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2009年08月 の伝言板を読む
2009年06月 の伝言板を読む
くどいかもしれませんが…、宵宵山コンサート前後の高石ともやさんの インタビューが京都ローカル放送で昨日あって、彼がそう言ってました。 どこかで聞いたような言葉だなぁ。
最近のGoogleのロゴ 今日は皆既日食、先の七夕とロマンチックなロゴが続いています。 上が2009年7月7日、下が今日の7月22日です。 じぶんブログ:http://seascape.seesaa.net/article/123032948.html たった今、硫黄島付近が皆既日食になっています。関東地方は、 雨か曇で、太陽は全く見えません。半分以上太陽が隠れている はずですが、外の明るさは普段とほとんど変わりません。
アグネスから便りが来たので載せます。 8月15日9時~23時NHKFMで今日は一日「なつかしのアイドル三昧」 放送だそうです。www.nhk.or.jp/zanmai/
今年の3月6日は、大岡昇平先生のご生誕百周年の日でした。 ごめんなさい、数日前にやっと知りました。遅ればせながら、 お祝い申し上げます。 大岡昇平研究ページ:http://homepage3.nifty.com/makotose/
昨日、高石ともやの最後の宵宵山コンサートが京都であって、この ページで知り合ったヘイさんと一緒に行きました。鉾だてもみれたし…。 まぁ身勝手なオフ会です。彼とはメールだけの関係でしたけど、 はじめてお目にかかれて、でも他人とは思えず、楽しかったです。 これって、トナカイさんやu3さん、Belloさんたちと知り合えたからだと 感謝します。オフ会の面白さを知ったおかげです。シンシアつながりで、 一人では行こうとは思わなかった宵宵山コンサートに、ヘイさんと 行けたことは、なんとなく満足。 行きましょうかってメール交換していて、チケット予約した翌日に 「これが最後!!」との報道。思わず笑いましたけど、その偶然に 感謝したい気持ちです。 ともかく、このHPがあったこと、それを健全に管理されている管理人 さんに感謝します。
私はライブアルバム『シンシア・イン・コンサート』でしか74年の 中野サンプラザでのコンサートは聴いたことが無いんですが、シンシアに とっても思い出深いライブだったようですね。シンシア自身が『Cynthia Premium』の解説の中でも「ティンパン・アレイをバックに歌った時は 歌手生活の中でも最も贅沢な瞬間ではなかったでしょうか? たった2曲 のた為にあれほどのメンバーが集まってくれたのですから、この上なく 光栄で幸せでした。普通ではありえなかったことが実現したコンサート でしたね。」とまで言われてますから。 ところずっと引っかかってたんですがシンシアが「たった2曲のため」と いわれてる1曲は「夏の感情」だと思うんですがもう1曲はどの曲なので しょうか? もしかしたらアルバムには収められていない曲なのでしょう か? どなかか教えていただけませんでしょうか? それにしても、もっとLIVEの音源があるでしょうから発売が 待ち望まれますね。
ってすごいんですね。 「73年1月,松任谷正隆,林立夫,細野晴臣,鈴木茂らによりで結成。74年7月 ティン・パン・アレイへ発展的解消。」 とのこと。これって「夏の感情」が彼らの最終版に近いってことでしょ? また、「キャラメル・ママというグループ名は当時学生運動に参加している 最中の息子にキャラメルを差し入れた母親がいた、という時事的なフレーズを 細野が引用し、命名。」とのこと。70年安保のことか…。 「…」は、”OOPS”より引用。 どっちにしても、すごいメンバーがシンシアに共鳴したんですよね。 蟹座さんの書き込みで、なんかこれってあったよなって、サーチしました。
どうも、ありがとうございます。 私の自己満足の長文を、読んでもらっていた方がいて嬉しく思いました。 毎月1日に、アップさせてもらっていましたが、7月はどうせなら 2日のシンシアのお誕生日に、お祝いの言葉を添えて書き込もうとしたんですが、 ちょうど1日の朝にPCが故障してしまい、一昨日直ったばかりでした。 仰るとおり、74年頃から、シンシアの曲は大人っぽくなって、 翌年からは、有馬三恵子&筒美京平ラインからも、一旦卒業しますね。 では、また、よろしく。
こんな記事に会いました。 今一分かりません。 誰か説明してくれませんか。 2009.4.15 かねてからお客様のご要望をたくさんいただいておりました「シンシア・ローリー」 が、 イトキンオンラインストアでも購入いただけるようになりました。 セーターやカットソー、ワンピースなどを中心に、雑誌にも掲載されている 人気のアイテムを取りそろえました。 なおシンシア・ローリーデビューを記念して「イトキンオンラインストア」で ご購入いただきました先着100名様には、 ネットでしか手に入らないシンシア・ ローリー限定オリジナルのエコバッグをプレゼント! ぜひチェックしてください!
いつもありがとうございます。 毎回、蟹座さんの月初めのレポートを楽しみにしています。 今月はまだかな、どうしておられるのだろうと、首を長くして待っていた ところです。 個人的にはこのあとの曲からは、シンシアどこへ行っちゃうんだろう…と 少し不安になった時期です。 ではまた拝見できる日を楽しみにお待ちしています。
今月も、この伝言板をお借りして、シンシアのシングル盤を発売順に、 書かせて頂いきます。 今回は、季節的にピッタリの夏の歌「夏の感情」です。 ☆曲目データ ○曲名/夏の感情 ○B面/愛の序曲 ○作詞者:有馬三恵子 ○作曲者:筒美京平 ○演奏:キャラメル・ママ ○ジャケット撮影:篠山紀信 ○発売日:1974年6月21日 ○オリコン最高位:16位 ○売上数:10.9万枚 ○備考:1974年度、紅白歌合戦歌唱曲 ☆この曲が流行った頃(1974年夏) ・北の湖、史上最年少(21歳2か月)で横綱昇進(7月24日) ・ニクソン米大統領、ウォーターゲート事件の責任を取って辞任(8月8日 ) ・ソウルで朴大統領狙撃事件(8月15日) ・三菱重工爆破事件(8月30日) ・シンシア、ハイスクール卒業。 ・私は18才、高校最後の夏休み。 この74年は、前年から、さらに女性アイドルが大量デビューした年。 新人賞を分け合った麻生よう子、西川峰子の他、伊藤咲子、浅野ゆう子、林寛子、 片平なぎさ、太田裕美と言ったヤングアイドルが登場。さらに台湾、香港からも テレサ・テン、優雅、リンリン・ランランが来日。デビュー4年目のシンシアは、 もうベテランであり、フィンガー5の台頭で、「沖縄出身アイドル」という座も 危うくなっていた。 ☆曲想 乗りのよい8ビートで、イケイケ!の夏のラブソング。 アイドルというか若い女性歌手は、夏に、開放的な歌を出すのが定番になっている。 古くは、ザ・ピーナッツ「恋のバカンス」、平山三紀「真夏の出来事」、天地真理 「恋する夏の日」、桜田淳子「夏にご用心」、山口百恵「ひと夏の経験」と 枚挙にいとまがない。 しかし、シンシアは71年の夏、小麦色の肌、沖縄出身、「夏娘」のイメージで 売り出した割には、意外にも、シングル盤で、夏の恋の歌は「17才」と、 この「夏の感情」しかない。夏発売の「純潔」とか「傷つく世代」も夏の季語が ない。 事実上「最後の夏の歌」。そしてこの曲を最後に、シンシアは代名詞でも あったミニスカートを卒業している。 「ヤングアイドル南沙織」として、これが最後のヒット曲だと思う。 実際は、レコード売り上げ、オリコン順位で、前作の「バラのかげり」より、 さらに低下したけれど、視聴者感覚では、この年、最も流行った感があった。 というか、「ひとかけらの純情(8位、23万枚」くらいヒットしたと思っていた。 ☆このフレーズ ○ちょっと際どいフレーズもあり! 今から、見ればそうでもないけれど、それまでのシンシアが歌うのには、際どい 歌詞があってドキっとした。これは、ひとつには74年当時、山口百恵さんの 性を匂わす大胆な歌がヒットしたので、それを意識したのか、あるいは、 シンシアもハイスクールを卒業して「大人の女」に飛躍するためだろうか? 例えば、 ♪みな、わたしのどこかを通り抜けた人たち♪ ♪お陽様の真下で、受け入れても良い♪ でも、シンシアは恥ずかしかっただろうね。そのあと掻き消す様に、 あああああああん、と絶叫していた。 ○制服着た胸で、愛した人いたけど シンシアの口から「制服」って言葉が出たのは違和感があった。 この場合の「制服」って、高校までの制服だと思う。 つまり、まだ初初しい学生の頃、純情だった頃という意味だと思うけれど、 シンシアに制服は似合わない! 「制服」って、日本的なモノ、古い風習、没個性っていう印象が強い。 (1970年くらいから、東京の高校、中学でさえも制服が廃止になっていた) 実際にアメリカンスクールに通っていたシンシアは制服を着たことがない だろうし、シンシアには、そういう旧世代の遺物は似合わない。 それ以前に、この部分の歌詞は♪黒いシャツの胸で・・♪というバージョンも あったらしい。でも、「黒いシャツ」というのも良くわからん。まだ純情 だった頃と言う意味で「白いシャツの胸」なら、分かるが。 ○みな、私とどこかが似ていそうな午後なの この有馬三重子さんの言語感覚は、良いなぁ。「似ていそうな午後」って 物凄く新鮮に聞こえた。 ○新(あら)たに出会うために、また真夏が訪れたの これは、聞いただけで「あなたに、出会うために」と思った人が多い。 というか、紅白の時も、間違って、そのように歌詞テロップが出たでしょう? ☆シンシアのミニスカート この1974年の紅白で、最後にミニスカートを穿いたと言っているが、これは、 スカートの裾が、膝の上に掛かっている程度で、ミニとも言えないほどの 長さだった。 実は、この「夏の感情」が発売される前から「南沙織は、最近、ミニを 穿かなくなった」と言われていた(近代映画6月号)。着々と「ミニ卒業、 ヤング卒業、大人の歌手への脱皮」が計画されていたと思われる。 そこで、次回作は、ぐっとアダルトな「夜霧の街」、そして「女性」と続く。 *B面「愛の序曲」は、B面として好きな曲のベスト5に入る。 これは来月に書きます。
5月13日付で書き込んだNHK『Songs 尾崎亜美』の再放送が 明日深夜(あさって早朝)あります。 チャンネル :総合/デジタル総合 放送日 :2009年 7月10日(金) 放送時間 :翌日午前2:40~翌日午前3:09(29分) 冒頭いきなりCynthiaの「春の予感」で始まります。 映像はSonyからパッケージソフトで出ているよく知られているものですが、 5月にこの番組を見た時は「おぉー」っと思いました。 尾崎さんの「春の予感」へのコメントに続いて、尾崎さんの歌で「春の予感」が 歌われます(詳しくは5月の書き込みを参してください)。 http://www3.nhk.or.jp/hensei/program/p/20090710/001/21-0240.html
マイケル関係の放送が続きますが、その中で誰だったか見落としましたが、 この曲歌ってましたね。たしか3枚目のLP『純潔・ともだち』の中にあった はず。なんか、改めてすごかったんだな、って思います。なんとなく聴いた 曲だな、と思っていたらシンシアも歌っていたんですね。プロデューサーなり スタッフの力量に感服します。でも、アメリカって、やっぱりすごい。 歴史ない分、歴史大切にするんですね。ともかく、帰って聴かねば。
私にも語らせてください。 「ともだち」のイメージは、私の中では『刑事くん』なのです。 ゲスト出演した時、ドラマの中で使われてましたよね。 実は、本放送の後、何年か後、関西の某有名私立大学に受験に行ったとき、 ホテルの部屋のテレビで、偶然にも『刑事くん』の再放送を! しかもシンシアの登場の回を!観てしまったのです!! すげーっ!これって奇跡じゃん!明日も奇跡が起こるんじゃない!? (その某K大学は、私の実力ではかなり難関だったので) なんて思っていたのですが、現実はそんなに甘くありませんでした。 とほほ・・・
浅間山荘と「ともだち」はその当時は結びつかなかったな。事件自体は、 風邪で学校休んでいて、偶然ずっと観ていたのですけど…。「あおぞら」 って…、僕の部屋には白黒テレビしかなかったので(苦笑)。 でも、鮮明に覚えてますよ。その当時は意味分からなかったけど、あとに なってそうだったんだ、って。 「ともだち」って「17才」が売れすぎたものだから、ちょっとかすんだ感じ ですよね。でも、好きな一曲です。但し、サビの部分は難しすぎる!!
Shigeruさん、こんにちは 「ともだち」のころ、中学3年で高校受験というのは、私と同じですね。 なぜか、私も、この曲と「浅間山荘事件」が結びつきます。 テレビを見ていて、最後に機動隊が突入して、事件が終わりましたが、 最後のシーンで、血なまぐさい事件とは裏腹に、抜けるような青空が映ったんです。 そのとき、無意識に「懐かしい、ふるさとの青空を思い出す」と口ずさんでいました。 きっと、シンシアのさわやかな歌で、気分を変えたかったんでしょうね。
何処かで、この記事を読んだ記憶があります。 山陽新聞は、共同通信社からの配信を受けていますので、同様の記事は、 他社にもあったかもしれませんが。 長良川の景色は好きです。岐阜、鏡島付近の景色にホットした、記憶があります。
今朝は久しぶりにウォーキングをしました。 週に3~4回くらい朝に歩いてたんだけど、ここのところ雨が多くて 休んでました。でも今朝は曇りで仕事も休みだったんで7時前に家を 出て1時間ほど長良川沿いを歩いてきました。朝のウォーキングは 清々しくて気持ちがいいです。確かシンシアも引退コンサートの後の インタビューで最近少しづつ歩いてるって言われてませんでしたっけ? 歩きながら聞いているのはシンシアの曲なんですが、「ともだち」が 流れてくるといつも目に浮かぶのが例の浅間山荘事件のシーンと添付の 写真なんです。 今は亡き母が新聞に載っていたシンシアの記事を取っておいてくれたん ですが私は中学3年で高校受験の真っ只中でした。 記事を読むと沖縄返還直前みたいなので「ともだち」がヒットして 少したったころですね。 朝日新聞かもしかしたら当時岡山にいたので地元の山陽新聞かな? 以下、記事の内容です。 ふだんはミニなの 南沙織さん -歌手ー あす-5月15日。沖縄が帰ってくる。 Qうれしい? 「うん。やっぱりね。」歩道をピョンピョンと飛ぶように歩きながら、 彼女の声もはずんでいる。 「私もうれしいけど、両親のほうが喜んでいると思うわ」 沖縄にいる両親とは2週間に一度ずつ電話で話す。 「電話料、3分間1050円。最低30分くらい話すからネ、大変なの」 紺のパンタロンに、イカリの模様をプリントしたまっ赤なシャツブラウス、 短い白いベスト。買った店、値段は覚えていないという。トレードマークの 長い髪が初夏の風になびくたびに、東京・銀座の人通りが振り向いてはとまる。 「学校行けたら最高なんだけどナ」 沖縄の高校から転校したが、こちらの高校には通うひまもないほど人気者。 ブロマイドの売れ行きは一番だそうだ。 「いっとう好きなのは幾何。将来の志望は歌手じゃなくて、ほんとうは 弁護士なの」 フィリピン人のお父さんゆずりの浅黒いハダに、シャツの赤さやベストの 白さがよく似合う。長い足にはいたパンタロンもカッコイイ。 「でも、パンタロンって、あまりはかない。いつもミニばかり。今日は、 急にパンタロンはく気になったの」 皮の細工が面白い味を出している小さなバッグのひもをくるくるもてあそぶ 手の指にバンソウコウ。 「安全ピンで刺しちゃったの」 まっ白い歯がこぼれた。 当時はシンシアにとってもいろいろと大変な時期だったと思いますが 初々しいですね~。
シンシアファンなら女性2人のフォークデュオ「シモンズ」のことは ご存じだと思います。昭和46年の日本レコード大賞では、シンシアと 同時に「恋人もいないのに」で新人賞を受賞。シンシアも歌った「明治 チェルシーの唄」の初代シンガーでもあります。 そのシモンズの田中ゆみさんは、昭和28年1月生まれの56歳、既に お孫さんもある“おばあちゃん”ですが、地道ながらいきいきと音楽活動を 続けておられて、透き通るようなソプラノも健在ですし、いまだに若々しさ と爽やかさを維持されています。 ゆみさんは大阪府池田市在住で、大阪や京都のライブハウスを中心に ライブ活動を続けておられます。活動内容はご自身のブログ「シモンズ・ Yumiのブログ」で詳しく紹介されていますが、この7月25日には大阪府 守口市でシモンズ結成40周年を記念したコンサートを行われます。 ジャンルは違いますが、シンシアが活躍した70年代の雰囲気を味わいに 出かけたいと思っています。 関西のシンシアファンの皆さんもいかがですか。ゆみさんのブログを 通じて申し込むと、ご本人のサイン入りカードもついてチケットを購入 することができます。まだチケットはあるそうですので、おすすめかと 思います。
明日の課題は、シンシアの英語の曲、それだけで何というんでしょう、 自分だけの…!。 ただ、迷うのは日本語バージョンで歌っているやつ。なんだっけ、 「夢見るシャンソン人形」でしたっけ?、あれって、他の歌手も いっぱいカバーしているけど、シンシアがダントツだと思いません? これは入れなきゃならないな。といいつつ、「オーシャンゼリーゼ」 も入れなければと思い起こす現在。なんか、シンシアのファンって、 曲から入った人は、そこのところで共感していただけるのではないか と思います。やっぱリズム感の違いなのでしょうか。悩むから、前半 のB面と後期のやつセレクトします(笑)。
一日遅れでごめんなさい。 Cynthia、お誕生日おめでとう! おめでとういう年齢じゃないかも しれないけど、あの日「南沙織」という名前で、私達ファンの前に立って くれたことで、どれだけの人が勇気とがんばりを考えたことでしょう。 就職して一年目、先輩に何をやっても小突かれ、怒鳴られ、寮に帰っても、 私が何をしていようとお構いなしに「オイ!○○煙草買って来い! お菓子 買って来い! 酒買って来い!」今でいうパシリの毎日、嫌気がさして 会社辞めると何度も親に言っても「辞めて帰ってきても玄関またがせない から」一言、嫌々仕事していた頃に、あなたのデビュー曲「17才」が カーラジオから流れてきて、思わず運転席に乗り出して「今の誰? なんて いう歌?」と聞いて「知るか!」の一声、何度も何度もその日に流れて 中部地区のサオリスト1号?が出来上がってました。 Cynthia すてきなおばあちゃんでいいから元気でいてください、 私もちかぢかおじいちゃんになりそうな気配が。
シンシア、お誕生日おめでとうございます。 あなたがこの世に生を受けたことでどれほど多くの人がHappyに なれたことでしょう! これからもお元気でお過ごし下さい。 そしてご子息の成功もお祈りしています。
7月2日。シンシアお誕生日おめでとうございます! 今日はシンシアのことを思いながら1日仕事をしてました。 昭和53年。僕が小学3年の時、ブラウン管の向こうにうつるシンシアは 少し地味なお姉さん...。いつもロングスカートばかりで、派手な衣装に すればもっと人気が出るのにと生意気にもそんなことばかり思ってました! でも笑顔がやさしく、上手く言えませんが自然な雰囲気がとても好きでした!!! そんなシンシアが引退して30年以上経ちますが、今でも心の中に鮮明に 残っています。シンシアのことを思い出すといつもほのぼのとした気持ちに なれます! この伝言板をシンシアも見ているかはわかりませんが、いい思い出を ありがとうと言いたいです。元気なお姿を見たい気もしますが... これからも健康に留意され頑張ってください! Happy Birthday!
シンシア、お誕生日おめでとうございます。紀信さんの奥様として、 息子さんたちのお母さんとして、そしてシンシア自身としての幸せを 願っています。明るく元気なおばあちゃんを目指してください。
シンシア誕生日おめでとうございます。ファンの私にとっては、 今も幸せにしてくれ・喜び楽しみを与え続けてくれる大事な存在です。 シンシアも楽しく充実した日々をお送り下さい。
お元気ですか? 久しぶりの投稿ですね。直接送ってもいいのですけど、 ここに掲示させていただきます。連絡取らずにいてすいません。 みんな忙しいですね。 書き込みしていただいてうれしいです。しんどいでしょうけど、是非、 これからも書き込んでください。 シンシアの復活、ってのは彼女自身の決意ですけど、なんかあるのでは? と、今日はシンシアの誕生日。勝手に希望すれば、英語で良いから、 なんか本を書いてほしいな。
シンシアお誕生日おめでとうございます。これからも、ご家族とお元気で。 そしてたまにはTVで、お顔を見せてくださいね。
早速注文します(笑)。面白そうですね。 今は、『ともだち』のB面の「いつか逢うひと」に夢中。これもいい曲ですね。 『ともだち』、は予想通り、最後のサビのところで急に♭が5つもついて、 パニくっています。まぁ、一日20分程度の練習ですから、どうなることやら…。 今日のオフ会、楽しいものとなりますように。
32・33ページ
16・17ページ ほぼWEBと同内容の記事です。17ページに載っているのが嬉しいです(^o^)
表紙からも沖縄の雰囲気がします。
新しい本が出ました。発売中の週刊文春7月9日号の書評欄(文春図書館) で『アメリカのパイを買って帰ろう』が紹介されました。 さっそく買いました。これはウェブ上に連載された記事を加筆した本です。 去年12月7日に紹介しています。 シンシアの実家近くにある「ジミーズ」について、ものすごく詳しく書かれて います。 シンシアがデビューして38年、今年もシンシアの事が書かれた本が出ます。 何て素晴らしい事でしょう。 『アメリカのパイを買って帰ろう-沖縄58号線の向こうへ』 駒沢敏器著 日本経済新聞出版社 2009.5.25初版 1,700円
シンシア、誕生日おめでとうございます。今日もあなたの話が 載っている本が新刊で出版されています。あなたの栄光は永遠です。 今年も幸せな一年でありますように。
ここは一番のりか?(笑)。ご本人は、それほどうれしいとは思わない かもしれませんけど、お誕生日おめでとうございます。いつまでもきれいで いてください。それだけで十分です。失礼ね、って言われそうですけど(笑) ヨシムラさん、ありがとうございます。「透き通る夕暮れ」、チャレンジ します。音がとれないだろうな。でも楽しいですよ。20分限定でやれば。 「めぐりあいたいの私、海のような大きな人に」だけはマスターしよう。 自分勝手な音感で。 30年ほど前、ギターが流行っていて、高校の部活の忘年会で、丸山圭子 (だったっけ)さんの「どうぞこのまま」を弾いたな…。もちろん 「木枯しの精」つながりで(笑)。あれはわりと簡単だったんだ。
bettiさん、声かけありがとうございます。以前は明星・平凡に 楽譜付きで新曲紹介とか、ヒット曲が掲載されてましたが、最近は 楽譜自体を見る事が無くなりましたね。明日のシンシアの誕生日から、 是非、「透き通る夕暮れ」練習開始して記念曲に成ると良いですね。 がんばって
いよいよ明日はシンシアの誕生日。おそらく大勢の皆さんから お祝いのメッセージが寄せられることでしょう。 ところで本日読売新聞の「YOMIURI ONLINE」新おとな欄に麻丘めぐみ さんのインタビュー記事が掲載されていて、その中でシンシアのことが 書かれていました。内容的にはとりたてて新しいものではありませんが。 ご参考までに。
”ドドドレミミレドラソ」でしたっけ?、『ともだち』の出だし。 電子ピアノなるものを買いまして(結構安く)、気分が向けば、ひく、 とまでは絶対にいえない!!(笑)。音を楽しんでいます。今日は 「ともだち」にします。 “あの人にだけ”ってところ、半オクターブ上がるんですよね。 確か二番だったはず。さてと、どこまでたどり着くことやら(笑)。 もちろん、片手ですけど(苦笑)。一応「17才」はある程度まで…。 あと、「ひとかけらの純情」…、「ミミソファミレドシラ」だったっけ?。 本当に弾きたい曲って何なんだろう?発表する機会もないし、実力も ないけど…、なんか考えておきますね。本当は「透き通る夕暮れ」 なんだけど、あれ楽譜あります??
bettiさんに賛同して書き込みをします。 あの不快な書き込みをちょっとでも↓に押し込むために、たまに出て くるんですよね、わけのわからん事を書き込むのが。 プロダクションを立ち上げたい? 資本は他人任せ、自分は社長の 椅子にに座りたい? あつかましいというか、ずうずうしいというか、 彼女がその気になったら信頼している人へ相談するでしょ、真っ先に ご主人の紀信さん、デビュー以来のお付き合いがあるSさんあたりへ。 無視を決めてましたが,まだ↓に残っているし!。 彼女の誕生日は私の父親の命日、忘れようとしても忘れられない日 なんです、Cynthia歴○○年、見えない糸でがんじがらめのトリコです(笑)。