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2015年01月 の伝言板を読む
2014年11月 の伝言板を読む
『ミュージックフェア』の再放送で珍しい映像が観られたのは 良かったですねCCも出ましたし。 今年はまあまあかな。 来年も皆さんにとって良い年であります様に。
発売中の『週刊現代』2015年1月3・10日号には、 二つの歌謡曲に関する特集があります。 一つは、1972年の紅白を語る企画です。 “視聴率80%超え「1972年の紅白歌合戦」を語ろう” 164~167ページ 水前寺清子 美川憲一 下平源太郎(NHKプロデューサー)![]()
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発売中の『週刊現代』2015年1月3・10日号には、 二つの歌謡曲に関する特集があります。 二つ目が、“「スター誕生!」の時代”です。巻頭カラーグラビアで8ページです。![]()
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『ニッポン戦後サブカルチャー史』が再放送(12/31深夜1:15) NHK教育放送(Eテレ)で、『ニッポン戦後サブカルチャー史』の 再放送が始まりました。 今晩深夜に第2・3回、大みそか深夜に第4・5回が放送されます。 第4回では、「17才」が流れます。詳しくは、今年10月5日の投稿をお読み下さい。 (Eテレ放送日―時刻は全て午前。第1回は29日深夜1時40分放送) 12/30(火)1:40 第1回「サブカルチャーはいつ始まったか? 戦後~50年代」 12/31(水)1:25 第2回「60年代新宿カルチャー/大島渚は何を撮ったのか? 60年代(1)」 12/31(水)2:19 第3回「劇画とナンセンスの時代~「カムイ伝」と「天才バカボン」~60年代(2)」 01/01(木)1:15 第4回「深夜ラジオと音楽革命 70年代(1)」 01/01(木)2:09 第5回「雑誌ワンダーランド 70年代(2)」 01/02(金)1:35 第6回「What's YMO~テクノとファッションの時代~ 80年代(1)」 01/02(金)2:29 第7回「「おいしい生活」って何?~広告文化と原宿・渋谷物語~ 80年代(2)」 01/03(土)2:00 第8回「セカイの変容~岡崎京子・エヴァンゲリオン・ゲーム~90年代(1)」 01/03(土)2:54 第9回「おたく→オタク→OTAKU~オタクカルチャーと秋葉原~ 90年代(2)」 01/04(日)1:35 第10回「サブカルチャーはどこから来てどこへ行くのか~ゼロ年代~現在」 http://www.nhk.or.jp/subculture/
YouTubeでシンシアの動画をチェックしていたら、琉球放送創立60周年企画の映像がありました。 そのなかでオキコワンワンチャンネルと100万人の大合戦に出演しているシンシアの映像がありました。 大合戦の方は一部TVでも放送されましたがワンワンチャンネルの映像は初めてお目にかかります。 とても貴重な映像が見れてラッキーです!
シンシアの「17才」は、あなたが選ぶベスト100で13位、
評論家が選ぶベスト100では「2位」と大健闘でした。
「17才」を1位に選んでくれた中森明夫さん、ありがとう!
仕事人秘録 「スターは世につれ」第6回 『初アイドル 南沙織さん』 音楽プロデューサー 酒井政利氏 “寺山修司氏との出会い以降、歯車がかみ合うように仕事が動き出した。” 1970~80年代にかけての私のスター作りの原点になった歌手がいる。南沙織だ。 「沖縄に素晴らしい娘がいる」。仕事で現地から戻った知人が声をかけてきた。 こんな言葉は耳にタコができるほど聞かされている。疑心暗鬼で1枚の写真を見て驚いた。 16歳の少女は髪の長い理知的な顔立ちで、潮風のようなすがすがしさ。 カルメン・マキとはまた違った新鮮なイメージが私の心をとらえた。 71年春。すぐに上京してもらい、羽田空港に迎えに行くと、見るからに品がいい。 スタジオに連れていき、歌ってもらうと、予想した通り、小気味よい音声とリズム感の 持ち主だった。誰もがグウの音も出なかった。それほど、南との出会いは瞬間的だった。 日焼けした顔に真っ白な歯が印象的で、デビューの時期は夏以外には考えられない。 関係者はフル回転した。CBS・ソニーが初めて送り出す女性歌手のヤング・ポップス 路線だ。検討を重ね、日本で初の「アイドル路線」と銘打った。 社内で芸名を募集すると一番多かったのは実は「南陽子」だった。結局、芸名も 決まらずに楽曲作りに取りかかった。時間が無かった。 “71年6月に発売した南のデビュー曲「17才」は大ヒットを記録した。” 楽曲作りを進めるさなか、作詞家の有馬三恵子さんがふとつぶやいた。「彼女の イメージは陽子じゃなく、沙織じゃないかしら」。この一言で南沙織の芸名が誕生した。 私からは詩のテーマとしてこう強く希望した。彼女の芯を感じさせる真っすぐな メッセージを込めてほしい、と。 「わたしは今、生きている…」。軽快なメロディーと主張のある詩は躍動感あふれ、 人々の心に染み渡った。デビュー半月後、米国の統治下にあった沖縄が1年後に日本に 返還されることが正式に決まった。 私は返還に合わせて彼女をデビューさせたわけではない。偶然の巡り合わせは、 南というスター歌手が持つ大きな機運の一つだった。 「17才」を皮切りに南の楽曲では全て「私小説路線」を貫いた。若者たちの心を とらえた成功の秘訣は、等身大の彼女の成長の過程を、そのまま楽曲作りのコンセプトに したことだったと感じる。このアイドル路線が成功したことで、私は本当の意味で、 音楽プロデューサーとしての自覚と自信を持てるようになった。 南は24歳の誕生パーティーの席で引退を宣言した。芸能界にはびこる不条理が納得 できなかったのか、私には時々引退をほのめかしていた。潮風の香りとともに登場し、 一本筋の通った彼女らしい爽やかな引退劇だった。 その後、南は写真家の篠山紀信さんと結婚、幸せをつかんだ。長いプロデューサー生活の 中で「長女」ともいうべき存在で、今でも彼女への思い入れは格別だ。篠山夫妻とは年始に 必ず食事をともにし、旧交を温めている。 日経産業新聞2014年12月12日(金)22面![]()
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情報ありがとうございます。さっそく買いました。
日経産業新聞の最終面仕事人秘録に酒井政利氏の記事が5日から連載開始されました。 半生が記述されると思います。楽しみです。
『週刊新潮』には毎週「墓碑銘」という訃報の記事があります。 最近お亡くなりになった方の半生を解説する記事です。 今週号、2014年12月4日号の123ページの墓碑銘で 取り上げた故人は、羽仁未央さんでした。 お恥ずかしいですが、この記事を読むまで羽仁未央さんが お亡くなりになっていることを知りませんでした。 お父上の羽仁進さんと未央さんは、シンシアのファンで、 1971年、1972年頃にはよく雑誌で取り上げられました。 11月18日に50歳の若さでお亡くなりになりました。 ご冥福をお祈りします。![]()
『週刊新潮』
2014年12月4日号
墓碑銘 P123
羽仁未央さん![]()
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今日、菅原文太さんが11月28日にお亡くなりになったことが公表されました。 先日の高倉健さんに続き、昭和の映画界を代表する俳優がお亡くなりになりました。 享年81。ご冥福をお祈りします。