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2015年10月 の伝言板を読む
2015年08月 の伝言板を読む
今回も多くの方から、東京17会の〈New青春の絆〉の購読申込をいただきまして、 本当に有難うございます。お陰様で当関係者も嬉しい悲鳴をあげております。 さて、ただいま作業の最終段階に向けて奮闘中ですが、下記の2つの原因によって 配布時期が遅れる可能性が出てきたことと、予め遅延の可能性を含めた現状のご報告を させて頂きたいと思います。 1)本日、新たに資料が届いたことで、不明だった部分を明確化し記述を補足するため。 2)レーザープリンター機のアクシデントによりプリント出力が滞ってしまったため。 以上の理由により、発送日が予定の10/7以降になる場合が予測されますので、心待ちに しておられたファンの皆様には申し訳ありませんが、いましばらくお待ちいただくよう ご理解の程をお願い致します。なお、遅延期間は最長一週間程度と認識しております。 上記2)のレーザープリンター機のアクシデントとは、転写ドラムのゼロ復帰不能に よる不具合が発生し、プリント紙面に縞模様が現れる現象が生じてしまい、ドラムユニット 4色全てを交換する結果を招いたことです。交換用ユニット4色全てが届くまで1~2日を 要しますが、交換後にすぐプリントを再開する計画ですので、各位様にはもうしばらく お待ち頂きますようよろしくお願い致します。以上、現在の進捗状況に関してのカキコを させていただきました。 では皆さんのお目々の保養に、東京17会コレクションよりセーラー服姿の沙織ちゃん (1971.09月頃? 週刊少女コミック)の画像を添付致します。 (東京17会・編集担当KINDO)
これまでのCynthiaStreetのバナーに使われた画像は、全てBOSS撮影によるものです。 つまり過去のバナーも、この〈Blue Mermaid〉に収録されている画像から添付されていたわけです。 だから、皆さんの記憶に残っている写真も当然掲載されており、思わず「惚れてまうやろ~!」と 叫けびそうになるCynthiaを楽しむことが出来るのではないでしょうか。 〈Blue Mermaid〉が完成するまでには、様々な好条件と運命的に出会って、長い歴史を 経てようやくカタチになり、来年の45周年に発行の日を迎えようとしています。 そもそも、 Cynthia本人の承諾なしで毎回近影するなんて不可能ですから、BOSSは信頼されるまで努力を 重ね、時間を掛けてその運命的な好条件を獲得したと言えるでしょう。さらに撮影者の情熱、 根性、行動力、撮影ノウハウや才能…などが備わっていたからこそ大成するまで継続することが できたのです。 そして撮られたフィルムの保存は、湿・温度管理が重要となります。それも40年以上もの間、 ほとんど劣化も無くフィルム画像が無傷だったのは、私たちファンにとって幸運なことでした。 実は南沙織さんが引退発表した時から、BOSSはこのフィルム全てを、思い出の主Cynthiaへ 最後に手渡そうと考えていたそうですが、諸事情により彼は断念してしまいます。 ところが今回、東京17会が〈Blue Mermaid〉という写真集のカタチにして、Cynthiaへ贈呈する 計画が進められています。それはCynthiaへ渡したかったBOSSの望みが、世紀を越えて叶えられる 日でもあります。 もしも、あのときCynthiaの手にフィルムが渡っていたら、当然〈Blue Mermaid〉はこの世に 生まれることもありませんでした。そんな数奇な運命を背負ったフイルムを、気まぐれKINDO ちゃんが預かって管理することになり、後に写真集を作ろうなんて大それた計画を発案して いなかったら、このフィルムの出番も無くなりいずれ存在自体も忘れ去られ、永遠に闇の中へ 埋もれてしまう運命だったかもしれません。〈たら・れば〉の世界と言ってしまえばそれまで ですが、ちょっとしたことが運命の左右を決めるカギになると感じたエピソードでした。 これからも、〈Blue Mermaid〉に関わる他の逸話も紹介していきたいと考えていますので、 どうか今後のBBS伝言板の告知にご注目してくださいまし~。 それでは、目が覚めるような沙織ちゃんの可愛い画像をご覧あそばせ~ッ! ※PC利用の場合、下の画像をクリックすると拡大表示できます。どうぞ試してみそ! (実は、恥ずかしながらKINDOちゃんが最近知った機能です!) Text:KINDO(撮影:BOSS) 上)1974.0125 20才への出発/沙織コンサート(神奈川・川崎文化会館) 中)1974.0206 NET〈ベスト30歌謡曲・開局記念特別番組〉(日本武道館) 下)1974.0407 NET〈ベスト30歌謡曲〉(六本木スタジオ楽屋前通路)
『朝日新聞』朝刊に記事がありました。 「円が映す戦後70年」という記事です。上が9月22日(火)、下が24日(木)に 掲載されました。 アメリカの統治下の沖縄は、日本と密接なつながりがあったという記事です。 知りませんでした。 下は、円の国際化の内容で、沖縄のことは出てきません。
朝日新聞『円が映す戦後70年 上 沖縄へ「輸出」成長の原点』 -米占領下で流通「B円」- 沖縄には戦後まもなく、通貨が使われなかった時期がある。沖縄戦に少年兵の鉄血勤皇隊と して参加した与座章健(よざしょうけん)(86)は当時をよく覚えている。 1945年6月14日に米軍に収容され、翌日から道路工事にかり出された。仕事が終わって 受け取ったのは、米1升と豚肉の缶詰。「通貨はなかったが、米軍の配給で何とか生きていた。 米軍の食べ残し、それから兵隊が着ていた服も配られていた」 数多くの県民が亡くなり、経済の基盤が破壊された沖縄。軍政を敷いた米軍はまず金銭取引を 禁止した。白地から作った通貨制度は、二転三転しながら、やがて冷戦構造の影響を受けていく。 ソ連が東欧で影響力を強めるのに伴い、48年ごろから日本の占領政策は大きな変化を見せた。 それまでの徹底した非軍事化から、日本を「反共の防波堤」にするようにかじを切った。 そのための策が、日本の経済復興、そして沖縄の米軍基地の拡充だった。 二つを結びつけたのが、ドルに価値を裏打ちされた軍票「B円」だった。米軍は基地の建設の ため沖縄の人々を大量に雇い、B円で賃金を支払う。そこで生まれた購買力を元に、本土から 物資が輸入される。B円はドルに姿を変え、本土に流れていく―。 しかも、為替相場は極度の「円安B円高」に設定された。 後に芥川賞作家となる大城立裕(おおしろたつひろ)(90)は50年4月12日、琉球列島貿易庁に 就職した。この日、軍政府との事務調整から戻って来た総裁の宮里辰彦が大きな声で言ったのを 聞いた。「120円になったよ」。決まったのは、ドルとB円の固定相場だった。 円とB円は少し前まで等価だったが、これにより1B円=3円の極端な円安B円高になった。 本土から何を買うか。大城の周りはにわかに慌ただしくなった。 貿易庁から本土に買い付けにいくと大歓待され、「百万ドルのお客様」と報じられた。だが、 大城は思った。「沖縄は、お客様なのか」。同胞扱いされていないと感じた。 ~ ~ ~ ~ 少なからぬ日本企業にとって、戦後の輸出はまず沖縄から始まった。例えば、トヨタ自動車。 47年、沖縄とエジプトに1台ずつ送り出したのが、輸出の再開だった。日本製粉は50年代初め、 沖縄に小麦粉を売り始めた。社史にはこうある。「その後、中国、香港、台湾、韓国と輸出先が 広がり、輸出は順調に伸展していった」 51年の日本の輸出総額のうち、沖縄向けのシェアは2・3%だった。ただ、自動車・自動車 部品が53%、鋼管が14%に及ぶなど、沖縄頼みが目立つ製品もあった。沖縄で経験した成功 モデルは、1ドル=360円の固定相場のもとで世界に広がっていく。競争力が高まれば高まる ほど、この相場は割安になっていった。 「沖縄で稼いだドルは原材料の輸入代金に活用された。日本経済が高度成長に向かう起動力に ]なった」。琉球銀行で長くエコノミストを務めた牧野浩隆(74)はそう分析する。ただ、沖縄には 全く別の影響をもたらした。「製造業が育たず、収入は基地に依存し、生活物資は輸入に依存する 経済に導かれた」 日本の成長を支えた輸出。しかし、それはやがて米国との摩擦を生むようになる。まず矛先が 向かったのが繊維だった。鉄鋼、テレビ…。摩擦の種はあちこちにあった。相場を円高にする 「円切り上げ」が俎上にのぼるのではないか、そんな観測が聞かれるようになった。しかし、 政治やビジネスの現場ではずっと、抵抗感が強かった。 69年に経済企画庁に入った小峰隆夫(68)は、71年のはじめに円が切り上げられた場合の 影響が分析されていたのを覚えている。しかし、それが外に出ることはなかった。「大部分の 日本人が円切り上げはとんでもないと思っていた。1ドルが360円であることは誰も 疑わなかった」。71年7月に公表された経済白書には「円切り上げ」の文言は見られない。 同じ頃、経済同友会の会議。「円切り上げがないと国際的に通用しない」との声が出ると、 ウシオ電機社長だった牛尾治朗(84)は食ってかかった。「競争力がない分野も山ほどある。 慎重にやるべきだ」 しかし、問題はすぐ顕在化する。71年8月、米大統領ニクソンはドルと金の交換を停止 すると発表。変動相場の中で円高が進み、「安い円」の時代は終わった。85年に日米欧が プラザ合意でドル高是正を決めると円高はさらに急になる。 変化を嫌った日本。しかし、それはもっと大きな変化を準備した。 ~ ~ ~ ~ 沖縄は72年5月に本土に復帰した。B円からドルに変わっていた通貨も、円に戻った。 「一番の関心は製造業をつくり、経済構造をしっかりさせることだった」。琉球政府最後の 通商産業局長だった喜久川宏(きくがわひろし)(83)は復帰時の思いを振り返る。本土では 「全総」と呼ばれた全国総合開発計画がつくられ、開発の波が各地に及びつつあった。 沖縄県も本土との「格差是正」を目指し、製造業誘致に力を入れた。だが、円高のもとで、 製造業は沖縄ではなくアジアに工場を移した。 琉球銀行の牧野は、90年代末に沖縄県副知事になった。担当した振興計画の重点は、 「格差是正」から「優位性の発揮」に変わった。ここで育てた観光やIT産業は今、沖縄の 産業の中心を担っている。 一方の本土。産業空洞化が進んだ今、持てる「優位性」とは何なのか。模索が続いている。 敬称略 (福田直之) -あのとき この言葉- 「1ドルブラウス」 安い綿のブラウスやシャツなど繊維製品の輸出は、敗戦から立ち直ろうとする日本が外貨を 稼ぐのに重要な手段だった。「1ドルブラウス」と呼ばれ、米国で大変な人気に。1955年 には、前年の10倍にあたる約300万ダースが輸出され、米国市場でのシェアは28%にまで 達した。 当然、米国の繊維業界からは悲鳴があがり、日本は57年、輸出の自主規制を迫られた。 60年代末にも、繊維業界の支援を受けたニクソンの大統領の就任で問題が再燃。72年に 日本がまたも自主規制をする形で決着した。沖縄返還の条件にされ、「糸(繊維)を売って 縄(沖縄)を買った」とも言われた。沖縄返還交渉で日本側の密使だった若泉敬の著書 『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』に詳しい。 繊維問題は、後に自動車などに広がる日米貿易摩擦の走りとなった。
馬飼野元宏(まかいのもとひろ)さんが、昭和歌謡曲の集大成ともいえる本を 出しました。 『昭和歌謡ポップスアルバムガイド 1959-1979』 下記で少し紹介しましたが、素晴らしい本です。皆さん、是非お買い求め下さい。 この本が一冊あれば、丸一日話せる自信があります。
商品名 :『昭和歌謡ポップスアルバムガイド 1959-1979』 著者 :馬飼野元宏(監修) 判型 :A5判 ページ数 :336ページ 定価 :2,400円(本体) 発行日 :2015年8月18日初版 発売日 :2015年7月29日 ISBN :978-4-401-64142-0 商品コード:0641426 発行所 :シンコーミュージック・エンタテイメント (掲載内容) 『あまちゃん』では80年代アイドルに注目が集まったが、それに限らずまだまだ 終わらない昭和歌謡再評価の波。 各種雑誌で特集が組まれたり、関連CD再発も多数行なわれている。再発情報だけでも 俯瞰して全体を把握することは難しいので、ひとまとめにした資料が必要とされている 現在。マニアの間ではレコード会社や制作者別の特徴によって作品が分類されたりも しており、本書ではそこに注目、昭和歌謡の中でもポップス的なものに焦点を絞り、 独自の分析を加える。 これまであまりされてこなかった、あくまでも音楽的な観点から、多くの作品に改めて 光を当てた。酒井政利氏、草野浩二氏ら関係者へのインタビューも交えて「LPの時代」を 新たに総括する、画期的な一冊だ。 (CONTENTS) 【PART 1 ロカビリーからエレキブームまで】 ロカビリー・ブーム カヴァー・ポップスと東芝音工 三人娘とポップス 渡辺プロのジャパニーズ・ポップス 日本のシャンソン ラテン・ブームとテイチク 孤高のポリドール都会派ムード歌謡 ビクターの都会派ムード歌謡~フランク永井と吉田正 キングの欧州系歌謡とカンツォーネ 青春歌謡とビクター クラウンの青春歌謡 エレキ・ブームと東芝~和製ポップスの夜明け 【PART 2 グループ・サウンズの黄金期】 グループ・サウンズ狂乱の3年間 CBSコロムビアとブルー・コメッツの登場 フィリップスのGS 東芝のGS タイガース登場 東芝vsコロムビア女性歌謡 60年代女性歌謡 ビクター艶歌ブルースの女王・青江三奈 CBS・ソニーと寺山修司 歌う俳優 PART 1 60年代篇 お色気歌謡&情念歌謡&やさぐれ歌謡 セルジオ・メンデスとボサノヴァ・ブーム RCAの演歌新時代 ラテン・ムードコーラス アフター・ロカビリー 【PART 3 筒美京平の活躍】 平山三紀と筒美京平 都会派ポップスの隆盛 CBS・ソニーのベテラン女性歌手再生 ディスカバー・ジャパンとワーナー叙情派歌謡 ソニーvsビクター PART 1 アイドル登場 ベンチャーズ歌謡と東芝女性歌手 もと夫婦 ちあきなおみと由紀さおり~歌謡曲の再構築 70年代初頭の男性アイドルたち 70年代の沢田研二 アフターGS 筒美系男性アイドル~郷ひろみと野口五郎 RCAの和製ソウル 【PART 4 歌謡曲黄金時代】 ソニーvsビクター PART 2 花の中3トリオ 女性アイドル PART 1 キャンディーズ 異国の女の子 セクシー歌謡 フォーク歌謡 キッズ・ポップス 70年代のGSたち 70年代ジャニーズと男性アイドル ディスコ歌謡 全日本歌謡選手権と再デビュー歌手 平尾昌晃と少女たち 女性演歌と喪失歌謡 ソニーvsビクター PART 3 フォークとディスコ キャニオン・NAVレコード ピンク・レディー革命 女性アイドル PART 2 ジョービズ系実力派の活躍 歌う俳優 PART 2 70年代篇 宇崎竜童系女性シンガー ソニーの女性アダルト・ポップス http://www.shinko-music.co.jp/main/ProductDetail.do?pid=0641426
『宝島』休刊号2015年10月号 P154・155 昭和遺産探訪〔最終回〕 取材・文/藤木TDC 撮影/金子靖 『昭和歌謡 「懐メロ」にとどまらぬ音楽的真価』 宝島社:http://tkj.jp
『宝島』休刊号2015年10月号 P154・155 昭和遺産探訪〔最終回〕 取材・文/藤木TDC 撮影/金子靖 『昭和歌謡 「懐メロ」にとどまらぬ音楽的真価』
『宝島』休刊号2015年10月号 P154アップ 『日刊ゲンダイ』2015年9月11日号(10日-木-発行) 第11面 出版HOT NEWS 『昭和歌謡ポップスアルバムガイド 1959-1979』
現在発売中の、『週刊アサヒ芸能』2015年9月24・10月1日号にアイドル特集が載っています。 「永遠の70年代アイドル 100人に会いたい」 P54~65で 吉沢京子、麻丘めぐみさんなど、8人のインタビュー記事に、女優、ドラマ女優、歌手、 CM出演者の計92名で、全部で100名のアイドル情報が載っています。 シンシアの名が二か所に出てきます。歌手の欄と、麻丘さんのインタビュー記事の中です。
『週刊アサヒ芸能』 2015年9月24・10月1日号
P54~59
『週刊アサヒ芸能』 2015年9月24・10月1日号
P60~65
『週刊アサヒ芸能』 2015年9月24・10月1日号 P63 「70年代に華やいだヒット歌手」 南沙織 「17才」(71年) 沖縄返還の前年にデビューし、日本のアイドル第1号と呼ばれた。
『週刊アサヒ芸能』 2015年9月24・10月1日号 P57 永遠の70年代アイドルに会いたい!「麻丘めぐみ(わたしの彼は左きき)」日本中の左ききが 拍手した大ヒット曲 デビューから7作連続でシングルがベストテン入りするなど、70年代アイドルでは “特A級”の存在だった麻丘めぐみ(59)。レコード売り上げだけでなく、ビジュアルを 含めた全てが鮮烈な輝きを放っていた。 沖縄返還や田中角栄内閣誕生に沸いた72年6月、デビュー曲の「芽ばえ」が発売され、 たちまち40万枚の大ヒットを記録。世の激動と、自身のデビューはどう結び付いたのか? 「自分の人生が大きく変わった運命の年。もともと私の姉が歌手で、スターになる日を夢みて いたんです。その世界に私も入っていって、戸惑いと不安ばかり抱えていました」 同期には郷ひろみ、西城秀樹、森昌子ら強力なライバルがひしめく。同年のレコード大賞は 熾烈なデッドヒートの末、ちあきなおみの「喝采」が制したが、最優秀新人賞もまた、激戦を 勝ち抜いて麻丘の頭上に輝いた。 「正直に言うと‥‥最優秀新人賞は申し訳ない気持ちでいっぱいでした。私は子役から始まり、 いつかいい役者になることが夢だったので、歌手になってあとに引けない現実をなかなか 受け止めることができず、よく泣いていました」 大みそかの授賞式でも、感激どころではなくパニック状態に近い大泣きの姿が見られた。 今、あらためて栄光の瞬間をプレイバックしてもらいたい。 「会場は帝国劇場だったんですが、地下4階からセリが上がっていくんです。実は私、すごく 高所恐怖症で、賞どころではなかった。ガタガタ震えながら『早く終わって』とつぶやいていた くらいです。受賞して司会の森光子さんに『うれしいわよね』ってマイクを向けられても、 なぜか『わかんな~い!』って答えたくらいですから」 3歳から少女モデルをやっていただけあって、どの時代にデビューしても通用する透明感が あった。特に垂れ髪を短く切った「お姫さまカット」は、自身のトレードマークとなる。 「モデル時代はヘアメイクもスタイリストもいませんから、全て自前だったんです。髪形の バリエーションをつけやすいようにと、あのカットにしました」 翌73年には「わたしの彼は左きき」が50万枚を超える最大ヒット。チャート1位を獲得した 事実よりも、男たちの「左ききコンプレックス」を払拭したことが大きかった。 「ヒット記念パーティには、王貞治選手(当時)に来ていただいて驚きました。私は『面識も ないのに、すいませ~ん』って、感激しながらも謝っていました」 どのアイドルもそうだが、70年代は歌、ドラマ、バラエティ、雑誌とフル稼働するため、 現在とは忙しさが桁違い。そんな日々をどう過ごしたのか? 「当時は歌番組が毎日あり、週末は地方のコンサートに行き、とにかく忙しかったので、 当時の記憶がないんです。自分の思いとは違う展開になっていくのが、10代の私には すごく怖かった。歌手活動は激動の5年間でした」 77年に結婚のため一時引退。デビューから親しかった南沙織、浅田美代子も、ほぼ同時期に 同じ形で一線を退いている。親友たちとの絆は今も変わらず、ずっと支えてもらっていると感謝する。 「激動の5年間があったから、復帰後の今もお仕事させていただいてます。来年も舞台が控えており、 還暦を迎えるので新たな挑戦をしたいですね。09年に33年ぶりに発足したファンクラブの皆さんとも、 楽しい時間を作りたいです」 会話のそこかしこに、デビュー時と変わらぬ青嵐が吹いている。 http://www.asagei.com/excerpt/43617
今日、初めてこのBBS伝言板を見た人や、インターネットのヤホ~で〈Blue Mermaid〉を 検索しても、まだヒットしないので何のことやらさっぱり分からない人のために、ここで、 説明いたしましょう! それは、来たるデビュー45周年記念日に発行される、南沙織さんの写真集のことです。 少し前にカキコした告知も読むと分かって頂けると思います。 すでに撮影されてから40年以上経過しているフィルムは、湿気によるカビや現像液による 縞模様が目視で確認出来るほど劣化していたり、無傷のようでも当時の色を再現できないほど 焼けて退色している場合もあります。だからと言って、過去に戻ってあの頃の沙織ちゃんを もう一度撮り直したくても、それは無理難題な相談ですよね。そんなわけで、40年以上の長い間 無傷だったフィルムが、どれだけ貴重なのかが改めてお分かり頂けると思います。 その貴重なフィルム画像を掲載する〈Blue Mermaid〉によって、Cynthiaの微笑みが世紀を超え、 再び皆さんの目の前に帰って来ることになったのです。 これは、70年代へタイムスリップしたかのような淡い夢心地に浸ることができ、必ずや、 サオリストにとって素晴らしき夢のサプライズとなることでしょう。 巻末には、1971~78年にわたる南沙織さんの主な活動地軌跡マップと、公開スケジュールも 併せて掲載しました。日本各地に残された多くの活動軌跡や、スケジュール一覧から彼女が 忙しく飛び回っていたことが詳細に把握できると思います。 さらに全4巻に、サオリのしおりAgain(紙製4枚セット:栞紐付き表裏デザインタイプ)が 付属されます。 なお、〈Blue Mermaid〉は今回限りの受注生産の態勢で進められていますので、今後、 不定期に発信するBBS伝言板の告知にも注目しておいてくださいね。 では、沙織ちゃんの初々しい姿に、もういっぺん心を奪われてみなしゃれや~! Text:KINDO(撮影:BOSS) 上)1973.1108 19才の青春・沙織のコンサート(新宿厚生年金大ホール) 中)1973.1224 ファンクラブXmasパーティー(大阪・ホテル阪神) 下)1974.05月頃 移動日(東京駅)
u3、The Lettermenの「Spin Away」、ずうっと聞いてみたかったので、ありがとうございました。 アランさんのバージョンも含め4つの中で、やはり シンシア版が一番好きです。 トナカイさんが紹介している『アサヒ芸能増刊』に、「小心者」は桜田淳子に書いたんだけど、 事務所の反対で、梓みちよが歌ったとあるので、「引き潮」はシンシアのために書かれた曲と いうのも可能性大だと思います。
現在、発売中の『日本の「女神」列伝』。『週刊アサヒ芸能』の記事をまとめた本です。 シンシアは、P72・73に出ています。 (本の情報) 『戦後70年の芸能秘史 日本の「女神」烈伝』 石田伸也/著 発行所:徳間書店 発売日:2015年08月03日 発行日:2015年08月15日 ISBN:978-4-19-710414-7 判型/仕様:B5判 定価:本体790円+税 (内容紹介) 吉永小百合が極秘に行なった挙式の写真が40年目にして発見された! 山口百恵はなぜ『スター誕生!』の司会者・萩本欽一への挨拶を拒んだのか? ピンク・レディーがデビュー5年で数百億円を稼ぎ出しながら「倒産」に至ったのはなぜか? 松田聖子が「破局会見」の直後に見せた信じられない行動とは? ‥‥日本の戦後70年を支えたのは、時代の節目ごとに登場し、歌や映画・ドラマで 鮮烈な印象を放った「女神たち」である。本書は『週刊アサヒ芸能』に掲載された 人物ノンフィクションを中心に、終戦の混乱期や高度経済成長期、オイルショックや バブル景気と密接する形で現れ、そして去っていったオンナたちを、芸能ルポルタージュに 心血を注ぐ気鋭の著者が貴重な本人インタビューや重要な証言集をもとに、渾身の13万6000字に 叩きつけて「戦後芸能史の謎」を解き明かす。 (主な項目) 美空ひばりと山口組三代目 吉永小百合の知られざる決意 ピンク・レディーの泡マネー 藤圭子が選んだ「悲死」の道 山口百恵と70年代の交差線 〈松田聖子〉を創った男たち 中森明菜という孤高の歌姫 <消えた歌姫> 西田佐知子 ちあきなおみ こまどり姉妹 南沙織 桜田淳子 <早世のマドンナ> 大原麗子 夏目雅子 テレサ・テン 太地喜和子 田中好子 <女優の告白> 高橋惠子 三田佳子 烏丸せつこ 小柳ルミ子 前田通子‥‥など http://www.tokuma.jp/bookinfo/9784197104147
サウダージの2号を比べます。 『週刊現代』2015年9月17日号 サウダージ 1971年9月7日~13日 あのヒット作、あの感動 「17才」第4位 P90・91 『週刊現代』2014年8月31日号 サウダージ 1971年8月17日~25日 あのヒット作、あの感動 「17才」第2位 P92・93
『週刊現代』2015年9月17日号
サウダージ 1971年9月7日~13日
あのヒット作、あの感動 「17才」第4位
〈Blue Mermaid〉とは、引退のその日まで南沙織さんの姿を捉えた写真集であり、 デビュー45周年を迎える2016年6月1日の記念日に、SAORIst Group東京17会から発行される フォトグラフ集・全4巻のことです。 この〈Blue Mermaid〉に掲載されている全ての写真は、シャッターを切り続けたひとりの ファンBOSSが撮り溜めた、大量のフィルムより精選しその画像を編集したものです。 ちょと待て、ちょと待てお兄さん!〈Blue Mermaid〉ってなんですのン? と疑問を もたれた人のために、前回告知の一部分をリピートしましたが、初めてここを読んだ人は、 9/6[Cynthia写真集〈Blue Mermaid〉って何なの?]の告知カキコミも見てね。 掲載は写真画像以外に、現場を踏んだBOSSだからこそ知り得た情報や、彼女にまつわる 多くのエピソード & Cynthia語録などを、彼とその仲間たちの全面協力のもとでまとめられて います。また、Cynthiaの周りで起こった出来事や面白い逸話、ちっぽけな思い出なども写真に 添えるスタイルで併記してあります。 この写真集は、一貫したファンサイドの視点に立ち、撮影から編集までファンの手によって 創られた画期的で唯一無二の写真集だと言えるわけです。 今日現在、当時の事情をよく知るファンクラブOBの仲間たちによって、チェック・校正を 敢行中です。そして幾度かの修正を重ねながら、来年の完成を目指す計画です。10月末ごろに、 本格的な告知とともに購読希望者を募る予定になっています。 今後も不定期ですが週一間隔で、〈Blue Mermaid〉のことを少しずつカキコしていきますので、 自称サオリストを名乗るそこの君! 今後のBBS伝言板から目を離したら一生後悔するわかもよン。 なんつわって!(笑) では、今回も内容の一部画像を少しだけご披露しますので、天使のような彼女の姿を ご堪能なされよ~ッ! Text:KINDO(撮影:BOSS) 上)1971.0701 南沙織を励ますファンの集い(西武園ユネスコ村) 中)1973.0501 TBS火曜歌謡ビッグマッチ(局内Gスタジオ) 下)1973.0512 TBSドリフの8時だョ!全員集合(文京公会堂)
The Lettemenの「Spin Away」がyoutubeにアップされていました(2014/10/23)。 https://www.youtube.com/watch?v=EIr0WcGOYwY The Lettemenの『Spin Away』 https://en.wikipedia.org/wiki/Spin_Away Ted Neelyの「Spin Away」もyoutubeにアップされていました(2014/05/23)。 https://www.youtube.com/watch?v=M92VorhCG1I 参考:2009年09月06日(日)の私の投稿『Cynthia Street』のAlan O'Day氏の曲
前回告知の配置画像が小さくて、読めないよという若干の苦情がありましたので、 見やすく作り直し、改めて解説もカキコしたいと思います。 まず、8年ぶり発行となった〈New青春の絆〉ってなんぞや?と思われている方のために、 最終号となりましたが説明をしておきましょう。 その前に、発行者:東京17会(Tokyo 17-kai/トウキョウトナカイ)について書かないと 始まりませんね。 ラストコンサートで、【断つな!青春の絆。集まれ!! 仲間たち。】と題したビラを配り、 賛同するファンを募って発足したのが現・東京17会の前身となります。もしかしたら、 そのビラをまだ持っていると言う熱心なファンもおられるのではないでしょうか? 南沙織さんを応援することが青春そのものだった多くのファンは、彼女の引退後、 何を支えに生きるべきか路頭に迷える仔ヒツジちゃん状態でした。 そんな中、各地から名乗りを挙げた若者たちが集まって、みんなの意見から望みを見出そうと、 結成されたグループが17会(トナカイ)だったのです。 南沙織さんの引退後に発足した会のため、もっぱら大学のサークル的な活動が主でしたが、 会の活動記録・報告と、南沙織さんの思い出を書き綴った会報も発行していました。 その手作り会報名はズバリ【青春の絆】と命名し、約4年間発行され続けて切りの良い17号で 廃刊としました。 そして時代は平成となり新たな世紀へ突入し、パソコンの時代を迎え私たちもその恩恵に 浴することになりました。私KINDOはパソコンの魅力に取り憑かれ、ものづくり欲に拍車がかかり、 ついにカラー版【New青春の絆】を創刊するに至ったのです。号数に〈17-〉が付いているのは、 【旧・青春の絆】の名残であり、会の発足当時の初心を忘れないために考えたものです。 これで号数の謎が解けたでしょうか? 〈New青春の絆17-06号〉は、そんな訳で37年前にビラを配った、南沙織さんの調布の ラストコンサートの思い出の日、10月7日に発行することにしました。何だか会報が この日に最終号を迎えるのも、何か運命めいたものを感じますね。 今回も既刊号に続き、歌手活動されていた南沙織さんに関する事柄をまとめ、 懐かしい出来事や新たに発掘した情報を満載にしてお届け致します。 これまで発行してきた会報の全てが、南沙織さんやCynthiaを語り尽くせる情報類とは 思えませんが、忘れかけていた記憶が甦えるきっかけとなったり、また、ぼやけていた 思い出の焦点を合わせる材料のひとつになればと思って制作したつもりです。 いつものように、刷り上がりの第一冊目はファイリングしてCynthiaへ贈呈致します。 ●体裁 /A4判カラー・222頁(プリント出力・バラ) ●購読のお申込み/8月~9月末日頃まで ●お申込み先 /zukafan@pluto.nifty.jp(受付:トナカイ)まで ●発行・配布予定/10月7日~ ※お申込みされた方だけに、詳細を記した返信メールをお届けします。 南沙織さんと同時期に青春時代を経験してきた私たちが、彼女の奏でる歌声に心を奪われ、 そのピュアな微笑みに癒やされていた事実は、誰にも否定できないでしょう。私は、そんな 女神様・南沙織さんのファン活動に長きに渡り従事できたこと、また会報発行に携われたことを 誇りに思っています。 なお、諸事情により本号をもちまして会報〈New青春の絆17-06号〉を最終号とさせて頂きます。 途中年月が経ちましたが12年間に渡り、当会への絶え間ないご愛顧と多大なるご声援を賜り 有り難うございました。この場をお借りして感謝の意を捧げたいと思います。 (東京17会・編集担当KINDO) PS: 8年の間に引っ越しされた方、メアドを変更された方など、連絡先不明な方がおられますので、 お手数でも上記の受付:トナカイ氏まで連絡メールを届けていただけるようお願い致します。
> 「これはある女性の方に書かれたものだけど都倉先生に歌うように > 言われた曲です」と言ってたらしい そうなんですか。それなら、本来は別の女性歌手用に作られた曲だったかもしれませんね。 でも、ひとつの可能性として、1976/09/21に発売された『哀しい妖精』には都倉俊一作品が 2曲収録されていますから、そのときに作られたものの『哀しい妖精』に収録されなかった 曲だったということも考えられます。 JASRACの“作品データベース検索”(JASRACトップページの[作品検索 J-WID]) によると、「引き潮」(作品コード:072-5373-7)のアーティストは、1.狩人 2.南沙織 となっています。ただし、アーティスト名の注釈は下記の通りです。 著作者等の関係権利者や利用者からの情報に基づき表示しています。 作品を歌唱、演奏したすべてのアーティストを表示しているものではありません。 複数アーティストの表示については、順不同となっています。http://www.jasrac.or.jp/
u3 情報ありがとうございます。狩人の弟さんの方が、これはある女性の方に書かれたものだけど 都倉先生に歌うように言われた曲ですと言ってたらしいので、シンシアがオリジナルなのかとも 思いましたが、別の女性歌手がいたのかも。 シンシアが歌った日本語のアルバム曲の別歌手の歌が発掘されるのは、なんか嬉しいです。
7月2日に私が軽く告知したカキコミに対し、数多い質問が寄せられる事態に なってしまい驚いています。そこで、今回は〈Blue Mermaid〉について簡単にサラ~ッと解説する ことにしました。でも、詳細情報のほうは時期尚早となるため後日扱いにします。 〈Blue Mermaid〉とは、引退のその日まで南沙織さんの姿を捉えた写真集のことで、 画像カット数5,638枚を、A4判カラー2,082頁・全4巻に渡って綴られた、東京17会編集による Cynthiaご本人とサオリストのためのフォトグラフ集です。 掲載画像は、全てファンであるBOSSひとりがシャッターを切り続け、彼の集大成となる 大量のフィルムからスキャンされ成り立っています。 現在、ひと通りの粗編集も終え印刷所からサンプル版が手元に届き、全4巻総重量10kg、合計厚み120mm となる体裁スペックが確認されました。これ以外の詳細はまだ明らかに出来ませんが、 今後も幾度かの校正チェックと修正を重ねながら完成に向けて仕上げていきます。 10月末ごろには、大々的な告知と共に購読希望者も募る予定です。 昔むかし、他のアイドルたちの写真集が発売されるなか、待てど暮らせど沙織ちゃんの写真集だけが 発行されないまま、とうとう彼女は華やかなる世界から去ってしまいました。その後ファンのおメメを 癒やすためには、悲しいかな既刊雑誌の切抜きグラビアとか、LP付属ポスターくらいしか存在しませんでした。 この状況を打破するためには、自ら写真集を作るほかに方法がないだろうと私KINDOは意志を固めていました。 そこに、パソコンの力を借りて編集できる時代が到来したことで、創作意欲に大きく拍車がかかり、 紆余曲折を経て〈Blue Mermaid〉が創られたのです。 しかし、なぜこのタイミングの発行なのかというと、2016年6月1日に彼女のデビュー45周年記念日を控え、 またとない絶好のチャンスを逃がさないためと思ったからです。 今日は、〈Blue Mermaid〉に関する3つの画像を、このBBSにて初公開しておきましょう。 まず、現表示の“CynthiaStreet”バナーとは別アングル画像もちょい大きめで特別公開します。 今後は、〈Blue Mermaid〉の頁画像を不定期で披露していきますので、少しずつ内容の把握が できるかと思います。サオリストの皆さんは、これからもマメな伝言板のチェックを欠かさぬように。 Text:KINDO(撮影:BOSS) 上)1974.0402 サイン会(日本橋三越デパート・屋上特設ステージ) 中)1974.0221 サイン会(日本橋三越デパート・屋上ステージ) 下)1974.0324 南沙織ショー(青森・むつ市田名郡?)
「引き潮」が入った狩人の『出逢った人に』の発売が1977年10月25日、 Cynthiaの「引き潮」が入った『I've been mellow』の発売が1978年6月1日だから、 特別な事情がなければ狩人の方がオリジナルでしょうね。
「引き潮」、狩人が歌ってるのがラジオから流れていました。 シンシアがオリジナルか、カバーなのか分からないけど、 狩人は、ファーストアルバムとライブレコーディングと2回 レコード化されていた様です。