れをやり直したのです。 その女性は今も好きです。 勿論再会などしてはいませんが。 今も、「何時の日かあでやかに、しなやかに、出直して見せるわ」と 誓うのです。
RE:2009/5/3(SUN)のテレビに紀信親子 投稿者:u3 投稿日:2009年05月03日(日)08時25分4秒> 1.紀信さん > 「日曜美術館」(NHK教育テレビ9:00~9:45、20:00~20:45) > > 日曜美術館「アングル 革命の裸婦」 > > チャンネル:教育/デジタル教育1 > 放送日:2009年05月03日(日) 9時からの分の放送は4月26日に済んでおり、本日5月3日の放送は、 片岡球子さん(銅版画家)「描きたいものを描きたいように描く」で、 20時からの再放送が紀信さんの分です。
2009/5/3(SUN)のテレビに紀信親子 投稿者:トナカイ 投稿日:2009年05月03日(日)03時10分24秒今日の夕方、紀信さんと輝信さん出演の番組が続きます。 4月27日にも情報を投稿していただいています。 1.紀信さん 「日曜美術館」(NHK教育テレビ今晩20:00~20:45) 日曜美術館「アングル 革命の裸婦」 チャンネル:教育/デジタル教育1 放送日:2009年05月03日(日) 放送時間:午後8:00~午後8:45(45分) 番組内容:19世紀フランス絵画の巨匠アングルは革新的な表現で裸婦を次々と 描いた。スタジオゲストに写真家の篠山紀信さんを迎え、アングルの創造の 源に迫る。 出演者:写真家…篠山紀信,【司会】姜尚中,中條誠子,【声】園部啓一,加藤優子 日曜美術館:http://www.nhk.or.jp/nichibi/ 2.輝信さん 『旅の香り』(テレビ朝日18:30~18:56) 野際陽子さんが、若手イケメン俳優の篠山輝信さんと信州・軽井沢へ。 美味しい手作り工房が軒を連ねる軽井沢をめぐります。 旅の香り:http://www.tv-asahi.co.jp/tabinokaori/ -同日午前10時訂正- 上にu3が教えてくれたように放送時間間違えていました。日曜美術館は、 9時からの番組を翌週の日曜20時から再放送しています。訂正します。
『日刊ゲンダイ』に紀信さん(09/5/1) 投稿者:トナカイ 投稿日:2009年05月03日(日)03時08分15秒『日刊ゲンダイ』2009年5月2日(1日発行)第9面
『CDジャーナル』09年5月号 投稿者:トナカイ 投稿日:2009年05月03日(日)02時19分26秒『CDジャーナル』09年5月号P61 保存版!歌謡曲大百科 100人の100枚 17枚目(^o^) 017 南沙織 ゴールデン・Jポップ~ザ・ベスト(SR・SRCL-4414~5) 1998.11.21発売 『71年、返還前の沖縄から“来日”しデビュー。本人が好きだった 「ローズ・ガーデン」を模して、筒美京平が「17才」を書いた』
『CDジャーナル』09年5月号2 投稿者:トナカイ 投稿日:2009年05月03日(日)01時42分2秒『CDジャーナル』09年5月号P54
『CDジャーナル』09年5月号3 投稿者:トナカイ 投稿日:2009年05月03日(日)01時39分26秒『CDジャーナル』09年5月号P55
『CDジャーナル』09年5月号4 投稿者:トナカイ 投稿日:2009年05月03日(日)01時36分40秒『CDジャーナル』09年5月号P56
『CDジャーナル』09年5月号5 投稿者:トナカイ 投稿日:2009年05月03日(日)01時32分45秒『CDジャーナル』09年5月号P57
『CDジャーナル』09年5月号6 投稿者:トナカイ 投稿日:2009年05月03日(日)01時30分1秒『CDジャーナル』09年5月号P60・61
『CDジャーナル』09年5月号7 投稿者:トナカイ 投稿日:2009年05月03日(日)01時26分43秒『CDジャーナル』09年5月号P62・63
Re.『CDジャーナル』09年5月号 投稿者:トナカイ 投稿日:2009年05月03日(日)01時16分49秒情報ありがとうございます。P49~65までの特集です。 データをこちらに書きます。 CDジャーナル 2009年5月号 2009年4月20日発売 定価880円(税込) 特集『歌謡曲大百科』 創刊25周年を迎え、今月から始まる100枚シリーズ。第1回のネタは ずばり"歌謡曲"。70年代、80年代、90~00年代、という3つの大きなカテ ゴリーで、ベタに歌謡曲の魅力にせまります! 歌謡曲のジャンルに入る 100人の歌手の100枚を紹介する保存版ページもあります。 ○それが歌謡曲の魅力だ(ECD) ○『ザ・ベストテン』へのレクイエム 今、歌謡曲を聴くということ!(ばるぼら) ○細野晴臣 インタビュー(渡辺 亨) ○細野晴臣と歌謡曲(安田謙一) ○[Step 1 70年代]歌謡曲の黄金期!混沌とした日本のポップス界のなかで(安田謙一) ○大人の叙情を若々しい感覚で描き出す~由紀さおりによる“現代の歌謡曲”(北中正和) ○[Step 2 80年代]私はアイドル アイドルのレコードが大量にあふれていた時代(保母大三郎) ○今もピコピコしてる!ドキドキしてる!~テクノ歌謡のスピリッツとは(村尾泰郎) ○[Step 3 90~00年代]J-POPという時代 本質的な意味で歌謡曲は失われない!(田口寛之) ○桑田佳祐のひとり紅白歌合戦~昭和の文化はしぶとく生き延びる(鷺沼晶良) ○保存版!歌謡曲大百科 100人の100枚 歌謡曲まんが(大橋裕之) ……and more!! 音楽出版社:http://www.cdjournal.com/main/top/
バラのかげり 投稿者:蟹座 投稿日:2009年05月01日(金)22時32分49秒毎月、月初めに、この伝言板をお借りして、シンシアのシングル盤を 発売順に、書かせて頂いています。シンシアが好きな方に、 ひとりでもふたりでも目に留まれば幸いです。 ☆曲目データ ○曲名/バラのかげり ○B面/この街にひとり ○作詞者:有馬三恵子 ○作曲者:筒美京平 ○ジャケット撮影:篠山紀信 ○発売日:1974年3月21日 ○オリコン最高位:15位 ○売上数:13.6万枚 ☆1974年のシンシア この年、シンシアは20才になり、同時にハイスクールを卒業。 大人へのイメージチャンジを図った。 第一弾が、この「バラのかげり」、夏に、ちょっと際どい「夏の感情」、 秋には演歌っぽい「夜霧の街」をリリース。 でも、売上的には、 この3曲は大ヒットとはならず、オリコン10位内に入らなかった。 ☆この曲が流行った頃(1974年春~初夏) 前年の秋、日本中がパニックになったオイルショック、狂乱物価も 一段落し、曲がりなりにも春が来た。 ・元日本兵小野田寛郎氏、ルバング島から帰還。 ・荒井注ドリフターズ脱退、見習志村けん加入。 ☆曲想 春の歌だが、72年の「ともだち」、73年の「早春の港」といった 「出会い、恋の始まりの歌」ではない。 ここで、まずシンシアの持つ「季節感」が崩れた! そして、次ぎに、もうひとつのキーワードであった「同世代感」も崩れた! 恋人と別れる歌詞だが、それまでの感傷に耽る少女の歌ではない。 やや強気で「どうぞ、去って下さい」「後悔はしません」「この別れで、 もっと良い女になるわ」って、いきなり「大人の女性」になる。 ・酒井政利プロデューサー談 「筒美さんは、『冒険的』な曲を作った。有馬さんの詞は、自意識に 閉じこもった少女から、大人への一歩を踏み出している」 (「Cynthia Anthology」ブックレットより) ☆ジャケット写真 曲に合わせたのか、衣装も表情も大人っぽく、キリッとしている。 (でも、ちょっと老けて写っていないかな?) ☆私の感想として まず、正直言って、この「バラのかげり」はリアルタイムでは、 ほとんど記憶に残っていない。 可笑しいな?当時、歌番組を見るのを控えたわけでもないし、 この曲よりレコード売上が低い「夏の感情」のほうはハッキリ 覚えているのだが。 ベスト盤の『RECALL』とか『Cynthia Anthology』で「17才」から 続けて聞いていると、確かに、この曲だけ、突出していう感じがする。 でも曲としては、後追いで好きなった。 アレンジは、エキゾチックなムードを醸し出して、サビの部分を 歌いあげるところにグルーブ感がある。 ・「大人っぽい」詞であること その前作、「ひとかけらの純情」にある、「彼からぎこちない手つきで 渡されたお茶にさえ、ときめく」少女に比べると、遥かに大人っぽい。 有馬三重子&筒美京平の第一期作品中(「17才」71年6月~ 「想い出通り」75年4月)、歌詞の中の女性の設定年齢が、一番高く感じる。 ちなみに一番若いのは、好きな男性に「こんにちは」さえ言えない 「ともだち」(72年1月)の中の少女だと思うが、この曲から 「バラのかげり」まで、わずか2年! 恋人と別れたが、「哀愁のページ」や「ひとかけらの純情」のように、 自意識に閉じこもる少女ではなく、今度は、「いつの日か、あでやかに 現れてみせるわ」と宣言。これは「色づく街」で♪愛のかけら、 抱きしめながら「女」になった姿ではないだろうか? それまでのシンシアの歌は「等身大」というか、年齢相応で、同じ年代の 女性ファンには「同世代感」を抱かせた。「17才」=彼と海辺で走る、 「傷つく世代」=彼とケンカをする、「色づく街」=別れた駅で佇む。 誰もが同じ経験をしただろうが、この曲でシンシアは、ファンを 突き放したとも取れる。 むしろ、以前にも書いたけれど、この曲の一昔前、1960年代の若い女性歌手は、 実年齢よりも大人っぽい歌を歌わされた。 伊東ゆかりさんの「小指の思い出」は、彼女が19才の時の歌だ。もっとも 彼女は「こんな歌、恥ずかしくて歌えない」とかなり抵抗したらしいが。 ☆このフレーズ ・バラのかげり まず、題名だけれど「バラ」は、派手で華やかな花。でもいまひとつ、 シンシアのイメージに合わない気もする。彼女は「百合」っていう気がする。 その意外性を狙ったのかな? ・♪恋する朝は、バラの小枝を摘んで、あなたの足音、まったものなの♪ 冒頭の歌詞だが、それまでの「彼と雨の中、待ち合わせた」とか 「夕暮れの街角を一人で歩いた」に比べて、やや現実離れしているし、 一昔前の歌謡曲調である。 作詞を手掛けた有馬三恵子氏は、この6年前に「初恋の人」(小川知子歌唱)で、 以下の歌詞を書いた。 ♪野バラをいつも、両手に抱いて、朝の窓辺に届けてくれた これは、男性の方が女性にバラを贈るものだが、発想は同じ。 ここらあたりが、シンシアをして「歌謡曲っぽい」とも言わせた所以と思う。 私は、60年代半ばの歌謡曲を彷彿として、むしろ懐かしくさえ感じた。 ・♪今頃駅に着くころね♪ 想像を逞しくすると、同棲していたのを解消したようにも聞こえる。 女性と暮らしていた部屋を出て、男が駅に着いたシーンを思い浮かべた。 とすると、時期的に、この曲に合うシンシアの年齢は、同棲中のけだるい 生活を歌った「揺れる午後(1977年3月)」の後ではないか?その時、 シンシアは23才。実際に「バラのかげり」を歌ったのは19才、 まだハイスクール在学中。ちょっと早すぎた感がある。 ☆74年最大のヒットなのに、 ・紅白歌唱曲ではない。 前述したけれど、売上的には、13.6万枚、オリコン15位で、 その年に出した「夏の感情」(10.9万枚、16位)や「夜霧の街」 (9.5万枚、17位)を上回っている。 本来なら、この曲が暮れの「紅白歌合戦」で披露されるべきなのに、 「夏の感情」で出場している。選曲は基本的にNHKだが、これはどういうことか? やはりシンシアは、夏のムードがあるし、他の歌手との選曲のバランスも あってのことかな? ・「夜霧の街」と共にベスト盤でも外されているケースがある。 ただ「夜霧」の方は、ビデオ集『HELLO CYNTHIA』に収録されている。 シンシアが「夜霧の街を好き」とコメントした記事は覚えているが、 「バラのかげり」に好意的なコメントは記憶にない。そのせいで 外されたのかな?従って、Youtubeにも映像がない。 ☆この曲をカバーした歌手 浅野ゆう子さんと麻丘めぐみさんがでカバーしている。ともに、1974年の時。 浅野さんはシンシアよりも、妖艶で色気があるから、この曲がマッチすると 思うが、この時、彼女は14才、中学生、いくらなんでも早すぎる。
(無題) 投稿者:シンシアのファン 投稿日:2009年05月01日(金)21時33分28秒ヨハナーンさん 『Cynthia Street』は、おそらくシンシアのファンしか知らないでしょう しね・・・。ボクも、傑作だと思いますよ! あと、個人的に好きなのは 『素顔のままで』と『哀しい妖精』です。
『CDジャーナル』5月号 投稿者:ヨハナーン 投稿日:2009年05月01日(金)07時56分51秒『CDジャーナル』5月号は特集が歌謡曲大百科です。 100人の歌手のアルバム100枚を徹底ガイド、として70年代以降100枚 紹介されています。 その中の17(!)枚目が『南沙織ゴールデンJポップ~ザ・ベスト』でした。 全体的に特に70年代はオリジナルアルバムよりもベスト・アルバムが 選ばれています。 オリジナルの形で入手しづらいのでやむを得ないでしょう。 もし、Cynthiaのオリジナルアルバムで1枚、といったら何を選ぶか・・・と 考えてしまいました。 『Cynthia Street』は一般向けではないしなあ、とか。