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2009年11月 の伝言板を読む
2009年09月 の伝言板を読む
すでに、youtubeにupされちゃてますね。
情報ありがとうございます。見逃しました。地域によってはこれから 放送の地方もあると思います(週遅れで)。そちらの方が見逃しませんように。
10月28日の『ザ・ベストハウス123』を見てたら、シンシアの歌声が…! 伝説のCMシリーズの第3位に、パナソニックの「きれいなおねえさん」の 初代水野真紀のコマーシャルが。で、そのBGMにシンシアの「青空」が 流れていました。 予期せぬところで懐かしい人に出会ったような、手を止めて聞き入って しまいました。コマーシャルも全編流れたので、シンシアの声も結構 聞けました。 復帰第1作のシングルでした。懐かしいなぁ。また歌ってくれないかな。 青空を浮いてるようなPVもよかったな。皆さんも見ましたか? 全然有り得ない場所で見つけると、得した気分になりました。
“レコード針 感動刻み続け ◇ファンいる限り生産継続、懐かしい記憶守り抜く◇” 長岡秀樹(ながおか・ひでき=ナガオカ社長) ナガオカ(山形県東根市)は、国内のレコード針のほとんどを作るメーカーと して知られる。創業者の祖父、デジタルの荒波に耐えた父、そして私は3代目の 社長として経営の任に当たる。 1980年代後半、夏の日の深夜だった。社長の父、長岡栄一が自宅のリビングに 当時20歳の私を呼び出した。「CDはレコードより優れているのか。レコードは 無くなってしまうのか」。思い詰めた表情だった。 「レコードを聴くファンはいなくならないよ」。そう言うと、父は私をまじまじ と見た。予想外の答えであったらしい。 -CD登場で販売激減- 国内のレコード針の売り上げは激減していた。ピーク時は月産100万本を誇った が、89年は数千本に。82年に世に出たCDは86年に販売枚数でLPレコードを 抜き、一気に主役に躍り出た。十数年かけてCDが普及した欧米と比べると、 日本はまさに“雪崩を打つ”という表現がふさわしかった。 「返品がとまりません」「倉庫は在庫の山です」。現場の悲鳴は日に日に 強くなる。父は決断を迫られた。私の一言は背中を押す一助になった。それは レコード針を作り続けることだった。 資産を整理して90年に会社を解散。最盛期に千人超いた社員を数十人に削減、 山形ナガオカ(現ナガオカ)を残し、ナガオカ精密(山梨県大月市)と販売会社 ナガオカトレーディング(東京・渋谷)を新設した。針の生産継続のためだった。 針メーカーの多くはすでに消えた。私たちは世界の需要の8割超を占める 製造会社になった。そのころ、父はよく私につぶやいた。「世界に何十億枚と あるレコードも捨てるのか。時代遅れという理由だけで」。レコードの溝に 刻まれた音源と共に、人々の心に刻まれた懐かしい記憶までも捨て去ってしまう ようで悲しかったのだと思う。 レコードファンは喜んでくれた。続々と手紙が届き、多いときはダンボール 数箱分になることもあった。父は一枚一枚に丁寧に目を通した。91年の雲仙・ 普賢岳の噴火災害で被災された方からいただいた便りが、私は印象深い。 土石流で家が流された初老の男性だった。残された倉庫でホコリをかぶった レコードプレーヤーを発見、若いころに聴いた曲をかけてみたという。 「思い出がよみがえり、涙が止まりませんでした。レコードが聴けなくなると、 生きる勇気がなくなってしまいます。これからも頑張ってください」 こんな温かいお客様の心に触れ、父の決意は揺るぎないものになった。 「レコード針で飯を食わせてもらったんだから、しばらく続けようや」と言って いたのが、いつしか「オレは絶対にやめないぞ」に変わった。 -事業多角化で活路- 私は外資系のコンピューター会社を退職して97年に入社。2003年、ナガオカ トレーディングの社長に就任した。以後、父や先輩と共にレコード針に頼らない 事業の多角化に挑んできた。“硬くて小さいものを加工する”原点に立ち戻る ことが突破口になった。 そもそもが我が社の前身は、40年設立の長岡時計用部品製作所。機械式時計用の 軸受け石を作っていた。終戦後、日本に進駐した米軍が蓄音機に使うレコード針の 不足に悩み、精密部品の扱いに秀でた当社に製造を打診したのが始まりだった。 つまり針は大本の技術の枝葉でしかないはずだ。 精密測定機器用の触針や小型マグネット、大規模集積回路の検査用プローブピン (先端部品)と、経営の多角化に成功。現在、総売り上げに占めるレコード針の 割合は10%程度にすぎない。 それでも、人はナガオカを「レコード針の…」と言う。この事実を私たちは 誇りに思う。今年亡くなった父から教わったことが多々ある。特に心に刻んで いるのは、お客様に喜ばれることが仕事の絶対条件であるという事実だ。 ナガオカが正道を歩んだ証しが呼び名に込められている。私はそう信じている。 -月産4万~5万本維持- 20年前の私の“予言”は当たった。針の国内の売り上げはこの10年、月産 4万~5万本で推移。DJブーム、レコードへの回顧の動きは00年から毎年の ように起こった。さらには長年レコードを愛し続ける人が時代を超えて 存在する証明だと思う。 この先、世代交代が進んでも、デジタルオーディオが技術革新を遂げても、 私たちは針を作り続けているだろう。半世紀にわたってレコード文化を 守った責任があると思うから。 〔日本経済新聞2009年10月27日(火) 朝刊44面 “文化”〕
今更ですが、先日加藤和彦さんが亡くなられました。 加藤さんと安井さんご夫婦の曲「青い服の想い出」は、アルバム『哀しい妖精』 の中での白眉。とても好きでした。 安井さんの詩がなくては『Cynthia Street』はなかったし、今でも、あそこから すっぱり安井さんにシンシアの作詞をまかせていたらと、時々思ったりもします。 もうお二人ともいらっしゃらないという事実は、とても切ない。 ご冥福を祈ります。
南田洋子さんは、長門裕之さんとミュージックフェアの司会を されていました。3代目司会者として、お二人は1965年6月7日から 1981年12月24日放送まで務めています。 シンシアも三度出演しています。1976年の出演では、あおい輝彦さんと 「あの素晴しい愛をもう一度」をデュエットしています。この曲は 加藤和彦さんの作曲です。 (ウィキペディアより) 『ミュージックフェア』(フジテレビ) 1974年11月12日 - よしだたくろう、かまやつひろしとともに出演 1975年05月13日 - あおい輝彦、麻丘めぐみとともに出演 1976年09月28日 - あおい輝彦とともに出演 今回の訃報を聞いて検索したら、南田さんと長門さんのHPを発見しました。 シンシアが1974年に出演した時の写真も載っています。 長門裕之・南田洋子の人間プロダクション:http://www3.ocn.ne.jp/~nin-pro/index.html シオノギ製薬:http://www.shionogi.co.jp/company/program/musicfair.html ミュージックフェア:http://www.fujitv.co.jp/mfair/
先週16日に加藤和彦が急逝されました。享年62歳、 ご冥福をお祈りします。 今日になって、南田洋子さんがお亡くなりになりました。 享年76歳、こちらもご冥福をお祈りします。 お二人とも旅立つには早すぎるお年であり、歌謡曲ファンと して、慚愧に堪えません。
サントリーが開発した青い薔薇が、いよいよ来月から発売されます。 商品名が「アプローズ(APPLAUSE)」、サントリーのHPによると、 「喝采」の意味があり、花言葉は「夢かなう」だそうです。 「夢かなう」なら、青い薔薇を贈りたいですね。 (サントリーのHPより) 「青いバラ」開発の概要 現在栽培されているバラは、世界各地の野生種のバラ数種を人為的に 交配するという品種改良によって作られています。四季咲きのバラや 黄色いバラも、育種家の情熱と英知により、生み出されました。 青いバラは、過去800年の品種改良の歴史の中で、多くの育種家が 挑んできた夢でした。青いバラの開発はこれまで成功しておらず、英語 では、「不可能」の代名詞とも言われていました。「最先端のバイオ テクノロジーの遺伝子組換え技術を用いれば可能になるはず」。これが 夢への挑戦の始まりでした。 以来、14年の年月を経て、2004年にようやく開発の成功をご報告 できる運びとなりました。青色色素が花びらに存在する、正真正銘、 世界初の青いバラの誕生です。 「サントリーブルーローズ アプローズ」、いよいよ11月3日より販売します。 http://www.suntory.co.jp/company/research/hightech/blue-rose/index.html
加藤和彦さんの死去、残念です。 『ミュージックフェア』で、あおい輝彦さんとデュエットしてたシンシアを 思い出しました。何か別の曲のように感じました。強くって、透き通っていて、 ちょっぴり哀愁があって…。そんな記憶です。カラオケに行くと、それを 思い出して周りの雰囲気に合わせて歌うのですが、原曲とは合わない!! でも、シンシアを通じて、色々な曲を知れたことに感謝。 話し変わりますが、「六本木」の件ですが、ずっと考えているのですが、 ムード歌謡には出てきてないですよね? あるんだろうか?
JASRACの作品データベース検索は、カバーした人の一覧も出るのですね。 「17才」は、よく知られている人たちの他に、マイクハナサーズ、 ギムガメイツ、ギルガメ セクシー メイツ、神山純一&ティム・ ハーデン・トリオ、ヒッパレオールスターズ、ナツメタル LADIES、 後藤沙緒里らがカバーしているようです。 データは完全ではないようで、水島ゆみ「さよならは貴方から」、 NOVA「愛なき世代」なんかはヒットしません。
> 辞書サイトWeblioで検索すると、意外にも「六本木」の題名の歌は > シンシアがお初のようです。 そんなはずはないはずと思い、JASRACの作品データベース検索で検索すると、 たくさんヒットしました。全部は調べられないので実際はどれが最古か わかりませんが、ヴィレッジ・シンガーズの「六本木の雨の中で」は 1970年6月の発売だそうで、Cynthiaの「六本木」よりは古いです。
“荻野目洋子でたどる昭和の若者風俗史” かって荻野目洋子が歌った「六本木純情派」('86年)と「湾岸太陽族」 ('87年)は、戦後の若者風俗をなぞる格好の昭和の歌謡曲だ。 「湾岸太陽族」で歌われたのは、'56年に葉山や厨子あたりに登場した “太陽族”。'56年当時ヒットした映画『太陽の季節』で描かれた青春時代の 風俗にあやかって名付けられた若者たちのことだ。 原作は、石原慎太郎による同題の小説で、芥川賞受賞作。主演の石原裕次郎 は慎太郎の実弟で、本作で映画デビューを果たしている。 映画では、アロハシャツとマンボズボンにサングラスといういで立ちで、 親に買ってもらったクルマを乗り回し、湘南あたりでパーティーに興じる 中産階級の子弟として描かれていたが、まさに裕次郎の実生活がモデルでも あったのだ。 太陽族の直後の時代には六本木族が登場。彼らも中産階級の若者たちで、 大人の街である銀座を避けて六本木に集まり、テレビ局に出入りする ロカビリー歌手やニューフェイスと呼ばれる若い役者たちなどと遊び 歩いていたという。 本来なら「六本木純情派」や「湾岸太陽族」のあとに“みゆき族”や “アンノン族”、新宿の“フーテン族”や原宿の“竹の子族”と続いても よかったが、荻野目の昭和路線が、そこまでフォローすることはなかった。 ところで昨今の“族”文化といえば何か? “族”の系譜を研究する 社会学者の難波功士によれば、'80年代末の渋カジ族以降“族”集団が 消えて渋谷系や裏原系といった“系”へと変化したと指摘。 確かに“アキバ系”をはじめ、“ギャル系”や、“お姉系”、 “カワイイ系”など、今どきの若者ファッションをはじめ、トライブ (tribe)はみんな、“系”でくくられることが多い。 (『週刊アスキー』2009年10月27日号「恋のDJナイト-速水健朗-」P109) -解説- 『週刊アスキー』に“六本木”をテーマにした記事があってので抜き書きます。 シンシアは1975年アルバム『人恋しくて』に「六本木」を収録しています。 今もですが、“六本木”って憧れの地です。でも近寄る勇気もない魔窟の ような雰囲気があります。辞書サイトWeblioで検索すると、意外にも 「六本木」の題名の歌はシンシアがお初のようです。 文中のトライブ(tribe)は、この場合は、趣味を同じくする集団のような意味です。 〔六本木をテーマにした楽曲 〕(Weblioより) 六本木 / 南沙織、アルバム『人恋しくて』(1975年12月5日)に初収録。 六本木ララバイ / 内藤やす子 六本木心中 / アン・ルイス、後に相川七瀬、デーモン小暮がカバー。 六本木純情派 / 荻野目洋子 ROPPONGI-雨 / 米米CLUB、アルバム『PUSHED RICE』収録。 六本木レイン / 研ナオコ 六本木のベンちゃん / 小林克也&ザ・ナンバーワンバンド+嘉門雄三(桑田佳祐)、 六本木にちなんだ呼称が多数登場する。 よくやるね / 和田アキ子、歌詞の中に「飯倉片町」が出てくる。 六本木~GIROPPON~ / 鼠先輩 Roppongi Blues / フィリップ・セス Weblio:http://www.weblio.jp/
即答下さりありがとう御座います。シンシアを楽しむと共に、 もっと勉強します。
「あなたの胸で泣けるまで」は 作詞 工藤哲雄 作曲 都志見隆 編曲白井良明さんです。『Anthology』のdisc 5に入っています。
未発表曲だと知りませんでした。マイチュウブでダウンロードして 歌詞は憶えました。作詞者が判りません。何方かご存知でしたら、 是非教えて下さい。凄くスピリチュアルな印象を受けて、シンシアの 感覚であって欲しい希望を持ってます。宜しくお願いします。
京都の伏見桃山城キャッスルランドでコンサートがあったな。 今はなき市電の始発に乗って近鉄に乗り継いで、はるばるいったような 記憶があります。友達と待ち合わせていたのに来なくって、一人で走って いったのでありました。会場に7時前についたら20人ほどいて、自由席 なので開園してから猛ダッシュ。何とか最前列を確保。曲とかは覚えて おりませぬ(苦笑)。はじめて間近にシンシアを観たものだから、呆然 状態。「は~ぁ…」、って感じ。ビジュアルで彼女を好きになったとき でした。鉄柵があったので握手は無理だったな。 ふわふわとした感じで歌を口ずさみながら帰宅したら、祖母が亡くなって いた!!。急死でした。昨日は命日。おかげで今でも言われます。 「あんたはあの時南沙織のコンサートに行っていたんやな」と(苦笑)。 さらに祖母の死に立ち会った9歳年下の弟からは、「もうほんまに…、 大事なときにいないんやから…」とまで。でも、「そのおかげで南沙織は 覚えられたし・・・」とありがたいお言葉。年上の人とのコミュニケーション に役立つとか。 先日の大阪ミニオフ会でも、キャッスルランドの話で盛り上がったので ありました。もう34年前の話か…。
日本テレビで毎週17時からの30分番組、『所さんの目がテン』 (通称=メガテン)の今日のテーマは「アイドル」です。テーマを 科学的に取り上げる番組なので、どんな展開になるか楽しみです。 http://www.ntv.co.jp/megaten/ -同日訂正- 番組の放送は、来週10月17日でした。訂正します。
関西テレビ『よーいどん』って番組で、火曜日になつかしの歌シリーズ みたいなものをやっていて、今週は、タイトル忘れたけど、「懐かしの アイドル」的なテーマでシンシアは堂々5位に!! 円ひろしさんが メインの番組です。録画しておいてよかった。男女別、大阪の人の 梅田近辺でのアンケート結果です。 女 性 男 性 1位 松田聖子 沢田研二 2位 山口百恵 田原俊彦 3位 中山美穂 近藤真彦 4位 キャンディーズ 郷ひろみ 5位 南沙織 舟木一夫 との結果でした。満足です。「17才」のジャケットがあって、 46年の出来事のニュースが流れます。紅白にシンシアが出場って、 スポーツ新聞に出たんですね。その記事とか。あと100円公衆電話が できたとか、関西だけですけど京阪電車にテレビ車両が設置された とか、そんなその当時のニュースも流されていました。あとのトーク でも結構取り上げられていて、篠山さんのことはさておき、半田健人 さんのコーナーなんですが、「Rose garden」が流されて、京平先生が、 シンシアに「何が好き?」、って聞いて、彼女が「Rose garden」って 答えたら、それをモチーフに「17才」をつくったとかという、まぁ 我々にとっては当たり前の話ですが、そのあとにもう一度「17才」が 流され、シンシアの話題で時間は持ったのでありました。多分、その 占有率(?)で言えば、もっと上位にランクアップされていると 思います(笑)。
シンシアが引退コンサートを行った1978年10月7日から31周年の日を 迎えました。今年は台風18号が近づいていて、日本中ほぼ雨の一日でした。 最近は、各テレビ局が秘蔵映像を出してアイドル特集を組んでいます。 輝くばかりのシンシアの笑顔がテレビから流れてきますように。
蟹座さん。いつもありがとうございます。自分帰りみたいです。 「女性」は、僕が13歳のとき。TV番組覚えてませんが、そのバック 映像が、冬から春に変わるってなのが流れていて、綺麗だったこと 覚えています。それまであまり好きではなかった曲ですが、その映像を 見て急に好きになりました(苦笑)。雪で覆われて凍てついていて 見えなかった川の流れが姿(?)を現すという感じのやつでした。 そして、透き通った青空が…。そのころ、『エースをねらえ』が 流行っていて、「冬きたりならば、春遠からじ」って宗方コーチの 訓えが…。 でも、この歌詞って、キャンディーズの「春一番」とかぶっています ね。メロディーラインが違うだけ。 この頃やっと、コンサートに行くことを許されたのであったことも 想い出しました。
デビュー直後の映像が流れましたね。 あの映像は、数年前にも同番組で放映されてましたが、何回観ても 本当に初々しいですね。白いTシャツで歌っているのは、どこかの 海辺のイベントみたいですが、歌っている曲は「島の伝説」!です。 口の動きで判りました。あと、当時それしか曲が無かったんですね。 生で観れた聴けた人が羨ましい。スポ二チには、他にもたくさん シンシアの映像が残ってると思いますから、めぐみさんのように 『全員集合』の歌唱映像とプラスして発売してくれないですかね、 ソニーさん。
今回も年代順にその年の曲をかけていきます。1971年の演歌・歌謡曲 部門の第3位は「17才」、第2位は「また逢う日まで」、第1位は 「私の城下町」でした。第1位の小柳ルミ子さんは、スタジオにいて 生で歌っています。 「17才」ですが、21時半頃に映像が流れています。ほぼ1番を 歌っています。 映像は、1971年のものです。ファーストアルバムのジャケット写真の パンタロンのシンシアが映っています。ブランコに乗り、マイクで歌い、 銀座の歩道を歩いています。 この映像は初めて見ました。テレビ東京、やればできるじゃん。 大感謝です。
今月も、この伝言板をお借りして、シンシアのシングル盤を発売順に、 書かせて頂きます。 ☆曲目データ ○A面/女性 ○B面/人のあいだ ○作詞者:有馬三恵子 ○作曲者:筒美京平 ○ジャケット撮影:篠山紀信 ○発売日:1974年12月21日 ○オリコン最高位:23位 ○売上数:9.3万枚 ☆この曲が流行った頃(1974年12月~75年4月) ・昭和48年(’73年)秋に起きたオイルショックによる不景気・社会混乱も、 この時には収まった感があり。落ち着きを取り戻していた。 ・新しい昭和50年代が始まり、新時代の到来の予感がした。 ・ザ・ピーナッツが引退表明(2月18日)。 ・大相撲3月場所は、大関貴ノ花が初優勝、ブームを起こす。 ・私は高校を卒業。 ☆題名 「女性」、この一言、シンプルで驚いた。 ☆ジャケット 失礼ながら、紫のフードを被り、寒々しい表情、曲のイメージに合って いない気がする。むしろB面の「人のあいだ」用なら分かる。 ☆曲想 昭和46年6月から始まった、有馬三恵子&筒美京平の世界が、ここで 一旦完結した。正確に言うと、次の「想い出通り」まで、この二人の 作品だけれど、これはなにか「おまけ」みたいな気がする。 「17才」から始まり、出会いの春(「ともだち」、「早春の港」)、 熱い恋の夏(夏の感情)、別れの秋(「潮風のメロディ」、「色づく街」) を繰り返しながら、少女から、大人の女性に成長し、ここに完成。 季節は冬が終わり、春の到来。 イタリアンポップスを思わせる明るいアレンジ。 ♪好きな人との命育てたい ♪いつか若草つけた花嫁になるの 結婚・出産を思わせる大人っぽい歌。 それまでの少女・シンシアにはない世界。 いまから考えると、20才の女の子が歌うには、ちょっと早すぎる感が あるけれど、当時は、もうそれくらいの年齢で結婚を考える時期だった。 いや、当時でも早いなぁ。 小柳ルミ子さんも、20才の時に「瀬戸の花嫁」を歌ったが、歌詞に ♪若いと誰もが心配する♪とあるしね。 シンシアの第一期は、ほぼ私の高校時代と重なる。 私も昭和50年春に高校を卒業。 この歌のように、自由に羽ばたけるような気がした(苦笑) まぁ、新しい世界が広がったのは事実。 ☆B面『人のあいだ』 第一期の作品には、珍しく冬を歌った曲。 ♪わけもないのに、つらい日はやさしい人に逢いたい。 ♪街に木枯らし吹いてると、愛する人に逢いたい。 これも派手さはないが佳曲。 来月は、「想い出通り」を取り上げます。
昨日のTBS特番の興奮も覚めやらぬ今日、テレビ東京で3時間の歌番組が。 恒例の『名曲ベストヒット歌謡』です。 番組欄にシンシアの名があります。今年の4月の放送とほぼ同じ展開になる と思います。詳しくは次の投稿をご覧下さい。 “名曲ベストヒット歌謡(09/4/9)”投稿日:2009年04月12日(日) (番組告知) 名曲ベストヒット歌謡 昭和40年代!演歌&歌謡曲・フォーク&ロック大特集 テレビ東京 2009年10月1日(木) 夜7時57分~夜10時48分 人気の昭和40年代を、「演歌&歌謡曲」と「フォーク&ロック」の2つの ジャンルに分けて、各年ごとのベスト3を発表。数々の名曲を秘蔵VTRと 生歌唱で紹介します。 (番組内容) 昭和40年、エレキギターブームに始まり、今までとは違うジャンルの 「フォークソング&ロック」が若者たちの間で盛り上がり始めました。時は ちょうど、いざなぎ景気の時代。日本が一番元気だった、そして昭和の歴史 がギッシリと凝縮された時代だからこそ、日本の音楽も歌謡曲・演歌のみ ならず、フォークやロックと、多方向に花開きました。そんな40年代の 名曲の数々を大特集します。 (特集) 『アニメからドラマまで!TV主題歌』 昭和40年代は、テレビの普及とともに子供から大人までアニメ・ドラマに 夢中に。それと同時にテレビから流れる主題歌が大ヒットしました。 「レオのうた」弘田三枝子、「さらば涙と言おう」森田健作、「魔法使い サリー」スリーグレイセス、「太陽がくれた季節」西口久美子など、人々を 魅了した名曲の数々をご紹介します。 『フォーク男女デュオ』 フォークソングブームの中、男女が奏でる絶妙のハーモニーで数々のヒット 曲が生まれました。トワ・エ・モア、チェリッシュ、ダ・カーポなど、 聞く者が癒される名曲を秘蔵VTRと生歌唱でご紹介します。 (出演者) 【司会】竹下景子、モト冬樹 【ゲスト】大信田礼子、小柳ルミ子、新谷のり子、スリー・グレイセス、 平浩二、ダ・カーポ、パープル・シャドウズ、弘田三枝子、マイ・ペース、 山本リンダ http://www.tv-tokyo.co.jp/contents/newtitle/2009/09/040905.html
『ヘキサゴンII』がおわって、トナカイさん情報でチャンネル変えたら、 シンシアの「17才」が!! しかも天地真理・小柳ルミ子を抑えて トップで!!! なんとなく嬉しかったです。というか、無理だと思って いたから。多分あれはレコ大でしょうね。シモンズがいたから。 あべ静江さんの「水色の手紙」聴いていて、アレンジ変えたらいいのに、 って思った。おそらく少しは変わっていたのだろうけど、昔の名残をっ てなことで、ある意味無理が見えた。今の彼女で歌って欲しかったな。 無理しなくていいのに…。 ってなことで、Cynthiaにも、アレンジ変えて歌って欲しいな。昔の歌を。